第2話 ツキのない人生(2)

────思えば、三ケ山の人生は。常に、常に、いなかった。


 幼少期から彼には、この世ならざるものが───霊が見えた。それだけではない。

 亡霊は常に、彼の周囲に絶えずたむろし。


 ───がしゃん。

「ちょっと!暁!!あんた、また皿割ったでしょう!何度言ったらわかるの!!」

「違うよ、母さん!僕じゃないって!!」

「いいからこっち来なさい!!」

 ────ある時は、を伴う、心霊念動力現象ポルターガイストを発生させ、家族との不和を誘発し。それゆえに、彼は親のによって、体に痣を絶やすことができなかった。

 ひどいときは、父親のパソコンを壊し、顔が腫れるほど殴られた。故に、彼は家族と円滑な関係を築くことができなかった。そして───


 ───ひそひそ。

「ねえ、あいつこの前また一人で怒鳴って走ってたんだけど。きもくなーい?」

「よしとけよ。あいつに触ったら、気味悪りぃことあるらしいぜ?S野が言ってた。無視だよ、無視。ビンボガミだか疫病神だかが、伝染うつるって」

「うわ~……」

 ───またある時、たとえば学生時代には、学校で孤立する要因を生み出し、三ケ山から、学友を得る機会を奪い続けた。

 霊障に悩まされ続け、また、彼に手を差し伸べる者も、霊障を味わい、あるいはトラブルに───ひどいときは事故に見舞われた。そうして、三ケ山の周りには、ひとが集まらなかった。けれども、なぜか。

 そして、そんな趣味の最たるものと自認していたのが、絵を描くことだった。


 美大では、デザイン学科に入り、イラストやデザインについて学びつつ、絵の研鑽に励んだ。

 ─────けれども、周りとの才能の差に絶望した。

 圧倒的なを具えた人というのは、もうタッチで、デザインの方向性で、わかる人にはわかるものだ。

 そこで、三ヶ山の心は一度折れた。

 しばらくは粘ってみたけれど、だんだんと、劣等感が三ヶ山の心を支配するようになった。

 それに、生来の不幸体質や─────この世ならざるものどもを惹きつける体質も災いした。

 やはり美大でも人間関係の形成に失敗し─────ポルターガイストだとか、話した相手の身に事故を招くとかが災いし。三ヶ山は美大でも結局、孤立した。

 そうした日々の果てに、三ヶ山は3年の初夏に体調を崩した。そして、劣等感と孤立が解消されることもなく、美大を中退した。


 霊媒体質。それが招く不幸体質。不運をもたらす類の浮遊霊もまた、彼の周りには常に絶えなかったのは確かである。だからこそ。

 ───そして、今夜。この日、コンビニに行く途上の林道の出口で聞こえた、あの嘲笑のような声も、いつものことかと。三ヶ山は、思ったのだ。

 だが、なぜ警察が?

 職質…ともかくとして、犯罪容疑者として疑われるような行動をとった覚えは全くない。他人の空似を真っ先に疑う。とにかく、最低限ルールには従って生きてきた、筈である。


「あ、あの……」

 おずおずと、尋ねようとする。

「ご、ご用件は…」

 唐突な警官の訪問に困惑した様子の三ヶ山に。黒コートの刑事と思しき男が答える。

「ええ。重要参考人として、あなたが浮上したんですよ。殺人事件のね」

「さ、さ…殺人…?えっ……?」

「ええ、はい。18時ごろに、近所の教会付近でね。男性の呻き声がして見に行ったら、そこの教会の神父さんが、門の付近で胸から血を流して倒れてたっていう通報がありまして」

 ────困惑。驚愕。戦慄。事態をよく呑み込めない。

「───────」

「すぐに救急車を呼んだんですが、車が来た頃には、もう…。───それでね。複数の目撃証言と、街頭防犯カメラの映像から、あなたが捜査線上に上がったんです。大変申し訳ないんですが、念のため。署までご同行いただき、お話ししていただけませんか」

「───ちょ、ちょっと待って…くださいよ!」

 身に覚えのない証言、そして映像の話をされ、三ヶ山の脳内が漂白されてゆく。

 白く、白く、何もわからず。比喩ではあっても、比喩とは言えないほどに。

「だ…って……その時間、僕はコンビニで買い物してたんですよ!!!!!!」

 思わず取り乱す。叫ぶ。意図せず、怒鳴りつける。本意ではない。ふさわしい態度ではないのは、冷静になれば理解できる。

 だが、それでも────急に、人を殺したかもしれないから署まで来い、だなんて言われても。三ヶ山には、納得できる筈がなかった。まして、告げられた推定犯行時刻から云って、自身には

 三ヶ山の自宅アパートも、事件現場の教会からはそれなりに離れていることも、根拠のひとつだった。コンビニから反対側に、約1km。歩いていけば、犯行後にコンビニに行くとするなら、コンビニに推定犯行時刻とされる18時に間に合うという道理が無いのだ。

 普通に考えて、自分が捜査線上に浮上する道理が存在しないのだ。三ヶ山の動転と怒声は、その意味では、当たり前の反応リアクションでは、あるのだろう。


「まあ落ち着いてくださいよ。あなた、一人暮らしですよね?ご家族などは?」

 松淵は宥めるように優しく───しかし冷淡なほどに落ち着き払って、確認の言葉をかける。

「ひ…一人暮らしですけど……親とは、その……」

「あらま。あまり触れてほしくはなかったですかね。訊いちゃあいけないことでしたか?」

「は、はい…まあ……」

「んじゃ、とりあえず大家さんには事情を伝えときますから、よろしく」


 それから数分後、松淵が戻ってきた。

 そして事情説明を受けた大家の中村典弘氏も、三ヶ山の部屋を訪れた。

「一応…無実ってことだけは証明した方がいいし、防犯カメラの映像くらいは自分で確認してきな。大丈夫、警察も、わかってくれると思うからさ」

「え…あ、ええ、はい……」

 中村の呼びかけに、憔悴しきった貌で。三ヶ山は、力なく首肯した。

 しかし、同時に、ひとつ署に行く目的もできた。もしも───

 もしも、ただの人違いならば。防犯カメラに映ったという映像を、自身の目で見てやろう、と。

 そうしてアリバイを説明して無実を証明し。再び、日常に戻るのだ。

 意を決し、三ヶ山は着替えて荷物をまとめると、刑事と思しき黒服とともに、近くの署に向かった。

 どこにでも売っているようなベージュのチノパンに、白黒チェック柄のシャツ。グレーのジャケットを身につけて。

「三ヶ山さーん。気を付けてくださいね~」

 アパートを出て歩き出し。ふと、背後で声を聴く。

(ああ、きっと。中村さんだけは。俺のアリバイを確信しているのだろう。)

 真実。三ヶ山はいわゆると呼ばれる類のフリーターの身ではあったが、三ヶ山が能動的に住民に迷惑をかけるなどということはなかった。

 このレベルの安アパートの利用者としては、いたって正常な人物だったのである。


(大丈夫。なんやかんや、アリバイはあるはずだ。中村さんだって、現場の教会からからはそれなりに歩くことも知ってる。コンビニ方面に向かった時間から言って、犯行を行ってから戻る時間なんて無いってことは、誰だって気が付くはずだ。明日にはきっと)

 思ってもみなかった災難に動揺は、したが。三ヶ山は、自らの無実を信じ、警察署へと向かう。

 ────それが、地獄のような時間の、幕開けだとも知らずに。

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