後編



 来た道を戻るように進んで駅前に戻ると、ガード下を抜けて北側に出る。南側にあった商店街とは異なり、大きなビルが幾つか建っていて、飲食店が入る雑居ビルなどもチラホラ有った。


「……これが、その再開発計画の結果だ。駅の北と南で全く違うだろう。南は小さな商店が並ぶ、下町の雰囲気を遺し、住宅街にする事によって、元から住む住民の不満を抑え込んだんだ。代わりにこの北側にはビルや商業施設を呼び込んで、新たな人流を産み出した。……たしかにそうして「棲み分け」は上手く出来たが……」


 賑やかな喧騒を遠目に眺めた後、渡辺さんは視線を少し上に上げてから、「行こうか」と言って、また歩き始めた。



◆  ◆  ◆  ◆



「珈琲を2つ……何か食べるか?」


 結局、午前中に渡辺さんと待ち合わせをした喫茶店へと戻ってきた。賑やかな繁華街とは違い、駅の南側に有る小さな純喫茶。客も入口付近に二組ほど、どちらも一人客で静かに本などを読んでいる。夕飯時では有るが食事をするような気分でもなく、「いえ」と首を振って、カウンターから最も離れた、奥のボックス席に座り、出された水を一口煽る。対面に腰掛けた彼はスーツの内に手を入れると、こちらに煙草を見せ「良いか」とひと声かけ、俺が頷くと備え付けの灰皿を自分の元に手繰り寄せてから、取り出したそれに火を点ける。


 一口吸い込んだ後首を横に向け、ゆっくりと深呼吸のように紫煙を吐き出した彼は、一度キツく目を閉じてから、ゆっくりこちらへ顔を向け、ポツリポツリと話し始めた。


「さて、まずはどこから話そうか……。そう言えば雄哉君、君はこちらへ連れてこられてから、二人と連絡は?」

「……いえ、一度も有りません」

「……やはりそうだったのか」


 俺の返事に何故か腑に落ちたように納得した彼は、手に持った煙草の灰を叩いて、またそれを口に運ぶ。


「……優希君、意識を取り戻してからずっと君のことを、お母さんに聞き続けたそうだ。「この事を兄ちゃんが知ったら大変だ。どうにか止めて欲しい」ってね。まだまともに喋ることも出来ないのに、必死になってそう訴えかけていたらしい。それで貴島が言ったんだよ、「アイツは俺が預かってやる」とね。当然お母さんは反対したよ、でも朝にも伝えたように、そこに現実問題が重なり、最終的には苦渋の決断をしたんだ」



 どうしてそんな勝手が許されると思って居るのよ! 嫌よ! 嫌に決まって――。


 確かにあの時、母は泣きながら言っていたな……。優希の前で葛藤できず、辛くて苦しかったろうに。最後の最後まで苦しんで……現実を受け入れたんだ。


 ――俺なんかのために……。


「……優希君はそれからものすごく努力していたらしい。失った右目はどうしようもない。だから左の目だけで生活に困らないように必死にリハビリを続けたそうだ。口の方は幸い、唇の端部から頬にかけての裂傷だったから、直ぐに話すことは出来るようになった。……ただ、顔の筋肉の一部と神経が完全に断絶している箇所が幾つかあって、外科手術でも完全に元通りには難しかったそうだ。それでも彼は努力し、きちんと高校まで卒業した。……約束していたそうだよ。ちゃんと高校までは卒業して、就職するって。そうしたらまた、3人で暮らさせて欲しいとね」


 そこまで話した時、ちょうど珈琲が2つテーブルに運ばれてきた。持った煙草を灰皿に押し付けると、彼はその珈琲をブラックのままズズと啜り、一つ大きな溜息を零す。


「……だけど、現実ってやつは残酷だ。学校は成績とテストで合格すれば通えるし、きちんと卒業もできる。だが、社会は……世間はそう簡単には行かなかった」


 俺達の暮らした街はどちらかと言えば田舎と呼ばれる地域に当たる。そんな小さな街で顔に特徴のある傷を持った人間が居れば、どこの誰だとすぐ噂になる。結果、優希自身は優等生であっても、俺と言う足枷が直ぐに噂に上がってしまう。そうして優希の怪我自体も、良からぬ尾ひれがついて捻じ曲がって伝わり、その街での就職なんて出来なかった。


「優希くんもお母さんも辛い経験をしたと思う。それを知った貴島は直ぐに二人をこちらに呼び寄せた。そして貴島が良いと言うまで、君とは連絡を取らないという約束の元、二人の居場所と就職先を斡旋したんだ」


 親父がそんな事を……。目の前に置かれた珈琲カップを見つめながら、揺れるその水面の中、必死にアイツの事を思い出すが、「ムカつくならいつでもかかって来い」と何時も不敵に笑みを浮かべる顔しか浮かんでこない。


 何で? どうして俺にはそんな態度ばかりをとっていたんだ?


「……それは本当にあの男ですか?」

「ん? どういう意味だ?」

「言っちゃあなんですが、余りにも人物像がかけ離れすぎていて。俺の前では何時も喧嘩っ早い、唯のクソ野郎でしかありませんでしたから」

「……そうか。奴は君の前では強い自分をずっと見せて居たんだな、ふふ、らしいと言えばらしいな」


 俺の言葉についといった感じで、笑顔を見せる。そのまま珈琲を啜ってテーブルに戻すと、瞬時に真面目な顔に戻して話を再開した。


「そうして、二人はこちらでちゃんと就職でき、一件落着となるはずだった。だが結果はどうだ? 君の父、貴島健吾は凶弾に倒れ、君は全てを失い、この街を忘れるように去って行った。さっき言った事覚えているかい? 社会や世間は冷酷って話」

「……えぇ」


「……もう一人、人生を狂わされた奴が居たんだよ」

「……? 誰の事で――」

「君の弟と喧嘩になって、優希くんに大怪我をさせた加害者だよ」

「――っ!?」


 当時、中学3年生で柔道部主将、生徒会風紀委員長を務めていた、「春木吉政はるきよしまさ


 その瞬間ときまで、柔道部主将で、風紀委員長にまでなっていた彼は、県大会でも上位を狙える将来有望な逸材だった。しかし、優希との一件で柔道部での活動禁止は勿論、生徒会役員もその場で罷免。事件化まではされなかったが、当時中学1年生である優希に大怪我を負わせた事は、すぐさま地域一帯に周知されてしまった。それでなくとも柔道をしていて格闘経験者である人間が、そんな事をすれば例え故意でなかったとしても、世間はそんな目で見てはくれなかった。推薦が決まっていた高校進学は当然出来ず、両親からは酷い叱責を受けた。家族諸共その地域にいることは出来ず、結果として卒業を待たずに彼はそのまま引っ越した。一家はそのまま地方都市へと移り住んだが、吉政は何を思ってかこの街へと一人で移り住んだ。一夜にして全てがひっくり返ってしまった彼にとって、世間は憎むべき存在へと変わってしまった。そんな男が行き着く場所は、結局力が物を言う世界。堕ちるところまで堕ちた彼は、何時しか半グレとなり、事もあろうか、当時小競り合いで揉めていた山崎組へと加入する。そうして、色んな場所で揉め事を起こしては扇組と喧嘩をさせるというお題を受けて暴れていた。そんな中、たまたま通った郵便局で、彼は自分がこうなってしまった原因を見つけた。


「……そんな!? それじゃ、まさか親父を撃った人間って」

「その事が判ったときは、どんな皮肉かと思ったさ。……なんて巡り合わせの悪さなんだってな。しかも春木吉政は所謂鉄砲玉だ、捜査が遅れた理由は、犯人である吉政自身がその日の内に廃ビルで焼身自殺していたことも有る。どうせ口封じのために組の誰かに消されたんだろう。何しろ、予定外の人間を射殺してしまったんだ。しかもその相手が菅原会の組長だぞ、そりゃあ、向こうも慌てただろう。結果としては春木が所持していた拳銃から、山崎組だと当たりは付いたが、指示した人間は見つかる訳もない。最終的には被疑者死亡のまま、書類送検で事件は幕を閉じてしまった」


「何故です!? そんな! それじゃ、2つの組に吸収されたあいつらは? 親父を殺した奴の下に付いたって事じゃないですか!」

「落ち着け! ここで騒いでも仕方ない! それにまだ話は終わっていない」

「……終わっていない?」

「あぁ、だからまずは座って落ち着……あぁスマンな。悪いがお替わりを頼めるか」


 堪らず激昂した俺をそう言って諌めていると、慌てずマスターが奥から現れて、タオルをこちらに寄越してきた。飛び上がるようにして立ち上がったせいで、テーブルに乗った物を全てぶちまけてしまったからだ。


「あ、す、すいません」

「いえ、大丈夫ですよ。それより火傷などしていませんか? ズボンにも結構かかっているようですが」

「え? あ、あぁ問題ないです、かなり冷めていましたので」

「そうですか。まぁ、「岩さん」のお客様ですから、こちらも大体は理解しています。もうお二人しか居ませんしね」

 

 マスターは柔和な顔でそう言うと、「こちらは下げますね。すぐに替わりをお持ちします」とテキパキと茶器を盆に乗せて戻っていく。


「……岩さん?」


 一体誰の事だと渡辺さんの顔を見つめると、バツの悪そうな顔を見せ、「どうせ俺は岩みたいな顔だ。ほっとけ」とブツブツ悪態をついている。なるほどと納得して椅子の周りを拭き上げて、少し気分が落ち着いたので、改めて座って「続きをお願いします」と伝えた。


「……あ、あぁ。貴島健吾殺害の件は、そう言った経緯で事件は決着したが、殺人事件が起きた以上、その関係先を徹底的に調べるのは当然だ。そうして山崎、扇共にガサ入れを行い、2つの組を徹底的に洗った結果、胸糞な事が発覚したんだ」


 そこまで言って渡辺さんは言葉を切ったあと、当時の気持ちを思い出したのか、険しい表情になり、吐き捨てるようにその言葉を言い放つ。


「山崎組と扇組は元々結託していた。既に規模を縮小していた菅原会を潰すため、春木を初めから貴島健吾にぶつかる様、仕向けていたんだ」


 その言葉を言われた瞬間、頭の中が真っ白になる。……全く意味がわからない。それじゃあ何か? 当時揉めていざこざを起こしていたのは、親父の組を潰すために2つの組で芝居を打っていたって事なのか? なんで? もうあの頃には親父の組は形骸化して、ほぼ解体屋が主体の唯の土方の集まりに過ぎなかったのに……。


「……菅原会自体は殆ど活動自体はしていなかった。当然、2つの組からの上納も無かった。……ただ、この街のと言えば、貴島健吾。これだけはその世界の者達にとって絶対だったんだ。何しろ、あの再開発計画の時、三つ巴の地獄のような抗争の中、街の議員までを纏めて一つのテーブルに着かせたのはアイツだったからな。クソつまらん奴らの言う「面子」の為に貴島は殺されたんだ。……その事が分かったお陰で、今、2つの組はもうほぼ機能していない。徹底的に締め上げ、殆どの構成員をぶちこんだからな。あいつらの世界で、義理欠きは最低の行為だ。務所に送られた連中は、ほぼこの街に戻っていない。獄中で死んだか、行方不明になっている」


「……そんな……事、なんで……今」


 何時しか俯いたままの俺の足元にはぼたぼたと幾つも水滴が落ちている。悔しかった、悔しくて堪らなかった。親父は確かにクソ野郎だったけど、俺に仕事だけはきちんと教えてくれた。皆で汗だくになりながら、現場仕事だけは真面目にきちんと熟していたのに……。


「これは貴島に止められていたんだが、余りに君が不憫でな。君が署に来た時、既に貴島は息を引き取っていたが、発見当初はまだ息があった。生死の淵を彷徨っている時、貴島はずっと君のことを心配し続けていたそうだ。「真っ当にしてから、真弓に返すんだ」と、何度も何度もうわ言のように言いながら」





◆  ◆  ◆  ◆





 もうその後のことは殆ど覚えていない。


 ただ決壊した気持ちが溢れ、慟哭し、その場に頽れた所で意識を失った。


 気が付いたのはビジネスホテルのベッドの上で、とうに夜が明けていた。日の差すはめ殺し窓から外を眺めると、空は高く、雲ひとつ見当たらない。視線を下げた先にはここが駅の北側に有る商業施設のビルの一つだと気がついた。


 窓にもたれながら、駅舎の方をぼんやり見ていると、そこにちょうど電車が入ってくる。


 ――はぁ、人生がすっげぇ変わった気がするのに、世の中ってのは普段どおりなんだな。……はは、そうだな。一人の人生が変わったくらいで、いちいち世の中動いていたら、とんでもねぇ事になっちまうか。


 大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出すと、肩の力が抜けていく。


 ――親父、アンタが何で黙っていたのか、俺の前でずっと不敵だったのか、少しは解ったような気がするよ。


 ――アンタは解っていたんだろ。俺の性格がアンタに途轍もなく似てるって事に。だからずっと……俺の前では弱みを見せずに孤高であれと見せてたんだろ?


 ――そうしないと、本音は逃げ出したくなるから……。


 ――母に甘える弱虫だから……。


 疲れてやつれた母を見るのが嫌だった。仕事に追われ、布団で死んだように眠る母。本当にもう起きてこないんじゃないかと、何度も鼻に顔を近づけて、息をしてるか確認した。綺麗な艶々だった髪が、ぱさついているのを見ていられなかった。弟が眠ったのを確認して、何度も母の布団に潜り込んでは抱きついて眠った。年齢を重ね、大きくなってしまってから、流石にそれが出来なくなって、遠目で見るのが辛くて……逃げ出したんだ。そうして溜まった鬱憤を、暴れる事で発散していた。


 アンタも同じだったんだろう? 



 ホテルで書いた便箋を持ち、チェックアウトに受付に向かうと、小さなメモを渡された。そこには無骨な字で「たまには親父に顔を見せに行け」と書かれていた。




***************************



 ホテルの前でタクシーを拾い、行き先を告げて30分程度。目的地で降車して向かいにある花屋へ足を向ける。種類がわからないので店員に任せて見繕ってもらうと、手桶や掃除道具の貸出もやっていると言うのでそこで全て調達した。中に入ってすぐ綺麗に剪定された庭が目に映えたが、そこを横目に通り過ぎ、目的の場所へと歩を進める。途中、水道を見つけて、手桶に水を張り、少し重くなったそれをぶら下げて、うろ覚えになった区画を進んでいくと、やがてその墓は見つかった。


「……久し振りだな、流石に10年も経つと迷ってしまうと思ったけれど、なんとか見つけることが出来てよかったよ」


 墓前で一人そう呟いて、一旦手を合わせてから、まずは墓石の周りの草をむしる。


「……この霊園って掃除のサービスでもしてるのか? ほとんど雑草が見当たらないな」


 そんな独り言をこぼしながら、周りをふと見てみると、とんでもなく雑草まみれの墓が何箇所か見つかる。……おかしいなとは思ったが、深く考えるのは辞めて、ただ一心不乱に墓石周りの掃除をする。


「……良し、じゃぁ次は墓を磨くから」


 柄杓を手桶に突っ込んで、掬った水をゆっくりと、数回に分けて墓石のてっぺんから掛け流す。それを数回行って、藁束を掴むと墓石の頭から順にこすっていく。掘られた文字部は指でなぞるように、花台や線香台もしっかりと。途中、中腰がきつくなって、何度か立ち上がって伸びをして空を見上げると、雲ひとつ無い五月晴れだった。


「うぅ、腰がヤベェ……。ってか朝も思ったけど、すんげぇいい天気だなぁ」


 そうしてゆっくり時間を掛けて、墓の掃除を終える。花台に買ってきた花を挿し、ロウソクと線香を焚いて、改めて正面にしゃがみ墓と正対する。


「長い間、来なくて悪かった。……渡辺刑事に会ったよ。話し……全部聞いた。優希と母さんの事、ずっと守ってくれてたんだな、ありがとう」


 そう言って手を合わせ、ゆっくりと目を瞑る。周りには誰もいない、今は俺とあんただけだ。生きてる時はホント憎たらしくてムカついてばっかだったけど、全部、俺や家族のことを想っての事だったんだな、ありがとう……。やっと、やっとアンタと向き合えた気がするよ。なぁ、クソ親父。


『テメェ……言うようになったじゃねぇか』


 瞬間、目を開いて墓を見つめるが、当然誰もいるはずはなく。立ち上がって周りを見回した所で状況に変化はない。


「……おいおい、マジか。それとも唯の空耳か」


 オカルトを信じている人間じゃない。ただ、そうあってほしいと心の何処かで思ったのかも知れない、あいつの言いそうな言葉。それを頭の中で妄想したから、聞こえたと勘違いしたのだろうと思い直し、次は目を閉じること無く話しかけた。


「昨日優希と母さん、見てきたよ。元気そうだった、就職先見つけてくれてサンキューな。俺も今、ちゃんと働いているんだぜ、しかもちゃんと社員としてだ。……真っ当に働いてる、だからもう安心してくれ。……二人の元気な姿が見られて良かった。一応、母さんに手紙……書いたんだけどさ、一言しか書けなくて……学がねぇとこう言う時、困るよなぁ……」


 ポケットから出したその便箋、一言『親不孝をお許しください』それしか書けなかった。これが相応しいのかすら分からない。……情けなくて墓前で一人蹲ってメソメソしていると、不意に誰かの気配が感じられた。



 ――まさか!? 本当に親父が?!


 慌てて振り返った先、しゃがんでいた視線から見えたのは二人の足元。そのまま視線を上げた先には、昨日見たばかりの懐かしい顔が泣き笑いの表情でこちらを窺うように立っていた。


「久し振りだね、兄ちゃん」

「雄哉……」



 視線がぶつかり、言葉はすぐに出て来ない。


 その声を聞き、目の前が滲んで晴れ渡った空が眩しい。


 あぁ、学がないと、本当……こう言う時、情けねぇ。


『馬鹿野郎……。そう言う時は、「ただいま」でいいんだよ』


 その言葉はたしかに背から聞こえた――。





 ~完~

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Dear Mom トム @tompsun50

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