中編


 電車に揺られ、バスを乗り継ぎ2時間。


 会社には無理を承知で、長期休暇をお願いした。あの日、体調を崩したと勘違いしてくれた班長のお陰で、申請は通り、1週間の休みがもらえた。すぐさま、銀行から当座の分の現金を財布にねじ込んで、翌朝一番の電車に飛び乗った。車内での電話は流石に緊張したが、直通の携帯にはすぐに繋がり、久しぶりに聞いたその声はやはり、ドスの効いた低いものだった。



「……お久しぶりです、貴島雄哉です」

「おお! 見違えたな。まぁ、座りなさい。珈琲でいいか? お~いこっちにもう一つ珈琲を頼む」


 彼と出逢ったのは10年ほど前だ。変わらず腹に響く大きな太い声、四角い顔に刻まれた皺は深く。日に焼けて黒い顔だが眼光の鋭さは全く変わっていない。肩周りの筋肉が盛り上がっている為か、着込んだスーツが窮屈そうだ。


「……渡辺さんはお変わり無く、見た目が怖いです」

 俺の言葉にキョトンとすると、一拍空けて大きな声で綺麗な歯並びを見せて笑う。

「あはははは! 言うようになったなぁ。あの頃はひと睨みしただけで、小便チビリそうな顔で後退っていたのに!」

「確かに、あの頃は分別も常識もない、本当に唯のガキでしたからね」

「……フム、そうか。では今はちゃんと真面目に働いているんだな」

「えぇ、フラついてはいましたが、今は便利屋でキチンと会社員してます。やっと落ち着いて――」


 近況報告をしながら世間話を幾らか交わした後、不意に渡辺さんはお替わりを頼んだ珈琲カップをテーブルに置くと、真面目な視線で俺に問うてきた。


「……それで。何か困ったことでも出来たのか? それとも唯の感傷にでも浸りに来たのか」


 やはり、刑事というのは機転が利く。恐らくは話のやり取りの中で、色々感づいてはいたのだろう。……まぁ、それでも別に悪いことをしに来たわけでも、する訳でもない。ただ、手掛かりが欲しくて聞きに来ただけなのだから。そう考えて、肝心な話を切り出した。


「……元居た街の警察署の刑事……。篠ナントカ? を探している?」

「はい。篠崎、さんか篠山さんだったか、何しろ15年以上前の話なので。当時、街で揉め事を起こす度、彼に補導されていたんです」

「……ふぅん」

「……難しいですか?」

 俺の言葉に気のない返事を寄越す彼。……何だ? 何か変な聞き方をしたか? それともそう言うのを聞くのは難しいのか?

「……いや、難しくなんか無いぞ。それだけ分かっていれば電話一本で済む。……ただな」

「ただ?」

 そこまで話した彼は突然あの鋭い眼光で俺の瞳をまっすぐ見つめて聞いてきた。



 ――本当の目的は何だ? 何故今更、過去の事に拘る? それを教えろ。



 それはまるで心臓を鷲掴みしてくるような言葉だった。簡潔で核心。低く真っ直ぐ、いきなりだった。


「……あ、あの。い、いや。……ちょっと待ってください」

「待たない。……そいつの名は「篠原 聡」元生活安全課に居た。現在は違う部署の刑事だがな。貴島健吾、君の親父の交友関係を、俺たちが知らないとでも思っているのか? 君の母、川崎真弓さんの二番目の旦那、川崎智樹さんは篠原聡と幼馴染だ、優希君の実の父でも有る。一体何を知りたい? 何故今になっていきなり故郷に帰ってきた?」


 矢継ぎ早に話す彼の言葉に、呼吸すら出来なくなる。


 じゃぁ、俺の家庭の事も優希が大怪我をした事も全部、この人は知っているって事なのか? ……そんな事が急に頭の中で渦を巻き、目の前がグルグルとして気分が悪くなる。違う! 俺はただ二人の無事を知りたいだけだ! 知って……? 知ってどうする? 逢うのか? 逢いたいのか? 


「……なぁ雄哉君、君が無理やりあの二人から離されて、貴島の所へ連れて行かれたことは分かっている。本来なら我々が介入しても良かった案件だ。しかし、それを拒んだのは真弓さん、君のお母さんでも有るんだ。「これは家族の問題ですから、大事おおごとにしないで下さい」と頼まれた。優希くんが大きな怪我をした、お母さんはかなり動揺したんだと思う。じゃなきゃ、君を貴島に預ける決断なんてしなかったろう。……だけどな、今、大人の君になら分かると思うが「現実」問題として考えた時。右目を失い、顔に大きな怪我をしてしまった息子の面倒をお母さんは見なきゃいけない。そこに所謂、不良少年だった君の面倒もと考えた時、どれだけのプレッシャーがお母さんにかかると思う?」


 俺の懊悩を気づいているかの様に、彼は言葉を畳み掛けてくる。……もう過去を忘れろ、今更そんな事をしても互いに苦しい思いをするだけだ。もうそんな必要はないとでも言うように。



 ――今更……逢って、どう――。


「……っ!」


 真っ直ぐ俺を見ていた彼の顔が苦虫を噛んだように歪み、苦渋に塗れた渋い顔をして目線を外す。


「……なら、一目、一目だけでも良いんです。何処か遠くからでいい、二人の無事を……この目で確認させて下さい。お願いします……」


 最後の方はまともに声にはならなかった。テーブルにぼたぼたと雫が落ち、30近くになったオッサンが、恥も外聞もなくボロ泣きで、厳つい男に頭を下げる。遂にはテーブルに頭を擦り付け、ガンガンと音を鳴らす勢いで、只々懇願し続けた。


 ……逢うことは叶わなくとも。……せめて無事だけは確認したい……。


 ――逢いたい……逢って弟に謝りたい……母に、母に抱きしめてもらいたい……。


 どちらも、俺の偽らざる本音だった。逢いたいが逢う自身が無い、それでも二人をこの目で見たい。心からの切なる願い……。


「……くそっ、泣くんじゃねぇよ。確かに君が罪を犯したわけではないから、自力で見つける事に俺達は手出ししない。ただ、警告だけはしておきたかったんだ。……これ以上は言わない」


 そう言って、渡辺さんは手元にあった伝票を持つと席を立つ。俺の隣を通り過ぎる時、ボソリと何かを呟いて、ポケットに突っ込んだ手から一枚のメモ紙が床に落ちた。


「……歳は取りたくねぇなぁ。涙腺が緩くなっちまった」





***************************




 書かれていた住所は2箇所。ふと見覚えのある住所へ先に来てみれば、そこは人通りの少ない、あの郵便局だった。俺の父、貴島健吾が最後に立ち寄ったとされる場所。何故こんな場所がと思いながらも、注意書きに「裏口側」と書かれている。どういう意味だろうと考えながら、その裏口が見える通りに着いた。そこには1台の郵便バイクが停められており、貨物用の軽バンも停車している。直ぐ側にはシャッターが半分空いていて、そこで作業をしている人間が見えた。


 郵便局員のブルーのシャツに黒のパンツを履いたその男は、軽バンのバックドアを開けると、幾つかの荷物を積み込みしている途中だった。そうしてふと身体の向きを変えた時、その男の顔がチラと見える。


「……っ! ゆう」

 慌てて黙り、通りの横道へと身を隠す。その声が聞こえたのかは分からないが、彼は何か聞こえた様子で、チラチラと周りを見回していた。


 ――右目に眼帯を付け、上唇が引き攣っているのか、時折、口をモゴモゴさせている。ちょうど右の口端辺りから頬に掛け、亀裂のように入った傷跡。左側から横顔を見れば、傷のない綺麗な顔。それを見た途端、溢れる涙が止まらなかった。



 そんな大きな傷だったなんて……。どうして、どうして俺なんかの為に……。



 そうして通りの影で一人泣いていると、閃いたように気が付いた。


 親父は、ここに優希が勤めている事を知っていたんだ! だからわざわざここまで足を運んで……。


 でもどうして優希は実家から遠いこんな街で働いているんだ? ふとそんな疑問が湧いてきたが、それよりも優希が笑顔で働いている姿を見て、一先ず心は少し落ち着いた。




◆  ◆  ◆  ◆




 2箇所目はこの街の駅前通りに有る商店街筋の一角だった。時間帯が夕刻だと言う事もあり、通りは買い物客でかなり混雑している。住所を頼りに歩いていると、1軒の弁当屋が目に入った。持ち帰り専門になっているのか、正面には商品の書かれた看板が並び、カウンターで忙しそうに一人のおばさんが大きな声で笑いながら、出来た商品を袋に詰めては、客にそれを手渡していた。


「はぁい! 唐揚げ弁当とお茶ですね。650円です!」


 ――その笑顔を見るのは何年ぶりだろうか。何時も仕事から帰って疲れ果て、ほとんど食べることもなく、布団に潜り込んでいた。髪はやつれ、艶もなく。頬をけさせながらも毎日働き詰めだった。


 だけど今、俺の知る母はそこには居ない。はつらつとした声で、ずっとはにかむような笑顔で客と接している。頬はふっくらとして、髪は綺麗に纏め上げ、手荒れだらけでカサついていた手は、手入れが行き届いているのか、見るからに綺麗になっていた。



 ――母さん!



 今すぐにでもそう叫んでしまいたい衝動に駆られる。……だが、身体はそれに反して全く動かない。足は震え、喉は一瞬にしてひりついたように乾く。瞼を閉じれば、涙が溢れてしまいそうだ。動けない……。そうしてただ遠目に母を眺めていると、背後に誰かがピタリと近づいた。


「……二人の無事は解ったかい?」


 その低い声に黙って頷くと、「君に話せなかったことを伝えよう」と言って、渡辺さんは俺の前を歩き始める。弁当屋とは逆方向に。




***************************




 商店街を抜けて線路沿いの道を10分ほど進んだ頃、小さな児童公園が目に入る。夕方をとうに過ぎた時間帯、遊び回る子供はすでに居なくなっている。ここに来る途中にあった自販機で缶コーヒーを買い、公園の隅に置かれたベンチに腰を掛けると、渡辺さんはその一つを俺に手渡して、もう一方のプルトップを引いた。


「……二人共元気に働いていただろう」

「……えぇ。母の笑顔なんて何年ぶりでしょうか。……でも」

「何故この街に……か?」

「はい。ここは俺と親父が暮らした街で、母達とは何の関係もな――」

「有るんだよ。貴島健吾と君の母真弓さんは元々この街の出身だ」


 初耳だった。まさか二人共がこの街の人間だったなんて……。じゃぁ、もしかして俺達が暮らしたあの町は――。


「真弓さん達と君らが暮らした町のほうが、逃げるために住んだ町なんだ」


 そこから彼は、父と母の昔話を話し始めた。二人は中学生時代からの知り合いで、家も近所だった。だが、父はあの性格で街の札付きと毎日のように喧嘩をしてはそこいらの悪い連中を纏め上げていった。やがて、そんな父に当時小さかったとあるヤクザの組が近づき、彼を勧誘する。初めの頃は断っていた。当然だ、その頃父と母は恋仲になっており、流石に父もそんな世界に入りたいとは考えていなかったからだ。しかし、ヤクザ組織ってのはそんな簡単に諦めるような奴らじゃない。父は中卒で解体業者に就職したが、母が高校を卒業してすぐ、彼女が勤めた店にヤクザが入り浸るようになった。それを知った父は激怒し、その組に怒鳴り込みに行き、当然ながら返り討ちにあってしまう。生かして帰す代わりに組みに入る事を約束させられ、従わなければ、母も酷い目にあわせると脅してきた。結局、それに屈する形で彼はその組の構成員となり、彼が率いる街のチンピラ共ごと構成員にしてしまった。


「……それが、今の扇組と山崎組の前身団体、菅原会だ。君の父、貴島健吾が最後に組長となった組織だ」


 そこからは破竹の勢いで組の勢力は拡大していった。何しろ鉄砲玉になる連中は街の至る所にいたのだ、父の舎弟になった街のチンピラが。半グレだった彼らはすぐに下部組織となり、頭角を現す二人がやがて盃を交わして2つの組を起こした。そうしてこの街は3つの組が牛耳ることになる。


「初めはそれで上手く回っていた。街を二分し、北を山崎、南を扇。その総括を菅原がすると言う事でな、だが、それは長続きしなかった」


 そう言うと、目の前をけたたましい音を響かせて走り抜ける電車を見つめる。


「この電車、街のどのあたりを走っていると思う?」


 言われ、頭の中でこの街の地図を思い浮かべると、南北を真っ二つに割る路線図が思い浮かんだ。それを告げると彼は一つ頷き、話を続ける。


「……再開発計画って聞いたことが有るだろう、ある程度発展した街に区画整理や、商業施設などの大きな土木工事を国主導で行い、人口増加を促すという物。あれがこの街の線路を挟んだ北側で行われる事が決定したんだ。……そしてその利権獲得戦争に、ほぼ身内同士である山崎組と扇組が巻き込まれた」


 始まりはこの街の議員同士の縄張り争いが発端だ。繋がりのある土建屋や建築業界からの突き上げを喰らった議員が裏で手を回し、地上げ紛いな事をチンピラにさせる。当然街の守役になっている山崎組と扇組はそれに反発。結果、菅原会が動き出す頃には騙し騙されの泥沼状態に発展していた。事態を重く見た公安は周辺から警察官を招集して事の沈静化に注力したが、とある議員がある朝、刺殺体で発見された。自首してきたのは菅原会の若い衆。だがそれに議会は総出で否を突きつけた。最終的には当時の会長が逮捕され、実質、菅原会は壊滅させられた。既に泥沼と化していた山崎組と扇組の抗争は、八つ当たりのように菅原の組員たちにも刃を向けた。


「……そんな時だよ、真弓さんが川崎君と会ったのは」


 川崎君は当時機動隊員だった。菅原会の門前で警戒任務にあたって居た彼は、当然その組に出入りする人間をチェックしている。その為、母のことも知っていた。年も互いに近かったこともあり、貴島を含めその3人は結構話をする仲だったらしい。抗争が激化していく中で、いよいよきな臭くなってきた事を感じた君の父は、川崎君にある話を持ちかけた。


 ――真弓を連れて逃げて欲しい。


「え? あの人が機動隊員だった?」

「……あぁ、当時はな。……だが、貴島の話に乗った彼は真弓さんを守るため、その身分を捨てたんだよ。そうする事で一般人になり、奴らの目から外れるために」

「じゃぁ、篠原さんは」

「……アイツは川崎君の同期だ。中学時代からの付き合いで、長年一緒に、同じ釜の飯を食ってきた仲だったらしい。篠原は当時、同じ機動隊員だったが、こことは別の地域に派遣されていた為、川崎君が警察を辞めたのを知ったのは、二人がこの街を去った後だ」

「……じゃぁ、母はその事を」

「貴島がそんな事を話すと思うかい? もしそんな事を話して、君のお母さんはこの街を離れると考えるか? 不器用だったんだよ、二人共……。そうして貴島は君のお母さんを切り捨てるように別れ、残った菅原の人間たちを纏めて2つの組と正面切って話し合いになるよう持ち込んだんだ。多大な犠牲を払ってね」



 ――そんな話を聞いていると、今までの親父のイメージがどんどん崩れていく。……親父が母親を守るために黙って別れた? 敵のような警官に母を託して? 何故? どうしてそんな事を?



「……真弓さんはその時、既に妊娠していたんだ。……雄哉君、君を」

「……っ!?」

「その後の事は大体君の知る通りだと思うが、細かいことはここでは言わない。ただ、貴島、君の父親とお母さんたちの過去をきちんと知って貰いたかったんだ。それはこれから話す、貴島が殺された理由に関係することだからな」


「殺された理由?!」

「あぁ、君は結局、事件の結末を知ること無く、この街を去ったからね。何故君の父親は君の弟、優希君が勤める郵便局を知っていたのか。そもそも何故あの二人はこの街に住んでいたのか……を」


 言われて俺は思い出す。あの時、俺は最後まで父の事件の真相を知ること無くこの街を離れた。まだ二十歳そこらの若造だ、会社の相続がどうの、書類がどうのと言われてもまだ下っ端でしか無い俺には理解できなかった。元々居た従業員や、組の構成員たちが全てを処理し、結果表の会社も裏の組自体も全て吸収されて無くなってしまった。そんな居場所すらなくなったこの街に、未練なんて有るはずもない。親父の墓には納骨の際に一度訪れたきり、近付く気すら起きなかった。だから全てに見切りをつけた俺は、誰も俺を知らない土地を探して根無し草になったんだ。


「もう、遅い時間になってしまったな。場所を変えよう」


 そう言って渡辺さんが立ち上がる。それまでずっと俯いたままだった俺は、彼に続いて重くなった腰を持ち上げると、既に日が落ち周りはもう暗くなっていた。

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