『冒険家ジョニーの手記』の謎

カニカマもどき

静かな喫茶店にて

 表の覆いに隠されし台座へ

 小休止の板を重ねたとき

 間隙から現れる文字を拾うべし


 *


「電子書籍というものは」

 静かな喫茶店にて。

 珈琲コーヒーカップの縁に指で触れながら、男は口を開いた。

「電子書籍というものは、保管や運搬の容易さ、ネットでの即時入手が可能といった点において、非常に便利で優れています。私も最近はそれなりに利用している。一方で従来の、いわゆる”紙の本”というものには、表紙、背表紙、裏表紙、帯、カバー下といった部分のデザインや、厚み、重量、手ざわり、香り、それらの経年劣化――といった、電子書籍にはない、総合的な魅力があると思うのです」

「分かるよ」向かいの席の女が応える。「要するに、君は基本、紙の本が好きなわけだ」

「仰る通りです」男が頷く。「ただ今回……私が電子書籍を買った後、"同じ本を紙で購入した"ことには、今言ったようなこととはまた別の、少々変わった理由がありまして。話せば長いのですが……聞いていただけますか?」

「無論だ。君は好きな話をする。私はその話を聴き、君のおごりでパフェを食す。これはそういう集まりだろう?」

 テーブル上のチョコレートパフェを真っ直ぐに見据えながら、女はそう言った。

 そういう集まりだったのか、と男は思った。


「それで、問題の本というのは、これなのですが」

「『冒険家ジョニーの手記』か。それなら私も読んだよ。電子版で」

 取り出された本を見て、女は顔をほころばせた。

「それなら話が早い。私からネタバレするには惜しい作品なので、もし未読であれば、まず読んでいただこうと思っていたところです」

「手間が省けてよかったよ」

「一応、簡単な内容のおさらいをしましょう。『冒険家ジョニーの手記』は、古代の民が残した金銀財宝を巡り、主人公のジョニーが海に山に街にジャングルに遺跡にと、大冒険を繰り広げる話ですね。全編を通し、ジョニーが書いた手記という設定の小説です」

「大した武器も能力も持たないジョニーが、意外な工夫で謎を解いたり、危機を乗り越えたりしていくのが良いんだよな。お気楽な雰囲気の前半から、一族と財宝との因縁が明らかになる後半への流れも熱い」

「謎の少女シェリー、自称相棒の小次郎、暗躍するガルル団、導師ヌカなど、印象的な登場人物も多いですよね……まあ、あらすじについてはこの辺りで」

 男が我に返ったように言う。


「それで本題の、電子版と紙版との違いなのですが……実は、小説本文における変更点は最後の数行のみです(私は電子版読了後、ネットで感想を漁っていたときにそれを知りました)」

「ほう。こんなことを言うのも何だが、最後の数行だけなら、書店でそのページを確認すれば事足りたんじゃないか。紙でもう一冊買わずとも」

「正直、私もそれは考えました。しかし書店では読めなかったのです。何故ならこの本は、購入特典のしおりが落ちないようビニールで梱包されていたから」

 男はその栞を本から取り出し、女へ渡す。

「これは……ルルニカ紋様か。随分と凝っているな」

 女の言うとおり、それは、作中の古代壁画を彷彿とさせる紋様がびっしりと細かく描かれただけでなく、紋様に合わせた十数もの穴が空いているという、いかにも凝った作りの栞であった。

「つまりこの栞が、君が紙の本を買った理由というわけか」

「いえ、これは理由の一部と言いますか。もし栞が付いておらず、梱包されていなかったとしても私は紙版を購入しただろう、と言うには微妙な事情があるのですが……それについては順を追ってお話ししましょう。まずは先に、紙の本のラストを読んでいただきたい」

 男は、紙版『冒険家ジョニーの手記』の問題のページを開き、女から見えるように置く。

 小説のラストは、次のように書かれていた。


 *


 最後に、こんなに長くなってしまった俺の手記を最後まで読んでくれた辛抱強い貴君へ感謝の意を込め、一つ、俺の秘密を明かしておこうと思う。

 ただし、その秘密を知る事が出来るのは、次の謎を解いた者だけだ。


 表の覆いに隠されし台座へ

 小休止の板を重ねたとき

 間隙から現れる文字を拾うべし


 視野を広く持ち、柔軟な発想で解いてほしい。

 健闘を祈る。


 *


「驚いたな。電子版には無い謎が追加されている」

「面白いでしょう」男はちょっと得意気に言った。「それで、話を先に進めるには、この謎の解答に触れる必要があるのですが……どうでしょう。一旦お持ち帰りいただいて、謎が解けてから続きを話すというのは」

 女は少し思案し応える。

「いや…………今、続きを話してもらって問題ない。もう謎は解けた」

「早っ」


「では、この謎解きについては私から話そう」

 女が語り始める。

「私が即座に謎を解くことが出来たのは、ヒントを事前に与えられていたからだ。先程、私は”電子版に無い謎が追加されている”と口にしたが、あれは正確ではないな。正しくは、”紙の本にあった謎が、電子版では削除されている”だ。先に出版されたのは紙の本なのだから」

「それがヒントですか?」

「うん、大きなヒントだ。見たところ不適切な表現なども無いのに、この謎は電子版でばっさりカットされた。何故か。それは、これが"電子版では解けない謎"であるからに他ならない。ジョニーが"視野を広く持ち、柔軟な発想で"解くよう記したことからも推察出来るとおり……謎の答えは、手記、つまり小説本文の外にある」

 そう言って、女は本に目を落とした。

「このことを踏まえれば、謎は面白いようにすらすらと解ける。まず、"表の覆いに隠されし"というのは、ここのことだな」

 本を閉じ、表紙のカバーを丁寧に外し、カバー下を確認する。

 そこには、栞と同様、複雑な紋様が描かれていた。

「この紋様だけを見てもどれが"台座"かは判断出来ないが、そこは次の文と合わせて考えれば良い。"小休止の板"というのは、先程見せてもらった、例の特典の栞だ。これを重ねられる場所が、すなわち"台座"ということになる」

 カバー下の紋様には、ちょうど栞と同サイズの長方形が含まれている。

 女はそこに栞を重ねた。

「最後に、"間隙から現れる文字"とは、栞に開けられた十数の穴から見える、カバー下の紋様の一部のことだな。こうすると、紋様の一部がカタカナになっていることが分かる。順に読むと……"オレノホントウノコウブツハウドン"……"俺の本当の好物は、うどん"。これが謎の答えだ。以上」


「お見事です」

 男が静かに拍手を送った。

「ジョニーが作中の誰にも明かさず、手記を読む見知らぬ誰かにだけ遺した秘密――彼の本当の好物。冒険の本筋とは関係ありませんが、ジョニーという人物を掘り下げるうえでは重要な情報です」

「そうだな。これを知ると、"無類の肉好きを自称しているジョニーが、ハンバーグ早食い大会への出場を断った場面"や、"処刑されかけ、最後に食べたい物を聞かれたジョニーがローストビーフと答えた場面"、それに"小次郎の作ってくれたうどんをジョニーがぶちまけた場面"などの印象ががらりと変わる」

「正にその通りです。しかし、カバー下も栞も存在しない電子版には、このラストの謎をそのまま掲載することは不可能。それでも”うどん”の情報は消さずに残したい。故に、電子版におけるラストは――我々の知る通り――このような形へ改変されたのです」


 *


 最後に、こんなに長くなってしまった俺の手記を最後まで読んでくれた辛抱強い貴君へ感謝の意を込め、一つ、俺の秘密を明かしておこうと思う。


 俺の本当の好物は、うどんだ。


 *


「あっさりしすぎている」

「本当に。紙版のラストを知った今では、そう感じられます。ジョニーが単に秘密を明かすだけでなく、謎を用意したというラストには、大きな意味があったのです。ジョニーのこの行動からは、謎を遺した先人たちへの敬意や、秘密を明かすことへの迷いが読み取れた。また、この謎解きを通じて読者は、本文のみでなく書籍全体がジョニーの遺した物だと感じることが出来た。加えて、謎の答えをどこにも書かず、”解いた人にだけ伝われば良い”とした作者のクールな姿勢も良かった」

 男は熱を込めて語る。

「電子版での改変を責めることは出来ません。関係者の方々は、可能な限りベストな形で、電子版の発売を実現してくれたのでしょう。そのおかげで、私はこの作品に出会えた。電子版でこの作品を読んだからこそ、紙の本にも辿り着いた。しかし……私は後悔しているのです。電子版ではなく、紙の本を先に読めば良かったと。最後の謎を自力で解いた先で初めて”うどん”の秘密を知り、驚愕を味わいたかったと……それが私の後悔で、心残りです」

 そう言って、男は冷めた珈琲を啜った。


「同感だな」

 女は頷いた。

「しかし、だ。後悔などの負の感情を差し引いても、実に――面白い話だった。そうだろう? だから敬意を表し、感謝の意を込め……ジョニーに倣って、一つ、私も秘密を開示することとしよう」

「秘密?」

「ああ。実は私の本当の好物は、パフェではない」

 三杯目のパフェを平らげながら、女はそう言った。

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