俺たちのラブホは天の川にあった

八軒

俺たちのラブホは天の川にあった

 中学の頃から俺は、ゲーセンに閉店までいて、朝帰りも珍しくないという生活をしていた。


 時は対戦格闘華々しい時代。勝ち続ければワンコインで相当遊べるし、そもそも金を大して使わなくてもゲーセンに入り浸るのは難しくなかった。


 小中とあまりロクな人間関係に恵まれず、当たり前のこと――と気づいたのは大人になってからだが――を知らずに育った俺に、ゲーセンの大人たちは常識を教えてくれた。挨拶をすること、礼を言うこと。マジでそういうレベルからだ。

 はっきり言って、ゲーセンでの人間関係がなければ、俺は社会不適合でまともな仕事にもつけず弱者に陥っていたはずだ。今の仕事も友人関係もネットでの繋がりも何もかも、多くの縁に繋がる枝分かれの初めは、この時代のゲーセンでの出会いにあった。


 あの時を起点に、風向きが変わった。自身の力量に見合わない人脈と繋がる縁に不思議と恵まれ始めた。スコアラー界隈の人間と知り合えたのも。彼らのゲームに対する姿勢は俺の人生に多大な影響を及ぼした。ガチでやって楽しむという姿勢を知れたのは、あらゆる方面で強い武器となる、本当にかけがえのないことだ。

 元がクソだったから、しょうもないものがありがたく思えたのだろうと、周囲からは見えるのかも知れないが。俺にとってはそれが救いだったのだから、仕方ない。


 縁は広がる。あの頃はネット対戦も無かったから、強くなるにはみんな『遠征』をしていた。土日には車で遠出して他所のゲーセンに行く。金が貯まれば、宿代を節約する為にフェリーで夜の海を渡り18きっぷで東京に出る。立川の有名なゲーセンや町田のあの人の所とか世話になったな。


 まぁそういうのは高校を卒業して地元を出て働くようになってからで。今からするのはまだ地元にいた頃の話だ。


 地元の、そんなに大きくもないゲーセンでいつも通り閉店後まで残り、店員と常連とカウンターで俺は駄弁っていた。と言っても今でも話すのは苦手なのに当時はもっと苦手だったので、殆ど適当に話に合わせて頷いているだけだったと思う。


 そうやって過ごす閉店後の時間は、不思議と穏やかなものだった。あの時間の、最も印象深い記憶は、当時すでに骨董品だったバブルシステムを「これは特別だからね」と言って店員が奥から出してきて、筐体を開けハーネスを繋げ電源を入れたことだ。

 薄暗い、俺と馴染みの常連と店員の四人しかいない店内で、無機質なカウントダウンの後、あのバブルシステムの起動音――今はモーニングミュージックという曲名で知られている――が響く。最小限の音数で綴られる、どこか物悲しく、けれど美しい、ゲームミュージックで最も好きなものはと問われたら、俺が一番か二番には挙げるだろう曲だ。

 音楽や何気ないものを美しいと思う素養が殆ど無かった当時の俺に、あの音が刺さったのは、店員が愛おしくバブルシステムの基盤を扱う手つきであるとか、特別という言葉であるとか、閉店後という背徳的な時間であるとか、色々と要因があるのだろう。それでも、あれは今聞いても文句なしに美しい。


 話を戻そう。あの日の閉店後は店員の趣味で現役で残されていたのだろう XEXEX をテストモードにして曲を好き放題に流して遊んでいた気がする。

 高校の頃の記憶なのでそこそこはっきりしてはいるが、流石に細かい会話までは確かではない。スムーズな再現のために多少の脚色は許してほしい。


 一人二人と常連が店を出て、最後に残ったのが俺と店員と今はパナソニック傘下となった中堅電気メーカーに勤める社会人の常連の藤原さん(仮名)と、中学生の女二人。

 そのうちの一人は、そこそこ格ゲーをやり込んでいる奴だったので背格好だけは何となく覚えていた。当時は女でゲーセンに来てやり込んでるってのは結構珍しかったし。それがしかも閉店後まで残ってる女となると更に珍しい。


 閉めるぞーと一声。電源を落とし、俺らを外に出してシャッターを下ろした店員は、この後は知りませんよとばかりにいなくなった。まぁ、このアバウトさのおかげで、俺も入り浸る事ができていたのだからとやかくはいうまい。


 大して栄えていない町だ。深夜となれば灯りも少ない。暗いシャッターの前で、女二人は藤原さんに猫撫で声で言った。


「藤原さーん。どっか連れてって下さいよー」

「帰りたくないしー」


 中学生らしいあどけなさの残る女二人は、特別遊び慣れてるようにも見えなかったし、はしたない格好というわけでもなかった。化粧っけもなく、髪も染めていなかった。声が低くまな板な方はショートカットで、甲高い声で少しふっくらした方は長い髪を結んでいた。私服高に通い、幅広いタイプの同世代の服装を見慣れていた俺からしたら、むしろ地味な方に思えた。まだ夏の暖かさが残る季節の装いであっても。

 だからして、この二人の言動は唐突だった。そもそも藤原さんとどのような関係なのかも見当がつかない。


 シャッターを閉めたゲーセンの前にたむろっていても碌なことにならない。

 なんだか面倒に思え徒歩で帰ろうとした所を藤原さんに引き留められる。仕方なく、俺は名も知らぬ中学生の女二人と車に乗り込んだ。


 深夜一時過ぎ。助手席に俺、後ろに女二人。駐車場を出てゲーセンの角を曲がり、人気の無い道を西へと車は走り出す。家とは完全に逆方向だ。

 聞き覚えあるミスチルがかかる。俺はあまりそれが好きでは無かったので――今でもそこまで好きではないが。百円ショップにありそうなプラスチックの籠に無造作に入れられている色とりどりの MD の束を漁った。B’z、ELT、GLAY、その他色々……そのうちの真新しい一枚を選んで勝手に入れ替えた。

 the brilliant green。確か発売されたばかりのアルバムで、藤原さんはその日のうちに MD に焼いてきたらしい。曲は知っていた。どのような奴らなのかさっぱり知らなかったが、普段洋楽を聴くことの多かった俺には耳に馴染みやすかったのだ。GLAY も悪くはないが。


 一体どこに行くんだ? 都会ではないのだ。深夜に未成年が入れる店など殆ど無い。そう思う俺の後ろで女どもは無邪気にはしゃいだ。


「ラブホ行きたい」

「行ってみたい」


 そんな声が飛び出す。正直、俺は少し面白くなってきたな、と思った。運転席の藤原さんを見ると明らかに表情が苦い。


「バカを言うな。とりあえず街中のラブホはダメだ」

「じゃあ、山のラブホ!」


 確かに山の方にラブホはあったと思うが。ああいうところは車のままで入れるからか? と、そこで俺は思った。ラブホは男と女の人数が合わないと断られると聞いたこともある。もしかして人数合わせのために俺を連れてきたのか? それはそれで困る。

 この中学生共には全く魅力を感じなかったし、誰でもいいほど飢えてるわけでもないし、いくら当人が遊びたいといっても中学生なんて面倒になるに決まってる。

 多人数が嫌がられるのは、あくまで料金は二人用だからなのだが、当時の俺は知らなかったのだ。高校生にラブホに行くような無駄金は使えなかったし、高校生同士ヤルだけならラブホでなくてもできたし……まぁ若さ故のアレだ。


 今思えば、最も世間的な危険の淵にいたのは藤原さんなのだが、俺は全くそこまで頭が回っていなかった。若いって愚かだ。

 俺は、呑気にも漠然とした非日常を純粋に楽しんでいた。


 中学生どもの疑問や期待を適当に受け流しながら藤原さんは郊外へと向けて車を走らせた。このままでは市外に出そうな勢いだ。山のラブホと言っても方向が違うのではないか?

 薄々何かおかしいと気づいた時、信号待ちで止まった藤原さんは後ろに振り返って女共に歯茎を見せた。


「ほら、俺って八重歯がすごいだろ?」

「ホントだ」

「えっ、すごい」


 確かに藤原さんの八重歯……というか犬歯は特徴的で目立つものだったし、彼が笑えば見えるそれを俺は何度も見て知っていた。青信号になり、車はまた走り出す。


「俺は吸血鬼かもしれん」


 またそのネタか、と思ったが声には出さなかった。中学生たちには、この微妙にオヤジ臭いギャグはそこそこウケていたようだった。

 別に吸血鬼でなくとも藤原さんと俺がその気になれば、中学生二人は抵抗などできなかったはずだ。あれは、彼なりの遠回しな警告だったのかもしれない。


 ゲーセンを出て三十分は余裕で過ぎていた。ブリグリのあの有名な歌詞のように光のスピードではなかったが、車は勢いを増し、木々をつづらに闇を割っていった。もし、ここで下されたら後ろの中学生は当然、俺も歩いて帰るにはうんざりする距離だ。

 道はうねり、緩やかながら標高を増す。

 時々、走り屋らしき車が俺たちを追い起こしてゆく。

 街の灯は遠い。

 ラブホなど到底ないはずの方向だと女共もようやく気づいて口数が減った。


 俺はどこかで藤原さんを無条件に信頼していた。俺が初めて会った、学校とも家とも繋がりのない、俺を人間として扱ってくれる普通に話せる大人だったのだ。

 立派な会社に勤めていて、それでいて多趣味だった。藤原さんの家には妙にボロい無駄に広いガレージがあって、軽トラまであった。その軽トラで潰れたゲーセンから筐体を貰ってきたり、キャンプや釣りの道具を積み込んで海に行ったりもした。


 当時はまだ限られた人のものだった PC や、ネットワークにまで詳しかった。Windows でさえ知る人の少ない時代に――今思えばだからこそだが、Linux を知っていた。

 彼のそうした知識が、それからすぐに爆発的に世に普及するインターネットのはしりだったのだと知るのは一人暮らしを始めるこの翌年のことだ。中学まで家に固定電話さえないという、情報弱者そのものだった自分が、地元を出て携帯やプロバイダを契約して今の仕事に繋がるまでになった経緯を思い返すとき、彼との邂逅は無視できない。恩人と言ってもいい。


 信頼は揺るがなかった。信頼は。けれど、彼が何をするつもりなのか全く分からない。車は丘の上で止まった。本当に何もない所だ。なぜこんな所に道があるのか不思議なくらいに。

 本当にここで降りるらしい。


 エンジンが切られ暗闇にぽつりと飲み込まれた車のドアを開けると、冷たい風が頬をなぶった。標高は五百メートルか六百メートルか。たったそれだけで、ここでは一ヶ月は季節が進み、夏はとうに終わっていた。


 月のない晴れた夜だった。頂上に木々は少なく、視界はやけに開けていて、眼下には丘の暗黒地帯を挟んで向こうに街の灯が広がっていた。道路で作られた穴だらけの光の織り目が終端に見える陸繋島まで繋がって、砂州の上に築かれた人の縄張りを主張している。

 漁火を浮かべているあの闇が少しでも鎌首をもたげたなら、一瞬にして沈んでしまいそうな。えらく薄っぺらく平坦な、それが俺たちの住む街だった。


 その基本的構図は、近場で見られる裏夜景と呼ばれるものと同じだったが、何度か見たそれよりも俺たちは少し遠く少し高い場所にいた。一際強い灯りで縁取られた陸と海を隔てる弧は見慣れた角度よりもぎゅっと奥行を圧縮されて、離れているはずなのにずっと雄弁だった。


 女二人が声を上げる。

 少しの疎外感があった。


 多少の驚きはあったが、まぁ裏夜景っすかという気持ちは拭えなかったのだ。そんな俺を見越してか、藤原さんは笑って車のルーフ越しに言った。


「天の川を見よう」


 何を言っているんだこの人は?

 天の川ってそんな、街をちょっと離れたくらいで見えるものなのか? そもそも離れるもクソも、この空の下に広がるのは夜景の灯りそのものではないか。

 無知な俺は本気でそう思った。天の川というのは街に住んでいる限り見れないもので、特殊な場所に行かなければ見えないものなのだと。


 疑いの目で見上げた空は、とてつもなく星が多かった。

 俺は瞬時に理解した。天の川というのは考えていたような特別な構造物ではなく、ただ単に星がめちゃくちゃに多い所なのだ。無数の星が東西に帯を掛けている。あまりの星の多さにそう錯覚した。

 本で見るようなあの模様は、ごく薄らとしか捉えられなかったというのに。

 たった三十分、車を走らせただけで見えるものがこれほど変わるなど想像したこともなかった。

 きっと、これまでも天の川を見ようと思えば見えたこともあったはずなのだ。俺はただ単に、それを見ようともしなかっただけなのだと。

 何故かそう、思ってしまった。


 俺たちは互いの息さえ聞こえそうな静寂の中で星を見上げた。何を話したのかはあまり覚えていない。

 寒くなれば車の中に戻り、夜明けまで菓子を啄みながら、四人でたわいもない話をして過ごした。


 空の変化は日の出よりもずっと先に始まる。それを追いかけていれば、時間が過ぎるのは早かった。

 街と反対側から日は登り、雲の上に浮かぶ山容を眩い朝焼けで照らして浮き彫りにしていた。天頂から覆っていた夜は刻々と塗り替えられて、地上にいつも通りの街を取り戻してゆく。


 夢は覚めて、俺たちは丘を降りていった。




 市内に入るなり、藤原さんは朝一番から空いているガソリンスタンドに寄った。まだ朝の七時前だ。そこで淡々と中学生二人に告げた。


「家に電話しなさい」


 大人の声だった。

 あの頃はまだ、学生にまで携帯は普及していなかった。ガソリンスタンドには公衆電話があったのだ。

 当然、二人は猛反対した。半べそになりながら。何を言われるかわからない、絶対に怒られるからと。藤原さんはそんな二人を叱るでもなかったが、電話を掛けるのを確認するまで車を出すつもりもないと言う。

 ここから、彼女らの家はまだ遠い。


 あの頃の俺にはわからなかった。何故、藤原さんがあそこまで電話を掛けさせることに拘ったのか。どうせ家に帰れば二人は親と顔を合わせることになるのだ。今ここで朝っぱらから電話するのと、そのまま帰るのと何が違うというのか。


「何か言われたら俺が出る。正直に全て話しなさい。天の川を見に行ったのだと言えばいい」


 藤原さんの、この言葉が彼女らを動かした。

 一人目がおずおずと受話器に手をかけてボタンを押した。俺は何も正解がわからない微妙な緊張の中でそれを見守っていた。


 ショートカットの方は笑顔で電話を終えた。天の川を見に行ったのだと告げたら、親はあっさりと納得したらしい。これには俺も少々驚いた。自分の親があまりにも放任過ぎることと、女の親の厳しさは多少なりとも理解していたからだ。

 髪の長い方は明らかに親と言い合いになった。途中で藤原さんが電話を代わり、彼女の親と話すこととなった。彼が何を話していたのか正直覚えていないのだが、なんとか落ち着いて電話を終えたのは確かだ。


 藤原さんは別れる前に、自分の名刺――当然勤務先も記されてるそれに電話番号を書き加えて中学生二人に渡した。

 今ならわかる。まだ彼女らの親が何か疑うようなら、自分に電話させるつもりだったのだ。身元の証明の為に、勤め先にチクられるリスクさえ背負って。幾らでも身元を隠して、ごまかすことだってできたはずなのに。


 SNS 全盛の今時代ならもっと信じがたい行動だが、当時でだってあれほど正直な大人がどれだけいただろう。

 人によっちゃ、というか大半の常識人ならそもそもゲーセンの前に二人を放っておけば良かっただろう、車に乗せた時点で犯罪だと言うかもしれない。


 わかってる。

 俺たちは皆どこか既定路線から外れてた存在だったのだと。そう思う。あの頃はわからなかっただけで。ネット全盛期になり人々のお上品さに触れて、俺は悉くカルチャーショックを受けたものだ。


 それでも、藤原さんは俺の恩人なのだ。

 お元気だろうか。

 あなたが冗談でなくて吸血鬼だったら、今も若くて遊びまくってたらそれはそれで素敵だけれど、普通に歳を食っていい感じのイケジジになりかけていたらそれもいい。


 俺はあの日、家に帰ってあまり話さない親に、天の川を見に行ったのだと伝えたのですよ。あなたの言った通りに。

 それは何か、父親に妙にウケたみたいで「そういう友人は大事にしろ」とか急にカッコつけたこと言いやがって。


 藤原さん。どうかお元気で。

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