【映り移る『私』の鏡】

落光ふたつ

映り移る『私』の鏡

「うん、今日も良い感じっ」

 手鏡に映る前髪を右に流して、その出来上がりに『私』は微笑む。

 そんな喜びが口に出ていると、隣席の友人が気だるげに指摘してきた。

「最近アンタ、ずーっと鏡見てるよね」

 と指さされるのは『私』が持つ手鏡。黄色い柄と縁の、一見普通な代物だ。

 でもちょっと前に手に入れたこれが、『私』には何よりのお気に入りだった。

「なんかこれで見ると良い感じになるの。どう?」

 今日の髪の仕上がりもバッチリと主張して見せるも、友人はまるで興味がないみたい。

「ふーん。まあいいんじゃない?」

 適当な相槌だけ打って、彼女はまたいつものように机に突っ伏した。

 女の子なんだからもうちょっと身なりには気をつけないと、とお節介なことを思い浮かべつつ、『私』は再び手鏡に視線を戻す。

 ショートカット。長めの前髪は耳の方まで流していて、最近挑戦した髪型なのだが、これが何だか見事に『私』に似合っている。

 だから少しでも完璧からズレるとすぐに修正したくなって。

 そうして授業が始まる直前まで、『私』は自分の鏡像に向き合っていた。



「あれ……ない。鏡がないっ。ねえ知らないっ?」

「知らないよ」

 視界の隅に、慌てた様子で鞄を漁るクラスメイトが映った。でも話したこともない人たちで、特に気にする理由もない。

 『私』は改めて手鏡を見つめる。

「ん……」

 黄色い手鏡。さっき廊下で拾って、なんだかずっと眺めている。

 特別な感じはしないけれど、なんとなく反射する自分に目を奪われちゃって。そうしていると不意に、今の髪型に違和感を覚えてきた。

 もうちょっと、こう……

 どうにか整えようと試みていると、友人が側にやってくる。

「どしたどしたー、鏡そんな睨んでー」

 ポニーテールを揺らし、人好きのする笑顔を浮かべる彼女は、『私』の席の前に立ってこちらを覗き込んで来る。少し茶化したような問いかけに、『私』は前髪を直しつつ応えた。

「髪型がいまいち決まらないんだよね」

「えーそう? ウチには全然決まってるように見えるけど?」

 と、友人は言ってくれるが、やはり鏡を見ているとしっくりこない。

「長さが足りないんだよね。もうちょっとこう、右に流したくてさ」

「でもついこの前切ってなかった? 長いのが鬱陶しいって言ってたじゃん」

「んーっ」

 やっぱり思うような髪型にならない。

 どうしても理想に合わせたくて、必死に前髪を右へと引っ張る。当然伸びるわけはないが、それでも諦めきれずに力を入れた。

 するとその手を突然捕まれる。

「あ、あんましたら抜けるって」

「でも、これじゃダメなんだよっ」

 友人の手を振り払って再び前髪を整え直す。

「ちょっと、恐いってっ」

 すると怯えた表情でまた止められて。

 彼女の言い分が理解出来ず、『私』は手鏡を見つめ続ける。

 だってこれじゃあ、『私』じゃないんだ。



「ねえさ、鏡知らない?」

「いやぁ、知らないかなぁ?」

 どこか威圧的な問いに視線を逸らしながら応えると、彼女は自席へと戻っていった。

 それを確認してから席を立つ。

 廊下の隅。せり出した柱で陰になるその場所で、隠していたそれを取りだした。

 黄色い柄と縁の手鏡。あの子が持っていた物だ。

 あの子は結局前髪を引き抜いてしまって、それでも納得しなかった。明らかにおかしな様子に、どうにかしたくてコッソリ取り上げたのだ。

 何か秘密でもあるのかと手鏡を見つめていると、なんだか変な気分になってくる。

「……まあ、良い手鏡だよね」

 握っていると妙に手になじんだ。まるでこの手鏡は、ずっと前から『私』の物であるとすら思えてきて。

「……ん、なんか髪微妙」

 反射する自分が視界に入って。するとなんだか髪型に納得がいかなくなってくる。

「んー?」

 一度いじり始めると中々決まらなくて。次第には髪の長さがそもそも『私』に合っていないと思えてきた。

 ポニーテール。前髪もまとめているから、全体的に長い。この長さはもう数年維持しているけれど、今は違うなと感じて、括っているゴムを外す。

 ……長い。

 そう結論付けると自然に足は動いていた。

 教室。自席。

 座って引き出しを漁り、『私』は筆箱の中からそれを取りだす。

「こう、かな」

 パツン。

 手鏡に映る『私』を見つめながら、前髪をハサミで切った。

 すると前で談笑していたクラスメイト二人が、ギョッとこちらに振り向く。

「えっ?」

「何、してるの……?」

「ああ、ちょっと気に入らなかったんだよね」

 どこか震えているようにも聞こえた声に『私』は笑って答え、それからまた鏡面に向き直る。けれど二人はまだこちらを見ているようだった。

「あ、あんまり教室で髪切るのはやめた方がいいんじゃない?」

「そうだよ、せめて何か敷くとか……」

「んー」

 ……後ろも長いなぁ。

 『私』は一旦ハサミを置いて、手鏡を見ながら後ろ髪を確認する。このぐらいかな、と束を握る手を動かさないよう気を付け、再びハサミを持った。

「え、ちょっと」

「マジで……?」

 パツン。



「あっ」

 前を歩いている子が手鏡を落としてすかさず拾い上げる。

 黄色い手鏡。

 落としましたよ、と声を掛けようとして。

 だけどその直前で妙なことに、拾った鏡面へと視線が吸い寄せられていた。

「………」

 鏡は先ほど落ちた衝撃のせいか、一筋の罅が入ってしまっている。左下の方から三センチほど伸びる罅。せっかく良い手鏡なのに、これじゃあ台無しだ。

 それでも構わず、『私』は鏡のとりこになっていた。



「ねぇさ、なんか最近変じゃない?」

「そう?」

「同じ髪型の人が増えててさ。それに口調も変わってる人もいるらしいの。まるで、みんな同じ人になったみたい」

「そういう流行りじゃないの?」



 『私』はついさっき拾った手鏡を覗く。

 一見普通な代物だけど、他の鏡で見るよりも、映る『私』は断然良い感じだった。

 だから、少し崩れた前髪を整え完璧な姿になれただけでも、すごく嬉しい。

 と思ったけれど、何かまだ足りないと気付く。

 髪は完璧。ついでに笑顔も。

 それじゃあ何だろう、と考え視線を動かして、そこで見つけた。

 罅。

 三センチほど伸びる小さな割れ目だ。

 それは、『私』の顔を映していると丁度左頬に線を引くようで。

 ……そっか、これが足りないんだ。

 『私』はすぐに引き出しの中から必要な物を探し、見つけたカッターを左頬に当てた。

 ピッ。

 赤い雫が罅に落ちる。

「うん、今日も良い感じっ」

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