かつて見た景色

 辿り着いた海には、天然の砂浜が広がっていた。

 真っ白な砂浜だった。周りには建物だけでなく、人工的なゴミも落ちていない。色の白さは有機物の乏しさを示すのか、鳥やカニなどの姿も見当たらない。ヤシの木などの植物も生えておらず、ある意味殺風景な場所だ。

 砂浜に接する海はとても穏やか。押し寄せる波は低く静かで、波の音も聞き心地が良い。海の向こうには島も見えず、ただただ青い海と青い空……それと西に広がる水平線へと向かう太陽があるだけ。

 この海は海水浴場として開放されていないらしく、人影テレパシストの姿は見当たらない。何しろ此処は天然の砂浜。自然保護の観点だけでなく、野放しの自然にはクラゲや毒虫などの危険が隠れている。一見穏やかでも遊ぶには不向きな場所なのだ。

 許されるのは遠目からの『観光』だけだが、最初は美しく見えても、生き物も土産屋もない砂浜を延々と眺める者は殆どいない。

 来るとしたらアローナのように、物思いに耽りたい者ぐらいだ。


「やぁーっと辿り着いたー……もう、道は酷いし距離はあるしで疲れたわー……」


「文句言わないでください。こっちも警備とか色々大変だったんですから。見えない場所にも監視員が何人かいて、何かあればすぐ救援に駆け付けられるようにしているんですよ」


「あと疲れているのは、アローナさんが普段から運動してない所為だと思いますよー。せめて散歩ぐらいは毎日しません?」


 疲れをアピールしたが、付き人二人はあまり労ってくれず。「我、絶滅危惧種ぞ?」という気持ちを抱いてみたが、二人ともあまり構ってはくれなかった。

 別段構われたい訳ではないので、ぷすーっとわざとらしく息を吐く。そうして憤りと不満を外に追い出してから、アローナは改めて前を向く。

 果てしなく広がる砂浜と水平線。そしてその上で輝く太陽。

 太陽はかなり傾き、恐らく誰もが西日と呼ぶ状態だ。すぐには沈みそうにないが、数十分も待てば夕暮れになるだろう。夕暮れを見に来たアローナとしては丁度良い。

 それに数十分ぐらい、物思いに耽っていればすぐに過ぎそうで。


「あ、写真撮りましょ写真。記念になりますよー」


「いや、カメラとか持ってきてないじゃん」


「え? ふつーに携帯端末で撮ればいいじゃん。私の端末、画素数多い奴だから綺麗に撮れるよー」


「一応仕事中だからね? 修学旅行の学生みたいな真似は止めようね?」


「何言ってんのよー。楽しい事は何時やってもいいでしょー」


 ……横でわいわい賑やかなので、物思いなんてしている暇はなさそうだが。


「ええい、仲良し女子みたいな事言いおってぇ……」


「アローナさんも写真取りましょうよー。ほらほらー」


「って、私がカメラ係かい!?」


 おっとり系の付き人がアローナに密着。携帯端末を渡されたもう一人の付き人からツッコミを入れられる。

 どの言葉も発声用カチューシャから出ている。余程気を遣わねば考えている事がそのまま出てくる機械からの言葉は、ほぼ間違いなく二人の本心だろう。

 道中で結構センチメンタルな話をしたつもりなのに、まるで二人は観光気分。テレパシスト達は楽観的なのか、とも思ったが、ヒトでも同じかも知れない。どれだけ大層な名分を語ったところで、これが物見遊山なのは変わらないのだ。或いはこちらを元気付けようとしているとも考えられる。

 だったらあれこれ悩むより、楽しんだ方が『お得』だろう。


「……写真撮るなら、ちゃんと私を中心にしなさいよ。一応外出の主役は私なんだから」


「えー? でもこれ私用の写真ですし」


「私用かいっ!? 仕事しなさいよ仕事!」


 お気楽能天気な付き人Aに呆れながら、アローナは付き人達とわいわい話す。

 考え事でもしていればすぐに過ぎるであろう時間は、楽しく話せば一層瞬く間に過ぎ去っていく。


「……アローナさん。そろそろ陽が沈みそうですよ」


 付き人が教えてくれなければ、危うく目的を忘れてしまうところだった。


「え? あ、ほんとね」


 慌てて海を見れば、確かに間もなく太陽が沈みそうになっている。一旦はしゃぐのを止めれば、空気を読んだ心を読んだ付き人達も口を閉じる。

 ――――ほんの少し待てば、その時は訪れた。


「……………」


 声に出す、という事はしない。待ち望んでいた瞬間は、当たり前のように、自然と訪れたのだから。

 海の向こう側に沈んでいく太陽。

 半分ほど隠れた陽光は、周りを段々と夕暮れに染めていく。最初は綺麗で鮮やかに思えた色彩は、太陽が三分の二ほど沈むと茜色に変わる。

 茜色に染まった空は、少し寂しく思えた。一日の『終わり』が、世界の終わりと一緒のように感じてしまう。心の奥底が震える、満たされない空白が広がっていく。

 最後の一人のネアンデルタール人も、この景色を見たのだろうか。

 それが彼なのか、彼女なのかも分からない。けれどもきっと、十三万年前と同じ景色を見ている筈だ。

 ……アローナの気持ちがなんであれ、日は淡々と沈んでいく。

 太陽が更に沈めば、段々と夜がやってくる。太陽光により隠されていた星々が姿を表す。都市部から遠く離れ、明かりがないからだろう。空は一面の星空に埋め尽くされ、昼間よりも不思議と『賑やか』になった。


「アローナさん。どうでしたか?」


 夕日が完全に見えなくなり、夜が訪れたところで付き人の一人が尋ねてくる。

 アローナはくるりと振り返る。

 ――――最後の一人になってしまった、ネアンデルタール人の気持ちが知りたい。

 そう思って申請した外出。目当ての夕日を眺め、その光景をしっかりと目に焼き付けたアローナは深く頷き……


「さっぱり分かんなかったわー」


 正直に答えたら、付き人二人がずっこけた。


「分からなかったんかい! あ、いえ、分からなかったのですね」


「だってねぇ、よく考えてみたら、分かる訳ないのよね。だって、私はネアンデルタール人じゃないし、そもそもシチュエーションが全然違うし」


 種族の最後の一人になってしまった。その想いから、ネアンデルタール人にアローナは自分を重ねていた。

 しかし考えてみれば、自分は文明人であり、ネアンデルタール人は原始人だ。こちらは毎日ゲームをしたり漫画を読んだり勉強したりする中、あちらは食べ物探しに一日を費やしていたかも知れない。

 全く境遇が違うのに、同じ景色を見れば同じ感情を抱くなんて幻想が過ぎる。冷静に考えてみれば、土台無理な話だった。


「まぁ、夕日が綺麗だなーとは思ったし、ネアンデルタール人も同じ事は思ったんじゃないかしら? それなら同じ気持ちよね」


「いや、もっとこう、作者の伝えたい事を答えよじゃないですけど……寂しさとかそういうのはないのです?」


「全然? そういうのは全く」


 嘘偽りなく話せば、ますます付き人二人は呆れた様子だ。

 しかし観光気分で、付き人二人と共にやってきたアローナがどうして寂しがらねばならないのか。綺麗だなーとか、儚げだなーなどの感想は抱いたが、寂しさとは違う。

 それに最後のネアンデルタール人が何か……センチメンタルな気持ちを抱いていたとは限らない。

 ヒトにはネアンデルタール人の遺伝子が多少含まれていて、混血していた可能性があるからだ。もしもこれが本当なら、ネアンデルタール人はヒトと案外仲良く暮らしていたかも知れない。

 勿論ヒト同士でも頻繁に殺し合いをしていた時代なのだから、互いに略奪や殺戮もしていただろう。だがヒトの全てが残忍で狡猾ではなかったように、ネアンデルタール人も全てが野蛮で暴虐という訳ではあるまい。友達関係にあった者達も、少なからずいただろう。

 そもそもネアンデルタール人とヒトの外見に大きな違いはない。原始時代の文明レベルなら種の概念なんて希薄で、ネアンデルタール人はヒトの事を「小さくて細身な奴等」ぐらいにしか思ってなかったとしても不思議はない。ヒトも「デカくてごいつ奴等」ぐらいにしか思ってないだろう。これなら『結婚相手』にもなる。言葉だって、同じ地域で暮らしていたなら多少は通じたかも知れない。

 ――――だとしたら。


「(なんだ。やっぱ同じ気持ちじゃない)」


 傍にいるテレパシスト二人を見て、アローナは納得する。

 自分だけがヒトだと思えば、胸の中のもやもやは消えない。疎外感は拭えない。

 だけど寂しいかと言われれば、それは違う。下らない話が出来て、一緒にお出掛けもして……心の中は読めないが、多分友達だと思ってくれている。

 そんな仲良しな『友達』と一緒にいて、何が不満なのか。

 自分達の全てを受け継ぐ者がいて、何が足りないというのか。

 夕暮れを見ていた最後のネアンデルタール人の気持ちも、そんなものだったかも知れない。


「はい、という訳で今日のお出掛けはしゅーりょー。来週は、何処行こうかなー」


「……そろそろ服とか買ってはどうですか。年頃の女子が部屋着ぐらいしか持ってないのはどうかと思います」


「そうですよー。あと流行りのデザートとか全然興味ないじゃないですか。ゲームばっかしてないで、もっと女子らしいもの楽しみましょうよ」


「いや、今時普通にいるでしょゲーム好き女子は。私だってネットのフレンドなら百人ぐらいいるし」


「友達はリアルで作りましょうよ……学校行きたいならちゃんと申請すれば行けますし」


「嫌よ、集団行動とか嫌いだもん。あと私って基本知らない人が嫌いだし」


「ほんと面倒臭い人ですよねー」


 下らない話をしながら、アローナ達は家路に就く。種族の違いなど気にしない会話は、美しく意味ありげな景色よりも、アローナに一つの確信を抱かせる。

 大昔のネアンデルタール人と同じように。

 自分に連なる祖先達のように。

 遥か未来のテレパシストのように。

 先へと向かう末裔達を、立ち止まる自分は見送る事になるだろう。何処までも続いていく未来に、憧れと羨望、そして安堵を抱きながら――――

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ネアンデルタール人の見た景色 彼岸花 @Star_SIX_778

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