第2話 陰陽師は名探偵にあらず
——ほな、女王様と呼んでおくれやす……
仕事の合間にふと、付喪神の女王様の声が脳内再生された。
一人っきりの地下室で、僕は、自嘲気味に口元を歪める。
一日のうちに二度も緊急速報によって引っ掻き回されたあの日以来、女王様からの電話がないまま、そろそろ一ヶ月が過ぎようとしていた。
彼女はもしかして、僕の力を借りることなく、新しい依代を見つけることができたのだろうか? 幸せになれたんならそれでいいのだが、僕としては、いつかまた、あの綺麗な声が聞きたかった。
「いっそまたミサイルがぶっ放されたら、電話が掛かってきたりせえへんかな……知らんけど」
仕事中も一人切りなものだから、ついつい物騒な呟きを発してしまった。
すると、待ってましたとばかりに、私物のスマホが鳴動したではないか!
「いやいやいや、いやいやいや……」
飛翔体に関する緊急速報であることを確認した僕は、誰に聞かせるともなく、言い訳じみた言葉を垂れ流した。
僕には、そないに大それた言霊を操る力なんてあらへんて!……知らんけど。
しかしてほどなく、僕の元に、一件の電話が回されてきたのである。
「もしもし、小近衛さん。うちのこと、覚えてはる?」
「あぁぁあ、そんなあっ、女王様! あれ以来、如何お過ごしでしたか? 新しい依代は見つかりましたか?」
夢見心地で質問を重ねる僕をくすぐるように、低い笑い声がした。
「ううん。うちは、ずーっと、お船に縛られたまんまや。あんなぁ、うち……これから一仕事するねん。おおかた、最後の大仕事や。けど、それまでちょっとだけ時間があるから、お喋りでもせえへん? プライベートなこととか、なぁ?」
僕に異存があるはずもないが、それはもはや相談電話ではない。
「うちのこと心配してくれはって、おおきに。ほんまに嬉しいわ。そやから、小近衛さんのお名前、教えてくれへん?」
僕の喉笛が、ひゅっと音を立てた。
実は、付喪神に限らず、妖怪にフルネームを教えることには、特別な意味がある。僕は、それを重々わかったうえで、「小近衛光祈です」と名乗ったのだ。
「……ええお名前やね。ほな、光祈さん、すぐに掛け直すよって」
女王様は一旦電話を切ったが、僕が慌てることはなかった。今時の妖怪で、有力な者は、名前を知る相手に非通知で架電することができるのだ。
僕は、私物のスマホに掛けてある魔除けの術を解いた。女王様に対する歓迎の意を示すために。
するとたちまち、着信音が鳴り響いた。見れば、非通知と表示されている。
「もしもし、女王様!」
僕は、喜び勇んで電話に出た。
「もしもし、わたし、メリーさん。メリー・アントワネットであるぞよ! 今、そなたの後ろにいるぞえ!」
僕は耳を疑った。そして、死んだ魚のような目になった。
それはもちろん、女王様の声ではなかった。まるで幼女のような声が、決まり文句を含んだ口上を仰々しく述べたのだ。
僕が仕方なく振り返ると、古びたフランス人形が一体、いつの間にやらふよふよと宙に浮いていたのである。その首がもげて、布一枚で繋がっている辺り、「メリー・アントワネット」という名乗りも、だいたい合っているのかもしれない。
メリーさん——それは、持ち主に捨てられた人形の付喪神である。都市伝説として盛んに語られることで、その言霊の力により、新しい個体が次々と生まれているようだ。
付喪神の代表格は、昔なら唐傘お化け、今ではメリーさんと言っても過言ではない。
僕は、女王様からの電話に有頂天となり、自分がいかに香ばしい霊媒体質なのかすら、うっかり忘れていた。
スマホの魔除けの術を解いたせいで、元々僕の体を狙っていたのであろう別の付喪神に割り込まれたというわけだ。
パンがないならお菓子を食べれば良いなんて言い放ったとかで、ギロチンで処刑された某国の王妃に寄せたであろうネーミングは、元の持ち主の趣味なのか? 知らんけど……知ったことか!
「おまえに食わせるパンもお菓子もあらへん! あまつさえ、この僕を食わせてやるわけにはいかん! おらおらおら、ぶぶ漬けでもどうやーっ!」
僕は、常日頃から豊富に備蓄してある破魔札を、どばどばとメリーさんへと投げつけた。
因みに、古来、この界隈では、ぶぶ漬けを勧めるのは「
宙に浮いたフランス人形は、たちまち、無数の破魔札からなる蓑を纏ったミノムシさながらの姿となり、ぼたりと床に落ちた。
「いと、をかし……グフッ」
メリー・アントワネットは、ちょっとばかり味な台詞を言い残して、活動を停止したのだった。
僕は、その傍らに片膝を突いて、脱力感に苛まれた。とはいえ、もう一度着信音が鳴り響くや、「とりゃっ」と飛び上がって電話に出たのだ。
「これって、どういう浮気なんやろねえ……」
今度こそ女王様の玉声だった。しかし、その第一声からして、メリー・アントワネットによる割り込みをご存知のようだった。
「あぁぁあ、誤解ですよ! 僕はただ、女王様を熱烈大歓迎したかっただけなんです!」
僕は、羞恥を主成分とする血涙を流しそうになった。
「光祈さん、あんたぁ……」
彼女は、言葉を切った。そして、早鐘と化した僕の心臓が十回以上打つ間、たっぷりと溜めてから、
「初恋、まだなん?」——と、クリティカルに言い放ったのである。
「いやいやいや、なんでそないなこと訊かはるんですか?」
「そないに動揺せんでも。
僕は、憮然として頬を膨らませた。
「どうせ、まだですよ。まあ、幼い頃から、陰陽師としての修行に明け暮れてましたから。僕は、同業者の中でも特に大容量の霊媒体質やから、魑魅魍魎から身を守るために、修行、修行、また修行の日々やったんです」
いつか、恋人に、「今日、うちに来る?」なんて、さらっと言ってみたいだけの人生やったかもしれへんな……それも、現在進行形で……とも思ったが、そこはなんとか、口には出さず、胸の内に留めたのだった。
僕が溜め息混じりに言葉を切ると、彼女の沈黙が伝わってきた。それが、またもや僕を不安にさせた。
「艦隊には、曇天が似合うんよ。お船とおんなじような色したお空に、すーっと吸い込まれてしまいそうやなぁなんて思えて。うちみたいな女にとっては、曇天も艦隊も、なんや保護色みたいで安心できるんかもしれへんね」
やがて、彼女は、そんなことを言い出した。なんだか、話をはぐらかされてしまったようだ。その、なんとも柔らかな京言葉が、僕の耳を潤すのは相変わらずだったけれど。
それにしても、艦隊? 漁船や客船のことをそんなふうには呼ばないだろう。いったい彼女は、どんな船に取り憑いているんだ? 曇天のような色をしているということか?
「え……灰色の人生ってことですか?」
人生という表現が、付喪神にマッチするかどうかはともかくとして、僕は尋ねずにはいられなかった。
「まあ、そやね。思い出すわぁ……うちは、その昔、初恋に夢中になったんよ」
昔? そうだ、付喪神相手に人間の時間感覚を当てはめるべきではないだろう。女王様は、もしかしたら、僕が生まれる前から、女王様であらせられたのかもしれない。
「初恋に有頂天になってた当時は、うちの世界は、薔薇色いうか、虹色いうか……それはもう、キラキラと輝いてたねん。けど、相手の男にこっぴどう裏切られてしもて……それからこっちは、ずーっと石みたいな灰色や。初恋が、最初で最後の恋になってもうた」
僕は、思わず深呼吸した。
「最後の恋やなんて、言わんといてくださいよ、女王様」
そんな言葉を紡ぐために、僕は、地球上の酸素を全て吸い尽くしてしまったかのようだった。
「そんなん、僕の立場が
「おおきにな。そやかて光祈さんは……日本人の、京都の陰陽師やろ?」
女王様の口振りには、なぜか、不信感の棘が生えていた。それは、日本人に対して? それとも、京都の古めかしい土地柄に対してのものなのだろうか?
「うちは、日本の生まれやあらへんよ? 日本の陰陽師に連れて来られて、言霊の力でお船に縛り付けられてしもてん。もう、三十年くらい前のことやから、いつの間にやら、こっちの言葉も覚えてしもたわ」
流暢な京言葉ゆえに、俄かには信じ難かった。しかし、僕の中で、和服美女として凝り固まっていた女王様のイメージを、国際色豊かに訂正したほうが良さそうだ。
「すごい! 国際派でいらっしゃったんですね! まるでネイティブのような京言葉ですよ!」
「もぉ、そこなん? きっと、そういうとこなんやで……光祈さんに、うちの何がわかるん?」
女王様は、俄かに語気を強めた。
「うちは、お船に縛り付けられる前は、盾の付喪神やった。初恋に破れた後、もう誰も信じられへんようになって、やんちゃして暴れ回ってしもたんよ。そしたら、賞金首みたいなことになってしもて、英雄気取りの男に、文字通り首を取られてしもてん。そんで、その生首を盾に嵌め込まれてしもたんえ?」
彼女の身の上話は、あまりにも数奇で、僕は、ただ聞き入ることしかできなかった。
「うちは、やんちゃを償うために、お船として三十年、盾としては三千年以上もの間、それはもうぎょうさんの敵をやっつけてきたんや。けど、とうとう限界が来てしもたみたいやねえ」
そして、女王様は、僕が知る限り最も乾いた笑い声を立てた。
「光祈さん、そろそろ時間切れや。もしも、うちを救いたいと思うてくれはるんやったら、うちの真名を呼んで! そしたら、力を使い果たした抜け殻みたいなうちでも良かったら、そっちへ行けるかもしれへん……」
僕は、ゴクリと喉を鳴らした。昔々、スフィンクスに謎解きを挑まれた旅人もこんな気分だったのだろうか……
妖怪が陰陽師など術者の名前を知ることに意味があるように、術者にとっても妖怪の名前というものは有意義だ。その真名を言い当てることができたなら、召喚することが可能となるのだ。
僕は、陰陽師であって名探偵ではない。でも、ここは頭をフル回転させなければ!
彼女は「三千年以上もの間」と言った。額面通りに受け取るのなら、紀元前の古代から存在しているということになる。
今時の都市伝説などとは別格だろう。民話……いや、それどころか、神話で語られていそうな存在ということになる。それも、外国の……
閃いた! そうだ。神話に登場する盾と同じ名で呼ばれる船があるじゃないか!
今日も、女王様から最初に電話があった日にも、緊急速報が出ていた。そういう事態に欠かせぬ船といえば——イージス艦である。
そして、イージスの盾に首を嵌め込まれていた怪物といえば……
ああ、「ずーっと石みたいな灰色」などと彼女が言ったのも、正体を匂わせてのことだったのかもしれない。
僕は、万全を期すために尋ねた。
「あの、女王様におかれましては、ミサイルを石化したうえで撃墜あそばすということでよろしかったでしょうか?」
しかし、返事はなかった。そうだ、タイムリミットなのだ。
僕は、覚悟を決めて詠唱を開始した。
「我、小近衛光祈の名において命ず。
古代ギリシア語で「女王」を意味するというその名を、僕は、全身全霊で呼んだのだった。
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