第23話 仕掛け

 サブプライム危機からドル売りが加速され、急速に上昇した円高。その後のリーマンショックを経て円相場はコントロールを失った。


 民政党はこの問題に何の手立ても打てず、政治は迷走している。マスコミは都合の悪い事は報道せず、国民はなかば呆れ中小企業は嘆き苦しんだ。


 終わりの見えないデフレ不況。


 財務大臣の口先介入にも動かないトレンドに対して、ついに日銀が動いた。


 二兆円の円売り介入だった。



「えっ!? 日銀?」

 慌てるディーラーたち。

「日銀だ! 日銀が介入したぞ!」

 ポジションの差し替えと、利益を得るチャンスを伺う慌しい現場。誰もが損をしないようにと考える中。

「おいっ!」

 ポンドが上昇を始めた。ギリシャ問題を解決し南欧を経済圏に納めた英国は好調である。

「くそっ! ポンドだ!」

 加速する資金の流れ。

 一斉に円が売られていく。

「ど、どこが売っているんだ……協調介入?」

 円が買い戻されずポンドに資金が流れたのだ。



        ※※※




「むふふ、計画通りだわ」

 ここにアキトがいれば、ほくそ笑むクリスを見てどう思っただろうか?

 悪魔の乙女がここにいた。

「ママ? どれくらいで売るの?」

 傍らでチャートを眺めるアイラに声をかける。

「まだまだ」

 ここはウインストーン家の命綱というべき場所である。投資の専門家が集まり世界中にアンテナを張っている。

「引っ掛かってくれたわね」

 ヘッジファンドが円を使って仕掛けをしようとしている。この情報を掴んだのはアキトからだ。正確にはマルタの修道院を通じてなのだが、これを英国が利用しない手は無かった。


「ハゲタカの資金を根こそぎ吸い上げてやるわ」

 ポンド危機の敵を取ろうと狙っていたのだから。

「アキトの新事業の上前を跳ねようなんて、させるわけ無いじゃない」

 大規模エネルギー事業を日本で行う。財団はそのための調査機関である。


 意図的に流した情報だ。


 円高に乗った連中は今頃慌てているに違いない。

 なにせ日銀だけでは無く、イングランド銀行も介入したのだから。そして確認は取れてはいないが、複数国がそれに乗っている。

 ドルに流れた資金をポンドに誘導しているのもそうだ。つられてユーロも上昇している。


「通貨高に耐えられえるのは我々だけ」

 現在上り調子の英国経済は、豊富な資産を蓄えていた。もちろん国としてではなく、B・H社を中心とした民間企業だ。

 核にしろ魔法薬にしても、替えのない物だ。アキトによって国内に創世された産業が失業者を吸収していき波及効果で好景気になっていた。黙っても売れるのなら自国通貨高が苦にならない。

 しかも利益は積極投資しているから、どんどん資産は巨大になる。


「アメリカを頼っても無駄よ」

 資金がポンドに流れた後に、アキトの財団がそろそろアメリカへの投資を発表する時間だ。内容は軍事分野への協力を含めた大規模なものだ。アメリカ政府も無視できないだろう。

 そして発表直後にアメリカに投資する。大規模にだ。

「さて連中はどこまで耐えられるでしょうかね?」

 大英帝国が再び、世界のトレンドを握った瞬間だった。



        ※※※




 部屋の中には甘い香りがしていた。

「美枝さーん! すっ、凄いことになってるんですけど!?」


 ここは西新宿にあるビルの中。アキトが日本に設ける財団を設立するために借り受けてある。

 貸主はもちろんウインストーン家の出資する外資だ。

 ここで経理いや、現在は金融のスペシャリスト佐川美枝が資産の運用を行っているのだ。


「まだまだ大丈夫よ」

 外見はほんわかしているが、中身はスーパーコンピューター。これまで相場を外した事が無い。

 連戦連勝で勝ち進む彼女は磨きぬいたスタイルに包まれていた。具体的に言えばボンキュッポンである。


 ウインストーン財団の資産担当重役から、猛烈なプロポーズ受けるほど妖艶な魅力に満ちている。

 もっとも本人はアキト以外に目もくれないのが。


「……大丈夫って」

 ごくりと喉を鳴らした藤枝沙月はチャート画面を見てビビッていた。

 元気と若さに溢れ、自信の塊の様な沙月の腰が引けるくらい利益が出ているのだから。

 ウインストーン財団から情報をもらえるといっても、何処まで本当なのか不安なのだ。

 八十八円から始まった円相場は急速に下落している。

 あっという間に九十五円を超え現在は一〇五円を付けていた。


「うん、一一二円で利確しましょう」

「ええっ! まだ七円も?」

 驚くのも良くわかる。円ショートをレバレッジ最大で運用しているのでどこで利益を確定するかだけなのだが、何時どこで反転するか分らない。

 そのくらい金融取引は難しいのだ。


「信じて沙月。アキトくんのお金無駄にしないからね」

 ここ最近とくに綺麗になった美枝のどこからその自信がくるのかと思ったときに、見ているモニターに着信が来た。


「よし! 利確して」

 メールを確認して、叫んで取引を終えた瞬間。

 美枝は新たな指示を出した。


「次はポンドよっ! 売り時を外さないで頂戴!」

 円ではじまった取引は、すぐにポンドと世界を回る。

 インサイダー取引の無い外国為替証拠金取引(FX)。もちろん一般の投資家が手に入れられる情報など知れているのだが。


「ふふっ、イングランド中央銀行もやるわね」

 アキトの傍だと特別だった。

 こうして、後に復讐の木曜日と呼ばれた相場は終わった。

 その日ヘッジファンドが失った資金は膨大だと言う。

 海外でも投資銀行の経営悪化がささやかれた。行方不明の投資家も多かった。昨日までこの世の春を謳歌していたのにだ。

 日本でもいきなり社宅を解約され、レイオフされた社員が続出するなど外資系金融機関は大騒ぎした。


 しかし混乱は一部に留まる。


 アメリカの連邦準備制度(FRB)は早々に融資に乗り出したし、アキトが発表した投資計画に乗って各地から資金が流れたのだ。

 もちろん原資はヘッジファンドから巻き上げた資金なのだが、ニューヨークの株は上昇した。


 日本では急速な円安を受けて、当然ながら株価は上昇。これまで民政党政権が言っていた事が間違いだと気づき始めた連中もいる。

 相変わらず財界は政府の無策を批判しているが、少しだけインフレに振れはじめた経済になりそうだ。


 もっとも日銀に不安はあるのだが……。



        ※※※


「即急に経済の安定をはかり、円安是正に邁進します」

 昨日までと百八十度違った総理の国会答弁だ。

 開かれている臨時国会の質問を受けて、心なしか顔色が悪い様子。


「韓国に緊急スワップ拡大とは? 如何なものか?」

 野党自保党が今後の政府経済政策をどう考えているのかという質問を出した。

「そ、それに関しては、アジアの安定という……」


 お隣の韓国が悲鳴を上げた。泣きついたともいう。

 普段は腰の重い政府は、これを受けてスワップの増大を発表したから国会は紛糾している。

 総額百三十億ドルを七百億ドルまで増やすという。

 もっともこの答弁は予定調和で、自保党も積極反対をしていない。


 そして連日韓国が深刻な経済失速だとニュースで伝えられ、日本経済に悪影響を与えると報道されていた。



        ※※※



 数日後。

「もぐもぐ、美味しいわね」

 ここは京都にあるすき焼きの名店『○嶋亭』である。

 京都の三条河原町から西に歩けばアーケードを抜けて歩くと正面にカニの看板が見える。その向かい側にあるのがこの店だ。

 京都には美味しい店は沢山あるのだがすき焼きと言えばここである。


 すべて仲居さんがやってくれるので、座って待っていればそれでいい。

 話は変わるが焼肉なら木屋町の『肉料理 荒○』もおすすめだ。


「餅麩はまだよ」

「お肉どうぞ」

「はいはい、おネギいかが?」

 言われたまま食べる。食べる。食べる。


「いやぁん、お肉柔らかいーい」

 頬を緩めて身もだえしながら食べるのは沙月でくねくねと忙しい仕草だ。

 対照的に秘書モードを崩さず佐倉夏希はアキトの世話を焼きたそうだ。


「追加追加追加」と普段とは違い、必死モードなのは美枝さん。

 そう、誰もがすき焼きは大好きなのだ。

 ここに集まっているのは英国に残っているクリス以外のメンバー。

 これから日本でアキトを支える連中である。

 そして女ばかりなのはいつもの事。

「生きてて幸せってこれのことよね?」

 明石早苗も幸せそうで、招待したアキトも満更でもない。


 祝勝会を兼ねた食事会。

 言葉にすると簡単でも儲けたお金はとんでもない。

 二十億ポンド。一度の取引で個人で上げた利益としては桁外れだ。これの他にB・H社の分もある。

 これが今回使う資金だ。


「それで最初は何からするの?」

 そう資金はたっぷり。

 個人の助成財団と考えればかなりの事が出来る。


「そうだな、まずは地質調査と考古学調査は始める。後は小児医療の補助と発電施設」

 もともと魔素だまり、いわゆる龍脈と龍穴の調査が目的だ。これは予定通りで皆も納得した。

 小児医療は英国で成功したし、核を使った発電施設も簡単だろう。


「その後は……奨学金だな」

「奨学金?」

 助成財団なのだから奨学金事業は不思議では無いのだが。

「そう。日本人の学力向上のために奨学金を出すよ。それで一応国籍で制限する。もちろんその他の国も国籍に紐づける」

 女たちは計画を聞いて驚いた。


 各国それぞれに『国籍条項を設ける』と言ったからだった。


 一様に首を傾げる。


「世界を相手にする企業を持つアキトが何故?」と、いまさら国籍条項を設けるメリットの意味が分らなかったからである。

 いや逆にデメリットになるのでは無いかと思ったのだ。

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錬金経営術 鐘矢ジン @kenta19640106

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