乗るはスライダー、流れるはコンテンツ、滑る先には決定論。


 未来の世界にあるウォータースライダーは、下へと滑る間「物語」を投影してくれるステキなものだった。
 自分を含む「物語」の視聴者のコメントも反映されて一体感も得られるという仕組みだった。コメントを見たいがために何周も同じ「物語」を滑りにいく人もいるほどだ。

 自由度は一。チューブの経路に沿って、前進だけが許される。

 これは私と、一方通行の人生と、反復される経験の話。



 この作品はタグにもある通り「少し不思議」だ。
 
 物語なのか、エッセイなのか、現実にあるもので構築されたフィクションというか。
 架空のものと、非架空なものが平然と同居していて、境目がはっきりしない。

 この作品のテーマと思しき部分も、読む人が「共感する部分」に委ねられていて、人それぞれになりそうだった。


 以下は個人的な見解となる。

 未来を知る叔父さんや、中学の同級生や、自分の母親。
 思い出と呼ぶには輪郭の薄い、ぼんやりとした振り返りの中で、自分が現時点まで「滑ってきた」経緯をゆっくり噛み締めていくかのような話だった。

 一方通行で制御の利かないスライダーは、後ろを振り向いている間も、前へと滑り続ける。乗る人物の都合は考慮されない。
 薄情とか、悪いとかではなく、最初からスライダーとはそういうモノなのだ。

 その性質故に何度も滑り続けていけば、体感的に「分かってくる」。今自分がどうなっていて、この後、自分が一体どうなっていくのか。
 まるで「以前に同じ場所を通った」かのような感覚も生まれるだろう。

 そういった経験は別に、未来のウォータースライダーである必要もないだろう。
 ふとしたきっかけで、自分の位置が以前と違っていることに気付くことがあって、その繰り返しで、流れの向きと、その先に控えているものを悟る……