番外編 敵国の王子は檸檬の香りと幸運の花をご所望 異国の王宮

 ルービンに出発する前に、とアドゥーサに言われた内容に私は心の底から文化の勉強をしなかった事を悔いた。


 ルービンでは、他人の体に触れる事は慎重になるべき事らしい。握手や親愛をこめて抱きつく習慣はない。特に異性に触れる事は恋人か夫婦の振る舞いだそうだ。


 思い返すと、最初に会った時から私は何度もアドゥーサの手に触れている。アドゥーサが私の事を大胆だと言ったのは、このことだろう。意味を知ってから自分の行動を思い返すと、恥ずかしくて穴に入りたくなる。真っ赤になってしゃがみ込んでしまった私に、アドゥーサは優しく言った。


「君の国とは文化が違うんから仕方ないよ。でも、ルービンに行ってから、他の人には触って欲しくないし、触られないようにしてほしい」


 アドゥーサは、私の前にしゃがみこんで視線を合わせた。


「君は美しいから興味を持つ男もいるだろう。でも、君は俺だけのお姫様だから、誰にも触らせたくない」


 『俺には触っていいからね』と私の手を取って立ち上がらせてくれた。アドゥーサはさらっと恥ずかしげもなく甘い言葉をくれる。胸が高鳴ってしまい、ますます顔が赤くなってしまった。



 前と同じ経路をたどって、砂漠まで進んだ。山の上から見る砂漠と、昼間の砂漠ではまた受ける印象が違う。アドゥーサの言う通りに持ってきた大きめの布で、教えを受けながら顔と頭を覆う。こうやって強い日差しを避けるのだそうだ。アドゥーサも、体に巻いていた布を器用に巻きなおして、頭と顔を覆う。


 アドゥーサは山を下る途中に折り取った大きな葉を数枚組み合わせて、敷物のようなものを作った。茎を束ねたようなものを差し込み、その上にまた大きな葉を帆のように広げる。


「もしかして、これで砂の上を滑るの?」


 アドゥーサがにっこり笑った。


「多分、気に入ってくれると思う。俺にしっかり掴まっていて」


 風を起こし、高速で滑り出した。風を纏って滑る私たちは、波を割って進む船のようだ。砂で出来た丘で風に押し上げられ、空中に舞い上がり宙を飛ぶ。スプルースでは感じた事がないような熱風が肌をなでる。


「大丈夫? 怖くない?」

「楽しい! とても楽しい!」


 アドゥーサは、声を上げて笑うと、風を味方にして鋭く方向転換し、一瞬で進路を変えた。遠心力で振り落とされそうになり、あわててアドゥーサにしがみつく。私のそんな様子を見て、アドゥーサがまた笑う。


 途中の小さな湖で休憩をした。アドゥーサは近くに生い茂る草の中から、何か果物を取ってきた。見た事の無い硬い皮の果物を素手で割り、ひとかけらを私に渡す。果物から甘い香りがたちのぼる。


「黄色い所を食べてみて」


 恐るおそる口にする。


「甘い、美味しい!」


 甘くて少し酸味があり、水分がたっぷりで乾いた喉を潤してくれる。ルービンでは、全てが初めてのことばかりだ。


 夕方に差し掛かる頃、やっとアドゥーサが住む街に到着した。茜色に輝く砂丘が、まるで宝石のように輝いている。


 国王が住む街だと言っていたから、私の国で言う王都ということだろう。直線で構成されている自国の建物と違い、全体的に曲線で構成されていて、優美な印象を受ける。


 街に入り、初めてアドゥーサ以外のルービンの人たちを目にした。みなアドゥーサのような褐色の肌に、濃い色の髪と瞳だ。私の国の人間とは顔だちも少し違う。でも、ほとんどの人が同じ髪色と瞳なのに、街が色彩豊かで華やかに感じられるのは、それぞれがアドゥーサのように美しい布をまとっているからだろう。


 街のあちこちから、聞いた事のない音色の音楽が聞こえる。流れるような、ゆるやかに時が過ぎるような音楽。窓越しに見える店には、美しいガラス細工が並んでいる。店先につるされている灯りも、色とりどりのガラスで出来ていて細やかな光を放っている。


 中央に向かって歩くアドゥーサに街の人々は頭を下げて敬意を表した。


(本当に王子なんだ)


 アドゥーサが握る私の手に、痛いほど視線が刺さる。ルービンで異性に触れる事の意味を教えてもらった私は、手を離そうとしたけれど、アドゥーサがそれを許さなかった。


『君は俺のものだ、ということをはっきり示しておきたい』


 そう言われてしまい、私は恥ずかしくて仕方なかったけれど、大人しく手を引かれて歩いた。


 日が暮れてきて、少し肌寒くなってくる。まだ春なのに真夏のように暑かった先ほどとは全然気温が違う。到着した王宮はひときわ優美な大きな建物だった。アドゥーサは平伏する門番に軽く挨拶を返しながら、どんどん中に進んで行く。


 移動に備えて動きやすい恰好をしてきたけれど、こんな格好で王宮に入って良いのか心配になってきた。自国の王宮に行く場合は、それなりの盛装をしていた。こんな姿ではとても入れてもらえない。


 アドゥーサは王宮の一角でやっと立ち止まった。


「俺はこれから君のことを父に報告してくる。色々と手続きがあって時間がかかるから、今日はゆっくり休んで欲しい」


 そう言って、侍女を呼び寄せた。


「君の部屋を用意させてあるから、彼女に付いて行ってくれる?」


 アドゥーサと離れるのは少し不安だったけど素直にうなずいた。侍女は無言で歩き始める。私は置いて行かれないように付いていく。誰も私の存在を咎めだてせず、素性を聞きもしなかった。アドゥーサは私を迎えに来た、と言っていたから、あらかじめ準備がされていたのだろう。


 部屋に案内され、風呂に入れられ、着替えさせられた。そのまま、部屋のなかに食事が用意され、また就寝の支度をされて、そのまま寝台に横になる。その間、侍女はずっと必要最低限のことしか言葉を発しなかった。そういう習慣なのか、私がルービン語を分からないと思っているのか判断ができない。


 少しだけ心細くなって、アドゥーサの耳飾りを枕元に置いた。朝霧に濡れた香草のような甘い香りに包まれて、眠りに落ちた。

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