第12話
応援に来てくれた十数人の観客に感謝の挨拶をした俺たちは、初勝利の余韻もそこそこに、次に試合をするチームと入れ替わりに慌ただしく球場の外に出た。
創部初年度での勝利を取り上げようと、何人かの新聞記者が取材にきた。予想できていたので、イリーガル的存在の結羽はあらかじめ避難させておいた。最終回を締めくくった投手に話を、と当然請われたが、「体調が悪くなったようなので先に帰らせた」と言い訳して回避した。一イニング、打者四人とはいえ炎天下のもとで投げたのだ、不自然なことではない。
取材陣が離れていき、俺たちは球場の陰に荷物を置いて一息ついた。第三試合に向けて、大会役員や客が、ひっきりなしに周りを通っていく。試合を見ていたと思しき一般客がこちらに視線を向けてくるのがどうも落ち着かない。俺の隣に腰を下ろした芳賀さんが、苦笑を浮かべて俺に言った。
「ゆっくりできる雰囲気じゃないな」
「ですね」
「さっさと学校に戻るか。セーブを挙げた守護神を迎えに行ってやれよ、女房役」
結羽との合流場所は決めていなかったが、なんとなく予感がした先へ足を向ける。球場の正門前に鎮座したオブジェ。小学校時代、県大会で完封勝利を収めた記念写真を撮った場所だった。前衛芸術だけを学習させたAIに出力させたテトラポットのような名状しがたい造形物の前に、果たして結羽の姿があった。
どこで着替えたのか、結羽はすでにユニフォームを脱いでいた。さすがに試合で汗や砂のついた身体に制服を着るのは憚られたらしく、ラフなTシャツ姿だった。
「取材は終わったの?」
「ああ。そろそろ帰るぞ」
しかし結羽は動かず、どこか遠くを眺めるように台座にもたれかかった。つられて俺も隣に並び、頭の後ろで手を組んで空を見つめる。蝉の声と、行き交う人のざわめきが夏にあふれていた。
こちらに顔を向けないまま、結羽がぽつりと呟く。
「勝ったのね、本当に」
「ああ」
「……ありがとう」
唐突に感謝されて、俺は戸惑った。
「俺一人の力じゃない。八回まで投げた芳賀さんとか先制した尾野さんとか、指導してくれた監督とか……とにかく、全員で勝ったんだろ」
結羽はかぶりを振り、俺の顔を見上げた。
「そうじゃなくて。巧実が提案したからわたしはマウンドに上がれた。そして、巧実のリードのおかげで最終回をゼロで抑えられたの。わたし一人では、絶対に打たれてた」
いつになく神妙な表情で述べる結羽に、思わず笑みがこぼれる。
「投手に力がなければ、どんなリードも通用しない。お前が言ったことだろ。加地工を抑えたのは、結羽の実力だよ」
ふい、とまた空へ視線を向ける結羽。
「礼を言うのは俺のほうだ。あのまま野球を辞めたら、いずれ後悔してた」
「そうね」
「結局、俺は野球が好きで仕方ないんだな。ようやく気付いたよ」
芳賀さんが転校先で野球部を作ったように。結羽が公式戦に出られないのにマネージャーとして入部したように。きっとこの先も、俺は野球から離れられないのだろう。
「もっと早く自覚してくれていたら、追いかけまわす必要もなかったのに」
憎まれ口をたたく結羽は、すっかりいつもの澄ました雰囲気に戻っていた。髪を切ったせいで耳があらわになっている横顔に、俺は身体を向けて尋ねる。
「明日から、またマネージャーに戻るのか」
「当然でしょ。何度も投げればバレる危険性は高くなる。それでなくても二回戦は今日より観客や報道陣が増えるだろうしね。心配しなくても、次の相手校は対戦相手の試合を偵察するほど熱心じゃないから顔は知られてないはず。控え選手はあなたのお友達に任せて、わたしは記録員としてベンチ入りすれば大丈夫」
相手チームの偵察の有無まで把握してるのかよ。俺は感心しつつも呆れる。
「いや、そういう意味じゃないんだ」
「どういうこと?」
「今日限りじゃなく、正式な部員にならないか」
振り向いた結羽の目が見開かれる。何か言いたげに唇が動くが、言葉は出てこなかった。俺は続ける。
「女子でも野球部員として在籍するのは認められてる。非公式の練習試合なら出場も可能だ。三年生が抜けたら人数が足りなくなるし、他校と合同チームを組むにしてもピッチャーは多いほうがいい。何より──俺は、またお前とバッテリーを組みたいんだ」
我ながらひどい提案だと思う。公式戦には出られないのに、しんどい練習には参加しろと言ってるんだから。ただ、練習を手伝うだけの日々は結羽にとって物足りないんじゃないかと、そんな予感がした。もしかしたら俺のエゴかもしれない。それでも、口にせずにはいられなかった。
黙り込んだ結羽から目を逸らさず、俺は返事を待つ。九回表で底をついたはずの緊張感が早くも復活したのか、鼓動が速くなるのを感じた。
結羽は、髪をかき上げ、ふっと口元を緩めた。
「つまり、元の鞘に戻りたいってことね」
「……まあ、キャッチャーは女房役というからな。そういう言い方もできるが」
「でも、公式戦では他の
「ややこしい表現するなよ……事実だけどさ」
「浮気性ね」
「キャッチャーってのはそういうもんだろうが」
なんだか浮気を開き直るダメ男の台詞みたいになってきたぞ。つーかなんだこの会話。
俺をからかって満足したのか、結羽はそろそろ試合が始まったであろう球場へと視線を移した。
「そういえば、女子でも野球部員として練習に参加していれば、甲子園の土を踏めることになったのよね」
「そうなのか」
甲子園では、伝統的な規則や安全性などの理由から、女子マネージャーがグラウンドに入るのは認められていなかった。数年前にそれが物議を醸したこともあり、高野連も規則を見直したということか。
「できるのは事前練習の補助と試合中のボール拾いぐらいだけど。グラウンドに入るチャンスはある。その時、甲子園のマウンドに上がってみたい。ユニフォームを着てグラブをつけて、大会中のマウンドの景色を見てみたい」
再び俺に向き直り、小首をかしげる結羽。
「協力してくれる?」
「男子のフリをして公式戦に出たことに比べりゃ、可愛いもんだ。どうせなら一球くらい投げちゃえよ。俺が受けてやる」
「魅力的な提案ね」
俺たちは、どちらからともなく笑った。
「行こうぜ、甲子園」
結羽に向かって拳を突き出す。結羽もまた、左腕をこちらへ伸ばしてそれに応える。
二つの拳が、力強く打ち合わされた。
夏空よりもまっすぐな 榊野岬 @1293yox
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