第2話
明かりと喧騒がある。街に着いたのは夜になってからのことだ。野宿の経験はない。アウトドアは好きだが、道具なしで生きていく自信もなかった。
(街はあるけど、お金がない。住み込みで働くには身元がないとまずいかな)
空腹だ。生きていく今日と明日を考える前に腹が鳴る。健康ではあった。
(いい匂いがする)
酒場のある路地だ。樽が積んであって、その上で猫が毛づくろいをしている。換気口から醤油に似た匂いがして、また腹が鳴った。
猫にまで笑われた気がする。灰色の毛並みは美しいが、体重は重そうだ。暖かそうで、この猫となら野宿できそうだな、と不謹慎にも考えた。
にゃあ、と猫が鳴く。逃げるそぶりも警戒する様子もない。
「おまえは一人なのか? 僕と一緒に野宿でもどうだ?」
家でも猫と暮らしていたので、つい話しかけてしまった。
「野郎と一緒に野宿なんてごめんだ」
鳴き声以外の返事が返ってきて、カムイは周囲に人がいないことを確認した。建物の中か二階にでもいて、たまたま聞いていた人が言ったのだろうか。
「お前の目の前にいるだろ」にゃあ、と猫が鳴く。いや、猫が言った。
「猫って喋れるんだな」
カムイは驚いたが、この世界の猫は人間と同じ言葉を話すのが当たり前なのかもしれない。その可能性はあって、自分が異世界から来たことは隠したいので、なるべく自然に接することにした。
「あたりまえだ」
「きみの名前は?」
「は? お前から名乗れよ」
「ああ、ごめん。カムイっていうんだ」
「そうか、カムイか。じゃあな」
名乗りもせずに猫は立ち去った。体重は重そうだが、身のこなしは軽い。あっという間に通りから姿を消した。カムイは猫の名前を聞けなかったことを残念に思ったが、そんなことよりも衣食住だ。求人のちらしでも貼っていないかと、掲示板を探す。店の看板を見る限り使われている文字は同じだ。猫と話も通じたので話す言葉も同じ。
カムイは未成年のため、酒場で働くことは難しい。少なくとも自分だったら雇わない。昼間開いてる店を確認するまで、どこかで時間をつぶすことに決めた。噴水のある広場でベンチに座る。酔っぱらいはいるものの、制服を着た警察官らしき人もいる。
(警察って、未成年の補導するのかな)
この世界の常識がわからない。
「きみ、早く家に帰りなさい」
案の定、帰宅を促される。帰る場所はない。なんと答えるか思案すると、なにも言えなくなった。とっさに上手い嘘はつけないものだ。
「なにしてんだカムイ、ほら行くぞ」
急に名前を呼ばれて、カムイは声の主を見上げる。男の人だ。背は高くやせ型。灰色の髪に金の目。アーモンドみたいな形の目だ。知り合いではなかったが、自分の名前を呼ばれたので、女性の声と関係あるのかもしれない。色々考えて頭はパンクしそうだったが、ひとまずカムイは返事をした。
「うん」
男と二人夜道を歩く。噴水の広場からは離れて、時計塔の広場まで来た。
「子供がこんな時間に出歩くなよ。治安は悪くないけど危ねえからな」
「あなたは誰ですか?」
「通りすがりの親切な人だ。難しいことは考えるなよ」
「なんで僕の名前を知ってるんですか?」
「適当に名前を言っただけだ。当たったのか? 俺すげえな」
「そう、ですか。すみませんでした。ありがとうございます」
「子供がそんなにかしこまるなよ。背、伸びなくなるぞ」
「でも、助かりました。行く当てがなくて」
「お前、猫は好きか?」
突然の質問だった。
「え、はい。大好きです」カムイは正直に答えた。
「炊事洗濯、掃除はできるか?」
「簡単なものなら作れます。洗濯は機械を使って良いなら得意です。掃除は好きです」
洗濯機がある世界だろうか。考えても答えは出てこない。
「この時期は住み込みの手伝いを探してる家が多い。当てがないなら掲示板を見て探しておけ。時計塔の下が一番規模がでかいから、いっこぐらい当たるだろ。うまくいけば面接して即採用だ。食いっぱぐれないですむ。あと、時計塔のほうが治安はましだから、時間つぶすならここにしとけ」
不思議な人だ。良い人には見えないが、悪い人でもない。時計塔の広場は静かで、たまに通り過ぎる人がいるだけだった。どの人もきっと家に帰るのだろう。
「ありがとう、ございます」
カムイはもう一度礼を言った。
「おう、じゃあな」
男のアーモンド形の瞳が細められた。今日の月のようだ。詩人でもないのにそう思って、カムイは久しぶりに笑った。
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