第3話 あの素晴らしき飛翔体
僕の家族は、大袈裟だ。僕が、赤いハイヒールを履いて、夜中にちょっと外出したくらいで、「光祈は、ドラァグクイーンを目指してるんやないか!?」などと騒ぎ立てる始末である。
とんだ誤解だ。ただ単に、三千年以上ぶりに、首から下もある体を手に入れたさっちゃんが、お洒落をして歩いてみたいというから、彼女の願いを叶えるために、僕がこっそりハイヒールを履いただけなのに……
その日は日曜日。僕は、カジュアルだけど新品の私服で外出した。そう、カジュアルな私服だ——数年来のデフォルトかつマストだった不審者ルックではなく!
僕は、人気のアイスクリーム店へと向かった。
「今日は、さっちゃんが食べたいのんを選んでや?」
「ほななぁ……うち、ラムレーズンがええわ!」
僕の口から、まずは男の声が、次に女の声が出た。
さすがは人気の店だけに、観光客が詰め掛けており、辺りは、日本語以上にいくつもの外国語が飛び交っていてとても賑やかだ。僕が注目を浴びることなどさほどないし、そもそも僕には、男のお一人様の客としては最高に幸せだという自信があった。
僕がこのアイスクリーム店を訪れるのは、一週間ぶり二回目だ。前回は、僕の好物のストロベリーを食べたのだから、今回はさっちゃんに選んでもらわないと。
ただ、ラムレーズンには当然、アルコールが含まれる。僕は、さっちゃんに一言断りを入れておかなければと思った。
「ほな、今回はラムレーズンで決まりやな。けど……僕が、食べた後で何を話し出しても、それは、あくまで僕の本心であって、決してアルコールのせいなんかやないさかい。さっちゃんには信じてほしいねん」
彼女と僕の共同生活が始まってから、まだ日が浅い。話したいことはどんどん増えていくばかりだ。
「せや、こうちゃんは、とんでもない下戸や
「いやいやいや、それはさすがに、子供のころの武勇伝やって……」
僕の口から、鈴を転がすような笑い声が零れた。笑ったのはもちろん、さっちゃんだ。
「
ああ、それは僕やな。そして、僕はさっちゃんを愛してる。確かに、そんな言葉は、素面で口にしたほうがいいに決まっている。
僕が、まずは、酸素をたっぷりと吸い込もうとした時、ふいに、さっちゃんの人差し指が、僕の唇を塞いだ。まあ、傍目には、
「あの子が見てるえ」
さっちゃんは、声を低めて苦笑した。
僕がすかさず振り返ると……確かにいた。店のインテリアに紛れ込むようにして、一体の古びたフランス人形が。
僕はただ、その人形のことを軽く睨みつけた。
もしも、霊感の強い人が居合わせたなら、僕の眼が血のように赤く輝き、髪が蛇の群れと化してざわめいた一瞬を目撃したかもしれない。
「いと、尊し」——なんて言いながら石化して、ぼたりと落下したメリー・アントワネットのことを、僕は、なるべくさりげなく回収したのだった。
さっちゃんは、持てる力の大半を既に消耗してしまったが、神話級の存在である彼女にとって、都市伝説級に過ぎないメリーさんを石化するくらいは、造作もないことなのだった。
破魔札の乱れ打ちによってメリー・アントワネットを活動停止に追い込んだあの日、僕は、彼女を実家へと運び込んだ。結局、小近衛家の当主たる僕の父が、「ターゲットを追跡するのに便利そうやから」と、彼女のことを式神として使役することになったのだ。
そんなメリーさんが現れたということは、つまり、さっちゃんと外出した日曜日が、いつの間にやら父親参観日と化していたということである。
石化したメリーさんを持ち帰った僕を、父は、頭を掻きながら迎えた。
さっちゃんは、彼の目の前で、メリーさんの石化を解除したのである。
「この子を通して見てはったんでしょ? こうちゃんの大容量の霊媒体質を、うちがみっちみちに満たしてもうたよって、この人は、他の魑魅魍魎に狙われることなく、表で大手を振ってスキップできるようになったんどすえ」
さっちゃんは、はっきりと言った。
「いやいやいや、あれはスキップやのうて、踊り出しそうになっただけやて……あんまりにも幸せ過ぎて」
僕もまた、父へと向き直った。
「僕は、さっちゃんに、みっちみちにしてもろて、本当に幸せなんや。信じてほしい」
彼女をこの身の内に招き入れたことで、霊媒体質の空き容量がなくなり、無闇に狙われることもなくなった。さっちゃんと体を共有して一心同体……いや、二心同体となったおかげで、僕もまた淋しくも怖くもなくなったのだ。
父は、頭を抱えた。でも笑っていた。彼は結局、大恋愛の経験者なのである。
僕が気づいたことが一つある。かつて布一枚で繋がっているに過ぎなかったメリー・アントワネットの首回りが、いつの間にか修繕されていて、今や、きちんと首が座っているのだ。
父には、フランス人形を繕うような器用さはないはずだ。きっと、別居中の母を頼ったのだろう。
実は、さっちゃんと同居を開始した後、僕も、母さんに会いに行った。しばらくぶりだったから、スーツを着込んで、手土産も持参して。
母さんは涙ぐんで、僕の頭を撫で、ぎゅーっと抱き締めてくれた。霊感を持たない彼女にとっては、僕が真っ当な服を着て笑っていること、それだけで充分だったらしい。
「息子のことをよろしくお願いします」
父は、とうとう挨拶めいたことを口にして、さっちゃんと握手した……つまるところ、僕の手を握ったのだ。
父は、小近衛家の当主でもあるので、さっちゃんが僕の霊媒体質を帳消しにするばかりでなく、僕の体を乗っ取って暴れ回るのではないかと、ずいぶんと心配していたらしいが。
ただ、父はなかなか手を離してくれなかった。そして、僕の……さっちゃんの眼を覗き込んだのだ。
「息子をお願いしたいからこそ、一つ訊いておかなあかんことがある。あんたさんは、先代のことを恨んではるんやないのか?」
ああ、まだその心配があったか——
かつて、さっちゃんを日本に連れて来て、イージス艦に縛り付けて、人工の付喪神に仕立て上げたのは、僕のばあちゃんだ。
なにしろ、国家機密だったらしく、当のさっちゃんをこの身に受け入れたあの日、勤務終了後に帰宅するまで、僕は全く知らなかったのだが。
ギリシア神話は、もはや信仰の対象としてではなく、教養の一環として語られるようになって久しい。人間の信仰心という力の源泉を失った影響で、さっちゃんが囚われていたイージスの盾の拘束力も、次第に衰えていったらしい。
ついに、今から三十年ほど前、さっちゃんは、三千年来の獄から自力で脱出したというわけだ。
日本の陰陽師だけではなく、世界中の術者たちが色めきたった。神話級の怪物を使い魔にしてみたいと望んだ強者たちが、大集合して熾烈な争いを繰り広げたらしい。結果、勝利を収めたのはうちのばあちゃんだった。
しかしながら、ほくほくと帰国したばあちゃんは、父さんをはじめとする小近衛家一門の陰陽師たちから懇願されることになる。ばあちゃんは、存命の陰陽師としてはおそらく最強だからいいようなものの、いずればあちゃんが引退してしまったら、神話級の怪物なんて手に負えないのでどうにかしてくださいと——
ばあちゃんはやむなく政府に掛け合い、さっちゃんをイージス艦に縛り付けて、彼女が力を消耗するように仕向けたのだった。さっちゃんは、数多のミサイルを石化することで無効化してきたのである。
「まあ……恨んでへん
僕の唇が、さっちゃんの言葉を紡いだ。
「けど、おかげさんで、こうしてこうちゃんと出会えたわけやし……今となっては、先代さんには、お好きなポーズを決めて石像になってもろて、本場ヨーロッパの酸性雨でもたっぷりと浴びていただいて、表面がええ感じに溶けたところで、石化を解いて差し上げたいなぁ、くらいにしか思てまへんえ?」
僕と父は、束の間のシンキングタイムに突入した。婉曲表現には慣れっこの京都人として、彼女の言い分の解析に努めたが、やはり、強めの殺意が検出された。
ええ感じに溶けるのを待って生身に戻されるやなんて、ホラーやんか!
「うふふ、冗談どすえ。こうちゃんが悲しまはるようなことは、うちはしませんよって。万が一、先代さんがうちを虐めはったりしても、その尿路を無数の結石でギッチギチに埋め尽くしてまうくらいにしときますよって」
「痛いたいたいたい、絶対激痛やて、そんなん! どんだけぎょうさん水を飲んで、縄跳びに勤しまなあかんのか、見当もつかへんわ!」
父は、突然顔を歪めて、その場で飛び跳ねたのである。
あれ……もしかして父さん、結石の経験者でもあるんかいな?
当のばあちゃんは、僕がさっちゃんと二心同体と化して帰宅したあの日、
「蛇をもって蛇を制したか」——と、スッと目を細めて言ったのだった。
さすがはばあちゃん、さっちゃんが僕の霊媒体質をみっちみちにしてくれたことを、一目で見抜いた。かつて、大蛇の魔物に受けた呪いが、頭髪が蛇と化したメデューサによって帳消しにされたのだ。
しかし、ばあちゃんは、メデューサが僕のことを人質に取ったと解釈したらしい。
「おまえの子供をこの手で捕らえて、交渉の材料にしてくれるわ!」
えらい剣幕で、さっちゃんに向かって捨て台詞を吐いたかと思うと、翌朝には、京都から——日本から旅立ってしまったのである。
まあ、自称「式神ハンター」で一人旅にも慣れているし、あれこれ実績もあるしで、彼女の身を心配する気にはなれなかったけれど……
メデューサは、ポセイドンの子であるペガサスを産んだという。
僕は、子供のころギリシア神話の本を読んで、どうして、海の神と髪が蛇の女性の間に、空飛ぶ馬が生まれるのだろうと、真剣に悩んだ覚えがある。まさか、当のさっちゃんと将来出会えるなんて、思ってもみなかった。
さっちゃん曰く、
「うちはもう淋しゅうない。ペガサスには、会えるもんなら一目
つまり、ばあちゃんは、手掛かりを持たないまま探索の旅に出たわけだ。もしかしたら、気が済むまで、何年も海外を放浪することになるかもしれないなと、僕は思った。
ところが、ほんの一ヶ月ばかり後、僕たちは、空を見上げるしかなくなった。
「ペガサス、獲ったどーっ!」
ばあちゃんは、片手で手綱を捌き、もう片方の拳を天高く突き上げたのだった。
謎の京女と陰陽師 如月姫蝶 @k-kiss
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