第4話 病棟という名の獄(2)

────奇妙な夢を、見た気がする。

 ああ、いや、そうだな。俺が今、置かれているこの状況自体が、何か悪い夢のようではあるけれど。

 布で口を塞がれてから───恐らく、クロロホルム…?だったか?そういうやつを嗅がされたのだろうが───どのくらいの時間が経ったんだろう。

 

 と、夢の中で会った────そんな気がした。

 確か、あれは。あの夢は───


(※※※※※?)

(※※※、※※※。※※※、※※※※※※。

 ───※※※…※※※※、※※※※※※※───※※※…)

 嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ!やめろ。やめろ!…やめろォォオオオ!!

「ははははははははははははは!!」


 ────そこで、目が覚めた。

 夢の中で交わした会話。駄目だ。内容はもう、忘れちまった。

 どんな言葉を交わしたか。覚えちゃいない。


 ────目を覚まして、最初に三ヶ山の双眸に映った光景は。

 見覚えのない、薄暗い病室のような部屋だった。

 明かりはある。あるのだが、暗い。

 黄色い光を放つその照明ライトは、真実、明度が低い。

 その薄暗さは、却って空間を昏く感じさせるものだ。

 起き上がって、部屋の様子を見る。

 小汚くもあるようで、小奇麗でもあるようで。

 薄暗い電灯と相まって、居心地が良いとは言えない空間だ。

 どうやらここが、目的地の病棟であったらしい。


「────漸く、起きましたか。おはようございます。

 時刻、早朝4時です」

 声のした方に目を遣ると、岩尾が居た。

「───て、てめえ…!!」

 瞬時に思い出す。この男が、三ヶ山を眠らせて、何処とも知れぬ不気味な病棟の一室に連れ去ったのだ。

 合意なく。断りなく。

 思い出すと同時に、その事実に対する怒りが、即座に三ヶ山の中で発火した。

 憤怒が、燃ゆる!

 溶岩マグマが噴き上がる。胸の底から。

 爆炎が沸き起こる。脳内あたまのなかで。

 噴火。噴煙。憤火。憤焔───そして。


「おあああああああああああああああああ!!!」

 咆哮にも似た怒鳴り声を発しながら。気付けば三ヶ山は岩尾に殴りかかっていた。

 憤激に任せて。焔の如く燃ゆる怒りに身を委ねて。身を灼くような怨恨を覚えて。

 殴りかかりは、したが────


 どすん。という音を耳にしたと同時に、三ヶ山は何をされたかを理解した。否、理解させられた。

「…ヴえッッっ!!」

 腹を、蹴られた。

 誰に蹴られたのか、それはわからなかったが。蹴られたタイミングは一瞬であった。

 痛みと嘔吐感が臓腑はらから込み上げる。


 腹の筋肉が、ひくひくと痙攣するような感覚がする。

 ぐわんと、胃腸を揺さぶられたような気がした。

 吐きそうだ。下手をすれば、吐瀉物に血が混じるかもしれないとまで感じた。

 気持ち悪い。痛い。苦しい。しんどい。悔しい。

 ────ムカつく。精神的な意味でも、臓腑の物理的な震えという意味でも。

 三ヶ山の、ぐるぐる揺さぶられた腹のうちで。ぐるぐる、そんな想いが去来する。

 苦痛の中、上の方に目を向け。

 見上げると、岩尾医師を庇うようにして、松淵刑事が立っていた。

 蹴ったのは、この男か。

「いっそ俺がこの場でブッ殺してやっても良かったんだがな。

 一応、これでもお前さんは、《特定異常症例》のだ。

 手加減はしてやった。

 ここで死なせちゃ、岩尾さんの意思にも反するし、岩尾さんの名誉も傷つくからな?」

「うっ…ぐ……てめ…なん…だ、よ、それ……」

「三ヶ山くん。いいや、今からはこう呼ぶべきかな。40

 君には今から、ここでのを受けてもらいます。

 まあ、肩の力を抜いて。楽にしてもらって結構」

 うずくまり、悶絶する三ヶ山を横目に───見下すように。

 岩尾医師は、ようやく状況説明らしき発言をした。

「ち…りょう……?はあっ、はあっ……」

「そ。治療。まあ、、病室の外に来たまえよ。

 はい、これ。渡しといて、松淵さん」

「───ン」


 息を荒げながら、漸く、片膝を突きながら立とうとする三ヶ山をよそに。

 岩尾は半ば勝手に話を進めるようにして、松淵に紙を渡す。

「…治療室までの案内図マップだ。

 それと、水だ」

 言って松淵は、乱雑に、まず地図を、そして水の入ったコップを病室の机に置く。

「───謝りはしない。

 そもそも俺に謝罪するような筋合いは無い。

 職務を遂行したに過ぎん。

 むしろ謝るべきは、先に殴りかかったおまえなのだが───

 …フン。まあいい。

 とにかく、その棟内地図を見て、目的地とルートの確認だけはしておけ。

 くれぐれも…

 

 高圧的な口ぶりでありながら、冷淡に、抑揚なく、松淵は言葉を残すと。

 松淵は岩尾と共に、三ヶ山が収容された病室から出て行った。出て、左側に向かったか。僅かな音から推測するに、どうやら、昇降機エレベーターか何かに向かったようだ。


(あいつら…一体なんなんだよ…警察にしろ医者にしろ、あんなに横暴なもんなのか?

 眠らせて連れて行ったり、あんな拷問まがいのことまでするとか…普通に犯罪行為じゃないのか?あいつらのやってることこそ。

 まあでも、とりあえずは地図通りに指示された場所に行かなきゃ、何にもわかんねえってことは確かみたいだな……)

 ───そう思いながら、水を飲む。棟内地図をしゃくりと手に取り、広げる。

 場所を確認する。

 見ると、図がふたつあり───それは三ヶ山の病室がある階層と、そのひとつ下の階層の図で───ふたつめの図の中に、丸で囲まれた箇所がある。恐らくは、赤いボールペンで書かれた線にて、丸で囲まれた箇所…それが即ち、「治療」の為に来いと指定された部屋だろう。12階診察室、とある。

 図の下には注意書きがある───曰く、入院患者証が無ければ、患者は本病棟内のあらゆる部屋に出入りすることができない。また、同患者証が無ければ、病棟の出入り口も開けることができない。

(そういえば、さっきは頭に血が上ってたから気付かなかったな…)

 ふと見れば、首にIDカードの入ったタグがかけられていた。

 恐らく、眠っている間に持たされたのだろう。

 患者番号0040。それが、三ヶ山に与えられた、この病棟での識別番号IDナンバー


(しゃあないな…よし、行くか)

 病室の扉を開けて、廊下に出る。

 病室を出て左。行くとすぐに、エレベーターがあったが─────

(…やっぱ、入院患者証じゃ、エレベーター呼び出しのロックを外せないか)

 エレベーターの前には、IDカードでロックを解除する方式のドアが存在する。そして、これは患者にとっては、自由に利用できる方式ではないらしい。

 ひとまず、地図を開く。

 三ヶ山が収容されていた病室の番号は…13001号病室─────エレベーターに記されていた階層の数字からいえば、13階の1号室ということか。方角で言えば、北に近いか。

 そして、目的地は─────ひとつ下。12階の、方角で言えば、同じく北にある診察室か。あの二人が降りていったと思しきエレベーターからもそれなりに近いようだ。

 エレベーターは使用不可つかえない。南側にある階段を利用しなければならないらしい。

 まずは南側の階段を目指して、三ヶ山は廊下を歩きだした。


(─────それにしても、気味悪いな……)

 13階廊下。ここも照明が薄暗い。小さな窓から覗くは、黒。黒。黒、黒。黒い闇、そのとばり

 早朝ではあるが、まだ暗い。季節ゆえか。

 あるいは、場所ゆえか。

 鬱蒼と生い茂る木々の様子が僅かに見える。

 教会から更に北に向かった、山林の中に建っているようだ。この建造物は。

 時計の針は、4時20分頃を示すだろうか。

 黒が、俄かに群青を湛えるべき時刻。

 にもかかわらず、ここは暗い。何故だか、他の場所よりも───暗い気がする。

 廊下を歩く。歩く。歩く。

 ひた、ひた、ひたと。靴音、それは三ヶ山のものであるはずだが。

 ひた、ひたひた、ひた、ひたと。

 ─────居るのか、何かが。建造物中央部を囲む形をした回廊で、南の階段へ向かう廊下で。

 歩いているのは、三ヶ山だけではない、のか。

「…ウウウ……オオオオオオオ……」

「!?…なんだ……?」

 低く嗄れた…それでいて威圧するような唸り声。

 声。声?

 つまり、廊下を歩く者が居る───この早朝に。三ヶ山以外にも。

 13階の病室は、計4箇所。

 は寝ているのか、そもそも他の病室のうち、どこが、どの程度が空室なのか。それは窺い知れない。三ヶ山には。

 しかし、出歩く者が二人いる。三ヶ山と、もう一人。

 この時間帯に。三ヶ山の他にも、呼び出しを受けた者が居るのか。それは定かならないが。

 三ヶ山の他に!誰かが、廊下を歩いている…!


「あっ────」

 三ヶ山は見た。

 階段を目前にした曲がり角からする、唸り声の方向に。

「オ オ オ オ オ オ ォ …」

 壁に身を潜め、確かに見た。

 そして、誰かが居た。確かに。

 早朝。13階の廊下を出歩いている、そのを、三ヶ山は目にした。

 は、最初に曲がった先の突き当たりから、更に曲がる角の先で。

 徘徊していた。

 三ヶ山が目指すべき階段の、前で。

 行ったり、きたり。

 階段の手前と、そこから廊下の奥へと。

 行ったり、きたり。

 行ったり、きたり。

 まるで、取り憑かれたように。

 まるで、何かを探すように。

 或いは、意味もなく───本当に?意味はない、のか?

 この往復。哀れにも心の砕け散った患者が、精神の破綻を経て発現させた類の…そんな習癖に過ぎないのか?本当に?


 その姿は───始めは薄暗い照明に浮かぶ人影として眼前に現れたが───ボロきれのようになった患者衣を洗わずに着た、薄汚い男だった。

 大柄な。身長───185センチはくだらないだろう。松淵より高いように見える。

 筋骨隆々というほどではないが…体格の良い、そして暴力性を感じさせるいでたちをしている。

 顔は、醜男の類か。チンピラにありがちにも思える、荒い石のような顔つき。禿頭、或いは丸刈りスキンヘッド

 それでいて、その双眸には。生気と呼べる類の輝きを宿していない。

 顔色、というか血色もどこかおかしい。土気色というよりも血が通っていない青ざめたような。そんな色。

 まるで、そう────屍怪ゾンビ

 映画に出てくるような。

 現実に、が存在したのかと疑うほど、それはゾンビのように思えた。映画や、ビデオゲームに描かれるような。

「ア ア ア ア ア ア ァ ァ」

 低く、嗄れた唸り声を発して。

 生気なき瞳は、遠目から見ても焦点が合っていない───ように見えた。

「……え?」

 その有様に、驚愕と困惑が入り混じり、思わず三ヶ山の口からが漏れる。その僅かな音声が漏れて───そして。


「───マダ、居タナ……?」

「……ひっ」

 

 壁から僅かに覗いた眼と、焦点定かならざるように思えた屍の如く在った瞳の。

 合ってしまった。目が。そして───

 どくん、と音がした。

 動悸のような鼓動へと加速する前に一度。

 ずん、と落ちるように大きくバウンド。

 高所からバスケットボールを叩きつけたような───いや、それどころか、或いは高層ブリッジからバンジージャンプしたかのような。

 そんな、悪い意味で心臓が弾む感覚が、した。三ヶ山の胸の裡で。


「命ヲ……」

「あっ…あああ……」

「喰ワセロ……俺ノ……」

 恐怖に包まれた三ヶ山の眼前で、薄汚い男の身体から、何かが表出していた。

 薄汚い男が、三ヶ山に殺意を向けていたことは明らかだったが、その言葉の意味は、男の身体の変容が示すことになった。

「コイツニ!!!」

 男の両腕は異形へと変形していた。右腕は鰐の頭か、あるいは大蛇のように見えた。

 左腕は、触手が螺旋状に絡み合っているようなカタチに思えた。

 男の背中からは、棘状の突起物が生えていた。

 男の顔の左頬が隆起し…そこには新たに眼球と口が発生していた。

 男の腹が縦に裂けたかと思うと・・・そこには縦に開いたあぎとと牙の如き器官が発生していた。


「う、うわああああああああああああああ!!!」

 ────大柄な薄汚いの男の身体には今や、怪奇が顕現していた。

 三ヶ山の、恐慌の悲鳴を背に。

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