第3話 さよなら、へ
彼女はさっきの文庫本を示した。『薬師転生 ~君を愛することはできないと言われて棄てられましたがアロマセラピストの前世知識で翡翠の森のモフモフたちとまったりハーバルライフ! もう私を追わないでください~ ②』。
「これもうすぐ新刊が出るはずだったんです」
「マジすか」
それは、なあ……俺はスマホを出して検索してみた。
「あ、本当だ。三巻出てるし四巻の告知ありますよ。あとコミカライズもしてる」
「ええーっ」
彼女は涙目になる。続き、気になるんだろう。ていうか暇だからなあ。読みたいよなあ。
「わかった。俺がこれ、お供えします」
仏頂面で俺は申し出た。
徳を積むんだと思えばいい。この本を自腹で買って、普段通らないここまで届けに来るだけだ。うん。
「ありがとうございます!」
感激の面もちで礼を言いながら彼女は俺の手を握ろうとした。それがスカッと空振って悲しい顔になる。ああもう。
俺はさわれない彼女の手を、ゆるく両手で包んだ。これでどうよ……あれ?
「本、めくれるんですか?」
「私のためにお供えされた物ならさわれます。事故後すぐはお花とかお菓子とかありましたので、経験済みなんです!」
「そうなんだ」
じゃあお菓子も持ってくるか。この人が少しでも安らかになれるように。
「読んだら成仏できるといいですね」
「……でも、続きが気になっちゃいそうです」
「あああ……」
俺が頭を抱えるのを見て彼女はコロコロ笑った。
「完結まで、お願いできませんか? そうしたら時々あなたとおしゃべりできますし。そうだ、今日行った会社に就職決まらないかなあ。そしたら毎日会えるかも」
俺は目が点になった。幽霊にタゲられただと。
確かに俺好みに可愛いし会って話すぶんには文句ないけど、呪い殺されたりしないかな。いや、このぼんやりさんにそんなことできないか。
だけど毎日会うなんて、恋人みたいだ。幽霊相手にそれはどうよ。
「……ずうずうしいですね。ごめんなさい」
俺は困った顔をしていたんだろうか、彼女がふと寂しそうに謝った。
「こんな風に話してくれる人は初めてだったので、つい」
「あー、いえ。就職のこと考えると憂鬱で」
誤魔化して笑うと、彼女はふわりと笑顔を返してくれた。
「就職活動、大変でしょう。無理を言ってごめんなさい。今も長々お引き留めして」
深々と頭を下げてくる。
「いや、いいんですよ。今度この本買って、また来ます」
「――ありがとう」
彼女は泣きそうな声で小さく言った。俺はペコリとし、ちょうど青になった信号を渡った。
そうだよな、見知らぬ幽霊のために本の差し入れなんて、本当にしてもらえるかどうかわからない。俺が来なくたって地縛霊の彼女にはたぶん何もできないだろうし、泣きたくもなるだろう。
横断歩道の反対側で振り向くと、彼女は俺を見送っていた。俺の視線に気づいてスッと背筋を伸ばす。
左腕、右腕。
客席を指し示すように両手をゆったり広げる。右足を後ろに引き、体を折って、礼。終演時のプリマドンナのように。
そうやって人生にも幕をおろせたらいいのに。どうして彷徨っているんだよ。せめて本の続きを読むことで少しでも成仏に近づけるといいけど。
なんでそこまで同情するかというと、生きてるうちに出会っていたら彼女のことを好きになったかもしれないから。
変かな、そんな風に思うのは。見た目はどストライクだし、話せばちょっと変だけど面白い。踊りは綺麗だ。
幸せにしてあげれば、彼女はちゃんと終われるのかな。
この世にさよならを言って、今みたいに優雅な挨拶をして、それから空に昇るんだ。でなきゃ可哀想じゃないか。
俺は彼女に小さく手を振って背中を向けた。いつの間にか日が傾いている。
彼女はここで夜も過ごすのか。何だかたまらなくなった。
成仏させてあげたいな。本だけじゃ駄目かな。恋もしなきゃかな。相手、俺じゃ駄目かな。
俺、彼女を好きになりそうな気がするんだよ。だから彼女も俺のこと、そうなってくれたなら。恋愛が成就したら成仏できそうじゃないか。さわれないから超絶プラトニックなんだけど。
そこで俺は思い出した。
『私のためにお供えされた物なら、さわれます』
……え、それ。人も?
えーと、えーと、えーと。
これに関しては要検討検証、生き物はお供えできるのか。
俺を彼女への供物にしたらプラトニック以上の事ができる、かもしれない。そこまでの恋愛成就を期待してもいいんだろうか。
でも、うっかり巻き込まれ成仏しちゃいそうだな。あんなにウブっぽい人に昇天させられる(比喩じゃなく)なんて笑えない。
――まあ今それはいいや。まだ恋になったわけじゃない。ただこの先、彼女に会いに行き続けたとしたらそんな未来もあるかもな、という話だ。
とりあえず俺は、電車に乗ったらやるべき事を思いついた。彼女が死んだ事故について検索する。
彼女の名前が知りたい。
次に会いに行った時、きちんと彼女の名前を呼ぼう。そして俺も名乗るんだ。俺たちはそこから始まるかもしれない。
彼女の「さよなら」に向かって。
さよならを踊る交差点 山田あとり @yamadatori
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