第3話

 無事朝になった。時計塔の治安は本当に良いようだ。

 日が昇って読みやすくなった掲示板を眺めて、カムイは唸った。賃金の相場がわからず、年齢制限もある。何人か同じように真剣なまなざしで掲示板を見ている人がいる。皆、朝から求人活動だ。

「あらまあ大変、掲示板がいっぱいね」優しそうな声がした。

「たくさんありますね」

「そうじゃなくて、これを貼るスペースがないのよ。困ったわ」チラシを持つ女性が困ったわ、と繰り返した。

「ねえ、あなた。これあげるわ」

「え」

「住み込みの手伝い探してるんでしょう? やめた私が言うのもなんだけど、ここはおすすめよ」女性はにっこりと微笑んだ。

 難しい条件は書いていなかった。賞与はあるが、賃金は他のよりも少し低い。ブラックバイトの文字を思い浮かべて、カムイは頭をふった。週休二日。勤務時間は朝9時から夜8時まで。三食のまかないとティータイムあり。猫の扱いが得意なら特別手当あり。

(変なこと書いてある。ティータイム? 猫は好きだけど、何匹いるんだろう)

 猫屋敷を想像して、カムイは首を傾げた。雇い主の名前と場所を確認して、ひとまず最初の面接へと向かう。今日明日ならば面接の予約は不要と書いてある。急ぎかもしれないし、チャンスだろう。

 場所は、古城屋敷とある。地図通りに歩いて、街のはずれに向かった。丘の勾配はきついが、建物が見えているため遠さは感じない。見通しはいいが、屋敷の周りには木が多い。綺麗な形なので、手入れをしている人がいそうだ。

「こんにちは」

 庭にいた青年が挨拶をした。身なりは整っており、雇い主にしては若い。

 カムイは挨拶を返した。

「こんにちは。こちらは古城屋敷のレイジさんのお宅ですか?」

「もちろん」

「住み込みの面接をお願いします」

「いいよ。ここでしよう」

「えっと、レイジさんですか?」

「そう、私がレイジだ。君の名前は?」

「カムイです」

「ではカムイくん、よろしく」

 レイジは腕を組んで、扉に寄り掛かっている。ただの立ち話でもしているようで、カムイの緊張はほぐれた。

「ひとまず、この用紙に記入してくれるかい? テーブルはそこのものを使ってくれればいいから。ペンはこれ、座っていいよ」

 レイジに促されて、カムイは庭にある椅子に座る。書く項目は難しくない。当てはまるものにチェックを入れていくだけだ。変わった面接だな、と思った。

「終わったら声をかけてくれ。少し水やりをしてくる」

 ジョウロを片手にレイジは庭を歩いている。ずいぶんたくさん水が入っているようだ。補充している様子はない。書類を書きながら横目で見ていると、レイジと目が合った。気まずいのでお辞儀をして書類の続きを書く。

「終わりました」カムイはペンを置いた。

「早いね。さすがだな」

 さすがと言われることはしていない。大げさに言う人なのだろうか。カムイは庭を見ながらレイジが読み終えるのを待つ。

「質問がある。君は物を盗むことをどう思う?」

「悪いこと、です」

「では、物を盗む人をどう思う」

「悪い人、です」

「では、自分の物を取り戻すのならば?」

「前提が違います。そうなら、仕方のないことです」

「仕方がないっていうのは、他者の観測だね」

「自分のことだったら、物を取り戻すのは希望を取り戻すのと一緒ですよね」

「そうか、希望か」

「あとは、安心とか」

「うん。なるほど」

「でも、取り戻しているのを知らなかったら、やっぱりそれは物を盗むのと同じに見えてしまうので、理解がなければ成り立たないと思います」

 想像する。質問の意図ではなく、物を盗むことについて。

「腹をすかせた僕が無銭飲食したら、何日も何も食べてなくても犯罪ですよね」

「理解がないから?」

「そうです。理由を聞いて納得する人がいても悪いことです」

 想像する。悪いこととは何か。

「では、悪いことの、その手伝いをする人は?」

「片棒を担げば悪い人ですね」

「そうなるね」

「レイジさんは悪い人ではなさそうですね」

 カムイの赤い目が、ここにあると主張する。心臓があるみたいで、不思議な感覚だ。

「うんまあ、見えるものを見るとそうなる」レイジは言葉を濁した。

 奪われたものを取り戻す自分を想像して、カムイは色の変わった左目に手を当てた。前髪で隠れている。対価と言われたから取り戻すことはない。誰のものかもわからない目だ。異物とは思えず、カムイは深く呼吸をした。

 レイジの質問の意図はわからない。機嫌は良さそうで、口元は弧を描いている。放っておいたら鼻歌を歌いそうだ。

(これで合格なのかな。なんでか嬉しくないんだけど)

 変な質問だった。まじめに答えたカムイも少し変だった。自分でそう思う。

「まあまあだな」

 つい昨日聞いた声がした。

 レイジの横に灰色の毛並みを揺らしながら、猫が立っている。すぐに座って、さらに横になってくつろいでいるが、喋ったのは猫だ。動作は流れるようで、体重は重そうだがずいぶん優雅だった。

「おい小僧。俺はジゴだ」

「ジゴ、きちんと名前があるだろう」レイジは咎めた。

「カムイだろ。そのくらい知ってる。でもよお、落とし子を雇うのはうちくらいだ。お前ほんとついてるな。大当たりだぞ」

「え、なんで」カムイは次の言葉が言えない。

「知ってるに決まってるだろ。お前のことを探しに行ったのは俺だ。ほいほい歩くからめんどくせえけど、良い目持ってるなら話は別だ。真っ白にしか見えない書類も記入してあるし、便利な目で良かったな。あとなあ、その辺の猫は人の言葉、喋らないからな。もっと驚けよ。つまんねえなあ。それと、夜の噴水広場は治安悪いからあんま行くなよ。わかったか?」まくしたてるようにジゴが言う。

「ジゴ? 言葉を選びなさい」レイジはジゴに厳しい。

「様をつけてもいいくらいだな。あと俺、こう見えて悪魔だから」

「へえ、打ち明けるんだ」レイジは嬉しそうだ。

 二人のやり取りは続いている。カムイの腹の虫が鳴って、レイジとジゴは静かになった。

「三食ティータイム付きだからな」ジゴは咳払いをした。

「あとね、私は悪い人なんだ。ごめんね」

 採用、といつの間にか判子の押された書類が風に揺れている。何に採用されたのかを知るのは、もっと後のことになる。

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怪盗と怪盗助手 ことぼし圭 @kotoboshi21kei

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