3.警視正ルグラースに纏わる事(中)

 今回、警察が立ち入りを行なった地域、そこは開拓以前より悪い噂が絶えず、欧州渡来の人間が近づくこともほとんど無くて、放置同然の場所だった。隠された秘密の洞窟の中には地底湖があるなどと言われていて、なんでも、光る眼をした巨大で不定形の白くぬらつく触手生物が生息するという。そして、本件の被害者たる不法居住者スクォッター達が囁くには、蝙蝠こうもりはね持つ悪魔どもが大地の深層部より真夜中、姿を現し、その生物をあがめているらしかった。彼らによれば、触手生物そいつ洞窟内そこに、ディベルビルの開拓より、ラ・サールの探検より、先住部族ネイティブの定着より、さらには森に住まう良き獣や鳥よりも以前から存在しているという。まさに、悪夢そのもの……そいつを目にすることは、死を意味する。そんな夢を見たくなければ、近づかないに越したことはない。目下もっか、ブードゥーの狂態は確かに、この忌むべき地域の最奥端でのみ発生してはいたが、それだけでも充分過ぎた、荒々しい海賊の子孫たちをひるませるには、おぞましい儀式が執り行われる祭礼の場へ向かわせないほどに。


 赤く揺らめく光の方へと向かう、鈍く弱い太鼓トムトムの音を聞きながら――まるで詩吟のような、あるいは狂的に耳障りな喧騒のある方へ、ルグラースとその部下達が進む、漆黒に沈む沼地の中を。人には人の声質こえがあり、獣には獣の声質こえがある、一方の喉から、もう片方のそれが発せられるというのは、尋常では無い。魔の高みへといざなう獣じみた熱狂、そして儀式による解放感の到来が、咆哮と法悦の叫びをともない地獄の業火の如く吹き上げ、夜の森をき尽くす。時折、協調を欠く騒々しさが鎮まり、あたかも賛美歌のようにダミ声を合わせ、響く、儀式めいて、歌うように、唱えられるは、あの忌まわしき文言……


「Ph’nglui mglw’nafh Cthulhu R’lyeh wgah’nagl fhtagn.」


 ようやく、茂みが途切れた。そこで警官達は、いきなりその光景・・・・を――まともに、見てしまったのだった。彼らの内、4人がたじろぎ、1人が気を失った。2人が叫び声をあげたが、幸いにも狂宴の喧騒がそれを打ち消す。そして全員が戦慄し、恐怖に魅入られた。ルグラースは気絶した男の顔に沼の水を浴びせ掛けた。


 泥濘ぬかるんだ沼地の中、樹々も無く、ほどよく乾いた1エーカーほどの草地の島があった。その上で、飛び跳ね、よじれ……何と言ってよいか、異様な、大勢の人の姿が、サイムかアンガロラでもなければ到底描き切れないような…………衣服をまとわぬ、様々な人種の者達が、いななき、うなり、のたうち回り、大きく陣取った焚き火の円輪を取り囲んで、その炎の壁の裂け目から、輪の中心に立つおよそ8フィートほどの花崗岩で出来た一枚岩モノリスが見えた。その頂上部に、心臓に悪い、例の小さな石像が置かれていたのだった。炎輪の中の一枚岩モノリスを中心にして、広く同心円状に等間隔で10の処刑台がこしらえてあって、そこには連れ去られていた女性や子供達が無惨に変わり果てた姿で、頭を下にして吊るされていた。狂信者どもが跳ね回ったり吠えたりしているのはこの輪の内――べて述べれば、炎の輪の外側、遺体の輪の内側で右や左に巡っては、いつまでも騒宴を繰り広げ続けるのだった。


 と、まあ、これは誰かの作り話か、あるいは事実が誇張されて広まったもの、というオチがつく場合があることをあらかじめ断っておこう。当事者のひとりに、昂りがちなスペイン人がいて、彼が「遠く知られざる伝説と恐怖に彩られた太古の森深くで行われし儀式」の話をでっち上げた恐れがある。この男、ジョセフ・D・ガルベスに後日私も会って、色々とたずねてみたのだが、とても空想力に富んでいた。なにしろ彼は微かに聞こえてきた音を巨大な翼の羽ばたきと思い込み、森林の遥か先に輝く瞳で凝視してくる巨大な白い塊を見た気がしたりするほどで、私には先住部族ネイティブの昔話にハマり過ぎに思えた。


 余談はともかく、警官達の恐怖による思考停止はかなり短い時間だったようだ。職務は即座に遂行された、と言っていい。その宴の参加者らは100人ほどだったようだが、警官達は銃火器に物を言わせ、唾棄すべき人混みの中へと踏み込んでいった。騒音と混沌に満ちた、筆舌尽くしがたい5分間――一方的な殴打、銃撃、それらからの逃亡がはかられるも、結果としてルグラースは47人もの未だ反抗的な者どもを逮捕、取り急ぎ服を着させて、列を作らせ、その両脇を警官隊で挟んだ。狂信者の内、5人が死亡、2人が重傷を負ったが即席の担架で運ばせた、同じ逮捕者らによって。勿論、一枚岩モノリスの上の像は慎重に取り外され、ルグラースによって持ち帰られたのだった。


 激しく疲労困憊ひろうこんぱいした、遠く出向いた先の長丁場を経て、改めて署にて取り調べた結果、逮捕者らは総じて、非常に教養の無い、様々な人種の入り混じった、精神異常者ばかりだということが判明した。ほとんどが船乗りで、アフリカ系移民や混血児マラートなども含まれたが、大半の者は西インド諸島出身者か、カーボベルデ諸島・ブラヴァ島からのポルトガル人、玉石混交のカルト組織にブードゥー教のいろどりも添えられて……だが、質疑応答もさほど進まないうちから、アフリカ系呪術信仰など遠くおよばない深く古い何かの関与がて取れるようになってきたのだった。彼らはすこぶる低劣で無知だったが、その異形のモノどもは忌まわしき信仰の主幹的概念として、驚くほど揺るぎなく記憶され信じられていた。


 彼らは崇めている、と証言した、人類が姿をあらわすよりずっと以前の時代からり、宇宙そらの果てより創世の時代ときに来たれり――その大いなるかつての存在達。そんなかつりしモノ達も、今や大地深くあるいは大海の底へと消え去ったものの、その亡骸なきがらは夢の中にて、不滅の狂集団のいしずえを作った者らへ秘儀を授けたという。これが彼らのカルトの始まりで、逮捕者達に言わせれば、それは「常にり、未来さきにもり続ける」のだという、世界各地に隠れひそみ、偉大なる祈り手Cthulhuが海底に沈む魔都R’lyehより蘇り再び地上を手中に収める、その時まで。星巡りが揃い、ソレに呼ばれる、その日まで、秘密教団は解放を待ち続けている。


 などとやっている間に、語るべきことは無くなった。拷問によって聞き出せることなど、この程度なのだ。とは言え、人類は地球にある意識体として正しくは、孤立無援ではなかったということだ、わずかながらの、闇より出でしモノどもの存在ゆえに。それは、大いなるかつりしモノ、という奴らではなかった。ソレらの姿を自分の目で確認したという人間はひとりもいない。彫られていたのはたしかにCthulhu像で、他の奴も同様に彫られているという確証もなかった。今日こんにちではあの太古の象形文字を読解できる者はおらず、ただ口伝にて語られるのみ。その、受け継がれしただ一つの文句、それを声高らかに唱える儀式が秘儀ではなく、囁きによって伝わりし、その意味するところ、すなわち……


「Cthulhuは死して待つ、夢想のままに、R'lyehの都にて。」


 逮捕者の内、絞首刑が成立するほど正気だったのは2人、残りは皆、多様な施設にそれぞれ収容されていった。その誰もが儀式中に行われた殺人に携わったことを否定、実際に手を下したのは不気味な森に遥か昔から住まう黒い翼のモノどもだと訴えた。だが、そんな謎に満ちた共犯者についてまともな説明など出来るはずもない。警察が聞き出した情報の大部分は、カストロと名乗る非常に高齢のメスティーソ(主にスペイン人と先住南米人とに血縁ある個人を指す)が出所でどころで、彼は海路にて中国へと辿り着いた際、山奥に住む不死の導き手達と対面したと供述した。


 そう、この年老いたカストロの述懐こそが、神智学者達の考察も色褪せる、人間と世界の斬新な捉え方を示す、おぞましい伝説の断片だった。人ではないモノが地球を支配し、巨大な都市を治めていた時代アイオーンがあった。そんな遺跡群――不死の中国人が言うには、今でも太平洋に浮かぶ島々では、サイロプ式巨石群が目にできるという――のあるじらは総じて、先史以前に絶命したものの、永遠を巡る天体の位置が再び正しく揃うならば、復活させられる手段があった。確かに、ソレらは星々を渡って到来するのに、自らをかたどった像を用意していた。


 カストロは続けた、「かついまし御方々を形づくるは、血肉にあらず。のお姿――異星ほしより削り出されし、これなる像が何よりのあかし、けっして物質などではない」、星巡りが揃えば、ソレらは大気圏そらを超えて世界ほしから世界ほしへと飛ぶことが出来た。だが、そうでなければ力を失ってしまう、活動を停止してしまうのだが、ただし完全に死ぬわけではない。ソレらは皆、の偉大なる都市R'lyehにある巨石いしやしろに安置され、強大なるCthulhuの呪詛いのりによってまもられている、今一度、すべての準備が整い、栄光の復活が成就する日まで。だが、その為には、外部から加えられる何らかの力がソレらの肉体に作用することが必須となる。呪詛いのりはソレらをりのままの形に維持したが同時に、ソレらの覚醒めざめを妨げるものでもあるようだった。また、闇の中で、微睡むのをめたところで、一つのことを思考するのに数百万年もの時間を要さなければならないようだった。ソレらはおよそ、この宇宙で起こったあらゆることを把握していたが、他者に話しかける為の手段といえば、思考自体の直接的伝達だけなのだった。今この時も、ソレらははかの中から意思を世界に向けて投げ掛けている。終焉おわり無き混沌の果てに、原初の人類が出現した時も、彼らの中でも特に超常性を有する者に対して、大いなるかつての存在達は夢想空間を通じ語りかけた、そんなやり方でしか哺乳動物の獣的な心と疎通する方法が無かったのだ。


 で、カストロが虚ろに語ったように、草創期の人間達は大いなる存在ソレらによって示された小さな偶像をまつり上げて、カルトを形成した――彼方にて闇に沈む星々から持ち寄られた偶像を用いて。そのカルトは再び星巡りが正しく揃うまで、決して滅びることはない。そして、隠れ潜む祈り手達は大いなるCthulhuをやしろから連れ出すだろう、ソレらをも復活させる為に、忌まわしき地球支配の再現の為に。その成就が為されたなら、すぐに分かるだろう、人類は大いなるかつての存在達のように変わり果てるだろうからだ、自由奔放に、善悪を超越し、法も道徳もかなぐり捨てて、享楽の中で叫び、殺し、歓喜することになる。その期に及ぶと、覚醒した大いなるかつての存在達は、叫び、殺し、歓喜し、愉悦する為のそれまでに無い方法やりかたを彼らにさずけ、地球全土を悦楽と破戒はかいによる大虐殺に沸き返らせることと思われる。ゆえに、このカルトは、厳格なる祭事の中で、古来の秘伝を継承し、ソレらの復活の預言をかげにて語り継ぐ使命を帯びていることになる。

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CTHULHUの呼び声 君河武彦 @Takehiko-Kimikawa

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