番外編 敵国の王子は檸檬の香りと幸運の花をご所望 本当の求婚(終)

 アドゥーサは、厳しい詰問のような事を想像して心配していたようで、私から話の内容を聞き出すと、不思議そうな顔をしていた。


『父が、そういう考えを持っているとは思わなかった。俺は、父も好んで戦をしていると思っていたんだ。今度、もう少し話をしてみたい』


 私としても嬉しいことだった。侵略を受けた者として持っていた憎しみが、少し溶けて消えている気がする。⋯⋯父も、過去を水に流すことはしないだろう。でも今後の対話には応じてくれると思う。交易についても、力を貸してくれるかもしれない。


『後は、王族の承認だったかしら?』


 アドゥーサは満足そうに笑った。


『それは、恐らく大丈夫。父があれだけ強く言ったからには、王族が否定することは出来ない』


 そして、少し赤くなって言った。


『少なくとも父に、俺と君の結婚は認めてもらえた』


 私も嬉しくなって手をにぎったり、抱きついたりしたい気持ちだったけれど、おじいちゃん先生の『野生動物!』が頭にちらつくので我慢する。


 アドゥーサが、何か所か報告に行かなければならない所がある、と言うのでここで別れて、私は部屋に戻ることにした。まだ王宮の中に慣れないので、いつもの侍女が付き添ってくれている。


『おめでとうございます』


 小さな小さな声で侍女が言ってくれた。


『ありがとう』と返すと、耳まで真っ赤になってしまった。


 部屋に向かう道を進んでいると、見慣れない侍女が私の侍女に何かを耳打ちした。私の侍女は困惑したような顔をした後に口を開いた。


『先生がお呼びとのことです。ご案内します』


 おじいちゃん先生のことだと思う。褒められることは想像できない。私、謁見で何か失敗をしていて叱られるのだろうか。先生の『野生動物!』が頭をぐるぐるする。


 案内されたのは、部屋から遠く離れた中庭のような場所だった。かなり広いその場所は、庭と言っても植物が植えてあるわけではなく、何だかよく分からない大きい石造りの彫刻が、点々と置かれている。中には馬車のような大きさのものもあり、何かの芸術なのだろう、ということしか分からない。


(先生は、今度は芸術を教えようとしているのかしら。野生動物呼ばわりの返上は、まだ遠いのかもしれない⋯⋯)


 気が付くと侍女がいなくなっていた。遠くから流麗な音楽が聞こえてくるだけで誰もいない。まだ明るいのに気味が悪い。


『――先生?』


 恐るおそる呼びかけてみると、少し離れた彫刻の陰から誰かが姿を現した。


(先生よりも大きい⋯⋯男性?)


 人影は、ゆっくりとこちらに向かって来た。嫌な感じがして、私は来た道を引き返そうと人影に背を向けた。


『フランカ・スプルース』


 名前を呼びかけられた。無視して立ち去るか、振り返るか迷った結果、無視することに決めた。嫌な予感には逆らわない方が良い。礼儀知らずだと思われても、異国人だから仕方ない。


(違うわ。まず自分から名乗らない時点で、この人の方が礼儀知らずよ)


 無視して立ち去ろうとする私に、少しあせった様子で再び呼びかけて来た。


『待て、話くらい聞いたらどうだ。礼儀作法を勉強中だと聞いたが、本当にひどいな』


 これは今一番言われたくないことだ。誰だか知らないけど、この人は嫌いだ。


『そんな礼儀知らずが結婚相手なら、アドゥーサを王位継承者として認めるわけにはいかないな』


(この人、王族の誰かなの?)


 国王が認めた候補者を王族が最後に承認する。その拒否権を持つ人、ということだろうか。気になって振り返ると、急いで追いかけてきたのか、思ったよりも近くにその人は立っていた。


『俺の方が先に君との結婚を決めたのに、アドゥーサが横取りするなんておかしいと思わないか?』


(この人、次男の人だ)


 高飛車な結婚の申し入れをして、父にはねつけられた第二王子。


(今の言い草を聞いただけでも、状況を正しく認識できない無能な人だって事が分かるものだわ)


 やはり無視することにした。無言で背を向けて来た方向に歩き出す。


『待てったら! なぜ無視する。言葉が分からないのか?』


 追いかけてくる気配を感じて、私も足を速める。


「フランカ!」


 彫刻の間から、アドゥーサが建物の廊下から庭に出ようとしているのが見えた。近くに私の侍女がいた。先生の名前を騙った何者かがいることに気が付いて、アドゥーサを呼びに行ってくれたのだろう。私と目が合うと、侍女は恥ずかしそうにどこかに駆けて行ってしまった。


 アドゥーサが私に駆け寄ろうとし、私も彼の元に行こうとした。その時、ブワッと大きな音がしてアドゥーサの体が吹き飛び、廊下の柱に叩きつけられた。


「アドゥーサ!」


 駆け寄ろうとしたところで、第二王子に強く手をつかまれる。<香力>を使えないよう、痛点を押さえられてしまった。


『離して!』


 アドゥーサは、うつ伏せになり懸命に身を起こそうとしているが、第二王子が<香力>で邪魔をしているのか、立ち上がれないようだ。


(この人の<香力>は、私よりはるかに強い)


 今の風は私では起こせない強さだ。ただのぼんくらだと思ったけれど、<香力>だけは強いようだ。手をふりほどけたとしても、<香力>で立ち向かうのは難しいかもしれない。


『ねえ、俺と結婚しようよ』

「馬鹿なこと言わないで。何で私があなたと結婚しなきゃいけないのよ」


 うっかり自国の言葉で返してしまう。第二王子は、私の国の言葉が分からないようで、怪訝な顔をしている。


『私の国の言葉も分からないような人と、結婚したくないって言ったのよ』


 ルービン語で言い直すと、第二王子はムッとした顔をして、さらに強く私の手のひらをつかむ。痛い、と思って気が付いた。


(アドゥーサにつかまれた時の、しびれるような痛みとは違う)


 アドゥーサは、私の痛点の位置がこの国の人とは違うと言っていなかっただろうか。


(だとしたら、私は<香力>が使えるかもしれない)


『君とアドゥーサは、出会って間もないんだろう? もし俺が先に出会っていたら、きっと俺と結婚していたんじゃないか? 俺はアドゥーサよりも<香力>が強いし、王宮内での権力もある。君と結婚した方が王になるんだから、ちゃんと王妃にもなれる。もし、アドゥーサの容姿が気に入ったんだとしたら、俺だってそう変わらないだろう』


 言われてみれば容姿は似ている。でも瞳から放たれる光、表情、話し方、何もかもアドゥーサとこの人では違う。


『あなたと先に出会っていたって、あなたの事なんて絶対に好きにならないわ。絶対に、絶対に!』


(恐らく、チャンスは一度きり)


 第二王子が痛点の位置が違うことに気づく前に、油断したところを狙って全力で<香力>を放てば、腕を振りほどいて逃げるチャンスが生まれるかもしれない。私より強い<香力>に対抗するには、惜しみなく全力で行く必要がある。


 未だ起き上がれないでいるアドゥーサが心配で仕方ない。


『私は<香力>の強さや、家柄や、権力の強さなんかで人を好きにならない。もちろん容姿でも』

『では、なぜ俺を選ばないで、アドゥーサなんだ?』


 第二王子が苛立っているのが分かる。どうしたら隙を見せるだろう。思いつかず、私も苛立つ。


『知らないわよ、そんなこと。私はアドゥーサが好きで、あなたのことは大嫌い。それだけよ。理由なんて考える必要ある?』

『こいつ!』


 第二王子がぐっと腕に力を入れて、私を引き寄せようとしたその時、第二王子の足元が崩れた。私じゃない。アドゥーサの<香力>だ。


『アドゥーサ、お前!』


 第二王子が崩れた足元と立ち上がったアドゥーサに気を取られている。


(今だ!)


 私は、今まで試したことが無いくらい、全ての力を振り絞って<香力>を放った。足場を崩し、風を巻き起こし、第二王子から離れるために。


――ゴウンッ!!!


 低い衝撃音が鳴ったと思った次の瞬間、その場の全てのものが吹き飛んだ。庭の地面が私ごと深く沈み、土と、庭の彫像たちが全て空に吹き上がった。窓が割れ、固いものが砕ける音が聞こえる。


 私は風で体を包み身を守った。アドゥーサが気になったけれど、穴の中からは外がよく見えない。


(力を使いすぎたみたい⋯⋯)


 体が震えるくらい寒い。眠くて意識が飛びそうだ。彫像が轟音をたてて私のすぐ横に落ちる。アドゥーサの安否だけ確認したい、そう思いながら意識がとぎれた。



 流麗な楽器の音が聞こえる。とぎれとぎれに、美しく深い響きの歌声が聞こえてくる。


(ああ、私のお気に入りの曲⋯⋯)


 気に入って、アドゥーサに何度もお願いして歌ってもらった曲。体が重くて仕方ない。目を開けて歌声の主を確認したかった。怪我は無かっただろうか。体が言う事をきかない。美しい音楽に包まれながら、また意識が途切れた。


 まどろみの中で歌声を聞き、意識が途切れ、何度か繰り返すうちに少しずつ体力が回復してきた。


 次に目が覚めた時には、だるさが少し抜けて体が軽く感じた。とても喉が渇いている。少しせき込むと、慌てて侍女が水を飲ませてくれた。


「フランカ! 目が覚めたね!」


 アドゥーサが楽器を置いて、私の顔を心配そうにのぞき込む。侍女がもう1杯、水を飲ませてくれた。そして『医師を呼んできます』と部屋から出て行く。


「君は2日もの間、眠ったままだったんだ。顔色も真っ白だから心配した」

「アドゥーサ、怪我はなかった?」


 アドゥーサはふわっと笑った。


「全く。どこも怪我をしていないよ」

「お兄さんも? 他にも誰か怪我をしていない?」


 アドゥーサは笑顔のまま、私の頭をなでた。


「誰も怪我をしていないよ。兄はあの庭を人払いしていたんだ。それが幸いして、巻き込まれた人は誰もいない」


(良かった⋯⋯)


 安心すると、また眠くなってきた。私の様子を見て、アドゥーサが『詳しい事は元気になったら教えてあげるから、今は休むように』と言って、額に温かい手をのせてくれた。


 しっかり起き上がることが出来るようになったのは、それから更に2日後だった。久しぶりに入浴もして、着替えもした。元気になったのが嬉しくて、渋るアドゥーサに外に行きたい、と我儘を言った。アドゥーサが連れて行ってくれたのは、王宮の屋上だった。遠くまで広がる砂漠がよく見える。


「あれって⋯⋯」


 私が指した方を見て、アドゥーサが苦笑いした。


 王宮の中央、中庭は完全に破壊されていた。えぐれた地面の上に、岩がごろごろと転がっている。⋯⋯良く見ると岩ではなく、元は彫像だったものたちのようだ。付近の建物には、ところどころ崩れや穴が見える。ひどい有様だった。


「あんな兄でも、王子らしい責任感はあるんだ」


 あの惨状で、けが人が出なかったのは人払いをしていただけでなく、第二王子が<香力>を使って、ふりそそぐ彫像から建物の窓や壁の薄いところを懸命に守ったおかげだったらしい。意識を失った私のことも落下物から守ってくれたそうだ。少し感謝したけれど、元は第二王子が悪いのだから、頑張って当然だ。


「兄が、ひどい事をして申し訳なかった」

「私の方こそ、王宮をこんな風に壊してしまってごめんなさい」


 おじいちゃん先生の『野生動物!』がまた頭をよぎる。ルービンの人たちから見ると、私の国こそ野蛮に思えることだろう。


「いや、君の<香力>の強さを、みんなに証明できた。おかげで、俺たちの結婚を反対するものは誰もいなかったよ。それに、君にむやみに触れようとしたらあんな事が起こるって、しっかり理解してくれたみたいだ。君に触れていいのは、俺だけだから」


 アドゥーサが機嫌良さそうに言った。私が眠っている間に、王族会議が開かれてアドゥーサは王位継承者として認められていた。ちなみに第二王子は、私に害をなそうとしたことが国王の逆鱗に触れて謹慎しているとのこと。


「他人に触らせないって約束、守れなくてごめんなさい」


 アドゥーサが眉根を寄せて、私の手を取った。


「君の落ち度ではない。⋯⋯兄は、君の痛点の場所を間違えたんだね。これは、俺だけが知っていることだ」


 そう言って、私の手を両手で包み込んだ。またもや『野生動物!』がちらついたので、恥ずかしくなって手を引っ込めると、アドゥーサの顔に不満げな表情が浮かんだ。


「君が望むから、礼儀を学ぶ手配をしたけど、触れてもらえなくなったのは残念だ」


 すねるアドゥーサが愛しくて、大好きで、あふれる気持ちを押さえられなくなった私は、周りに誰もいないことを確認すると、アドゥーサの肩に手をかけて、思い切り背伸びをして頬にそっと口づけた。


「私の国の特別な愛情表現なの。こんなことするの、私も初めてだわ」


 さすがに恥ずかしくて顔に血が上ってしまう。しかし、いつものように照れるかと思ったアドゥーサは涙ぐんでしまった。


「ごめん、嫌だった?」

「違う、嫌じゃない。そうじゃなくて⋯⋯」


 アドゥーサが目を伏せる。


「フランカからの求婚は俺の誤解だって、本当はそのつもりじゃなかったって分かっていたんだ。君がルービンの文化を全然知らないって気が付いた時に。でも⋯⋯」


 涙目のまま、にっこり笑った。


「兄に言っている言葉を聞いて、君に特別な愛情表現をしてもらって、少し自信が持てた」


 そんな風に不安になっているなんて気が付かなかった。私はアドゥーサの両手を握って、ゆっくりルービン語で言った。


『あなたの香草のような甘い香りが、私は大好き』


 アドゥーサが、はっとした顔をした。相手の<香力>ではなく、香りを褒めることが求婚を意味する。おじいちゃん先生に教わったことだ。アドゥーサも、嬉しそうに返してくれた。


『君の檸檬のような香りが好きだ』


 そして、アドゥーサは身をかがめて、私のほほにそっと口づけをしてくれた。


 ルービンの方はもう大丈夫そうだ。後は私の父の方だろう。説得するのは骨が折れることだろうし、問題はまだまだたくさん出てくると思う。それでも、アドゥーサと一緒なら頑張れる。


 私はアドゥーサにぎゅっと抱きついて、顔を見上げた。アドゥーサはいつものように少し照れて、私の背中を抱きしめてくれる。彼の胸に頭を預けて、私は幸せをかみしめた。

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元王妃は結婚より自由と焼き菓子をご所望~縁談を断わってきたはずの相手が激甘なので抜け出せません~ 大森都加沙 @tsukasa8omori8

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