クロウリー
坂本忠恆
第一幕
第一幕 その1
時 一九四五年八月末(大戦終結直後)
場所 魔術師アレイスター・クロウリーの工房
(イングランド、サセックス郊外のネザーウッドハウスに構えられた老魔術師クロウリーの工房。薄暮の時分、橙に染まる室内には、怪しげな呪具の類いが堆く嵩み、部屋全体が今にも崩れ落ちそうな不安定な感じを帯びている。
振り子時計の音だけが高く響いている。
部屋にはクロウリーと列聖省員を名乗る客人の男。クロウリーは思案する人のよくするように室内をあちらからこちらへ、行きつ戻りつしている。客人は英国紳士風のいで立ちで帽子も脱がずに両手で杖をつきながら、家主の様子をじっと窺っている。
クロウリーの若き弟子グラントが現れるが、彼は二人を見ると躊躇って歩を止め、部屋の隅に隠れるように立ちながら耳をそばだてている。
ふと時計の音が止まり、クロウリーもまた立ち止まると客人を振り返り見て何かを言いかける、が、それを制するように先に客人が声を発する)
列聖省員「クロウリーさん。幸か不幸か、あなたの演じてきた道化の役どころが、我々に役立つ時代は今は早終わったのです。あの大なる破壊の時代が人間の田畑を耕して、戦火の焔は害虫どもを追いやった。豊穣なる人間の繁栄の時代が、今こそついに訪れたのですよ。しかし、その時代を先導するべき力の所在がアメリカの工業力にあると考えるのは早計でしょう。良い土は良い作物の条件だが、それもこれも、良い農夫という前提に立ってこそです」
クロウリー「わざわざ列聖省からの来客と聞いて、これは眉に唾付けて用心をせねばなるまいと思っておったが、これもまた幸か不幸か、要らぬ心配りではなかったようだ。神父に似つかぬその風体、鼻持ちならぬ我が国の紳士連を髣髴とさせる。つまりは油断のならぬ臭気が芬々と漂うておるのだ。そして何よりその妖しげな言辞、吾輩の霊を通じて、おぬしらの主の耳にまでしかと届いたことであろう」
列聖省員「神をも恐れぬ大魔術師の科白とは思えませんな。異端の教理を棄てるというのなら、今すぐにでも洗礼を与えて差し上げましょう」
クロウリー「ならば代わりに火刑にでも処するがよい。おぬしの言う人間の田畑にも、未だ燻り返らぬ火種が自ら灰燼へと帰するべき新たなる主を求めてよろぼうておるのであろう? 異端者の肉はよく燃える信仰の薪だ。吾輩の肉にもひとたび火が宿れば、奇跡のあらたかなる徴はたちどころに新たなる信仰の種を火の粉の如く振り撒いて、おぬしらの面目も躍如として再び世に躍り出るでることであろう」
列聖省員「あなたを火炙りに? まさか、とんでもない。それこそ悪魔と手を結ぶに等しい暴挙だ。それに、現代は最早そのような時代ではないのですよ。異端者を燃やす焔が信仰心にまで燃え移りやすい木材でできた可燃の世界は去り、今や、鉄とコンクリートがこの世界の宗主となった。触れたものの掌から忽ち熱を奪う金属質の冷徹の時代、その冷徹こそが怜悧なる理性的信念の確かさを証しする堅牢なる世界が訪れたのです」
クロウリー「本当にそう思うのかね? おぬしらの歴史に確かなあの蛮行の再現を、肉の燃え盛るカニバルの祭事を、我々はつい今しがた目に焼き付けてきたばかりではないか。世界の燃えやすさは、今も昔も変わらぬ人の肉と心の燃えやすさと同じい性質を保ち続けているのではないか?」
列聖省員「その場合、焔が仕えるべき主を他に見出したというだけのことでしょう。確かに、焔は異端者の肉を好む。しかし、クロウリーさん、焔のもう一つの性格は、徹底した平等なのです。奴らは異端者の肉どころか、聖者の袈裟にさえ憚りなく寄寓して、厄介な居候さながら、その主たる聖なる者の肉を味わうように嘗め上げるのですよ」
クロウリー「焔の平等とはつまり見境のない胴慾に過ぎないということを、おぬしは言っておるな? 異端者を焼く焔も、死の収容所の竈門で殺戮の味を嗜むあの焔も、熾天使を取り巻く焔や、地獄で罪人を焼く焔でさえ、その胴慾の業深き性格、地獄の深淵の性格を持つことを、おぬしは言っておるのであろう?」
列聖省員「如何にも。そして、奴らが胴慾であるからこそ、悪魔を使役するソロモン王のように、我々は、焔を使役することに成功したのです。発動機の鉄に捕らわれて、人間たちに飼いならされたあの従順な焔のことをお忘れですか? 人間に従順なあの悪魔の鼓動を、ストックトンからダーリントンまで追い立てられて駆ける悪魔の悲鳴が、ありふれた日常のワンシーンになり果てた黙示録の堕落は、あなたがた英国人の始めた新たなる神話ではありますまいか」
クロウリー「そして世界は野蛮な焔の信仰の時代に立ち返ったのだ。おぬしのいう従順な焔というものが、吾輩には一向に合点がゆかぬ。おぬしらにとって、蛮族の神は正しくサタンであろうが、その謂はれに於いて、焔との契約はサタンに魂を売る行為なれば、おぬしらに対する其奴の従順さは仮初のもの故、焔の胴慾は後来も猶、見境なく人々を焼き滅ぼし続けるのだよ。鉄の冷徹、これもまた仮初の姿であろう。鉄がどうして我々の世界の宗主足り得るのか、それは鉄が熱の宗主足り得るからであるぞ。鉄は氷の冷徹も、焔の熱狂も、何食わぬ顔で受け入れる。焔は己の熱き胴慾でさえ、覇王の如き鉄の自若には能わぬことを知っておるのだ。軟く燃えやすい肉袋に過ぎぬ人間が、鉄や焔を使役するなど、破滅を孕んだ僭上な思い上がりであることは、歴史家やシャーマンの眼を通して見るまでもなく、それこそ、火を見るよりも明らかであろうに」
クロウリー 坂本忠恆 @TadatsuneSakamoto
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