第3話
「古狼館の完成おめでとうございます。お招きいただき感謝しています」
榊は古狼館のオーナー
「君が榊くんか、ライアンはいつも君の自慢話をしているよ。確かに良い仕事をしてくれた。君が手がけてくれたレストランは明日の朝食会場だ。ヒルトン東京のシェフが腕を振るってくれる。楽しみにしていてくれ」
「はい、ありがとうございます」
本城は仮装パーティを主催するだけあり、榊の狼スタイルが精悍な顔立ちによく似合っていると付け加えた。
「彼はずいぶん丸くなったが、かなりの偏屈でね。なかなか他人を褒めない。だが、英臣の仕事をいたく気に入っていたよ」
本城が去った後、ライアンが嬉しそうに微笑む。
「パートナーが褒められるのを聞くのは心地よい」
「言っておくが、ビジネスパートナーだ」
榊はきっちり釘を刺しておく。
蜘蛛の巣を象ったチョコレートを載せた紫芋のタルト、ジャックオーランタンを象ったかぼちゃのシュークリーム、生クリームのおばけが乗ったミルフィーユと工夫を凝らしたハロウィンのスイーツが並ぶ。
曹瑛は皿に載せた黒猫がこちらを見上げるチョコレートムースを真剣な眼差しでまじまじと見つめる。愛嬌のある黒猫を食べるのが憚られ、選んだことを後悔していた。しかし、食べないわけには行かない。
「すごいね、どれも手が込んでる」
伊織はこうもりのチョコレートが載ったカヌレを一口で平らげる。曹瑛が意を決してスプーンを入れようとした瞬間、背後に殺気を感じた。振り返ると黒いマントの死神が海賊のゴーストたちの間を縫って消えていった。
「瑛さん、どうかした」
「ここにいるのは招待客だけではないようだ」
曹瑛は険しい視線を会場に向ける。伊織も会場を見回すが和やかな雰囲気に包まれており、不穏な気配は感じられない。
「ここの警備はどうなっている」
曹瑛が声を落としてしライアンに問う。
「仮装した警備の者が配置されているはずだ」
ライアンが視線で示す先、入り口付近にボロボロのジャケットを纏うフランケンシュタイン、舞台袖にはゾンビ化した警察官が立つ。
「気のせいか」
曹瑛は緊張を解く。
「曹瑛、ついてるぞ」
榊に指摘され、曹瑛は口元についたチョコレートを拭った。
「君たちに貴賓室のコレクションを見せよう」
本城がホールの向かいにある部屋へ案内する。招待客は自由に出入りできるようドアは開放されており、室内に警備員が立っている。臙脂色のビロードのカーテン、天井には硝子を連ねたシャンデリア、騎士の凱旋をモチーフにした緻密な彫刻の施された暖炉にアンティークな柱時計。中央には花柄のソファとテーブル。壁沿いにショーケースが据え付けてある。
「これはカメオですね」
ケースの中にはブローチタイプから壁掛けタイプまで、様々な大きさのカメオが並ぶ。どれも繊細な彫刻、絶妙な色味を出した見事なものだ。榊は思わず感嘆の溜息を漏らす。
カメオは絵柄が立体的に見える浮き彫りを宝石に施したものだ。素材は主に貝殻や瑪瑙、オニキス、ターコイズなどがある。異なる色の層まで彫刻を掘り下げ、そのコントラストにより深みのある表現ができる。
「カメオの歴史は古代ローマに遡る。皇帝や神々の姿をモチーフにして権力の象徴として用いられた。ナポレオンもカメオコレクションを持ち、彼の妻ジョセフィーヌに身につけるよう勧めた。それからカメオは女性のジュエリーとして浸透したんだ」
ライアンもショーケースのベルベットの上でライトアップされたカメオを恍惚とした表情で眺めている。
「中国でも牙彫という象牙を使った細工がある。牙彫は伝統的な芸術品だ。細密で精巧な牙彫は歴代皇室への献上品だった」
曹瑛も興味深く花鳥風月をモチーフにした優美なデザインのカメオを見つめている。
「私の妻は五年間に他界した。最後の結婚記念日に贈ったカメオを彼女はとても気に入っていつも身につけていた。それから私もカメオの魅力に取り憑かれ、世界中の名品をコレクションしているんだ」
本城は薄桃色の可憐な女性の横顔を彫刻したカメオを愛おしそうに見つめ、ショーケースの上から指でなぞる。
「奧さんに贈ったカメオなんですね」
「そうだ。このコレクションで一番の宝物だよ」
本城は嬉しそうに伊織に頷いてみせる。
ライアンが瑪瑙をベースにしたカメオを注視している。高谷が横から覗き込む。
「これ、メデューサだね」
冷酷な目をした女の髪が絡み合う蛇となっている。ギリシア神話に登場するゴルゴン三姉妹の三女で、髪が無数の蛇で見た者を石に変える怪物だ。
「メデューサはカメオのデザインとしても人気なんだよ。しかし、このデザイン、どこかで」
ライアンは腕組をして顎に手を当てて記憶を辿る。
背後で扉が音を立てて閉まる。振り返ると、三人の黒マントの男が立っている。男たちは死神の装束で顔には髑髏の仮面を付けていた。
「ドアは開けておいてくれ」
大柄な警備員が男たちに近付いていく。死神達は押し黙ったまま動こうとしない。中央の一人が黒いスプレー缶を取り出し、床に転がしつま先で蹴り飛ばす。その瞬間、白い煙がもうもうと立ちこめる。
「うわっ、げほっげほっ」
煙をまともに浴びた警備員が激しく咳き込む。貴賓室には瞬く間に煙が充満していく。
「催涙ガスだ、吸い込むな」
曹瑛が叫ぶ。
「げほげほっ」
煙にやられて皆咳き込んでいる。ライアンはスカーフで口元を塞ぎながらマントの中に高谷を匿う。死神たちはハンマーでショーケースの鍵を破壊し、カメオコレクションを根こそぎ掴んで鞄に詰めていく。曹瑛はとんがり帽子をマスク代わりに煙りを防ぎながら窓を開け、白煙を吹き出している催涙ガスの缶を投げ捨てる。
風が吹き抜け、室内のガスが薄れてゆく。カメオを奪った死神たちは警備員を突き飛ばし、ドアから堂々と出てゆく。手慣れた連中だ。プロの強盗集団に違いない。死神のマスクは防毒マスクだったのだ。
「くそっ、奴ら逃げたぞ」
榊は涙を乱暴に拭う。
「ひどい、コレクションが」
ショーケースはほとんど空だ。伊織は愕然とする。
「私のコレクションが、何ということだ」
本城は絶望に青ざめ、その場に崩れ落ちる。曹瑛は帽子を被りなおし、部屋を出ていく。奴らを追う気だ。榊も曹瑛に続く。
「榊くん、これを。倉庫に停めている。追跡の役に立つかも知れない」
榊は本城からキーを受け取る。
「必ず取り返します」
榊の鋭い眼光に希望を見いだし、本城は祈るように手を合わせた。ライアンは颯爽と出て行く榊を涙で潤む目で誇らしげに見つめている。共に犯人たちを追いたいが、オーナーを放ってはいけない。
烏鵲堂事件簿-Season 2-美貌の元暗殺者(実は甘党)が店主の中国茶ブックカフェには裏社会の面々が集う 神崎あきら @akatuki_kz
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