母は奏でる、寒いふるさとを偲びつ

武江成緒

母は奏でる、寒いふるさとを偲びつ




 1986年4月11日。

 彗星が地球へともっとも近づいたその日に、母は地に産まれ落ちた。




 その前に、1910年に地球に接近したときは、世界中で流言蜚語、大パニックを起こしたことで知られる彗星だ。


 それとは関係ないだろうが、幼いころは体が弱く、毎日がパニックだったと母はおぼろな記憶を語った。

 口にできるものが少なく、下手なものを口にしては一種のアレルギーを起こし、さんざん苦しんだそうだ。


 母の苦境とはよそに、当時の世相はゆるやかで華やかだったということだ。

 幼かったし、あまり詳しく覚えていないと言っていたが、公園や遊園地では多くの子供が親に連れられ出歩いて、夜は夜で数多くの若者が街にくりだし騒いでいたということだ。

 いや、そんな余裕があって楽観的な世相だったから生き延びることもできたのだろうと、母はしみじみ語っていた。




 母がいくらか成長すると、世の中はきらびやかさを失って、弛緩したような環境も減じたが、そのころには母の身体もかなり丈夫になっていて、生活に支障なくなっていた。

 どうせ親ははるか遠くで、縛るものもない独りぐらし。

 学ぶことは嫌いではなかったと語る母は、学校で、予備校で、あるいは社会人のありさまを勉強し、テレビを観、図書館へゆき、さまざまなことを吸収した。


 温暖化というものが強く叫ばれ始めていたころだった。

 この星がもっと熱くなれば、自分の身は大丈夫か。暑さにひどく弱い母は、若いころ独特の未来の不安にひどくおびえたらしかった。


 自分の成長にとまどい、孤独に悩みもしたそうだ。

 世界の広さを漠然とながら理解して、親の居場所がどのぐらい離れているかを実感し、今さらのように寂しさにもだえた時期もあったのだという。


 そんな時は、学校の音楽室へ行ったり演奏会に入りこんで、音楽に触れたそうだ。

 とくに笛、吹奏楽器の放つ音律が好きだったという。音のイメージが、自分の生まれたころの思い出にぴったりと合うような、そんな気がしたらしい。

 遠い故郷で、おぼろになりつつある記憶の親から、やわらかく笛を奏でるように声をかけられた、そんなイメージが孤独をやわらげてくれた。




 母が大人になったころ、ひとりの男性を見つけた。

 社会は変わり、孤独で貧しい若者が数多くいた。そんな中の一人だった。

 世をふらふらと渡りゆく生活に限界をおぼえていた母は、その人へと近づいた。

 なぜその人を選んだのかとたずねると

《見たところ平凡で、それでいて身体も心も丈夫そうな人だったから》

 とのことだった。


 母はその人と一緒に暮らした。

 裕福とはいえないその部屋にすみ、彼に暮らしをたよることに不安や不慣れを覚えながらも。


 彼のことでとくに記憶に残っているのは、アイスクリームが大好きだったことだそうだ。それが何よりの生きがいで、冷凍庫はいつも一杯になっていた。

 ついに無理して大きめの冷凍庫のある冷蔵庫を部屋にはこび入れたときは、母もずいぶん驚くとともに嬉しさを覚えたそうだ。

 彼と喜びを分かち合いたかったが、彼は冷凍庫にぎっしり詰めた大量のアイスを楽しげに見るばかりだった。

 遠い故郷、冷凍庫などよりも寒い場所のかすかな記憶、氷に満ちたおぼろげな思い出を共に語ることもできず、ただ冷たい空気になでられながら。

 そろそろ彼との生活も終わるのではないだろうかと、そんな予感におそわれたという。


 しばらくして、彼は心身が不調となった。

 仕事も休みがちとなり、体はやせて血色も悪くなった。精神も減耗し、かつてのような心の丈夫も失われ、これ以上は限界だと母は悟った。


 ふたたびひとりとなった母は、自分の中に、あらたな生命いのちが宿っているのを知った ―――。






 すべてを伝え終えた母は、その場にゆっくり横たわった。


 もちろん、私たちには物質的な肉体はないが、生まれてずっと情報源を人間に頼ってきた母と私は、つい自身を擬人化してしまうようだ。

 あえてさらに擬人化するなら、母はすっかり年老いて、そろそろ寿命が迫っているといったところ。


 いや、あるいはむしろ、親からの栄養が途絶えつつある胎児のようなものというべきか。

 情報にくわえ、人間からエネルギーを吸って生きる私たちだが、地球で産まれた私とはちがい、母は親とのつながり無くては命を保てないようなのだ。




 母の親、人間のいうは、今年の末に遠日点に到達する。

 太陽からもっとも離れ、海王星のまわる軌道のさらに外側へ遠く離れる。それに比べれば太陽のすぐそばを回る地球とも、もっとも離れることになる。


 母と、親とのつながりがどういう仕組みのものなのか。

 人間から得た知識をいくら用いても推測すらできなかったが、親が遠ざかるたびに母はたしかに弱っている。

 以前、親が地球に近づいたときにその上に産み落とされた母は、その命をもうすぐ終えてしまうのだろう。

 その母から受けた命と情報を、つぎは私が38年保ち続けて、ふたたび地球に近づいた、母の親であり故郷でもある、あの彗星へとたずさえ戻る。


 地球からすれば極寒の宇宙を旅する、氷とチリとでできた世界。

 母の生まれたころの記憶をその世界へと持ち帰れば、命を終える母にもなにか安らぎのようなものが得られるのだろうか。

 そんなものは人間から情報を学び、人間の精神を吸いとってきたことによる、人間じみた錯覚にすぎないのか。


 私たち母子の交わす声。笛のように、内から吹きだすイメージの波動で、母と意思を交わしあう。

 最期に伝えのこしはないかと、確かめるように、長々と。




 私たちの声が聞こえるはずもないのに、いま栄養源にしている人間も、まるで調子を合わせるように。

 地面に倒れ伏しながら、ふとく低い、ひしゃげたチューバのような声でうめきを発した。

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母は奏でる、寒いふるさとを偲びつ 武江成緒 @kamorun2018

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