これってもしかして
大隅 スミヲ
これってもしかして
胸が苦しかった。
ちょっと熱っぽいのか、顔が熱い気がする。
僕は上司である田中課長に断りを入れて、会社を早退することにした。
病院で色々と検査をしてみたものの、特に身体の異常はみられなかった。
40年生きてきて、こんな経験は初めてのことだ。
「精神的なものかもしれないね」
僕を担当した老医師は、つるりと禿げ上がった頭をなでながら言った。
「美味しいもんでも食べて、ゆっくり休みなさいな」
診察室から出ていく僕の背中に、老医師はそんな言葉を投げかけた。
本当に病気ではないのだろうか。
だったら、これは何なのだろうか。
僕は何かモヤモヤとしたものを抱えながら、病院を後にした。
病院から帰ると、アパートの部屋で敷きっぱなしになっている布団で横になり、寝そべりながらコンビニで買ってきた少年マンガの雑誌を読んだ。
会社には、検査をして特に異常は無かったという旨のメールを入れておく。
しばらくして、スマートフォンが鳴った。
ディスプレイには、会社の電話番号が表示されている。
「もしもし」
「あ、田中さん。佐藤です」
電話を掛けてきたのは、佐藤さんだった。
佐藤さんは、僕よりも年下で後輩であるのだが、僕の上司で課長という立場にあった。
「大丈夫でした?」
「あ、ええ。検査を色々としてもらいましたが、特に異常は無いそうです」
「そっか、良かったです。明日は出てこれそうですか? もし、まだ調子が戻らないようだったら休んでも大丈夫ですからね」
「あ、ありがとうございます」
佐藤さんの声を聞いていると、なんだか胸の鼓動が速くなっていくような気がした。
それに顔がとても熱い。
なんだ、なんなんだ、これ。
「じゃあ、また明日」
そう言って電話を切った後も、胸の鼓動は速いままだった。
また、これだ。
あの時も、こんな感じで胸が苦しくなったのだ。
ああ、何なんだよ、これっ!
僕は布団の中でひとりジタバタと苦しんだ。
その時、隣の部屋の住人であるタロさんが帰ってきた。
タロさんは、僕よりも年上の50歳独身だ。
僕は玄関まで這っていくと、タロさんに助けを求めた。
「タロさん、聞いてください」
「なんなのよ」
タロさんは面倒くさそうな顔をして言う。
「実は、胸が苦しいんです」
僕はタロさんにすべてを話した。
会社を早退したことも、病院に行って異常無しと言われたことも、上司である佐藤さんからの電話でドキドキが再発したことも。
「ああ、それは恋だな」
「え?」
「恋だろ、どう考えても。お前40年も生きてんだから、恋のひとつやふたつ……」
そうタロさんに言われて、僕は俯いた顔をあげることが出来なかった。
そうか。これが恋なのか。
最初は「これってもしかして」と思っていたんだよ。でも、僕も40だ。今更、初恋なんて……。
翌日、出勤すると佐藤さんに挨拶をした。
「おはよう、田中さん」
佐藤さんは笑顔で挨拶をしてくれる。
これってもしかして……。
これってもしかして……。
これって、もしかして……。
そう、この物語は、40歳のおじさんの初恋という、気持ち悪い物語なのである。
つづかない……。
これってもしかして 大隅 スミヲ @smee
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