10話

「おい、ほんとに大丈夫なのかよ」

「しつこいな。道は覚えてるって言ってるだろ」


 助手席となりで不安げにする陽彦に、ハンドルを握った聖二が応える。

 まだ日も昇らない暗いうちから、雪上車は集落を背にして発進していた。


「問題ないよ……多分。そもそも一方向に進んでいくだけなんだから迷いようがないさ」

「聖二は山を舐めていると思う。すっごく不安」

「なんでお前は山を知ったふうな口なんだよ」


 努めて明るく、というわけではないが――できる限りみな、いつも通りにふるまった。来た時とは違い、愛海は後部左側の座席に座って呆然としている。


 本人は帰りも自分が運転すると言い張ったが、まだ無理をするなと皆がめた。

 聖二とて別に自信に溢れているわけではなかったが、愛海のことはしばらく休ませ、それでいて速やかにあの集落から離れてしまいたかった。


 住人たちは逃げ惑うでも、あるいは怒り狂うでもなく、分厚く固いパイクリート製の家々にこもりきっていた。無表情・無反応のまま、彼ら自身の意思を喪失したかのように。


 大人たちは勿論、後から生まれたとおつぐらいの子たちまで例外なくそのようで、残念ながら救えそうにはなかった。


 王を失った冬獣ニフルスの群れはじきに滅びる――人をもとにし、長年抑制されていたこともあってか、彼らには例外的な挙動が多かったが。

 その終わりの運命からは、おそらく逃れられないだろう。


 唯一の肉親である父と生まれ故郷とを、愛海はうしなった。

 円蓋ドームには、陽彦や聖二や深雪の両親がいる。父と自分がやろうとしたことの重みを、ようやく理解していた。


 人間のことを、未だに同類とは思っていないけれど。多くの狩人たちに、今の自分と同じ悲しみを振り撒くところだったのだ。

 この胸の痛みはきっと、受けるべき報いなのだろう。

 そしてこれから先も、きっと色んなことに傷つきながら、自分は生きていく。


 ワイルドハントとしての目覚めは、陽彦たちにとってはただ福音ふくいんだったかもしれないが、愛海にとってはある種の喪失そうしつでもあった。

 関わっていくあらゆることを、もう誰のせいにもできはしない。


「……みんな、ずっと一緒にいてくれますか?」


 問いかけた言葉に、三人が深く頷く。

 それだけが唯一、いまの愛海に残された救いだった。



※※※



 太陽が空へと昇り、青ざめた月が掠れていく。

 雪面の傾斜が緩やかとなり、やがて平らとなって、しばらく走った頃――見慣れた英数字の標識を見つけて、ようやく聖二は安堵した。あとはもう目印を辿っていくだけだ。


 少し休もうと雪上車を停めて、そこで火を焚いた。荷箱コンテナに積んだままだったわにの肉をかまにくべて焼き、皆でかぶり付く。

 珍しく愛海も血液以外の経口食を求めたので、取っておいた配給のかゆを聖二が出してやった。父のことがあったばかりで、血を受け付ける気分ではなかったのだろう。


「ありがとうございます……おいしいです、温かくて」

「ああ、なんせ僕は温め名人だからね」


 冗談めかした言葉に、愛海がようやくくすりと微笑んだ。


 食事を終えたあと、火を片付けて一息つく。


「なあ、誰も苦しまなくていい世界って、あると思うか?」


 遠くの空を眺めながら、陽彦が漠然とみなに問いかけた。


厳冬フィンブルヴェトが来る前は、そうだったんじゃないの?」

「その頃も、紛争や問題は絶えなかったらしいけどね。まあ、五十億もの人間が生きていたっていうぐらいだ。いまと比べれば、遥かにマシだったとはいえるのかもしれない」


 途方もない数だった。現実にそんな時代があったなど、今を生きる四人には想像すらも難しいほど。


「無理やり終わらせたりすることは、できなかったんですよね?」

「ああ。かつて試みた国があったけど、うまくいかなかったよ」


 それが人間たちの社会が出した結論だった。たかが数名の狩人が、ちょっとした境地に立ったからといって変わることなどない、目の前に横たわる現実。


「おれらでやんねえか。クソみたいな厳冬を、ぶっ殺すんだ」


 どこまで本気なのか分からない声で、陽彦がそう提案する。


「悪くないね。何から手をつけたらいいのかも分からないけど」

「お前に分かんねえなら、おれにも分かんねえけどよ。あの『聲』みたくとんでもないモン見せられた後なら、おれたちだってなんかできそうな気がしねえか?」


 それもそうだとみな頷いた。陽彦は外套コートのポケットを探り、煙草の箱を取り出して中を見ると――一本だけ抜き出して、残りを三人の方へと差し出した。


「ちょうど残り三本だ。お前ら吸うか?」

円蓋むこうで配給が再開してるか、分からないですよ?」

「いや、今これ吸ったら、禁煙しようと思うんだよな」


 その言葉に、みなが驚いた。特に深雪が、わざとらしくるようなしぐさをしてみせた。

 それを無視しながら、陽彦が続ける。


「別に、早死はやじにしたっていいと思ってたんだけどよ。ジジイになるまでかかるかもしんねえし」

「ああ、確かに。それにどのみち、ずっと一緒に居てあげなきゃいけない子もいるしね」

「仕方ないから、手伝ってあげる。あなたたちどうせ、私抜きじゃ大したことできないだろうし」

「みんな一緒なら、きっとできちゃいますよ。もしかしたら、拍子抜けするぐらい簡単に、当たり前に」


 ライターの小さな火を皆で分ける。混ぜ物だらけの安っぽい多幸感に脳みそをひたす。

 凍てついた世界の中心で寄り添う四本の煙が、晴れ渡った空に立ち上っていった。


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凍てつきのワイルドハント 霰うたかた @9_dokumamo

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