【4-20】 仮住まい 下 はじめての……♡

【第4章 登場人物】

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 帝国暦385年12月深更、アリアク城塞郊外――石造りの借家で、キイルタ=トラフは1人、上官の帰宅を待っていた。


【地図】ヴァナヘイム・ブレギア国境 第2部

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330668554055249



 今日もまた、仮住まいの留守番だ。


 カチコチと壁時計が時を刻む。3階建メゾネット式の内部は3LDKと、主従2人で暮らすには十分な広さである。


 長らくアリアク城塞の司令官を務めたダグダ=ドネガルが、増え続ける隊商従事者や流入者を受け入れるために用意した帝国式建物だ。


 ブレギア西端都市での隊長・女副長の共同生活は、半年に及ぼうとしている。


【4-1】 ぐーたら参謀の新婚生活? 上

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 2人は交易関係者の体で借家に住みこみ、とある企てに精を出していた――オーナーたる女児准将コナリイ=オーラムより裁可を得た特殊任務である。


【4-3】 ぐーたら参謀の新婚生活? 下

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16818023214001323424



 上官・セラ=レイスは、この日もまたとの宴席だ。毎度毎度、くだらない相手のほら吹き話に、よくもまあ辛抱強く付き合っているな、と感心する。


 はじめは彼女も同席したが、あまりにも低俗な男であった。射殺した方が世のため人のためと、腰のホルスターに手を回して以来、留守居を命じられている。



 リビングの暖炉に火を入れ、トラフが目を落としているのは小説だった。


 蜂蜜色の髪の後輩レクレナ少尉から、帝都を発つ際に渡された一冊だ。



 テーマは「上官との禁断の恋」。



 蜂蜜頭いわく、そこにはが全て詰まっているという。


 抜け駆けしたら許しませんぞぉ~、などと訳の分からないことも口走っていた。なるほど、彼への想いは胸に秘め、この恋愛小説で我慢していろ、ということなのだろう。


 普段、経済書や史書ばかりをたしなんでいるトラフにとって、お子様向けの物語を手に取るなど、笑止である。別れ際に後輩から押し付けられた小説のことなど、すぐに忘れた。


 大海アロードを渡る2週間の航海中、持参した書籍にあらかた目を通し終え、彼女は手持ち無沙汰となった。暇つぶしを探そうとトランクを開けた折、この本が転がり出たのだった。


【世界地図】 航跡の舞台 ブレギア国編

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「……」

 トラフは鼻を鳴らして、その赤い表紙を開いた。









 ところが、どうしたことだろう。彼女はこの小説にハマってしまった。





 この日、読み込むこと8巡目だ。耽溺どハマりしたと言えよう。





 セリフもあらかた覚えてしまっている。物語に香水トワレの種類も変えたほどだ。


 主人公の女士官が、上官とは幼馴染なのがツボだった。


 つらい任務、素っ気ない上官――思わず、己の境遇を照らし合わせてしまう。という奇声を漏らしながら。


 物語は、トラフが一番好きなシーンに差し掛かるところだった。


 たび重なるすれ違いの末に、誤解が解けて……上官が後ろから優しく抱きしめてくれる……。



 玄関のドアが開く音が聞こえた。


 セラ=ライス上官が帰宅したのだろう。


 出迎えねば――名残惜しさを感じながらも、トラフは本を閉じる。ほうッと吐息を口にしつつ。


 居間を抜けると寒さが身にこたえるが、下腹部に力を込めてに戻る。灰色の瞳に張りが戻った。



「お疲れ様でした」

「……うん」

 レイスから受け取った外套コートは冷え切っている。


 上官に元気がないのは寒さのせいだろう――草原の地の冷気は重く刺すようであり、帝国本土のそれとは比較にならない。


 11月以降は室内でもニットが常着となった。冬季にいたり、彼はいつも寒い寒いと、震えている。


 トラフは、すぐに紅茶の準備に取りかかろうと、キッチンに立った時だった。


 ――!?

 背後から、何かが覆いかぶさった。外套?いや違う、それは玄関のハンガーラックに掛けて来た。


 弾力があって少しだけあたたかい。それに、ちょっとした重さ――何が起こったのか、彼女は即座に理解できなかった。



 お腹まわりでクロスしているのは――上官の袖、か。



 後ろから、彼に抱きしめられている。



「ふわぁッ??」

 あまりに驚いたため、くぐもった奇声を上げてしまった。ティーポットの蓋が転がる。


「あったかい」

 彼はもう少し引っ付きたいのだろう。彼女の髪留めを邪魔そうにしている。


 トラフは、アルコールの臭いをわずかに知覚する。


 ――お酒を飲んだの!?


 上官は酒が飲めない。一滴も、だ。



 珈琲ですらミルクとお砂糖たっぷりを好む。味覚については、完全なお子様なのだ。


第1部【1-2】 歓迎会

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 ここのところ、との宴席が続いていたものの、飲酒はすべて回避してきたはずだ。睡魔に負けたはずみで、誤ってアルコール入りのコップに――はわぁッ!?思考が乱れる。


 側頭部に、上官が鼻を当ててきたのだ。


「香水、変えたのか。いい匂いだ」

 彼の声が、耳にそそぎこまれてくる。



 早鐘のような鼓動を鎮めることができない。


 鼓動とともに、頭が体が火照ほてってくる。



 もう何も考えられない。


 気が付いたら長椅子ソファに2人で腰掛けていた。



 この先、どうすればいいのか――。



 その昔、お世話になった女医――白髪童顔ジト目――から夜の行為についてレクチャーいただいたことがある。


 何も知らない女学生に、先生はドヤ顔で力説されていた。だが、そのご高説は、肝心カナメのところで言いよどみ……「殿方にお任せじゃ♡」という、至極不透明で説得力に欠くものだった。


第1部【9-31】 読心術

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 はじめてのことゆえ、トラフとしては、その身を彼に委ねるしかない。


 大きな手が、そつなく頭部後ろに回る。留め金がはずされ、長い髪が落ちる。


 蒼みがかった黒髪へ、愛おしそうに唇が当てられていく。


 ――あらがえない。


 彼の口元が髪から耳、首筋へと進む。触れられた先から、うずきが生まれていく。


 彼のてのひらが、頭から肩そしてゆるやかな曲線を這いつつ胸部へさしかかる。


「そこは……」

 トラフは、甘い吐息を漏らす。


 全身が熱い。内側からじんじんと痺れていく。








「……?」


 彼の動きが止まった。



 眼を閉じたまま、しばらく待つ。



 だが、彼が求めてくる様子がない。




 ――??

 片目をわずかに開く。



 乱れた前髪のはざまに見えたのは――彼女の腹部に紅髪をあずける上官の姿であった。両目は閉じられ、すやすやと寝息をたてているではないか。



 壁時計は25時を回っていた。上官はの時間だ。


 彼は暇さえあれば眠っており、12時間寝続けることもざらである。


 ただでさえ、酒席の付き合いで夜更かしが続いていた。今夜は帰宅するので精一杯だったのだろう。


 ――お、重い。

 彼は、トラフのお腹の上に顎をのせて、歯ぎしりまでし始めた。夢のなかでも、駆け引きをしているのだろうか。




 数日後、トラフはダイニングテーブルに銀製の小さな水筒を並べた。やや湾曲した形状のものを3本。


「……何これ?」

「酒席にご持参ください」

 きょとんとする上官に彼女は言う。相手にアルコールを喫しているように見せかければよい、と。


 こうして、レイスは水入りスキットルを懐にしのばせ、宴席に臨むことになった。


 いずれにせよ、に終わってしまった先の夜のことを、上官はまるで覚えていないようだった。その後しばらく警戒期待したが、を受ける気配もうかがえない。



 ――くそう。

 トラフは、赤い表紙の本を再び手に取った。


 今日は、香水を強くふり過ぎたかもしれない。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


2人の絡みにドキドキしてくださった方、

子どもに何を教えているのか、童顔女医にツッコミを入れたくなった方、

🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


トラフたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「ザブリクの3日囲い 上」お楽しみに。


「敵城塞司令官より、電文が届きました」


「なにッ」

「まことかッ!?」

ブレギア軍総司令部の大天幕では、マセイ=ユーハ・ダン=ハーヴァ等若き幕僚たちが、通信係に詰め寄る。


早すぎる降伏の申し出であった。

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