無明のトイフェルスヘーレ

入賀ツェフ

第1幕 暗黒の虚

第1話 ツキのない人生(1)

 ───無為に終わる人生が、世には確かにある。

 禍福は糾える何とやら、とは言うものの。実際には当てはまらないケースも少なからず、世にはある。

 ならば。生まれてくることが、無価値であることもあるというのか。

 ならば。無為に思えるモノたちは。何を、すれば───


 ──────某県某市。都心から少し離れたこの街で暮らす25歳の三ヶ山暁みかやまあきらは、就職活動に失敗し、アルバイト先を転々としていた。

 無論、アルバイトの切れ間にはハローワークに通い、求人検索をしては履歴書と職歴書を書くが────見合った求人はそれでも、誰にでもできるか、誰もやりたがらないようなアルバイトくらい。

 短期間でアルバイトをしては、に見舞われては辞めるという生活を繰り返していた。


 少し瘦せ型の、生気に欠ける双眸の青年。生気に欠ける瞳の割には、つり目であるのは、ストレスゆえか。

 強がりで、暗めの赤に染めた短髪を。強がりで、額を露わにして逆立てている。

 眉間に皴を寄せたしかめっ面が貼りついて、離れない。

 身の丈は、170cmはあろうが、175cmよりは低いように見える。

 およそ平均的な、学生ないしは非正規雇用であると推測されうる若者。何も知らない人が傍から見れば、そう見える。


 地元から少しだけ離れた、都内のM美大を中退して、4年。専門学校に行くための学費を捻出し、さらに食い繋ぐべく、アルバイトの職場を転々としていたが、なかなかアルバイトが続かない。

 両親とは不和によって、美大中退時に別居している。今はどうにか、なんとか、フリーターの身で激安アパートの一室を借りている。

 無論、それに見合ったような質のアパートだ。

 母方の祖父母からの、お情けの仕送りと、辞めていったバイトたちの貯金と、僅かなバイト代で、なんとかギリギリやりくりしている。

 本屋のアルバイトは人間関係が原因で退職し、コンビニのアルバイトは、売上金が消失して引責する形で辞めた。

 地元の職安に通い続けてはいるが、経歴が経歴で、そうそう会社勤めのまともな職は見つからない。

 社会の底辺。そんなレッテルを貼られているような気がして。不安が常に、脳裏にこびり付いて離れない。


 この日も、誰でもできるような、そして誰もやりたがらないようなアルバイトを終えてから、夕方に帰宅する。彼の自宅アパート周辺は、木々の生い茂る暗く寂しい道が続き。11月の夜ともなれば、夕闇と木々のざわめきが、ある種の非日常的情景を創出し、薄気味悪さが支配する空間と化す。

 無論、この日のように雨が降っているとなれば。その空気はより一層、より重厚に、通行者の頭上を覆い、全身に絡みつくだろう。


「───さて…今日もコンビニに飯、買いに行くか」

 そんな時間帯。慣れているとはいえ、あまり気乗りはしないが。家での休憩を終え、着替え、傘を手に、家を出て、歩き出す。

 日が沈みつつある、日常的ではあるが非日常を感じさせる道を。

 林道を抜け、コンビニが見える開けた道に出た、ちょうどその時。

「ククク……」

 誰かの声が、ふと聞こえた。笑い声のような。それも嘲笑のような。

 ───そんな、気がした。けれど。

 、と、三ケ山はとりわけ気にはせずに、コンビニへと入っていった。


「いらっしゃいませ~」

 店長の声。時刻は18時か。

「ちーっす」

「あ、ばんわ~」

 この時間帯のシフトを担当する女子高生が、店長と挨拶を交わす───名札には、夏川と書いてある。所謂、陽キャというタイプ、なのだろうか。三ヶ山には、よくはわからない。

(雰囲気的に、あんまり得意なタイプじゃないけど…まあ、気にしないでおこう)

「じゃあ、レジとか陳列とか掃除とか、お願いね」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 店長とバイト店員の会話を聞き流しながら、食料品棚に向かう。


 行くと、買おうと思っていた弁当が無くなっていた。

(────マジかよ…あれ売り切れちゃったか…)

 ガラガラになった食料品棚から、ひとまず妥協的に、違う弁当を籠に入れる。

 とはいえ、欲しいと思った商品が、欲しいと思ったときに切らしていることは、三ヶ山にとっては慣れっこであった。

 いやさ、そんなちっぽけな不運どころか、三ヶ山の人生は、むしろ大であれ小であれ、ことが常態化していた。


 かつては、夢があった。上昇志向も、まあ、人並みにあったのかもしれない。

 夢─────彼は幼いころから、絵を描くことが好きだった。絵本や漫画が好きだった。イラストレーター、或いは漫画家。或いは、アニメ監督。そういうものを、目指していた。だから、必死に学び、そうしてM美大に入った。

 だが。現実はうまく運ばないものだ。特に、彼の場合は、異様に。その結果が、なのだから。


 ───ひとまず、を籠に入れてレジに向かう。

 今日は帰ったら、何をしよう。引き続き就職のリサーチでもするか。あるいは、もうそのまま寝てしまおうか。そんなことを考えて、購入に移る。

「─────以上で580円で~す」

 夏川と名札に書かれた女子高生の、軽い声。

「…じゃ、600円で」

「600円お預かりしまーす。20円のお返しでーす」

「………」

「ありがとうございました~」

 少しだけ気になって、入り口付近に陳列されたカップ麺と菓子類を見やる。

 最近はどこのコンビニも、人気漫画だの、人気アニメだの、人気ゲームだの、果ては人気動画配信者だのと、限定版パッケージのコラボ商品に熱心なのだろう。普通のパッケージの商品と中身は変わらないのだろうが、この方が売れ行きが良いのだとか。どうあれ、三ヶ山には、今はそこまで関係のないことだ。


 コンビニ弁当という名の夕飯を買って、帰路に就く。

 一応体力作りだけはしていた。だからか、思ったよりは体力も残っている。ならば今日は帰ったら、専門学校のリサーチをしつつ、絵の勉強でも、なんて。


 ────そうしてなんとなく、ぼうっと思索を巡らせているうちに。暗く、風でざわつく林道に入る。

 正直、気味が悪いとは思う。ぼたぼたとした傘の雨音で聞こえづらいが、木々もしとしとと雨を受け、それが風の音と相まって、やはり気味の悪い空間を作り出す。


 濡れないように気を付けながら速足で、アパートへと歩いていく。

 そうして数分。

「ふう、やっと着いた」

 自室の鍵を開け、がたんという扉の音と共に、部屋の中に入る。


「いっただっきまーす」

 温めてもらい忘れた弁当に手を付ける。

 コンビニブランドの100円の緑茶と、100円のつまみをおともに。

 そうして10分ほどで食べ終わる。

 もっと良いものが食べたいとは思いつつも、今はこれしかない。


 そうして、次の進路について調べようとスマートフォンで調べ物をして。

 暫しの時間が経った、その瞬間であった。


 ────ピンポーン、とインターホンが鳴る。


 久方ぶりの、か。

 来訪者は、黒いトレンチコートを着た壮年の男性。

 四角四面の如くある黒縁の眼鏡を掛け、白髪交じりの黒髪をオールバックに整え。

 髭を───両刃剃刀を愛用するゆえか、或いは脱毛施術を受けたのかは定かではないが───しっかりと剃り込み。

 肌は日ごろからケアしていると思しき若々しさを具える反面、酸いも甘いも知るような年季が、頬に、額に、皴としてうっすらと刻まれている。

 それだけならばどこにでも偶にいるようなキャリア男性にように映るだろうが、他の人とはどこか様子が違う。

 男は、仕事仲間と思われるベージュ色のコートの、比較的若い男性を連れて。彼と、何やら少し話し合い。

 そして───


「──────すみません。あなたが、三ヶ山暁さんでしょうか」

「あ、はい。三ヶ山、ですけど…」

「わたくし、こういうものでして……」

 来店者の男が懐から、何かを取り出す。男が、懐から取り出したそれを、即ち彼の身分証を示す。それは、ただ酒や煙草を購入する際に見せる類のものではない。黒い、二つ折りのカード状のもの。


 ──────それは、世間で≪警察手帳≫と呼ばれるものだった。

「すみません、警察の者ですが。失礼ですが、署までご同行お願いできますか」

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