【4-29】 アリアクでの蠢動

【第4章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16818023213408306965

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「お疲れ様でした」

 アリアク城塞郊外は石造りの貸家――裏庭の厩舎に、キイルタ=トラフは迎えに出ていた。


「それほど疲れてない」

 セラ=レイスは、その長身に白い外套がいとうを翻しながら、馬から飛び降りる。


「こいつはなかなか良かったぞ。騎馬民族の伝統衣装は伊達じゃないな」

 帝国うちの軍服に比べて、馬上での疲労が極端に少なくてすむ――レイスは白い布を広げるようにしておどけてみせた。


「……」

 時折見せる子どもの頃の面影――上官がはしゃぐ様子を、トラフはもう少し眺めていたいと思う。


 それにしても、彼女も何度か袖を通しているが、確かにブレギアの民族衣装は機能的に優れていた。


 ゆとりのある作りが、揺れる馬上でも手足の負担を軽くしてくれる。白い生地は降りそそぐ陽光を散らし熱を籠らせず、一方でマントの前を締めると機密性が高まり、騎手が受ける風を遮ってくれた。


 ブレギアの宰相貴婦人が愛用していることも、うなずけるというものである。



 部屋に入ると、黒髪の副官はティーカップを渡しながら尋ねる。

「ご首尾はいかがでしたか」


「欲の皮の突っ張ったヤツを動かすことなど、さほど難しくないさ……」

 紅毛の青年将校は琥珀色の液体を口に含む。そして、不遜な笑みとともに唇を歪めた。

「……心の底にある欲望の火種に、そっと風を送ってやればいい」

 

 言葉とは裏腹に、彼の口調は終始投げやりだ。


 金髪女児上役から命じられたからこそ、レイスは立案係に続いて実行係も引き受ける形となった。


 それは、人間のみにくい一面をあおるお役目だ。自ら講じた策ながら、心底胸糞悪いらしい。


 ――紅茶で正解ね。

 このように時の上官は、珈琲(砂糖・ミルク入り)ではなく紅茶(レモン付き)を欲することも、彼女は心得ていた。


 彼は下戸なので、やけ酒は飲めないのだ。


第1部【12-33】花びら ④《第12章終》

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16817330650052619679



***



 ブレギア領・アリアク城塞は、旧ヴァナヘイムとの国境地帯に位置する。


【世界地図】 航跡の舞台 ブレギア国編 第4章追記

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16818093075431061948



 いまから38年前、第八皇子・フォラは草原の地・カーヴァル家へ帝室から送り込まれた。御家乗っ取りの養子として。


 そして14年前、帝都でのオーラム家との闘争に敗れた彼は、草原へ亡命し、ブレギア国を立ち上げる。


 国内外の敵対勢力を平定していく過程で、彼はアリアクの地について、その重要性に気が付いた。


 そこで、宰相・ラヴァーダに命じ、もともとこの地に存在した中規模城塞に対して大改修を行わせている。



 城塞司令官は、フォラとともに下野した帝国貴族・ダグダ=ドネガルが務めてきた。


 ドネガル家は、帝国皇族で皇位継承権を持つ名門であるが、ダグダは盟友・フォラを支え、常に期待以上の働きをしてきたのだった。


 この国境沿いの要衝が改修を終え、国内随一の城塞に生まれ変わるや、ブレギア前国主は、ただちに彼を同城塞の司令官に任じている。そこからも、フォラがドネガルをいかに信頼していたかが分かる。


 事実、「ブレギアの門番」としてのドネガルの存在は、非常に大きかった。


 彼は、皇族という派手な血筋とは無縁のように質朴しつぼくであったが、ここでも黙々と任務に邁進し、与えられた以上の成果を出し続けた。


 ダグダには、クイル・ケフト・グレネイという異母弟たちがいたが、3人は結束して長兄をよく支えた。


 内政統治面のみならず、純軍事面としての力量も抜きん出ていた彼らドネガル4兄弟の存在により、隣接するヴァナヘイム国は、アリアク地区へうかつに手が出せなくなったほどである。



 ところが、そのダグダもこの数年は体調を崩しがちであった。


 フォラは志の半ばで病に倒れ、レオンの御代へ――時代は移ろいゆく。


 盟友の子息は、アリアク城を拠点として出兵を繰り返した。


 先代の背中に1日も早く追いつきたい――そうした思いが満ち溢れるかのように戦いを求めた。そんな2代目をダグダは引き続き精一杯補佐する。


 彼は兵馬・糧秣・弾薬を国内からかき集め、場合によっては国外から買い揃えて、滞りなく前線に送り続けている。


 同時に周辺の豪族たちへのにらみも欠かさず、安定した納税や公共工事への平等な使役を振り分けていく。


 戦時の兵站へいたん維持と平時の内政掌握という激務は、ダグダ兄弟を疲弊させ、確実にドネガルの命数を削っていった。



 帝国暦385年9月28日、ダグダもついに病に勝てず、この世を去ったのであった。前国主・フォラに遅れること、わずか2年後のことであった。


 シイナ軍が撤兵したのを見届け、ブレギア宰相は、東の国境から首都・ターラに帰還した。彼はそこで知らされる――西の国境をヴァナヘイムおよび帝国から守り抜いてきた重臣の死を。


 この無慈悲な訃報に、冷静沈着なラヴァーダも動揺を隠せなかった。震える細指から通信筒がすべり落ちたほどである。


【4-5】 宰相の帰還

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16817330662314173869



 ブレギアでは、国主が身罷みまかり、新国主派・前国主義弟派・譜代将軍派と各派閥間での相剋そうこくが、日に日に深刻さを増していた。


 派閥融和のため、ラヴァーダとしては、彼にはまだまだ活躍して欲しかったのである。




【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


当たり前のことを当たり前にきちんとこなすことの難しさ。

居なくなって初めて気が付く、その人物の重要性――。

ダグダの冥福をお祈りください。



【予 告】

次回、「心得違いと鬱屈と」お楽しみに。


簡素な葬儀の後、息子のネイトがドネガル家を継いだ。


だが、彼は父とは大いに異なり強欲で、血族・カーヴァル家を継いだばかりのレオンの下に付くことすらいさぎよしとしなかった。


それは、多分に父親よりも母親からの影響が大きかったといえる。


いつの頃からか、ボアヌは幼い息子に対して説き続けるようになっていった。ドネガル家の血統の重さを、先祖が帝国でどのような地位にあったのかを。

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