参の10
吹き荒ぶ海上を尻目に、遊佐は発電機用の補助ディーゼル・エンジンの記述を思い出す。たしか、緊急時におけるマニュアル操作で五分間だけ同時に使用できると記憶していたからだ。船に負担は掛かるが、かなりのパワーが稼げる。
だが、咄嗟に長臣が船の減速を促す。
「急旋回しながら速度を落とせっ! 急げっ!」
「もう、突然っ! なんなんっ?」
「方向は自由でいい、早くっ!」
と、長臣は頭を伏せるような仕草をする。遊佐は右に急旋回しつつ、回転数を落として補助エンジンを起動する手順を踏む。続いて、揚陸艇のスクリューを逆回転させると、船体の急減速と高波で縦横無尽に大きく揺れる。
しかし、船は急には止まれない。潮流に逆って床は斜めになり、機銃手の九十九は身が海に投げ出されてしまいそうだった。いくら船に慣れているとはいえ、これでは三半規管がどうにかなってしまう。
そして頭を下げた瞬間、ブリッジの目の前を次々と轟音が横切る。
再度、巡視船からの砲撃だ。まさに間一髪と言えるタイミング。相手の砲手も凄腕と言わざるを得ないだろう。もし、僅かでも船の減速が遅れていればブリッジに直撃したかもしれないほどの精度だった。
継いで、長臣が叫ぶ。「今度は左だ、舵を左に切れっ!」
「りょ、了解どすえっ!」
「弾が数発横切ったら、ちょい右に切って、まっすぐ北へ逃げるんだ」
「はいっ、前進強速しますうっ!」
両足を踏ん張り、遊佐は転覆しない程度で目一杯に舵を切る。ただ、タイソン艇からの容赦ない攻撃に晒されつつも素直に従うのにも理由があった。何故ならば、これが噂に違わぬカラスの『先読み』に他ならなかったからだ。
案の定、長臣の読み通り、面白いように逸れてゆく巡視船からの砲撃……。
向こうからしてみれば、どうして一発も当たらないのか不思議でならないのだろう。掠るどころか、狙い澄ましたように砲弾が避けてゆく。辛うじて傍受できた米帝の通信網からも、その混乱ぶりが逐一伺えたのだった。
「……よし、いいだろう。気を抜くなよ」
「また側面とりますさかい、あとは戦車の指示お願いしますね」
「当たり前だ。魔女には、この苦境をなんとかしてもらわないとな」
と、苦笑いしつつ、長臣は無線機を口に充てて双眼鏡を覗くのだった。
一旦、米帝の巡視船は接近するのを止めて戦術を練り直すのかもしれない。ただし、数分後には、より激しい攻防を仕掛けてくるだろう。遠くから当たらないのであれば、より距離を詰めて的を大きくするしかないのだから。おそらく、もう次はないだろう……。これが、密かに弾き出した予測でもあった。
───そんな危機の中、戦車の操縦席でシステムと格闘する左吉。
どうやら、
このままでは一向に埒が明かず、砲撃を阻むだけのロックがやたらと掛かっている。二重、三重ともいえる安全装置もさることながら、砲撃システムの不備ばかりが目立つ有様。加えて、機体の中途半端な姿勢もあり、油圧系統の負荷異常が多数報告されていた。
うかうかしていれば、再度攻撃が始まってしまう。左吉は果敢に突き進んでくる巡視船を睨みつつ、抜け道となるような方法を必死に探るのだった。
今度こそ、米帝も潰しにかかりに来るはず。本格的な攻撃が始まるのだ。最早、戦車に搭載されている誘導ミサイルは頼りにならず、自らの手で打開策を講じるほかないだろう。そもそも、魔女の言葉を過信していたのが問題なのだ。
そうして、最初から検討し直した結果「コレしかないだろう」とある程度の目安をつけた途端、ついに大きな爆発音が響き渡る。同時に鈍い衝撃と揺れが船体を襲う。サブカメラから収集されたダメージ・リポートでは、炸裂弾らしきものが向こうから射出され、船尾の出っ張りを直撃したようだった。
堪らず、長臣から魔女の進捗を急かすような厳しい声が飛ぶ。
──《カカ、まだかっ? そろそろ、船がもたんぞっ!》
──《いま、やってる。クッソ、なんでコイツいうこと聴かないんだ?》
──《無理矢理にでも動かせ。本当に鹵獲されかねない》
──《泣き言は嫌いだね。しっかり、逃げなっ!》
と、不満が爆発した様子で器機を乱暴に叩く音がする。機械にトラブルは付き物だが、魔女ですら原因が分からないとなるともうお手上げだった。鳴り止まぬ停止命令のサイレン。まるで犯罪者を追うような扱いだ。その間に米帝の巡視船は一気に距離を詰めて、乗船用のボートを降ろす動きをみせたのだった。
しかし、操舵手の遊佐はまだ諦めてはいなかった。
──《補助エンジン始動っ! 少し引っ張られますえっ!》
排気口からドス黒い煙りを噴き上げ、エンジン音が轟き唸りを上げる。
奥の手というべき最後の抵抗。揚陸艇は勢いを増し、全速力での加速を更に促す。輸送用にと、パワーのあるエンジンに換装していたのもあり、多少の無茶なら暫くは耐えられるはず。
近寄られつつある巡視船との距離を測定し、時化の高波の利用して揚陸艇は綺麗に右へと滑り落ちて行く。多数の砲撃を受けつつも、遊佐は冷静に海面の状態を読み切っていたのだろう。その介もあってか、みるみると米帝のタイソンから離れてゆく。
やがて、先の宣言通りに巡視艇の側面をあっさり取ったのだった。
起死回生、逆転の一手。位置とりは万全だ。あとは機動戦車からの一撃に期待するだけ。双眼鏡から最良の位置だと判断し、長臣はここぞとばかりに左吉に指示を出す。
──《声は聴こえてるなっ? いますぐに狙いを定めろっ!》
無線から雑音混じりの長臣の怒号、左吉の耳はしっかり届いている。
だが、とても撃てる状態ではなく自動ロックが何重にも掛かっていた。だからと言って、絶好の機会を不意にすることはできない。逃せばもう、次はないのだ。斯くなる上はコレしかなかろうと、左吉は決意を固めるのだった。
──《左吉っ! 撃てええっ!》
目を瞑り、左吉はメインカメラ以外の電源を全て落とし、メインシステムからの介入を強制的にオフにする。砲撃の感覚ならまだ指先が覚えている。自動制御装置などに頼らず、最初からマニュアルに切り替えておけば良かったのだ。
普段通り、アナログな照準で狙いを定めて撃てばいい。非常に簡単なことだ。訓練通りやればいいのだ。動く標的に当てる自信もあれば、あとはスイッチを押すだけ。耳元のスピーカーでは、魔女が何か怒鳴っている。……が、砲撃に集中する左吉の耳には入っていなかった。
目標である巡視船まで、目測で約三百メートル弱。先程よりは若干近く、目を見開き照準機を当てる。波と船の動きを同時に読み、ゆっくり呼吸を整える。
……やがて、外界の音が遮断され世界がスローモーションになった。
自然と渾然一体となり、故郷である深く静かな雪の世界が脳裏に反映される。どこまでも続く曇天の空と真っ白な大地は左吉の心を落ち着かせ、無駄な感情を一切排除してゆく。
その雪原に現れる一匹の狼 ──。
若く猛々しいその風貌は、清く気高く美しい。灰褐色の見惚れるような綺麗な毛並み。水晶のような青い瞳が忙しなく動き、耳を澄ませて鼻を効かせている。
左吉は身を屈め、息を潜めた。呼吸を浅くし、銃の照準を目標に定め、訪れるであろうその時に備えて……。
突如として吹き荒ぶ一陣の風、白く舞う雪景色に目を奪われてしまう若き狼の眼差し。ほんの僅かな隙と気の緩み。世界はより限りなく静止に近づいてゆく。非情なまでに残酷な運命。狼と不意に目があった瞬間、永久不滅と呼ぶべき澱みな世界と調和する瞬間でもあった。
───悪いな、そこだ。
プア・マリア〝アーマー・フォー・スリープ〟 重永東維 @vexled
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