第3話 病棟という名の獄(1)
─────某県某市。
某町警察署の拘置所。取調室。
三ヶ山暁は自宅に訪ねてきた警察によって突如として同行を余儀なくされ、この場所で取り調べを受けることとなった。
─────身に覚えのない殺人容疑の被疑者として。
未だもって事態が呑み込めていない。そうしているうちに、暫くすると、不安げに周囲に目線を泳がす三ヶ山のもとに。
彼を連行した刑事────松淵がやってきた。
あの、黒いトレンチコートの、眼鏡を掛けたオールバックの中年男だ。
「───さて。なに、ちょっとした質問と…あとは確認です。三ヶ山さん。よろしいでしょうか」
「……だから、俺は何も知りませんって」
納得できるはずがない。ごく普通にコンビニで買い物していた時間に、反対側の教会付近で起きた事件の、被疑者だなんて。
それゆえに、ついつい、苛立ちと不信感が募る。
─────自分は、誰かに嵌められたのだろうか?と。しかし、誰かに嵌められるにも、少なくとも直近では心当たりはなかった。
霊媒体質ゆえに気持ち悪がられることはあっても。すべて、今や消えた人間関係なのだから。自分を疎んじてきた親とも、今は離れて暮らしている。
理由はない。アリバイはある。だから、納得いかない。
「まあまあ。貴方が犯人って決まったわけじゃないですし。ただひとつ、ある映像を一緒にご覧になって、確認してほしいと思いましてね」
やや砕けた、同時に少し慇懃無礼にも聞こえる───それはある種の圧を感じるような───口ぶりで、松淵は同行の理由を説明する。
「現場の教会近くの、防犯カメラの映像、ちょっと確認していただきたいんですがね」
言って、松淵はノートパソコンを開き、そこにダウンロードされた映像ファイルを開く。
警察に送られた、防犯カメラ映像のデータ。
「は、はあ…」
腑に落ちる筈などない状況ではあるが。ひとまず、確認だけはしておこう。
三ヶ山はしぶしぶ、確認に応じる。
とはいえ─────とはいえ、だ。
そもそも、犯行時間と松淵が言う18時、三ヶ山は教会から反対側に自宅から約820メートル進んだ先のコンビニに居た。
コンビニが、アパートから南西約820メートル。
教会が、アパートから北に約1キロメートル。
加えて、コンビニから自宅まで、そして自宅から教会までには、坂が存在する。コンビニを始点とすれば、一貫して上り坂だ。
どうやって犯行後におよそ1.8km離れた場所で買い物を?
だから、物理的に有り得ないはずだ。18時。教会付近に、三ヶ山が居ること、それ自体!
─────けれども。
「─────ああ、ここです。18時…まあ、18時ちょい過ぎ。
画面の下から教会に入ってくる人、いますよね。もっと寄せますから、ちょっと確認していただいて、よろしいですか」
松淵が言って、一時停止した映像を拡大する。映りこんだ人影の、顔をアップにする。
「─────は……?」
拡大画像に映った、ソレは。
────ソレは、間違いなく三ヶ山の顔だった。
毎朝、歯を磨くときに鏡で見る顔だった。
窓辺に映る自らの顔と同じ顔だった。
ただ三ヶ山にとってその人物は、三ヶ山の顔をした何かだった。
「なんだ……こいつ……」
混乱。動揺。困惑。怒り。
「ね、三ヶ山さん。本当に、18時前に教会に行ってませんでしたか?」
「……行って…ません…。
っていうか誰だよこいつ…捏造じゃないんですか!?
ほら、最近ディープフェイクとかありますよね!?
たまたま濡れ衣を着せられたんじゃ…」
「あのね。防犯カメラにディープフェイクを仕込めるなら、とっくにそっちの犯行が割れるんだよね。で、この防犯カメラの映像は警察が管理してるんですよ。
それでね。そこに映ってる君の他に容疑者いないのよ。この辺の人の中ではね」
「いやいやいやおかしいだろ!?
俺はだから、推定犯行時刻って時間に、反対側のコンビニに行ってたんだって!!
こんなの覚えにねえって!捏造だ捏造!!」
「────ちょっと落ち着こっか」
混乱と怒りで興奮気味に否認する三ヶ山。いなすように、宥めるように、落ち着き払ってそれを退ける松淵。平行線。次第に口論めいていく問答は十数分続き────
「他人の空似じゃなかったらなんなんすか!?
ドッペルゲンガー?ドッペルゲンガーなら心霊現象じゃないっすか!!俺のせいじゃねえじゃん!!なァ!?」
「はあ…ドッペルゲンガー、ねえ……
───ちょっと精神的に混乱しているのかもしれませんね。
専門の方を呼んでくるので……少々、お待ちください」
「おい!俺は正気だって!!ちょっと待っ…」
ガタッと席を離れ、松淵はバタンとドアを閉めて歩いて行ってしまった。
どうにも、まるで聞き入れられていないようである。三ヶ山の主張は。
それから数分後。
「───本日、担当させていただきます。
精神科医の
今回、ご捜査への協力ということで。
皆様、よろしくお願いします」
「ご協力いただき恐縮です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願い…します…精神って…」
松淵に連れられてきたのは、30代後半から40歳ちょうど程度に見える、比較的年若い精神医だった。
岩尾光太郎。若々しく、端正な顔立ちをしている。額を見せ、艶のある黒髪をツーブロックに分けた
コンタクトをしているのかもしれないが─────見たところ裸眼のようである。日本人男性としては長身─────180センチメートルほどはあろうか、という痩躯の身の丈。
白衣と、黒いズボンを身に纏い、高級そうな腕時計が袖からちらりと貌を覗かせる。身なりも整って見える。
けれども、一見すると爽やかな印象を与えるその容貌とは裏腹に─────瞳孔にはただならぬ圧を感じさせる眼差しを浮かべる。
傲岸さが隠し切れずに漏れ出ているような目つき……にも見える。
「僕はこの辺に勤めてましてね…」
聞けば、教会から更に北に進んで100メートルほど先にある病院に勤めているのだという。
「は、はあ…」
唐突な同行と取り調べに続いての、またもや唐突な精神鑑定の知らせ。
三ヶ山は困惑を隠せない。
(精神鑑定って、こんな急にやるのか……っていうか取り調べって、こんなもんなのか…?)
「さて、三ヶ山さん───」
「は、はい…」
「───あなた、さっきドッペルゲンガーがどうの、とか言ってましたね。松淵さんから、道すがら伺いましてね」
「え、ええ、うん……まあ、はい…お恥ずかしながら」
「もしや小さい頃から霊感とか、おありで?」
「え────」
精神医を名乗る男は、僅かな情報と三ヶ山の顔を見るなり…そんな話を急に、切り出した。
「な、なんでそんなコト、急に・・・」
「いや、まあ。幻覚とか、記憶や人格に障害が無いか───念のため見ておく必要がございまして」
「え、ええ…そういうことでしたら……
一応、幼少期から、何と言いますか。俗に言う心霊現象?みたいなものには、よく見舞われてます…」
「ふむん…やっぱりね」
「……え?」
岩尾の、まるで見透かすような口ぶり。三ヶ山の過去を知っているかのような言動。
三ヶ山は困惑を隠せない。けれど───
「いえいえ。私の経験上、あなたのような患者を、今までにも何人か見てきましたからね」
はぐらかすように。岩尾は、医師としての経験だと語った。三ヶ山にはそれが少し、何かとぼけているかのようにも思えた。何かを、誤魔化している、ような。
「────さて、と。松淵さん」
「ん?」
「ちょっと、お話いいですかね」
言って岩尾は椅子から立つと、後ろに控えていた松淵に耳打ちし、部屋の外へと松淵を連れて行ってしまった。
────チク。タク。チク。タク。
時計の音だけが響く。
秒針の音だけがこだまする。
岩尾医師と松淵刑事が取調室を一時退室してから、時間にして2、3分ほどではあるのだろうけれど。
今の三ヶ山には、永劫のようにすら感じられかねなかった。
「お待たせしました。ただいま戻りましたよ」
今度は松淵が岩尾を先導して、取調室に戻ってきた。
「────大事なことをお知らせしますね」
着席するなり、岩尾が口を開く。
「三ヶ山さん。貴方はもしかしたら、頭の病気かもしれません。検査入院が必要になりましたので、病院までご同行できますか?」
「え……そ、そうなん…ですか?」
実に唐突な告知だった。幼少期から心霊体験の多い三ヶ山だったが、病気と告げられたのは初めてだった。
今までにも、三ヶ山は霊感について病院で検査を受けたことはあったが。いずれも、異常なしという診断だったからだ。
「はい。教会での事件の捜査にも関連しますから───」
「起訴に関して決める為にも、診断が必要でしてね。入院も、まあ捜査協力だと思ってください」
「は、はあ」
検査歴が検査歴だけに、今回も同じだろうと。釈然としないまま、三ヶ山は松淵に従って取調室を出る。そして拘置所の出入り口で待機していた警察車両に乗る。
松淵と岩尾が、後部座席に同乗する。
瞬間、松淵が
三ヶ山の目には、見えたように感じられた。
警察車両が発車して、15分ほどだろうか。
コンビニを横切り、すっかり夜も更けた林道を抜け、事件現場の教会をも通り過ぎ、車は町の北へ、更に北へと向かう。
途中。林道で、三ヶ山と似た背格好と服装の人影が後ろ姿だけ見えた気がした。
途中。事件現場はブルーシートが敷かれ、バリケードテープで封鎖されていた。
途中。岩尾が勤めていると思しき病院が見えたものの───それは目的地ではなかったようだった。
「あの……」
三ヶ山が思わず口を開く。
「病院って、どこの病院…ですか?」
三ヶ山の質問に、岩尾は一瞬、意味深な視線を落とすと────
「まあ、じきに判りますよ…」
そう言って、懐から布状のものを取り出し────
唐突に。急に。いきなり。不意に。
───三ヶ山の口に、それを押し当てた。
「────ん!?んんんんん!ううううううう!!」
突然のことに混乱しつつ、良からぬ予感を察知して、三ヶ山は声を出そうとする。暴れようとする。
しかし、そんな彼の四肢を、松淵が取り押さえる。
「まあ、落ち着いてくださいよ」
松淵が、にやけながらそう言ったのが見えた。
意識が遠のく感覚を、三ヶ山は感じた。
そうして、そのまま。
暗闇へと。深淵へと。奥底へと。
─────三ヶ山の意識は、暗がりへと、落ちた。
眠りへと。悪夢へと。
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