第3話 合宿の夜
そして、合宿の日が訪れた。
場所は、学園の敷地内にある宿舎。これまでそんな場所、聞いたこともなかったが、それもそのはず、この学園の敷地はバカみたいに広い。そもそも小学校と中学校があって、旧校舎があり、体育館やプールがあって、図書館も独立した建物になっているくらいだ。加えて、それらを取り囲むような森まである。
宿舎は、その森の奥にひっそりとたたずむ、まるでホラー映画の舞台にでもなりそうな洋館――
『知ってる? 実は、ね……去年の合宿の時ね、行方不明になった子がいるんだよ』
塾の生徒が少ないのもそのせいなの、だ……と、
場所はどうあれ、合宿だ。いちおう合宿なので朝から夕方まで勉強漬けになるんだけども――習うのが魔法なら、やっぱりわくわく感の方が勝っている。
合宿一日目はちょっとした座学と、紀平センパイの案内で宿舎を見て回った。宿舎には図書室があり、魔法に関する本が収められているという。
センパイはそのうちの一冊を手に取った。分厚いハードカバー。小難しい論文とか図解でも載ってそうだと思っていると、センパイがその本をぱらぱらとめくって見せる。
どのページも真っ白で、何も書かれていない。
「見てて、ね」
と、センパイはペンを手に取ると、白紙のページに「あ」と書いた。先生が戻ってきてないかとおれが振り返った一瞬のうちに、その文字はまるで紙に吸い込まれるように消えてしまった。インクの跡も何も残っていない。
センパイが言うには、この本に書かれた文字は、それを書いた人以外には見えなくなるという。
まさに魔法の本といった感じだけど、これはそもそも何のための本なのだろう。他人に見られては困ることを書く……日記帳とか?
「『願いを叶える本』らしい、よ。書いたことが現実になる、とか」
そんな都合の良い本があるのだろうか、とおれは半信半疑だったけど、でもだからこそ『魔法の本』なのかもしれない。
だけど、そんな本がこんな簡単に手に取れるところにあっていいんだろうか?
ゴールデンウイークに行われた合宿も、気付けば四日目。明日には帰ることになるというその夜に、おれたちは紀平センパイの発案で、肝試しをすることになった。
宿舎から森を抜けて、図書館へ。センパイがそこに置いてきたという、このまえ目にした『白紙の本』に願い事を書き込んで、戻ってくる――
ふだんおっとりしているセンパイが自分からこんな提案をするのは不思議で、おれはなんとなく、これは学校側が用意していたイベントなのだろう、と思った。
中居センパイは、これはテストで、お化け的なものが襲ってくるのかも、と言っていた。たしかにそれっぽい雰囲気。
そんなわけで密かに楽しみにしていたのだけど、
「じゃあ、二人一組でペアになってもらいますよ、と」
……クジの結果、同じ「3」を引いた
こういうの、定番といえば定番だけど……せめて話しやすい相手が良かった。
しかしまあ、決まったものは仕方ない。たぶんこれを機に、というやつなんだろうし。その割には一番手は
その後に
今夜は満月なのだが、森の中に入ると月明かりも木々に遮られてしまい、スマホのライトがなければまともに歩くことも出来なかった。
いちおう学園の敷地内なので、きちんと整備された遊歩道がある。とはいえ、一般生徒が入ってこないようにするためか街灯などはなく、道は細くて分かりづらい。
そんな暗闇のなかを、気まずい沈黙を引き連れて先へ進む。
「あのさ、願い事……何にする?」
と、おれは勇気を振り絞って声をかけたのだが、
「…………」
先を歩く榊からの反応はなし。なんだよ、と思う一方で、
榊は噂通りおれより年上で、昔、病気か何かで眠り続けていたことがあり、そのため休学していたそうだ。言われてみれば、榊はいつも体育は見学だった。病弱という話で、これまで気にしたことはなかったけど。
そんなわけで、年下のおれに気安く話しかけられるのはやっぱり嫌なんだろうか、とか考えていると、
「……そっちは」
ぽつりと、そんな声がした。
そうか、「人に名前をたずねるからには、まず自分から名乗れ」的なやつだ。
「まあ……魔法が上手くなりますように、とか」
「……そう」
……素っ気ない。会話はそれっきりだったが、悪い気はしなかった。
まあ願い事とか言われても、パッと浮かぶものではない。おれは前に例の本を見たときからなんとなく考えてはいたけど……。たぶんそのために紀平センパイは先に一度『白紙の本』を見せたのかもしれないなと、今では思う。
そのまま会話もなくおれたちは先に進み、途中、小田桐の子分ズとすれ違った。親分がいないからか静かな二人を横目に、図書館へ。そこで聖たちと入れ違いに。そして無事、『白紙の本』の前にたどり着く。
入り口のカウンターに広げられたそれは、デスクの光を反射して、輝いているように見えた。横にはごく普通のボールペンが置かれている。
「じゃ、お先に……」
榊が入り口に残っているので、おれは先に願い事を書き込んだ。
『魔法が上手くなりたい』――やっぱり他に思いつかない。
おれの書いた文字は、前に見たときと同じく紙の中に吸い込まれ、消えていった。
榊と場所をかわる。榊は少し迷う素振りを見せたあと、ささっと何かを書き込んだ。文字が消えるのを見届け、こちらを振り返る。戻ろう、ということだろう。
ドアを出る前におれは一度薄暗い図書館を振り返った。
話によると、この図書館にも地下通路があり、旧校舎や、なんと宿舎にも繋がっているという。いったい何なんだこの学園。
「
「…………」
おれのつぶやきには反応せず、榊は先に行ってしまった。おれは自分からつくった気まずさから逃げるように、その背を追いかけた。
満月に照らされ、図書館前は見晴らしがいい。
遠くにうかがえる森が、何か黒い塊のように見えて、少しだけ不安になった。
なるべく先を行く榊から離れないようにとおれが足早になった時――
「うわあああ!?」
――と、森の中から、悲鳴。
その声にびくっとなる。
今のは小田桐の子分……
何かあったのかと思う間もなく、ソレはおれたちの前に現れた。
「ひっ――」
ノドからひきつった音が漏れる。息が詰まって、叫び声は出なかった。
突然だった。気付いた時にはそこに――榊の前に、真っ白い何かが浮かんでいる。それが白い仮面のようだと分かったのは、周囲にゆらめく黒い布のようなものがあったからだ。
それはまるで、てるてる坊主のようだった。何も描かれていない白い仮面をつけ、宙に浮かんでいる――それも、二体。まったく同じ見た目のやつが、夜闇に浮かぶクラゲのように――
その時おれの脳裏をよぎったのは、中居センパイの言葉。
……これは、バトルする流れだ!
そう思った瞬間、恐怖心は消え去った。
この数日間、まともに火も出せなかったけど……。
――この世界に存在するあらゆる物質は、原子の組み合わせ、その集合体だ。魔法とは極端な話、そうした原子に働きかけ、奇跡(のように見えるもの)を起こす技術だ。
――空気中の水分を集めてまとめて、固めて一つに――
おれの手の中に、水の塊が生まれる。少しでも力を加えると、夢から覚めるように消えてしまいそうなそれを必死に、しかし頭を空にしながら、繋ぎとめる――
「よし――」
喰らえ、と――こちらに向かっていた黒いてるてる坊主に、おれは手の中の水球を投げつけた。
――びしゃあっ……!
「…………」
えええ……。
でも、そりゃそうだ。だって、ただの水。ダメージを与えられるはずも――
「うわああああああ……!?」
――気が付いた時、おれは一面何もない、真っ白な――灰色の砂漠に倒れていた。
ここはどこだ?
……おれは……?
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