番外編 敵国の王子は檸檬の香りと幸運の花をご所望 国王との対話

 翌朝、ルービンの王宮で目覚めた私は天井を見て、夢じゃなかったと安堵のため息をついた。


 昨日は私の運命が大きく変わった日だった。アドゥーサとの結婚を決めてルービンに来た。家出すると置手紙をしてきたけれど、まさか異国にいるとは誰も思っていないだろう。知られた時の皆の驚きを想像すると、申し訳ないとは思いつつ、悪戯をしかけたような楽しさを感じる。


(グリュートも驚くかしら)


 昨日まではグリュートの事を思い出すと胸が痛かったのに、今は懐かしさしか感じない。代わりにアドゥーサの楽しそうな笑顔や照れて赤くなった顔が心を占めている。長年恋していたはずなのに、我ながら調子の良いことだと呆れてしまう。


 起き上がって部屋の中を観察した。家具も飾りも何もかもが見慣れない意匠で建物と同じく、曲線と美しい色彩が多用されている。窓の外には、彫像のような芸術作品のような、よく分からない物が並んでいるのが見える。あまり草花を植えて庭を飾る習慣が無いのは気候のせいだろうか。


 静かに扉が開き、昨日と同じ侍女が入ってきて、私を着替えさせた。


(ルービンの衣装だ!)


 飾りのない足首までの長いドレスの上に、アドゥーサと同じように美しい布が巻かれた。さらさらとして艶がある若草色の布は、思ったよりも軽く動くたびにふわふわと揺れる。


『あなたが選んでくれたの?』


 思いきって侍女に話しかけてみた。侍女は驚いて体をこわばらせながらも、微笑んでうなずいてくれた。


『とても素敵な色だわ。ありがとう』


 侍女は少し赤くなって、うつむき、朝食の支度を始めてしまった。


 朝食が終わってしばらくするとアドゥーサが訪れた。優しい微笑みを見ると安心する。


「おはよう、フランカ。良く眠れた? 何か困ってない?」


 アドゥーサは私の国の言葉で話しかけてくれた。


「ありがとう。とても快適に過ごしているわ」

「ルービンの衣装、とても良く似合っている」


 私の周りをぐるっと1周回って褒めてくれた。


「あなたがいつも纏っている布が美しいから気になっていたの。着せてもらえて、とても嬉しい」

「そう? この布が珍しい?」


 とても意外そうなのは、アドゥーサにとっては見慣れたものだからなのだろう。私の国にはこんな美しい布は無いのだと説明すると『そんなに褒められるほどのものなのか?』と驚いていた。


「父に君の事を話した」


 アドゥーサが少し緊張した表情で話し始めた。


「君と二人で話をしたいと言っている。それからじゃないと、何も決めないそうだ」

「それは、いつ?」

「10日後に。邪魔が入らないように時間を作ると言っていた」


 アドゥーサの助けもない状態で、王が私と何を話したいのかも分からない。さすがに緊張する。


「アドゥーサ、一つお願いがあります」

「何?」

「私、王に会うまでに、ルービンの歴史や文化、礼儀作法を覚えたいです」


 これでも自国では名家の一人娘だ。教養や礼儀作法についてはどこに出ても恥をかくことが無いように仕込まれている。王宮の社交にも何度か出席していて、国王にお声を賜った事もある。


(でも、私の国に限ったことだわ)


 異国人という事で、多少の無礼は許してもらえるとは思うけれど、アドゥーサに恥をかかせなたくない。


「そんなことしなくていい。君は、そのままでいいんだよ」

「ルービンのことを、ちゃんと知りたいの」


 アドゥーサはしばらく考えてから、ため息をついて言った。


「⋯⋯ありがとう、気持ちは嬉しい。手配する」


 その日の午後から始まった教育は、自分から言い出したとはいえ、勉強嫌いの私にとってはなかなか大変なことだった。


『違います! そんなことをするのは、野生の動物だけです!』

『あなた、本当に教育を受けたことがあるのですか? 人間には知性と品格が必要ですよ!』


 おじいちゃんみたいな見た目の先生の指導は容赦ない。数日経つ頃にはもう、自尊心がぺしゃんこになっていた。


『フランカ、もう十分だよ。勉強はおしまいにしよう』


 アドゥーサはとても忙しそうだったけど、1日に何度か様子を見に来てくれる。どんどん元気がなくなる私を心配して、何度もやめようと言ってくれる。


『嫌よ。今やめたら、私が野生動物だって認めるみたいじゃない。絶対に先生を見返してやるの』


 勉強中の心の支えになっていたのは、アドゥーサにつけてもらった紫色の耳飾りだ。身動きするたびに、アドゥーサの香りがして少し元気が出る。アドゥーサにそういうと少し照れた後、耳飾りに<香力>を足してくれた。


 もう1つ楽しみがある。夜、時間がある時には、アドゥーサが不思議な音色の楽器を奏でて、ルービンの歌を聞かせてくれる。悠久の時を感じさせるような、ゆるやかで壮大な曲とアドゥーサの落ち着いた声が、疲れた頭と心を癒してくれる。


『いつか、君の国の歌も聞かせて』


 残念ながら、そのお願いは聞いてあげられない。私は、自国の先生に匙を投げられたくらい、音楽の素養には欠けている。曖昧に微笑んでごまかした。


『国王と少しお話するくらいなら、大丈夫でしょう』


 何とかおじいちゃん先生の及第点が取れたのは、国王と面会する前日だった。やっとこの地獄から逃れられる!達成感でしくしく泣く私に、いつもの侍女が温かいお茶を入れてくれた。


 この女の子は少しずつだけど私に笑顔を見せてくれるようになっている。それでも名前を尋ねると真っ赤になって、どこかに行ってしまうので、なかなか距離は縮まらない。


(私はもう野生動物ではなく、立派な人間になったのよ。国王なんて怖くない

わ!)


 妙な自信が沸いてきた。そんな私の様子を見るアドゥーサは、とてもとても不安そうだった。



 アドゥーサに連れられて行った謁見室は、それほど広くなく父の城の応接室に似ていた。私の国の謁見室のように、王が高い位置に座り、臣下が足元に控えるという形ではない。広いテーブルを挟んで向い合せに座る。


 挨拶から座るまで、おじいちゃん先生にしっかり教わった通りに出来たと思う。優雅だと思ってもらうのは難しくても野生動物とは思われなかっただろう。


 アドゥーサは心配そうな顔をしながら部屋を出て行った。


 国王が話すまで、私は口を開いてはいけない。顔を上げてはいけない。じっと、おとなしく座っている。


『顔を上げて、私を見なさい』


 言われた通りに顔を上げて、目線を国王に向ける。


『フィモナの花⋯⋯あの子が言った通り、美しい瞳だ』


 質問ではないから、答えてはいけない。老齢だと聞いていた国王は、思ったよりも元気で若そうに見える。アドゥーサと同じく心根が穏やかそうで、やはり好戦的という印象は受けない。


『あなたは、まだこの国で多くの時間を過ごしていないが⋯⋯、それでもこの国をどう思ったのか聞きたい』


 これは、質問だ。慎重に答える。


『私の想像していたルービン国とは違いました。艶やかな布を織り、繊細なガラス細工を作り、流麗な音楽を奏でる人々がいる美しい国だと思います』

『どういう国を想像していたかな』


 答えるのが難しい。でもこれはアドゥーサの結婚相手としてではなく、何度も侵略を受けたスプルース領主の娘として言わなければならない。不興を買うのを覚悟して、国王の目をしっかり見て言う。


『戦が好きな国を想像していました。争いを好み、血に飢えて、他国を平気で踏みにじる、恐ろしい国だと思っていました』


 怒るか、機嫌を損ねるかと思った国王は、穏やかにうなずいただけだった。


『ルービンが、あなたの国にした仕打ちは許される事では無い』


 国王は深くため息をついた。


『私は怠惰だった。戦が傷と憎しみしか生み出さない事は分かっていた。それでも、ただ慣習に従い、自ら思考することを怠った。上の息子二人は、あなたの国が思考して発展していることに気づかず、気づいた後も認められなかった』


 私は祖父や代々の領主たちがどれだけ苦労してスプルースを守り、父がどれだけ苦心して兵力を向上させたかを知っている。国王が言う通り、怠らず思考して発展させてきたのだ。


 でも、おじいちゃん先生から歴史を学んで知った事がある。ルービンの人たちにはスプルースへの悪意が無かった。


 民衆は、進軍のことを定期的に発生する王家への忠誠の証を示す試練と捉えていた。王家も民衆もただ慣習に従うだけで、領土への渇望も無い、本当に無駄な戦いだった。


 その慣習への従順さが、私には血に飢える事よりも恐ろしく感じられた。


『しかし、アドゥーサは違う。思考を試みて苦心する道を選んだ。慣習を当然とは思わず疑問を持った。


 あなたの国を理解しようとして、あなたと出会い、国を変える機会をつかみ取った。


 もしアドゥーサが王になり、あなたのような、憎しみに捕らわれずにこの国の良さを見てくれる伴侶が彼を助けるなら、この国は変わるという希望が持てる』


 国王が立ち上がった。私もあわてて立ち上がる。


『どうか、アドゥーサと共に、この国を導いて欲しい』


 国王が頭を下げた。おじいちゃん先生から聞いていた話では、こんなことはあり得ない。私はあたふたした挙句、もっと頭を下げることを選んだ。


『精一杯、努めます』


 国王は笑って席に戻り、私にも座るよう促した。そして私の国のことを色々と尋ねてくれた。


 砂漠が多いルービンでは、外国と取引きするほどの資源や作物が取れない。はなから諦めて国を閉じて暮らしていたそうだ。織物やガラス細工について、私がそれほど褒めるなら価値があるのかもしれないと、交易の可能性を探りたいと言ってくれた。こうやって、ルービンが異国と交流を持ち、少しずつ開けた国になることで戦を捨てる道に進めるといいな、と思った。


 もう、国を閉ざして慣習だけを守る時代は終わりになるはずだ、と国王は嬉しそうに話した。


 しばらく和やかに話をした後、国王は机の上のベルを鳴らした。アドゥーサと、何人かの役人が部屋に入ってくる。


『アドゥーサとフランカ・スプルースの結婚を認める。アドゥーサを王位継承者として認める』


 大きな張りのある声で宣言した。役人が畏まって手配を始める。


 国王はアドゥーサに向かって、優しく言った。


『アドゥーサ、お前が巡り合った幸運の花を大切にしなさい』

『はい、必ず』


 アドゥーサは王に額づき、力強い声で答えた。

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