第3話
「ねえ、有悟くん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
美緒ちゃんが、ストローでカフェラテをかきまぜながら言った。カラカラとグラスに氷が当たる。
「何?」
カフェのテラス席からぼんやりと雑踏を眺めていた僕は、アイスコーヒーのグラスを口に持っていきながら、何の気なしに聞き返した。
「この前、有悟くんがきれいな女の人と歩いてるところ見たんだけど」
「え?」
「ちょうどバイトに向かってるとき、有悟くんの学校から二人で出てきたでしょ」
「ええ?」
僕は心当たりがなかったので、うろたえた。
「いつ?」
「この前の水曜日。私と有悟くんのシフトが重なってた日」
確かに、その日、いつものように大学の裏門からバイトに向かったけど、僕は一人だったはず。
「僕、一人だったはずだけど」
「ううん。私、ちゃんと見たよ。モデルみたいな人だったから、しっかり覚えてる」
お狐さまだ。美緒ちゃんの口調がいくぶんきつい感じがして、僕はとっさに口から出まかせを言ってしまった。
「ああ、思い出した。あの人ね。同じ学科の先輩。院生の人」
何もやましいことなんてないのに、なんで嘘をつかなきゃいけないんだ。だからといって、本当のことを言うわけにもいかないし。
「すごく美人ね」
「そうそう。もう学部でも評判でさ」
ああ、つかなくてもいい嘘が嘘を呼ぶ……。
「なんか親しそうに見えたけど」
「そうだった? 普通に話してただけだけど」
「ふーん」
心なしか、猜疑心の混ざった冷ややかな声音に、僕はわけもなく焦る。
「声かけてくれればよかったのに」
「ちょっと距離があったし、わざわざ走っていくのもなあって」
その場はそれで終わったのだが、僕はここのところ、美緒ちゃんが少しよそよそしかった理由がわかった気がした。この前の水曜日、僕は確かに一人で歩いてバイトに向かっていたはずなのに、美緒ちゃんの目にはお狐さまと一緒に歩いているように見えていたらしい。お狐さま、恋愛成就は専門外とか言っておいて、むしろ人の恋路をぶっ壊しにきてないか。
お狐さまは、金運的には紅林さんか桜沢さんがいいと言っていたけれど、お狐さまにも言ったとおり、別に僕はつきあう相手をダシに金運アップにあやかりたいとは思ってないのだ。それに、知らないうちにお狐さまにストーキングされていたのかと思うと、ちょっと怖い。
僕は、次に熊谷と顔を合わせた日、この件を話した。3年生になってから大学に来る頻度も減って、熊谷と顔を合わせるのも毎日ではなくなっている。きょうは昼飯を一緒に食べようと学食で落ち合ったのだが、混みすぎて座る場所もないので、弁当を買って僕の部屋で食べようということになった。僕らは大学生協で買った弁当の袋をぶら下げて、僕のアパートに向かった。お狐さまが白昼堂々図書館に現れてから、美緒ちゃんに目撃された件まで一通り報告する。
「というわけなんだけど、どう思う?」
「お狐さまは、紅林さんと桜沢さん推しか。まあ、金運を抜きにして俺から見ても、二人ともお前に合いそうではある」
「なんだよ、美緒ちゃんとは合わないっていうのかよ」
「怒るなよ。二人がよければそれでいいんだよ。ただ、美緒ちゃんとお前、ちょっと性格が似てるから。どっちかが落ち込むと、片方も引きずられて一緒に落ち込みそうなところない?」
僕は図星をつかれてぐっと詰まった。確かに、美緒ちゃんは繊細すぎて、僕も気を遣って疲れてしまうときがある。美緒ちゃんもそれを察して、僕に気を遣わせまいとするという、お互いに気遣いの無限ループに陥るようなところはある。
「その点、ちゃきちゃきの紅林さんとか能天気な桜沢さんなら、激励するなり笑い飛ばすなり、お前を引っ張り上げてくれそうな感じはする」
「そんなこと言われても、僕が好きなのは美緒ちゃんなんだからしょうがないじゃん。それに、紅林さんにしても桜沢さんにしても、当人たちそっちのけであれこれ勝手に言ってるのも失礼な話だよ」
「そりゃそうだ。まあ、僕は美緒ちゃん一筋ですって、お狐さまに念押ししておいたら」
「うん」
「それにしても、リターン後のお狐さま、そんなに神出鬼没なら、俺の前にも現れてほしいよなあ。美緒ちゃんだって見たんだし」
「昼間にも出てくるし、行動半径が広くなったというか、化け方が洗練されたというか、パワーアップした気はする」
お狐さま、格が上がったとか自慢していたけれど、その余波が思わぬ形で出てきているのか、勢いあまって金運と女子とのお付き合いを絡めるのはやめてほしい。金運なら金運オンリーで、ストレートに宝くじでもどかんと当てさせてくれるほうがいい。
「でも、急に億万長者になんかなったら、人生狂うかもよ」
「僕なら狂わないな。不動産を買う。数億なんてあっという間に飛んでくよ」
「若いのにつまんねーこと言うなあ」
「人生狂わさないから、宝くじ当てさせてくんないかな」
「それより、お前、就職は東京でするの」
熊谷の問いかけがいきなり僕を現実に引き戻した。大学3年になったばかりだというのに、もう就職活動のガイダンスがあったり、卒業後の進路を射程に入れざるを得ない空気感がひたひたと迫ってきていて、時々、追い立てられるような焦りを感じるのだった。
「そのつもり。親も無理に地元に戻れとは言ってないし」
「インターンとか、考えるだけでかったるいよな」
「社畜への準備運動って感じかな」
「身も蓋もない言い方するなあ」
美緒ちゃんは就職はこっちでするのだろうか。親から地元に帰って来いとか言われているのだろうか。そろそろ梅雨が始まりそうな曇天を見上げると、ポツリと雨粒がほっぺたに当たったような気がした。
「おい、降ってきそうだよ。急ごう」
僕は熊谷を急きたてて、足を速めた。
美人のお狐さまをうっかり召喚してしまった僕の下僕な日常 立川きんぎょ @konohatorituki
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