番外編

セオドアお兄さまとアイス


「セオドアお兄さま、わたし冷たいアイスを食べてみたいわ」

 彼女が撫でるのは、セオドアがヘイエルダールの城から持ってきた絵本のうちの一つ。小さな女の子に読み聞かせるならばと乳母が選んでくれた、アイスを作る女の子のお話だった。

 温暖なマクルージュでは再現できない食べ物だ。

「セオドアお兄さまは食べたことあるの?」

「うん、もちろん。ヘイエルダールに生まれた子はみんな知っているよ」

「いいなあ……」

 クロエは小さな手で頬を抑え、うっとりと絵本を見つめていた。その横顔が可愛くて、セオドアはつい頭を撫でたくなって――思わず浮かせようとした手をすぐに手を止める。

 いけない。彼女は妹のような存在だけど、れっきとした侯爵令嬢なのだから。

 セオドアは撫でる代わりに、クロエの顔を見て提案した。

「いつかヘイエルダールにおいで。甘いアイス、たくさん食べよう」

 クロエはパッと喜色を浮かべる。しかしすぐに困った顔になった。

「食べたいわ……でもお母さまにだめって言われるかも。むし歯になるから」

「大丈夫。ヘイエルダールで食べる時は僕が説得するよ」

「ほんとうに? ……いいの?」

「うん約束だ」

「やくそく!」

 セオドアが小指を差し出すと、クロエは嬉しそうに小指を差し出す。

 ヘイエルダールは隣国との関係悪化で、毎日少しずつくらい情報ばかりが増えている。そんな辺境伯の嫡男として厳しく学ぶ日々を過ごしているセオドアにとって、無邪気なクロエはただただ、心の救いだった。

「僕もクロエと一緒にアイスを食べるの、楽しみにしているよ」


 ――そして長い年月が過ぎ。クロエがヘイエルダールに来て最初の冬が来て。

 セオドアは今、ついにアイスをクロエの前に用意していた。

「これが……アイス……」

 すっかり美しい令嬢に成長したクロエが、あの頃と同じ表情で嬉しそうにアイスを見つめている。セオドアは感慨深い思いで見守っていた。

「いただいてよろしいのですか?」

「君のためのものだよ。遠慮なく」

「夢のようです。……では」

 いただきます、と口にして、クロエがそっとスプーンで掬って口に入れる。エメラルドの瞳を丸くして、口元に手を添え、クロエはセオドアを見て小さく頷いた。

 表情をみているだけで、彼女がどう思っているのか明らかだった。

「美味しいです、セオドア様……」

「そうか、よかった」

 セオドアもほっとして微笑む。クロエが幼い頃から抱いていた期待に添えるだろうかと、セオドアの方も緊張していたのだ。

「ようやく約束を果たせてよかったよ」

「はい。……セオドアお兄さま、おいしいです」

 ん? と思う。

 クロエは気づいていないらしく、夢中になって少しずつ白いアイスを口に運んでいる。

 まあいいか、と思って様子を眺めていると、急に、クロエがみるみる真っ赤になっていく――どうやら、遅れて気づいたらしい。

「あ、あの……セオドア様……」

「お兄さま、は辞めたのかい?」

 少しからかう調子で言ってみると、クロエは口元を押さえて耳まで赤くする。

「あ……小さな頃の時の気持ちになって、つい……ああ、ごめんなさい」

 顔を押さえて真っ赤になるクロエに、くすぐったいような愛おしいような心地になる。

 普段は楚々とした様子を崩さないクロエのうっかりは、なんて可愛らしいのだろう。

「いいよ。その呼ばれ方も好きだったからな。これからも『お兄さま』に戻すかい?」

「戻しません、だってセオドア様はお兄さまではありませんし、その……」

「ふふ、冗談だよ」

 らしくないことをするくらい美味しくて嬉しかったのかと思うと、セオドアも嬉しい。

 次第におかしくなって、二人でくすくすと笑い合った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【中編版】捨てられ花嫁の再婚ー氷の辺境伯は最愛を誓うー まえばる蒔乃 @sankawan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ