終章⑥

 松若邸に帰り自動車を降りると、外から帰ってくるタネを見つけた。

「タネ」

「お帰りなさいませ。芽衣胡様も今お戻りでございますか? お疲れでしょう、すぐにお茶を用意いたしますね」

「タネも帰って来たばかりで疲れているでしょう?」

 自動車で出掛けた芽衣胡たちと違い、タネは電車で出掛けている。松若邸から一番近い電停までも徒歩で二十分はかかるのだ。


「良い着物は見つかったか?」

「はい」

 タネは隣の若い男衆に目を向ける。

 若い衆は抱えている大きな風呂敷包みを掲げた。


「たくさん買ったのだな」

「はい、新しく仕立てるにしてもお時間がかかりますでしょうし、お預かりしたお金で十分買うことが出来ましたので。たくさんある分には良いかと……」


「ああ、仕立てに時間は掛かるだろう。タネに任せて間違いなかったようだ。さあ、離れに戻ろう」

 穏やかな陽気の中、證の後ろを皆がついて歩く。


 離れに戻ると證はタネに耳打ちした。

「承知いたしました」


「芽衣胡」

「はい?」


「支度が出来たら庭に」

「支度? なんの?」

 證はそれには答えず離れを出ていく。タネはタネで慌ただしく動き出した。


「さあさあ芽衣胡様、着替えますよ」

「え? 着替えるの? ……ああ、タネが買ってきてくれた着物が合うかどうか、合わせてみるのね」


「ふふふ」

 タネが楽しそうに笑うので、余程良い着物が見つかったのだと芽衣胡は思った。


「タネは感性が高いとお義母様がおっしゃっていたわ。わたしもタネのように一人で選べるようになりたいわ。今日もね生地を選ぶのに、何色がいいか答えることができなくて……」


「これからゆっくり感性を磨いていかれたら良いのですよ。急ぐ必要はございません。わたしだってここに来て初めて奥様方の高価なお品を拝見して、目を肥やしていったのですから。大丈夫ですよ、焦らないでくださいませ。さあ、ブラウスのボタンを外しますよ」


 着ていた洋服を脱がされた芽衣胡は着物を着るのだとばかり思っていたが、身にまとったのはドレスだった。


「え? これって?」

 それはパーティーのために仕立てた黄色のドレス。


「次は髪を整えましょうね」

 驚いている芽衣胡をよそにタネは芽衣胡を椅子に座らせて、白いレースのリボンを解く。代わりに宝石や真珠のついた飾りを付け直した。


「靴はこちらですが……、お庭に出るには歩きにくいかもしれませんね」

「大丈夫よ、それを履くから」

 そうは言うものの踵が高い靴は履き慣れず、ドレスの中で足が外に開いている。


「無理はされないでくださいね」

 タネはいつでも履き替えることができるようにと、芽衣胡が先ほどまで履いていた靴を持った。


「お庭に参りましょう」

「うん。證様がお庭で待っているのよね?」

 長い裾を若干蹴り飛ばし、また靴に足を取られないように気を付けながら歩いて芽衣胡は庭に向かった。


 庭に出ると庭の中央に證がいる。

 證はタキシードに着替えていた。


「芽衣胡、こちらにおいで」

「證様?」


 證の前までゆっくり歩み寄ると、證が芽衣胡に向かって手を差し出す。


「踊っていただけますか?」

「え……、ダンスをするということですか?」

「そのドレスを着たあなたと踊りたい」


 芽衣胡は證の手にそっと手を乗せる。ぐっと握られたかと思えば、證は反対の手で芽衣胡の腰を支える。芽衣胡は反射的に證のその腕に軽く手を添えた。


「足の運び方は覚えているか?」

「多分覚えているかと」

「ではゆっくり。ひい、ふう、みい」


 ぎこちなく踏み出したが、何度か繰り返すうちに感覚を思い出す。

 徐々に楽しくなってきた芽衣胡は余裕ができて證の顔を見上げた。踵が高い靴のためだろう、いつもより證の顔が近い。


「息が合ってきたな」

「はい!」


「楽しいか?」

「楽しいです。證様は?」

「私はあなたと踊ることができてとても幸せだ」


 證の言葉に頬が熱くなるのを芽衣胡は自覚した。證が目をすがめる表情が眩しい。

 しかし次の瞬間、柔らかな庭の土に靴が沈む。体勢が崩れた芽衣胡の身体が傾いた。


「おおっと」

 證は咄嗟に支えるが、見ると芽衣胡の足が浮いている。ぶらりと揺れるのは芽衣胡の素足。

 地面には靴が転がっていた。


 證は芽衣胡の素足が地面に着かないようにとそのまま横抱きにしてしまう。

「證様っ!」


「……既視感があるのだが……。ああ、そうか、祝言の時」

「恥ずかしいので思い出さないでください」


「そうか?」

 そういうと證は口角を上げ、芽衣胡の耳元に口を寄せ、そして囁いた。


「私はいつでも芽衣胡を腕の中に閉じ込めておきたいと思っているが」

「なっ!?」


「頬を赤くしたあなたは一等可愛らしいな」

 芽衣胡は両手で顔を覆う。それから指の間から證を窺った。


「靴はなくていいだろう?」

「え?」


「私の靴に乗れば良い」

 證はそう言って芽衣胡をゆっくり自分の足に下ろした。


「ええ!? 證様!?」

「さあ、いくぞ」


 ――ひい、ふう、みい。


 黄色い裾が大きく舞う。楽しいダンスは二人の心が通い合う証。


「ふふふ」

「楽しいか?」

「とても!」


 證は證で、この上なく優しい顔で微笑んでいる。

 芽衣胡もまた、この方がとても愛おしいなと思った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【コミカライズ】身代わり乙女の幸福な嫁入り~めいこと結びのあかし~ 風月那夜 @fuduki-nayo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ