第134話 異なる限界
体力の限界、というものはある。
他にもスポーツにおいては、色々な限界が存在する。
バッター、つまり野手においては、目の限界が一番問題である。
どれだけの優れたバッターであっても、40歳前後に動体視力は衰え始める。
平均球速の速いMLBをクビになった外国人選手が、それなりに通用したりするのは、NPBの平均球速はまだ、MLBには及ばないからである。
大介の場合は、まだまだ目に衰えはない。
だが疲れやすくなったかな、とは思わないでもない。
MLBのあの狂気のような移動日程は、本当に辛いものであったのだ。
だからこそ集中力が落ちたわけだが、日本の場合は夏場の暑さを除けば、移動スケジュールなどがかなり楽だ。
これで集中力が戻り、またおかしな数字を残したのが去年の大介である。
三冠王以外にもほとんどの打撃タイトルを獲得し、ホームラン数は異次元の領域へと。
MLBの記録は更新したが、NPBの単独の記録はまだ遠い。
現時点で644本。
もっともほとんどの人間は、既に大介が世界記録の達成者だと認めているのだが。
日米通算で1500本オーバー。
こんないかれた記録は、絶対に二度と出てこないであろう。
直史のパーフェクト達成回数の方が、更新するのはまだ現実的だ、と思われる可能性はあるが。
どちらもおそらく、人類には不可能である。
子供たちの世代も怪物ぞろいであるが、このあたりは別格なのだ。
大介の場合は、人間の力の延長線上にある。
しかし直史のピッチングには、それでは説明のつかないところがある。
ありえないところに投げる、打てないように投げる。
やっていることを説明すると、それだけになる。
だがどうやってそれをやっているのか、それが分からないのである。
一般的なピッチャーは、データが少ないほど打ちにくい。
FAなどで移籍するピッチャーが、違うリーグを選ぶ理由の一つがこれである。
だが直史の場合は、自分のデータを取られたところで、何を投げてきてもおかしくないということが分かるだけで、逆にバッターのデータが向こうに渡っていく。
対戦すればするほど、打てなくなっていく。
それがやがて自信を失わせ、選手生命自体を折ってしまうことになるのではないか。
ブリアンなどはそうだったかもしれない。
もちろんそれだけ、というわけではないだろうし、ある程度の成績は残した。
だが直史を打てないということを、普通のバッターなら諦めてしまうところを、なまじ才能があるだけに認められなかった。
そこに怪我による戦線離脱もあり、バッティング感覚が狂ってしまった。
彼だけでなく、そういうバッターはいるのではなかろうか。
最初のNPB時代などは、そこまでひどいものではなかった。
支配的な恐怖のピッチャーになったのは、おそらくMLBのラスト二年間からではないか。
そして引退試合から五年以上のブランクの間に、一度はその力を失った。
だが復帰して一年しないうちに、またその境地に至った。
大介は直史に勝ちたい。
単純にホームランを打ったから勝ちだとか、チームが勝ったから勝ちだとか、そういうものではないのだ。
もっと本質的な部分から、直史に勝ちたい。
それが野球に、半生をかけてきた自分にとっての果実である。
直史は巨大な壁ではある。
だがそれは、大介にとってはありがたい壁であったのだ。
常に自分を上回るピッチングを想定する。
それに対する自分のバッティングを想定する。
そういうことをやっている間に、ほとんどのピッチャーは打てるようになった。
打てないのは直史のもっている特徴から、大きく外れたタイプのピッチャー。
たとえばサウスポーのピッチャーであれば、それだけで有利であったろう。
ほとんど変わらないが、大介はややサウスポーを苦手としている。
あとは上杉や武史のような、常識外のパワーピッチャー。
今でもMLBには数人、160km/h台の後半を投げるピッチャーはいる。
だがそれはスピードだけで、大介にとってはカモでしかなかった。
スピードは一つの基準だが、あくまでも要素の一つに過ぎない。
動体視力が落ちるまでは、大介にとっては特に問題ともならない相手である。
新しい直史のピッチングは、いったいどういうものなのだろう。
いずれにしろ去年の終盤のような、ひどい削り方にはならないと思いたい。
確かに消耗戦は、一つの戦略である。
だが贅沢な大介は、完全な状態の直史と戦いたいのだ。
それで散々に負けていながら。だが、勝つまではやってやるのだ。
負ければ負けるほど、勝利の瞬間を予想して、より強くなれる。
目標は高く、そして遠いほどいい。
もっとも大介も自分の選手生活が、残り短いことぐらいは分かっている。
なのでもう、ほとんど一期一会、勝負が成立するからには、それが最後と思って戦うぐらいの必要がある。
もっと気軽に戦った方が、結果はいいものになるのかもしれない。
だが戦闘意欲は、追い詰められればゾーンに入っていく。
命を賭けてでも、あの領域に入っていくしかないのだ。
天才と凡人を分けるのは、一つには集中力というものがある。
集中して何かをやっていたら気づかないうちに時間が経過していたという人間には、集中力という武器がある。
もっともこれは過度の集中であったりすると、逆に障害扱いされたりもする。
周囲に全く注意が払われないことがあるからだ。
後に天才と呼ばれる人間が、幼少期にこういった判定をされてしまうことはある。
本当の天才というのは、この集中力を自分で、状況に合わせて高めていくことが出来るものなのかもしれない。
その点では、直史も大介も天才だ。
そして昇馬も、やはり天才であるのかもしれない。
直史から学んだ、変化球の練習。
それによる投げすぎを防ぐため、最初から投げる球の数を決めて、籠の中に入れておく。
いつの間にか全部投げていた、というのが望ましいのだ。
昇馬は右ではストレートとスプリット、この二種類だけを投げることにしている。
そもそもトルネード投法で投げる右は、まさにこの二球種でおおよそ打ち取れるのだ。
ただ個人的には、やはり左を磨いた方がいいのだろうか、ということは考えている。
投球理論では父よりも役に立つ、伯父に聞いたところ両方で投げるのはいいと言われた。
むしろこれによって、壊れにくくなるという理屈である。
また体軸をしっかりとさせるのにも、これは役立つのだという。
昇馬は長身でありながら、ダンスも出来たりする。
これは単純に、アメリカでは180cm台のダンサーなどざらにいるからである。
様々なスポーツなどをやらせた方が、子供の才能は伸びる。
それで嫌がれば、それはやめさせればいい。
ダンスなどはそもそも、ツインズが教えられるのだ。
このダンスの素養は、まさに昇馬の体幹を鍛えるのに役立ったろう。
ピッチングの時に、そのメカニックの途中で体が流れていると感じれば、そこから一気に修正してしまえるのだ。
山歩きなどで疲れにくいのも、この体幹の強さがある。
直史なども相当にバランス感覚はよく、体幹は強い。
だが筋力の違いなどがあるにしても、体幹の強さは昇馬の方が上と感じたものだ。
まだ高校に入る前。
確かにアメリカにも、高校生で100マイルを軽く超えるようなピッチャーはいた。
だがそういうピッチャーはおおよそ、圧倒的に故障もしやすい、腕の細さがあったのだ。
昇馬は腕に撓りがあるが、それでも充分に筋肉もある。
ここから150km/hオーバーを投げてくるのだから、それは相手が大変であろう。
自分が高校生であったなら、とんでもないチートだと思ったはずだ。
そんな昇馬の様子を、大介を迎えに行くついでに、ちょっと見てみたことがある。
なんと自分でバスケットボールのゴールリングを作り、それで遊んでいたりした。
あとはアメリカからもって帰ってきたものとしては、釣竿やギターなど、本当に色々と多趣味である。
それだけ色々なことに手を伸ばせるほど、親が金持ちであったということもあるのだが。
佐藤家の兄弟には、許されなかった贅沢である。
野球に全てを捧げるわけではない。
むしろまだ、選択肢は多い方がいい。
なんならアメリカの大学に行ってもいいし、国外なら他の国でもいい。
「俺もピアノはやってたけど……ああ。それでひょっとしたら、左手の方が変化球を投げやすいのかな」
ギターは右利きの場合、左手を多く動かす、というイメージが直史にはあった。
すると本来の昇馬は右利きなのか。
「普通に右利き用のギターしかなかったからかなあ」
弦を張りなおせば済むのだが。
高校生にまでなれば、ある程度は将来の選択肢を絞っていくべきだ。
直史の場合はそうであったが、昇馬はまだまだ、自分の可能性を拡大していっている。
スポーツの才能はあるが、別にそれに固執することがないというのは、直史に似ているのかもしれない。
同じスポーツであっても、バスケットボールという選択肢もあるのか。
ただNBAの選手になるには、ちょっと身長が足りない気もするが。
「ギターは弾くのか?」
「アメリカだと、ギター弾けるのって普通だけどね」
そしてアコースティックギターを爪弾く。
当然のように、英語で歌っていく。
(聴いたことのある曲だな)
ボブ・ディランの風に吹かれて。
ノーベル文学賞を取った作詞家の歌なので、知っていても全くおかしくはない。
ただ歌詞の内容はけっこう過激というか、反戦フォーク曲である。
「アメリカには五年間いたけど、野球以外はあんまり何もしなかったな」
「伯父さんはあんまり、アメリカのことは好きじゃなかったみたいだね」
「どうだろうな。音楽だったらQUEENとか好きだけど」
「QUEENはイギリスのバンドだよ」
「……マジ?」
「マジマジ。ビートルズもストーンズもキンクスもピストルズもツェッペリンもピンクフロイドもレディオヘッドも」
「いや、知らない名前が多いけどな」
直史はそれほど洋楽に詳しくない。
そもそも昔は、イリヤから受け取った曲ばかりを聴いていた気がする。
そういえばイリヤもアメリカ以外の国籍を持っていたような。
昇馬はそのあたり、本当に多趣味であると言ってもいいのだろう。
直史は自分と野球の関係を、かなり運命的なものだと思っている。
おそらく本当に通用しなくなるまで、この世界から逃れることは出来ない。
しかしそれはむしろ、直史にとっては望ましい。
どうせ投げるのであれば、絶対に勝ちにいきたいからだ。
怪我をしない程度に投げる、という選択肢はもう、今の直史にはない。
故障して投げられなくなっても、もういいのだ。
必要であったのは、去年の成績である。
あとは父親としての姿を見せる。
今日の昇馬は、山歩きの日であるらしい。
「あれだけ自由にやってて、日本の学校に溶け込めるのかな?」
「アメリカの学校は授業とかには厳しかったし、そこは問題ないと思う」
楽観論ではなく、大介は昇馬については心配していない。
大自然の中であろうと、あるいはスラムの中でも、どうにか生きていく力を持っていると感じるのだ。
下の子供たちは、かなり普通の感性に育ってくれたが。
山歩きは、亡くなった祖父と一緒によくしたのが直史だ。
釣りなどはあまりしなかったが、ガチンコ漁などは教えてもらった。
なお現在では違法行為である。
「なんだかんだ言って、田舎で暮らしていると人間力が高くなる気がするな」
「俺の東京時代も、けっこう田舎だったな。普通に山とかに入っていったし」
「西東京か。……そういや、昇馬の件でちょっと問題になってたな」
シーズン中であったので、瑞希が対処した問題であったが。
昇馬は暴力を振るうことに、ほとんど躊躇がない。
相手が女性であっても、そういうことを考えないのだ。
子供であっても例外ではなく、ただ老人にだけは警戒心が薄い。
直史の知る限り、他に似た感覚の持ち主が一人いる。
アレクである。
ブラジルの都市部では、普通にアメリカのスラムのような場所がある。
アレクの場合は富裕層ではなかったが、幸いにもスポーツが出来る環境ではあった。
そこでなぜ、初期投資が大きな野球を選んだのかは、MLBがジュニアチームを作っていたというのが背景にある。
結果的にMLBでも10年ほど一線でプレイしたのだから、成功例ではあるのだろう。
引退後はアメリカ国籍を取っていたので、ブラジルにはあまり戻っていないらしいが、時々連絡は来たりする。
アメリカのファンドに資産運用を任せて、悠々自適なのだとか。
下手な儲け話に手を出さず、スター級の活躍をしながらも散財をしなかった。
賢い引退選手の代表例なのだろうか。
あとは農場を買って、経営しているとも聞いた。
MLBだけではないが、アメリカでは四大スポーツの選手以外にも、アスリートに向けた引退後の資産運用に関する、講習会があったりする。
それがなくてもアレクの場合は、MLBで10年は働いたので、年金の対象者だ。
もっともそれがなくても、おそらく生涯年俸は300億円は超えていた。
実は直史よりも稼いだ額は多い。
実働期間が多かったからで、織田などはさらに多かったりする。
もちろん一番多いのは大介であるが。
野球は興行であるのだから、スーパースターが稼げるのは当たり前であると言ってもいい。むしろ稼げなければ問題がある。
引退後の破産というのも、よく言われているものであるが。
昇馬はそういった、虚飾に紛れた世界には、あまり興味がないような気がする。
彼にとっての実感は、大自然の中の方が多いのだろう。
大介は自分が育児をしたという実感がない。
それに気づいているだけでも、まだマシだという話ではあるだろう。
ツインズが二人であったし、それでも多忙な時はシッターを雇っていた。
夫は外で稼いでくればいい、というのがツインズの家族観と言えたであろう。
ただそれは夫婦の間では良かったかもしれないが、子供の成長にあたっては、戸惑うところも出てきてしまう。
昇馬のやりすぎになりかけた正当防衛もそうである。
アメリカ基準で見れば、昇馬の振るう暴力は必要なものだ。
だが日本であれば、過剰なものとされる可能性がある。
キャンプインまでの短い間に、ツインズと一緒にそれについては話そうか。
大介はこの年齢になって、子供のことについて悩んでいる。
ただ昇馬には、反抗期らしい反抗期はなかったようであるが。
真琴には少しあった。自我の確立とも言えるであろうか。
こんな会話をぼんやりと、直史と大介は行ったりする。
大介はあまり意識していないが、直史は子供たちの成長と共に、自分の幼少期から青年期、そして両親のことを意識する。
それで思ったのだが、大人というのは思ったほど大人ではない。
社会での役割を果たすために、大人としての外面を身につけるようになるのだ。
そもそも本当に大人な人間は、子供の頃から大人である。
直史自身も、そう思われていたりするのだが。
子育てなど、上手く行かなくて当然。
たくましく育ってくれれば、腕白でも構わない。
現代の日本だけではない、先進国によくある問題は、どうも文明の過渡期にある問題のような気がする。
先進国の少子化と、地球人口での人口増加。
ちょっと発想が飛躍しすぎて入るが、直史がよく考えることである。
虚業の存在の価値について、直史は考える。
スポーツ選手、ミュージシャン、芸術家、作家などである。
これらはなくても生きていけるが、なかったらとてもつまらない世の中になるとも思っている。
そんな中でもスポーツ選手に求められるのはなんであろうか。
それはやはり、人間の肉体の持つ、可能性への挑戦だと思うのだ。
単純に言えば、投げるボールのスピード。
170km/hが出た瞬間、スタンドは大きく沸く。
そういった分かりやすいものに対して、直史はどうなのか。
もっと手順を踏んで、さしずめ映画のように、試合を最後まで見せていく。
瞬間を捉えるスポーツとは、パフォーマンスの種類が違うと思うのだ。
それが直史を、バグと感じる異質感の正体だろう。
直史は決められている終結へ向けて、ピッチングを行っていくのだ。
脚本のないドラマであるが、直史は即興で、それを演じていく。
直史の投げる試合には、つまりドラマ性がある。
記録を作ることがあるという試合が多いのもあるが、直史の投げる試合では、途中で帰る観客が少ない。
それだけ最後まで観客を逃さないのだが、試合が決まってしまえば駐車場が混む前に帰ろうという層にとっては、困ったピッチャーであるのかもしれない。
普通ならありがたい戦力である。
パーフェクトの達成する瞬間を、野球場で見たい。
そんな期待に応えることは上杉でさえ、ほぼ達成していない。
だが直史の場合は、シーズンの試合を半分も観戦すれば、だいたい一度は体験することが出来る。
MLB時代は振り回すバッターが多かったので、さらに回数は多かった。
およそ五試合見れば、一度はパーフェクトをしていたのが、あの頃の直史だ。
根本的に違うのは、こういう部分であるのだろう。
他のスポーツも含めて、多くは打ち上げ花火のようなもの。
その中に一つか二つ、特大の花火が混じっている。
しかし直史は、クラシック音楽の演奏や、バレエの演目のようなものだろうか。
もちろん一部分を切り取ってみてもいいのだが、全体を通してテーマを感じさせる。
おそらくそのテーマは「パーフェクト」であろう。少なくともそれを目指している。
間もなくキャンプインであるというのに、直史は復調してこない。
ある程度のピッチングはしているのだが、あれなら大介は打てると思っている。
今年の試合のスケジュールは、既に出来てはいるはずだ。
だが楽しみにするため、大介はまだそれを見ていない。
レックスは開幕を、直史にしてくるだろう。
ただキャンプで調子が上がらなければ、それも変更するかもしれない。
これで活躍できなかったら、直史は給料泥棒と言われるかもしれない。
だが活躍は既に、去年前払いしている。
MLBに行った時も、ポスティングで大きな金額が動いた。
総合的に見れば、直史は大きくレックスに貢献している。
そういった点では見ずに、目の前の成績だけでファンは評価するが、それは素人であるのだから仕方がない。
レックスは一応、オースティンの抜けた穴になるかどうかはともかく、外国人の新戦力獲得には動いている。
去年のセットアッパーの中から、誰かをクローザーに回すべきか。
ただクローザーというのは、先発ローテのエース以上に、適性の少ないポジションである。
普通ならばどのチームにも、一人しかいないものなのだから。
そして直史は、実績だけならクローザー向きだ。
クローザーというポジションに必要なのは、幾つかの要素がある。
単純なところであると、奪三振能力と、低い与四球率。
確実に三振でアウトが取れて、フォアボールでランナーを作らないというところだ。
あとは回復力と耐久力というのも、一年を通して投げるなら必要だ。
短期的なスタミナは必要ないが、長期的なシーズンを通して投げるスタミナは必要である。
レックスは去年、セットアッパーとクローザーの勝ちパターンのピッチャーは、ほぼ三連投をさせずに済んでいる。
実際のところ、セットアッパーの寿命は短いと言われている。
現在のピッチャーのパフォーマンスで投げていれば、肉体のダメージが抜ける前に、次の登板が回ってくるからだ。
一年を通してリリーフ陣を壊さなかった豊田は、立派なブルペンコーチである。
直史の年俸が10億でも高くないのは、このあたりにある。
完投率の高さから、リリーフ陣を使わなくて済んだ試合が20試合以上もある。
おおよそ期待できるリリーフピッチャー二人分の仕事は、確実にしていた。
なのでやはり直史をクローザーに持って行くと、このあたりが崩壊してしまうので、やはり先発で使うべきなのだ。
一人で20勝以上もしてしまうピッチャー。
決して負けることがない。
さらには極めて高い完投率。
これを代えることは出来ないので、契約の条項に先発で扱うというのも、あっさりと決めることが出来たのだ。
クローザーというのはよほどの例外を除いて、勝っている試合でしか使われないものであるのだから。
(ブルペンコーチは変わらないしな)
豊田も続投である。
レックスは首脳陣はさほど代わらなかった。
だが一軍と二軍の、バッティングコーチが入れ替わっているそうだ。
直史がいない間に、レックスで活動していた野手である。
直史よりも年下であったりするあたり、本当に自分がもう、この世界の現役としては老人なのだと思う。
レックスでは最年長であるし、その下は二歳下の緒方であるのだ。
これがライガースであると、また今年も大原は現役続行らしい。
なんだかんだ、イニングを食えるピッチャーは重要である。
一応他のチームまで見れば、直史より年長の選手はいないではない。
例えばMLBまで飛んでも、まだ織田は現役である。
直史よりも一つ年上なのだからたいしたものだが、さすがに全盛期の輝きはなく、長打が大幅に落ちている。
NPBでは同年齢以上となると、目立った選手はほぼいない。
プロに入ったときの若手でさえ、もう大ベテランとなっている。
それだけの時間が経過したのだ。
自分と大介、そして武史。
40歳以上のシーズンとなる選手で、今年の主力となりそうなのは三人だけだ。
いや、しぶとく大阪光陰の毛利が、パ・リーグのスタメンに残っていたりもするが、彼も今年で40歳か。
一軍というなら後藤が代打で残っていたりもする。
しかし甲子園や、大学で対戦した選手はほとんど、もう引退しているのだ。
スポーツ選手の儚さというところであろうか。
その中では身体能力が高くなく、技術と駆け引きで勝っている直史が残るのは順当なのであろう。
そして異次元の身体能力を持つ大介が残るのも。
上杉も怪我さえなければ、45歳ぐらいまでは投げたような気もする。
もしそんなことになっていれば、サイ・ヤングの勝ち星を上回ったかもしれない。
直史のボールに、安定感が出てきている。
SBCのトレーナーは、そのことに驚いている。
球速はもう、さすがに限界なのではないかと思う。
そもそも直史は、パワーロスの少ない投げ方をしているのだ。
だからあれほど細い体格であっても、150km/hが投げられたわけである。
しかし肉体の衰えは、もう限界ではなかろうか。
トレーニングに入る前に、しっかりと柔軟やストレッチを行っている。
その柔軟性は、確かに40歳のものとは思えない。
また体幹のインナーマッスルを、地道に鍛え続けている。
これによってパワーロスをさらに減らそうとしているのだ。
だがあえて体軸を傾けて投げると、むしろ面白いボールになっていたりする。
基本的には野球が一番の専門である施設である。
千葉や東京東部に住むプロ選手も、ここを訪れる者はいる。
そしてレジェンド二人の姿を、横目でちらちらと見ていたりするわけだ。
直史も大介も、パ・リーグの選手にはあまり詳しくない。
大介はまだしも福岡の選手は調べたが、今年は千葉も上がってくる可能性は高い。
昨年のシーズンは二位であったのだから。
こっそりと二人のトレーニング内容を聞いてくる選手もいる。
その場合はもちろん、洩らすことは出来ないと言うしかない。
「ただ、私は柔軟とインナーマッスルを鍛えることをオススメします」
こう言うだけであるし、これで察しないならそれは愚かである。
ただトレーナー自身がそもそも、直史のやっていることは直史だけにしか効果がないか、あるいは前提とする他の技術が必要なので、とも思ったりはした。
いよいよキャンプインとなる。
レックスもライガースも沖縄であるが、まずは空港への集合がある。
直史がタイタンズを敬遠したのは、東京ドームがホームランの出やすい球場という以上に、30分前集合などの暗黙の了解が嫌いだったからだ、などとも言われる。
一度は髭を伸ばそうかと思ったこともあったが、あまり濃くならないのでやめた。
シーズンが始まればともかく、それまでは一ヶ月は家を離れることとなる。
愛娘が受験の今年、父親としてはフォローをしてやりたいのだが。
「もういいから、行ってきて」
この一年ほどの、明史のために生活の全てを捧げるという期間は、むしろ親子関係の改善に役立ったようである。
それまでは年頃の娘に、ごく普通に敬遠されていた直史である。
だが客観的に見れば、真琴のお父さんはとんでもなくかっこいい、スーパースターなのである。
日本シリーズには進めずに終わったが、シーズンMVPの投票でも二位に入っていた。
レギュラーシーズンで優勝できたら、おそらく一位であったろう。
そしてこのかっこいいお父さんでいられるのは、おそらくあと一年か二年。
それ以上の年齢まで第一線で戦えるピッチャーなどというのは、ほぼいないのだ。
リアルタイムの活躍を、子供に見せることが出来るプロの選手が、どれだけ少ないことであるか。
ただ鬼塚の家などは、父親がプロ野球選手であったからこそ、逆に野球をしづらかったという面はあるらしい。
そう思うと真琴が、女の子ながら野球をしているのは、かなり珍しい例であると言えるだろう。
新しいシーズンの前。
己の限界は、おそらくは年齢の限界。
誰かとではなく、自分自身の衰えとの戦いが始まる。
×××
第九部 了
第十部 Forever 魂の継承 へ続く この後すぐ19時に公開
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エースはまだ自分の限界を知らない[第九部]REBIRTH エースの帰還 草野猫彦 @ringniring
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