[附録]2016年、私の夏の一日の思い出

 この夏のある日、たまたま学生時代に住んでいたところの近くまで行ったので、そのころ通った道を歩いてみました。当時は、大学まで通う電車賃を節約するために、三十分ぐらいの道を歩いて通っていたのです。

 道沿いの風景がぜんぶ入れ替わってしまったかというとそうでもありませんでした。前と同じ家やビルがそのまま残っているところもありました。築年数が確実に何十年か増えているわけですけれど、同じ家に住み続けている家族、たぶん親と同じ校舎の学校に通っている子どもたちがたくさんいるのです。

 一方で、街区全体がすっかり新しくなってしまったところもありました。住んでいたころによく友だちと通った店がどうなったか見てみようと思っても、道の両側の様子がすっかり変わっていたり、たぶん道もつけかえられていたりして、まったくわからなくなっているのです。本屋も食べもの屋も、そのころの「行きつけの店」は一軒も見つけることができませんでした。

 そして、当時は、少し急ぎ足でではありましたが、三十分で歩けた道が、四十分かかっても走破できませんでした。疲れ果てたところで、学生時代に友人の家を訪ねるためによく乗った路線のバスが来たので、それに乗りました。このぶんだと、沿線に懐かしい風景を一つぐらいは見つけられるだろうと思って見ていたのですが、今度はそんな場所はもう一つも見つけられません。風景も変わったのでしょうが、バスの車窓から外を見るときに何を見ているかが、たぶん、そのころとは変わってしまったのです。

 時間が経つというのはこういうことなんだな、と思いました。すべてのものが時間にしたがって同じペースで変化するわけではない。急激に変わるもの、ずっと変わらないものが混在している。そして自分自身もそのなかで変化している。だから、相手が変化していなくても、自分はそれを同じようには受け取れない。そんななかで、たぶん、私たちはたくさんのものを失ったと感じるのです。

 この物語を書いているとき、そのときのことは、じつはほとんど思い出しませんでした。でも、たぶん、この物語にはその暑かった一日の経験が反映しているのだろうと思います。


 * 同人誌版のあとがきより抜萃しました。

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夏の一日 清瀬 六朗 @r_kiyose

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