第2話
ゲストルームには木製の衝立が立ててあり、簡易ロッカールームになっていた。タキシードを着た男性スタッフが衣装を手にエスコートする。
「私の衣装はレジェンダリーな吸血鬼だ。今回は古狼館の雰囲気を生かした古風なデザインにしてみたよ」
ライアンは片足を後ろに引き、背筋を伸ばしたまま貴族礼をしてみせる。ライアンの上品な雰囲気とシックなゴシック調の衣装を完璧に着こなした佇まいは様になっている。
「私はこの日をとても楽しみにしていた。君たちに用意した衣装はブロードウエイで実績のあるコスチュームデザイナーとコラボしたデザインなんだ。仕立ては行きつけのブルックリンのテーラーに依頼した。彼の腕は信頼できる。もちろん素材にもこだわっている。きっと着心地は最高だよ」
ライアンはそれぞれに用意した仮装を手渡す。この男はこのようなお遊びにも一切の妥協はない。
「古風なデザインとか言ってるから、今回は案外ベタな衣装なんじゃないかな。ライアンはドラキュラ伯爵だろ」
高谷は狼男やフランケンシュタインなど、誰もが知っているユニバーサルモンスターの名を上げる。
「そうだな、そのラインなら突飛な衣装にはならないだろう」
榊はライアンの衣装を見て安堵する。
「では、パーティ会場で待っているよ」
ライアンは満面の笑顔で手を振り、ゲストルームの扉を閉めた。
***
「信じた俺が愚かだった」
着替えが終わり、衝立から出てきた榊は頭を抱えて深いため息をつく。素肌の上に着た黒のノースリーブのレザージャケットの襟には銀色の狼の毛があしらわれている。首のベルトには下がるチェーンは腰のベルトに繋がっている。黒のパンツにロングブーツ、ご丁寧に尻にはふさふさの狼の尻尾が縫い付けてあった。
「結紀はどんな衣装だ」
高谷が衝立から顔を出した。頭には猫耳のカチューシャがついている。
「これ、絶対に嫌がらせだ」
もじもじしながら出てきた高谷の姿を見て、榊は心底気の毒そうな表情を浮かべる。首のチョーカーには大きな金色の鈴、黒いラメの全身タイツに長い尻尾、手首には黒いファーがついていた。
「榊さんは狼、俺は猫だって。ライアンの奴」
高谷は腕組をしながら不満げに顔を背ける。同時に鈴の音が鳴り、眉をしかめた。
「何だこれは」
曹瑛は絶句している。臙脂色のラインが目を引く黒いコートの襟元と袖に黒鳥の羽根、レザーのホットパンツにショートブーツ、臙脂色の手袋、頭にはとんがり帽子を被っている。
「シャツとズボンがない」
曹瑛は衣装が収納されていたカバーをひっくり返してみるが、何も出てこない。曹瑛は八つ当たりで男性スタッフを締め上げている。
「おい、よせ曹瑛。文句はライアンに言え」
榊が呆れて止めに入る。
「ほう、貴様は犬か、似合いだな」
曹瑛は腰に手を当てて偉そうにふんぞり返る。榊は挑発を真に受け、鋭い目線で曹瑛を射貫く。曹瑛は怯むことなく澄み渡る夜の湖に映る月のような冷ややかな瞳で榊を見据える。
「センスのない奴め、これは狼だ。そういうお前は魔法使いか、軟弱だな」
榊は鼻を鳴らして笑う。曹瑛は榊の首から伸びる鎖を掴んで引き寄せ、威嚇する。
「貴様を黙らせるのに魔法などいらない」
「ほう、やるか」
榊は拳を握り、構えを取る。
「また始まったよ、そうだ伊織さんは」
高谷は伊織の姿を探す。
「これ、サイズ違いじゃないかな」
伊織が衝立に肩をぶつける。吹っ飛びそうになった衝立を高谷が慌てて建て直す。満を持して登場した伊織の姿に、一触即発の榊と曹瑛が動きを止めた。しばしの沈黙。
「ぶほっ」
榊が堪えきれずに吹き出した。そして腹を抱えて笑い出す。伊織が着ているのは黒い詰襟の神父服、カソックだ。その肩幅が異様に長く、昭和バブルの時代に流行したパワーショルダーを彷彿とさせた。
「榊さん、ちょっと笑いすぎじゃない」
伊織が肩をいからせて榊に迫る。本人はいからせているつもりはないが、肩幅が二倍近くあるカソックが堂々たる風格を演出している。
「や、やめろ伊織。俺を笑い死にさせる気か」
伊織の胸に光る十字架にダメージを受けるかのように榊は顔を背ける。
「なるほど、伊織さんは悪魔払いエクソシストってわけか」
高谷はその光景を見て合点がいった。
「お前の衣装は布地が多いな」
「うん、肩の詰め物が重いよ」
伊織と曹瑛の真顔の会話に、榊は笑いすぎから呼吸困難になりとうとう崩れ落ちた。
***
エントランスから伸びる階段を上がると古狼館で一番広いホールがある。幾何学紋様の金細工を施したドーム天井に煌びやかなシャンデリアが吊られ、足元には臙脂色の絨毯が敷かれている。緻密な彫刻の施された窓枠の間には日本画の巨匠と呼ばれる篠山泰蔵の四季の花と狼の連作が掛けられている。
立食形式でゲストたちがグラスを片手に歓談している。ビュッフェ形式で洋食を中心に多国籍料理が並び、肉厚なローストビーフを切り出すライブキッチンや職人が握る握り寿司は人気が高い。
ライアンに物申そうと意気込んでいた曹瑛は皿を手に料理を物色し始めた。榊は赤いドレスの女性が差し出したワインを手に乾杯する。
「あら、かわいい猫ちゃん」
高谷は宮廷ドレスに仮面をつけた女性たちに絡まれて困惑している。周囲を見回すと、死神のマントを羽織り髑髏の仮面を付けた者やボーダー柄の囚人服をお揃いで着る男女などユニークな衣装も多い。ライアンの用意した奇抜な衣装もここでは馴染んでいる。
「待ってたよ。素晴らしい、皆よく似合っている」
ライアンは満足そうに微笑む。
「英臣は鎖で繋いでおかなければ危険でワイルドなウェアウルフだ。尻尾は愛嬌だよ。結紀は若さと躍動感のあるキャッツからのインスパイアだ。キャッツを知っているかい、世界で最も有名なミュージカルだ」
「これミュージカルって、一人じゃだだの全身タイツじゃん」
高谷は不満げだ。
「伊織は秘めたる力を持つエクソシストだ。謙虚で慎ましい君はもっと自分をアピールすべきだよ」
「それでこの肩幅なんだ」
伊織は肩幅の倍ほどもあるパワーショルダーの左右を交互に見やる。
「曹瑛は闇社会を生き抜いてきたが、彼の心はとてもピュアだよ。魔法を使えるのはピュアな心の持ち主だけだ」
曹瑛は有名パティシエがプロデュースしたスイーツビュッフェを前に目を輝かせている。ライアンの見立てはそれなりに的を得ているのかもしれない、と伊織は思った。
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