食人大陸まうまうのおはなし

枕目

食人大陸のおはなし

 マウの息子マーウ、その息子ママーウは、頭に宝石鳥の羽根飾りを七十八もつけ、サメの歯を二千も埋めこんだ棍を持ち、ワニの頭の具足と、白人どもの貨幣をぎっちりと編み込んだかたびらを身につけていたので、しばしばそれらの重みで動けなくなった。

 かれは白人たちに与えられたマウマウ族の自治区に住んで、毎日大好物のチョコレートを食べてふくふくと太っていた。いつの間にか白人が作っていた政府から、毎年たくさんの補助金がもらえるし、白人の観光客に木や動物の骨で作ったくだらないおもちゃをたくさん売りつけることができたので、ママーウは金庫いっぱいにかれらの大統領の顔が印刷された紙幣をもっているのだった。

 マウマウ族はこの地域で唯一残った先住民の部族だった。彼らのもとにはヒッピーかぶれのジャーナリストやカメラマンがたびたび取材や助けをもとめにやってきた。彼らはみなママーウの話をおおいに聞きたがった。

 ママーウはかれらが来るたびに、その場で考えたウソの民話やいいかげんな人生のアドバイスを話してやった。いずれも、くだらない話のたぐいばかりである。だのに話を聞いた白人どもは勝手に感動して、これぞ先住民の知恵だと褒めたたえたり、涙を流して感謝したりするのだった。

 そのたびにママーウは、なんてバカなんだろう。とおおいに感心するのだった。なんでこいつらはこんなにバカなのに、飛行機や銃や銀色のナイフ、チョコレートを造れたんだろう。なんでこんなやつらに炎の戦士と呼ばれたボノノ族が負けてしまったんだろう。不思議だなあ、と思うのだった。たぶん、よっぽど頭のいいやつが連中の大将で、こいつらはそれに飼われてる馬か豚みたいなもんなんだろうなあ。

 そして毎晩、ママーウは白人の酒にチョコレートを溶かして飲んで、綿をたっぷりつめこんだ族長専用の寝床に横になると、彼らを喜ばすためにせっせとウソを考えるのだった。

 おもしろいウソを考えついたときは、ママーウはとても機嫌がよくなった。そういうとき彼は、部族に伝わる伝統的な歌を歌うのだった。マウマウの歌だ。これはウソの伝統ではなく本物の部族につたわる歌だ。フクロウの鳴き声をまねた声の出し方をするので、知らない人間にはフクロウがさかんに鳴いているようにしか聞こえないのだった。

 それは伝統の歌には違いなかったが、族長のママーウも含めて、かれらはその歌の意味なんかすっかり忘れて知らなかった。


 ママーウの父マーウ、その父マウは、黒い森の黒い支配者だった。あまりに怖く恐ろしく恐怖されていたので、その名を口にすることすらもはばかられた。彼が頭につけた七十八の髪飾りを見ただけで、敵の戦士は死の影に怯え、味方の戦士は死の影を味方につけた。族長たちはみな頭を垂れて、彼の履いているワニの頭の具足と目をあわせた。

 今ではかれら自身が忘れているけれども、もともとマウマウ族のマウマウとはかれらの言葉で黒いフクロウという意味だった。マウは名詞になるとフクロウを、形容詞になると黒色を意味するので、マウマウで黒いフクロウなのだった。

 マウマウ族は森にあるいくつかの植物を組み合わせ、場合によってはそれらに熱を加えたり、とくべつなまっしろいカビを生やしたりすることで、秘密の毒薬を作る技術をこころえていた。彼らの毒薬は、吹き矢に塗って打ちこむだけで、体のあたたかい生き物であれば何でも、丸一日は動けなくできるのだった。

 かれらは、吹き矢の射手と大盾をもった戦士ふたりの組み合わせで戦うのが常だった。ふたりの戦士の兜や小手にはたくさんの黒く染めた羽根がついていた。大盾にも同じものがついていたので、彼らは遠くからみると巨大な黒い塊にみえて、どこに人がいるかわからず、弓のねらいもつけられない。吹き矢の射手は大盾の影に隠れて、ゆうゆうと敵の兵士を狙撃できるので、敵は毒にやられてばたばたと倒れた。

 吹き矢の毒で動けなくなった敵は、マウのところに連れられた。マウはサメの歯がとりつけられた棍を、べつの種類の毒薬の入った壺にひたし、その毒まみれになった混で敵をぼっこんぼっこんと一回づつ殴って、それから逃がすのだった。

 毒こん棒で殴られた戦士の体は、まるで皮膚の下に果物が実ったみたいにブクブクと腫れあがった。頭が三倍ぐらいの大きさに腫れあがるのだ。そして三日三晩苦しみ抜いて、腫れた傷をかきむしり、痛みに絶叫しながら息絶えたので、周囲の部族はそれをマウの呪いと呼んだ。族長たちはその冷酷さに舌をまいて、二度とマウには逆らうまいと誓いを新たにするのだった。

 それでもマウマウ族と戦おうとするものがいれば、それはそれは恐ろしかった。彼らは戦争に勝つと、男と老人は皆殺しにして、女と子どもは足の腱を切ってから奴隷にしてしまうのだった。

 こうしてマウはまわりの部族を服従させるか滅ぼしていったので、息子マーウが物心つくころには戦争はほとんどなくなっていた。そのためマーウは平和的な性格になってふくふくと育った。






 マウの孫ママーウ、その父マーウは、争いらしい争いを知らずに育った。彼が物心つくころには、まわりの部族はみんなマウにかしずくか奴隷にされていたからだ。遅く生まれた息子マウは、王子としてたいそう甘やかされたおかげで、ふくふくとして温和だが心の痛みを知らぬ性質になった。

 マーウは食べることだけが楽しみの男だった。舌が肥えた彼の遊びは、あたりの部族たちからそれぞれ一番の美味を持ってこさせて食べ比べることだった。この美食大会は周辺の部族にとっては大きな行事で、みんなマウマウに取り入るためにこぞって参加した。ボノノという部族の秘密の肉料理がとくにマーウの口に合い、優勝することが多かった。

 だらけた食い道楽のマーウだったが、あたりの部族はすっかりおびえきっていた。マウを現人神のように恐れていた彼らは、その息子マーウもさぞ恐ろしいだろうと思い込んでいた。だから、誰ひとりなめた真似はしなかった。マウが死んでも、それは続いた。

 マーウの時代になると、彼らの住む大陸に白人たちがやってきた。彼らは白い海岸線にいくつものキャラベル船をならべて、大量の物資をかかえて入植にやってきた。彼らの中には宣教師もかなりいた。白人たちは先住民と出会ったとき、はじめ友好的に接してみた。しかし彼らの挨拶の言葉が、たまたまこの一帯でのひどい侮辱にあたったため、完璧に誤解され、白人はマーウのまわりの部族をすべて敵に回した。

 まず海岸線のあたりを住みかにするボンゾビが白人たちと戦った。しかし白人たちは大砲のついた船とマスケット銃を持っていたので、ボンゾビの戦士はほとんど殺されてしまった。しかし彼らは火を使ってうまいこと白人の船のマストを燃やしたので、白人はもう帰れなくなった。

 つづいて草原で動物を放牧するザナという部族が白人を殺そうとした。彼らは大砲の射程には近づかなかったので、白人たちは銃だけで応戦した。何人かの男がザナの矢にのどを射られて死んだ。つづいて白人の入植者が戦ったのは、山岳に住む狩りがとくいなアボラだった。何人かが巨石の下敷きになった。つぎに森に住む弓の使い手ジュジュ、何人かが罠にはまって手足を失う。つぎに丘に住む人食いのボノノ、毒の沼に住む生き物を操るアボイ、彼らはえんえん戦うことになった。

 船をなくした白人たちは、敵から逃れようと内陸部へと移動しながら、回りの部族と戦っていった。銃のおかげで争いはたいてい有利に進んだが、だんだん大人の男たちは死んでいくし、毒のある食べ物は食うし、病気にかかるしで、少しずつ戦う能力を失っていった。あとのほうになると、戦いを避けるために通行料として道具や衣服を差し出すはめになったので、彼らは坂道を転がりおちるようにあらゆるものを失っていった。

 彼らの中でも、とくに宣教師たちの運命はひどいものであった。みんな人食いボノノに食べられてしまった。十字架にかけられたキリストの概念は、ボノノにとって新種の調理法にしか見えなかった。なにより問題だったのは、パンとワインはキリストの血肉だという宣教師の言葉を、ボノノは完全に言葉通りにとったことだった。キリストの使徒たちは十字型の木にくくりつけられ、神を呪いながら焼け死に、ささやかな晩餐を提供した。

 かれらの運命は万事そんな調子だったから、密林を支配する最強の勢力であるマウマウと会うころには、銃弾は底を尽きていたし、満足に戦える男は二十人もいなかった。服をなくして半裸のものが何人もいた。

 ボロボロになった白人たちは、マーウに会った時、即座に和平を申し入れることにした。そうするしかなかった。一帯を支配するマーウに取りなしてもらわなければ、近いうちまわりの部族のどれかに殺されることは間違いなかった。どうにかこの場をしのげば、いつかどこからか鉄と硫黄を手に入れて銃弾を作り、布を織ってマストも作れることだろう。そうしたら国に帰るなり戦うなりできることだろう、と彼らは考えた。

 みなに恐れられているマーウとの面会が許されたとき、彼らはなんとしてもこの場を切り抜けるために、要求されたなら娘たちの半分までは差しだそうと決めたほどだった。彼らはほとんどの価値あるものをべつの部族に取られてしまっていて、ナイフと弾のない銃と生活用品をのぞけば、貢ぎ物にできるのは娘たちの貞操ぐらいだったのである。

 しかし実際のマーウは、ほかの部族に聞かされていたほど悪魔的でもなく、ぷくぷくと太ったどうでもいい感じの男だった。食べることが好きらしく、いろいろな果物や芋の類をずらりと並べて食べていた。

 マーウは白人のたどたどしい説明を聞いて、心底どうでもいいと感じた。彼らの母国の栄光も、軍隊の武勇も、巨大な船も、唯一神の概念も、口ばっかりの出まかせだと思った。彼らが差し出すと言った娘たちも、マウマウの美的感覚からすると死にかけの野犬のように見えて、うんざりした。

 でも、なにやらかわいそうにも思えた。マーウは持ち前のなまやさしさと考えの浅さを発揮して、てきとうに助けて住まわせてやれと長老たちに言ったので、そうなった。こうして、ようやく彼らは身分証明を得たのである。これは運がいいと言えた。マウが存命だったら全員、よくて殺されていただろうから。


 マーウのおかげでどうにか居場所をみつけた彼らは、集落を作って自分たちの生活を改善していった。あいにく鉄や火薬は手に入れることができなかったが、油で強くした大きな布を用意できたので、船を直して一部の人間を母国に返すことができた。

 母国に帰った入植者は、向こうから新しい入植者を呼び込んだ。こうして第二の白人たちがマウマウの土地に入りこんだのである。その中には多くの宣教師たちがいた。

 宣教師たちは、みなマーウを改宗させようとやっきになった。かれが改宗すればマウマウ族全体がキリストを崇めるようになるだろうし、その後の布教もずっと簡単になると考えたからだ。

 とくにそのとき宣教師たちが手を焼いていたのはボノノという部族だった。彼らはなぜか宣教師を完全に食べ物だとしか思っておらず、キリスト教の教義を熱烈な食人崇拝だと思い込んでいて、その誤解がまったく解けないままだったのだ。

 しかしマーウは神にも天国にもほとんど関心がなかった。それどころか宣教師たちの言うことをみょうな冗談だと考えて笑い転げるのだった。マーウは食い物にしか興味の無い男だったのである。宣教師たちは大いにがっかりした。しかしあきらめない彼らは母国に連絡をとって、秘密のアイテムをとりよせた。

 それはチョコレートだった。

 チョコレートは当時最新のお菓子だった。植民地から得られたカカオと砂糖を使って、彼らの国の成菓技術で作られた貴重品であった。入植者たちはこれを食べることが好きなマーウに見せて、彼らの国の栄光と文化力を納得させようとしたのである。

 まわりのマウマウ族はみなその褐色の食べ物を気味悪がったが、マーウだけは喜んで食べた。宣教師たちの思惑どおり、マーウはチョコレートに感激した。マーウはその味におどろいた。どんな果物よりも甘く、どんな種よりも油がなめらかで、嗅いだことのない香りがして、食べると頭が冴えた。なんてすばらしい食べ物だろう。

 しかし、これが完全に逆効果だった。

 食べることが大好きなマーウは、食い物の恨みだけは人一倍恐ろしかったのである。こんなにおいしいものをこれまで隠し持っていたなんて、この桃色の肌の連中はけしからんやつだ。とマーウは思った。ほかの部族どもはみんな一番の美味を我先にとマーウに持ってくるのに、こいつらときたら。はじめてこの土地に来てからずいぶん経って、ようやくコレをもってきた。それまでは自分たちでこっそり食べて楽しんでいたにちがいない。このマーウが食べたことがないものを食べていたなんて許せることではない。殺そっと。





 マーウは宣教師たちをみんな村のはずれにある大きなバンガローに呼び寄せた。マーウの温厚なことを耳にしていた宣教師たちは、少しも疑わずに彼についていった。ようやくマーウが改宗して、教会でも用意してくれるのだろう、と神の使徒たちは期待した。マーウはシャーマンにとくべつな睡眠薬をつくらせ、宣教師たちを深く眠らせた。

 宣教師たちが眠ったのを確認して、その数をかぞえてから、マーウが建物の外に出ると、マウマウの戦士たちが一斉に暗闇からあらわれて、バンガローをかこんだ。彼らはみな戦化粧をして、あるものは松明を、あるものは吹き矢を、あるものは黒い大盾を、またあるものは白人が持ちこんだナイフを改造したヤリをたずさえていた。

 マーウは、バンガローのまわりをぐるぐる回って、マウマウ族の伝統にあるマウマウの歌を歌った。マウから教えられてから、一回も歌わなかった歌だった。マーウはその歌がなんなのかぼんやりと知っていたが、細かい語句の意味は知らず、ただ習慣で歌っただけだった。

 彼が歌を歌い終えると、ナイフや斧を手にした戦士たちがするするとバンガローに入っていった。ひとつの足音もしなかった。やがて、何人かの男がかごをもって出てきた。かごには宣教師たちの持ち物がみんな入っていた。しばらくすると、べつの男たちがかごを持って出てきた。かごには宣教師たちの服がみな入っていた。さらにそのあとから、またべつの男たちがかごをもって出てきた。かごには宣教師たちの生首がごろごろと入っていた。

 マーウが頭の数を数えて、これでいいとだけ言うと、松明をもった男が近づいて、宣教師たちの死体をバンガローごと燃やしてしまった。マーウは宣教師たちの持ち物を調べたが、出てくるのは聖書や宝石のついたロザリオや金貨ばかりで、チョコレートは一つも出てこなかったので、マーウはたいそうがっかりした。マーウは命令して、宣教師の服も聖書も頭もぜーんぶ燃やしてしまった。

 後日、宣教師たちが一人残らずいなくなったことに気付いた白人たちが、マーウにどうしたのか尋ねた。知らないぞ、とマーウは言った。ぜんぜんしらないもんね。

 白人たちはマーウをすっかり信用しきっていたので、宣教師は彼らを狙ったボノノたちに殺されたと考えた。白人たちの怒りはとうとう頂点に達し、かれらは民兵を組織してボノノ族と戦い、多くの犠牲を払いながらもみんな殺してしまった。こうしてボノノたちは滅んだ。

 マーウはボノノたちが滅んだのがたいそう残念だった。連中が貢ぎ物として持ってくる肉はとても旨かったのだ。なんの肉か訊いてもどうしても教えてくれなかったが、なんとも美味かったのだ。白人がこちらにやってきてからはとくに柔らかい肉になって美味しくなった。あれがもう食べられないなんて、残念だなあ。


 それからさらにしばしの時が経つと、白人たちは彼らの地で増えた。増えて増えて増えまくった。彼らの増えるさまはまるで山火事のあとが草原になっていくようだった。

 マウマウ族が昔ながらの暮らしをしているあいだに、技術と産業がみるみる発展していった。いろいろなものが手に入りやすくなり、マーウはたびたびチョコレートを口にすることができるようになった。しかしマーウは最初に宣教師に渡されたチョコレートの方がもっと美味かったなと思うのだった。

 そして増えた白人たちは戦争を始めた。こんどは部族との戦いではない。なんと彼らは海の向こうにある自分たちの母国と戦いをはじめたのである。それは独立戦争だった。大陸の東側にあるいくつかの大都市が、自分たちを新しい国として宣言し、母国に対等の扱いを要求した。一方大陸の西側は母国に味方し、独立宣言した東側の軍を反乱軍として鎮圧せんとした。

 それは大陸を二分する大きな戦争だったが、まともな戦争など知らず、マウの勝ち戦ばかりを横目で見てきたマーウにその重大さは実感できなかった。なので彼はたいそうのんきな構えをしていた。マウマウ族の大集落はちょうど大陸の中心にあるというのに。

 東と西は、どちらもマーウを味方につけたがった。マーウを味方につけることは、周辺の総ての部族を味方につけることだったからだ。両陣営の使者が熱心にやってくるのを見て状況を理解したマーウは、両国の使者にチョコレートを持ってくるよう要求した。山ほどの味のいいチョコレートを持ってきたほうの味方についてやる。とマーウは言った。ようするに、大戦争を機会にしてチョコレートの食べ比べをしようと言うのである。

 両国の使者はこの提案にあ然としたが、マーウは毅然として言った。気に入ったほうの陣営には、このマーウの号令のもと、この地のすべての部族が味方につくだろう。さすれば、敵たちは破滅する。敵将たちは兵をあたら失うだろう。兵士たちは森の中を逃げまどい、毒蛇や疫病におびえ、夜の闇にふるえ、美味いチョコレートを作れなかった自分たちを恨みながら我々に殺されていくだろう。そう大見得を切ったのである。二つの陣営には彼の提案が理解不能だったが、とにかくチョコレートを用意することにした。

 うまいチョコレートを用意することにかけては、母国を味方につけた西側の方がずっと先んじていた。彼らはちゃんとスパイをつかってマーウの好みを聞き出し、複数ある植民地から最高のカカオや香料を取り寄せた。そして、いくつも賞を取った菓子職人を呼び寄せ、クルミやアーモンドのクリームを練り込んだ口溶けのいいチョコをつくりあげた。わざと物足りなさを感じるように少し少なめにした。彼らの母国は長い歴史を持つ帝国で、そういう貴族的な趣味やもてなしにはもともと長けていたのだ。

 いっぽう、独立宣言した東側の用意できたのはそれからするとだいぶ劣るチョコレートだった。発展したとはいえ、彼らはまだ母国より貧しく、最高の材料や菓子職人などとても用意できなかった。裸一貫でたたき上げた彼らに洗練という発想はないのだ。だからマーウの貴族的な要求はうまく伝わらなかった。できあがったのは工場で作られたチョコレートが山ほどだった。せめて量だけはたくさん用意し、誠意を見せようとしたのだ。

 どう考えてもチョコレートの勝負は母国側の勝ちに見えた。

 しかし、このチョコレートを母国から輸送する船で災難が起こった。何も事情を知らない船乗りが、積み荷の中に氷をつめこんだ箱があるのに気づいて、涼をとるためにその氷を持ち出してしまったのだ。船はそのとき赤道の真下を通っていた。

 船乗りたちが自分のあやまちに気づいたころには、繊細なチョコレートは泥のかたまりのように溶けていた。船乗りはこれを隠すために、チョコレートを自分の口にほうりこんだ。まるで天国のような味に、思わず船乗りは顔をほころばせた。こんな菓子、どうせ貴族の贅沢品に違いない、俺たちにこんな暑いところを通らせておいて何様だ、と、男は自分の盗み食いを弁護した。まったく罪な男であった。このチョコレートは外交の最終兵器だったのに。このチョコレートを本来食べるべき男は、盗み食いをこの世の何よりも憎む男だったのに。

 マーウはひととおりの事情を理解すると、戦士長にいいつけて、母国側の人間をひとり残らずつかまえさせ、長らく使われることのなかった毒薬の壺を用意させた。マーウは父親からゆずりうけたサメの歯のこん棒をそれにひたした。そして彼は船員や母国側の使者をぼっこんぼっこん殴っていった。マウマウの毒にやられた彼らは何倍にもふくれあがった体をかきむしりながら、三日三晩地獄の苦しみに絶叫して死んでいくのだ。

 マーウは、独立側の将軍と部族の長老たちを宴にまねいた。そして果物のようになった犠牲者たちが死にゆく様子を余興として見せ、みんなに前菜としてジャングルのめずらしい果物をふるまった。その熟した果物は、じつにまったく腫れあがった船員たちの顔によく似ていた。

 食事のあと、彼はみんなに独立側がたくさん用意したチョコレートを配ってから、チョコレートを盗み食いした船員を連れてこさせ、拷問吏に命令し、彼の手足をみんなの前でだんだん短くさせた。マーウはマウマウの歌を何回も歌い、彼が歌い終わるたび、船員の手足は関節ひとつぶんづつ短くなった。

 長老たちはみな真っ青になりながらチョコレートを食い、震える声でマーウの偉大さや歌のうまさをほめたたえた。将軍たちはこの悪魔みたいな部族を敵に回さなくて良かったと胸をなでおろし、盗み食いをした敵の船員に感謝した。すっかり父親ゆずりの残忍さをとりもどしたマーウは、死体の山を見ていい気味だと笑っていた。盗み食いをした船員は、焼くまえのハンバーグステーキみたいになって死んでいった。

 その後、マーウを味方につけそこねた母国側は、次善の策として、マーウに従うそれぞれの部族に寝返るよう使者を送った。しかし長老たちはマーウの宴を思い出すと青い顔になり、申し出を断った。二回目の使者が送られると、族長たちは使者を捕らえ、マーウの前に連れていって手ずから殺してみせ、自分たちの忠誠を証明した。先代のマウはこのやり方でしか納得しなかったのだ。





 そして戦争が始まった。

 マウマウ族を盟主とした先住民の軍は、ジャングルに陣取って、大陸の中心を封鎖した。しかし母国から派遣された西側の将軍たちは、しょせん野蛮人の集まりだと笑い、ここで足止めをくっていては東側に軍備を補強されると考え、ジャングルを突破しようとした。

 牽引式の砲台や軍馬をつれてジャングルに入るのが自殺行為だと彼らが気づくのは、顔が腫れあがった兵隊が山のように送り返されてきてからだった。兵隊たちはみな、野戦病院で顔を掻きむしって死んでいった。

 ジャングルに踏み入って貴重な砲を失った将軍たちは、愚かにもますますジャングル攻略にのめり込んでしまった。先住民にやられたとあっては帝国の恥とばかりに、彼らは歩兵部隊の主力をジャングルに進行させた。こうしてマウマウの戦いが始まったのである。棍棒や弓矢を使うような連中に、歩兵銃をもった兵隊が負けるはずがない。そう兵士たちは信じていた。覇権を失う一戦が自信過剰から始まることはよくある。

 はじめ、ほとんど戦闘は起こらなかった。先住民の戦士たちは西側の兵隊を見るとみな逃げたからだ。先頭の部隊を率いていた中隊長は、はじめ罠を警戒したが、先に進んでも何もないことを確認すると気もゆるんできた。何人かの兵士が毒虫や妙な果物にあたって具合を悪くしたが、外地だからそれぐらいあるだろう。彼らは無人になった小さな野営地を一つ占拠すると、そこを拠点にした。野営地には木造の建物や倉庫がいくつかあって、それらの屋根は木の枝を束ねたものでふかれていた。

 残された中隊長の日記によれば、数日の間は何ごともなく過ごしたらしい。変わったことといえば、野営地に残されていた仮面をかぶって遊んでいた兵士が、仮面の内側に出ていたトゲに刺されたぐらいだった。兵士は顔を腫らしてハンモックでうんうんうなっていた。

 異変はある月のない夜におこった。見張りの兵士が交代の時間でもないのに寝床に戻って来た。別の兵士が問いただすと、見張りは彼の頭をライフルでぶち抜いた。見張りはわけのわからない言葉を叫びながら銃を撃ちまくり、さらに二人殺したあと小隊長に撃たれた。

 建物が燃え上がった。石油の臭いがする。火炎ビンだ。別の兵士が衛生兵を呼んだ。叫び終わる前に、彼ののど笛は黒曜石の矢に貫かれた。兵士たちは銃を構えたが、まぶしい炎に照らされて森の奥はまるで見えなかった。矢の雨が兵士たちを襲った。その石のやじりにはべっとりと茶色い液体が塗られていた。攻撃はそこで止んだ。医療器具はすべて盗みだされていて、倉庫の見張りの兵士は眠るように死んでいた。

 彼らは眠れない夜を過ごした。矢でケガをした兵士はみな錯乱して、叫んだり暴れたりするので、ロープで縛らなければならなかった。翌朝、明るくなってから確かめると、飲用水のタンクに茶色いヤニのような液体がついているのに気づいた。中隊長が飲むなと指示した時には、すでに二人が飲んでいた。彼らは死ぬまで二昼夜吐き続けることになる。

 兵士は撤退をはじめた。死体はしかたなくその場に置いておくことにした。ジャングルを逆戻りする彼らの前に、いくつもの巨大な黒い羽毛のかたまりがたちふさがった。それはあまりにも大きいため、最初は怪物のようにしか見えなかった。しかしよく見ると、人間が操るハリボテのようなものらしかった。

 兵士たちが硬直していると、黒い羽毛のかたまりから何かが飛んできた。中隊長の手にその中の一本が突きささる。それは羽毛のついた針だった。吹き矢だ。雷にうたれたような痛みが走る。矢の先には赤い液体が塗りつけられていた。隊長は矢をひきぬくと、すばやくナイフで手を切りつけ、血といっしょに毒液をしぼりだした。

 兵士たちはライフルで応戦したが、相手はいくつもの羽毛のかたまりに隠れていて、姿が見えない。しかもローテーションを組んで順繰りに吹き矢を打ち込んでくるので、狙いがつけづらいことこの上なかった。吹き矢に撃たれた兵士はその場に倒れて動けなくなっていく。隊長は、倒れた仲間を見捨てて逃げるよう指示を出し、ジャングルの中を逃げまどって、どうにかわずかな兵士をつれて基地に戻った。

 しかし将軍は中央地帯の攻略をあきらめず、攻撃の指示を出した。

 兵員を補充し、ふたたびジャングルに入りこんだ中隊長を待ち受けていたのは、見捨てた仲間たちだった。彼らは首を切りおとされたり串刺しにされたりして、道のところどころに配置されていた。中にはまだぎりぎり生きているのもいた。彼らに捕虜をまともに扱うなんて発想はないのだと知って、兵士たちの士気はくじかれた。

 ジャングルの攻略に手間取っているあいだに、奪った銃や大砲をマーウから買い取った東側の兵士は装備を固めた。その後、西側に与していたある都市の議員が相次いで暗殺された。議員たちが全身を七色に腫らして死んでいくのを見て、市長は東側に寝返った。

 かくして、戦争は独立側の勝利に終わった。

 あたらしく生まれた国の大統領は、大きな国立公園を制定し、その中の自治区をマウマウ族の住みかとした。マーウには友好のあかしとして新しく発行された紙幣がたくさんと、毎年ぜいたくな食べ物が贈られるようになった。

 マーウはあまり金には興味を示さなかったが、ちょうど勇気ある証券会社のブローカーがマーウのもとを訪れて証券を勧めたので、投資をすることにした。そのころ町で流行りだした黒い炭酸飲料をいたく気に入っていたマーウは、あの甘い飲み物を作っている会社に全部投資しろと言った。のちにその会社は世界でいちばん有名な飲み物の会社になった。

 大金持ちになったマーウは毎日チョコレートを食べられるようになり、マーウはどんどん太っていった。そのころから、マーウの自治区にはぽつぽつと観光客が訪れるようになった。

 そしてマーウも太りすぎで死に、息子ママーウの時代がくる。




 産みっぱなしの育てっぱなしで育ったママーウは、マーウに輪をかけてでたらめな性格だった。族長としての責任感のようなものはまるでなかったし、世間知らずで無鉄砲でいいかげんでばかだった。とりえらしいとりえと言えば、妙に手先が器用だったことだ。彼は木や貝や珊瑚をつかって奇妙な工芸品を作れた。それとほら話がうまかった。それから、チョコレートをしょっちゅう食べていたくせに、なぜか虫歯にはならなかったことも、まあとりえと言えなくもないかもしれない。

 戦争の痕跡が薄れ、マウマウ族の自治区に観光客が訪れるようになったころ。工作が得意だったママーウ少年は、いろいろな工芸品を作って彼らに売りつけた。人形やらアクセサリーやら砂絵やら泥の壺やらだ。これがみなけっこう出来のいいもので、部族の伝統工芸だと言ってもじゅうぶん通用したので、よく売れた。

 ママーウは大喜びしたが、マーウをはじめとした有力者たちは、この族長の息子らしからぬふるまいが気に入らなかった。お前は黒い森の黒い王になる男なのだぞ、なにを細工物を作って商人のまねごとなどしおるか。と。けっきょく、ママーウはせっかく見つけた天職をあきらめ、すっかりやる気のない族長になった。

 やる気こそなかったものの、ママーウは外見だけはいかにも思慮深い酋長という風だったし、親からうけついだ宝石鳥の冠をかぶるとたいそうりっぱに見えた。彼が族長になってから、良くも悪くも自治区の雰囲気はずいぶん平和なものになった。

 ママーウは観光客にも寛容だったので、だんだん客足は増えた。マーウが死んで、権力を手に入れたママーウは、ホテルを建てたりツアー会社と組んだりして、部族の村をすっかり観光地としてしまった。おみやげ屋やレストランも建てさせた。ママーウは自分自身も商売にした。観光客が彼の写真を取るにはお金が必要だった。はじめは観光地化に反対していた有力者たちも、お金を稼いでものを買う生活に慣れるとだんだん態度を変えていった。

 こうして、銃でも大砲でも滅ぼせなかったマウマウ族は、時代にあわせてすっかり変わった。彼らはまるで昔から平和主義者だったような顔をした。白人たちも先住民の文化を理想化する傾向があったので、彼らがさんざん殺しをやったことなどすっかり忘れた。


 平和なときはいつか過ぎ去る。また別の国と戦争が始まった。遠くの国に軍事介入をはじめたのだ。もうマウマウ族の戦士の出番はなかった。彼らはすっかり平和に染まっていたし、飛行機や機関銃相手に毒の吹き矢で戦う気はなかった。

 長引いた戦争は泥沼になり、不景気を起こした。失業が広がり、多くの若者が未来に希望を失った。彼らのうちある者はフリーセックスやドラッグに走った。ある者は音楽や政治活動に走った。ある者は幻覚剤や瞑想で精神世界にのめりこんだ。そのころから、行き詰まった白人の若者たちがママーウのところをたずねて来るようになった。

 一方、マーウの家は鉄筋コンクリートの二階建てになっていた。しかし表面には彫刻をした木を貼りつけておいたし、屋根には木の枝の束を乗せておいたので、まるで伝統的な家のように見えたが、中身はほとんどマンションと同じだった。ただ木造っぽくしておいたほうが観光客が喜ぶから木を張っているだけだ。クーラーもついていたし、冷蔵庫もテレビもあった。冷蔵庫の中には冷えた炭酸飲料のビンがごっそり入っていた。

 若者たちがやってくると、せっかく遠くからたずねて来たのだから面白い話をしてやろう、とママーウは考えた。そこで、神話や格言などをでっちあげて話すことにしたた。ママーウは話す神話のほとんどは、テレビ映画のストーリーを頭の中でごちゃ混ぜにして、登場人物を神様やコヨーテに変えただけのものだった。格言は、若者の話を聞いて、相手が言ってほしそうなことを適当にたとえ話で話してやるだけだった。

 そんなくだらない話ばかりだったのに、若者たちはみな感動し、何泊も泊まってママーウの話を聞きにくるのだった。熱心にノートにメモをしているやつもいた。ママーウはとても不思議だった。たき火をかこんで話すような与太話でなんでこうも喜ぶんだろう。テレビのほうがおもしろいのに。

 やがて、ママーウのインチキ話は本になった。話を聞いていた若者のなかに人類学の大学院生が雑じっていたのだ。マウマウ族の神話と格言集としてまとめられたその本は、その内容のわかりやすさも手伝ってベストセラーになった。

 わかりやすいのは当たり前だ。とママーウは思った。白人がよろこぶ話を作ったんだもんね。しかし困ったな、単なるほら話のつもりだったのに、どうやらあいつら、全部本気にしているみたいだ。どうも、あいつらはマウマウ族がウソをつかないと思っているみたいだ。バカじゃないのかな。どこだろうが、およそ人の口が言葉を出すところで、ウソがつかれない場所なんかないだろうに。





 インチキ話が本になってから、ママーウはますますウソつきになっていった。でもウソをつくとみんなよろこぶからついていたので、罪の意識は感じなかった。デタラメな神話を語り続けるうち、ママーウにはだんだんそれが本物の神話のように感じられてきたから、ますます平気になった。ほかのマウマウ族もみんなそうだった。彼らは観光客に見せる芝居と本当の生活の区別がだんだんつかなくなっていった。みんな嘘と本当が混ざってしまっていた。マウマウ族の居住地は、うっすらとした霧に包まれはじめた。その霧はいつまでも晴れず、マウマウの人たちには何もかもがあやふやに見えた。でも白人たちにはわからないようだった。

 そんなある日、マウマウ族の暮らしを題材にしたドキュメンタリーフィルムが撮影される事になった。物好き向けのくだらない映画だろうな、いつもどおりウソをつけばいいんだろ。とママーウは思ってその話を受けた。

 ママーウはよく読まなかったが、その映画の企画書の中には、族長ママーウが日本からきたゼンマン、つまりゼンの僧侶と対談をするという企画がもりこまれていた。なんでも、そのゼンマンは有名な僧侶で、アメリカで仏教の本を何冊も出して、弟子もたくさんいるという。困ったなあ、とママーウは思った。そんなりっぱなやつと話なんかしたら、こっちのウソがばれてしまうぞ。

 そしてドキュメンタリーフィルムの撮影が始まった。撮影はほとんどやらせだった。マウマウ族の人たちはふだんTシャツを着ているのに、わざわざ民族衣装に着替えてカメラの前で踊ったり、ふだんは金属のナイフを使っているのに、わざわざ石器を使って見せたりした。マウマウ族の人たちは観光客をよろこばすためによくそういう芝居をしていたので、慣れっこだった。

 つづいてゼンマンとの対談がはじまった。ママーウが緊張して族長の椅子に座っていると、ぶくぶく太った日焼け顔の男が部屋に入ってきた。彼のあごは二重になっていて、歩くたびにぶるんぶるん揺れた。ボディガードか何かかなと思ったら、その男がゼンマンだという。おかしいなとママーウは思った。ゼンの僧侶は菜食なんじゃなかったっけ。肉や菓子をたっぷり食わなければこんなに太るはずないぞ。

 対談がはじまった。さぞむずかしいことを言うのだろう、と身構えていたママーウだったが、話してみると、ゼンマンの言うことはママーウの話と大して変わらなかった。ゼンマンは西洋文明の行きすぎた部分をとりあげたり、若者の苦しみを表面的に取りあげたりするばかりで、中身のある核心的なことは何も言わなかった。それはママーウがインチキ話をするときによく使う手だった。そのとき、ママーウは確信した。このゼンマンは自分の同類なんだ、と。自分とおなじことを考えて話しているんだ、と。

 ママーウは知っていた。ママーウのところにくる連中のほとんどは、そもそも真実や真理みたいなものに興味はない。たとえ真実を追い求めているような顔をしていても、頭の中にあるのは仕事やら健康やら遊びのことばかりだ。

 ママーウは知っていた。本当に大切なことを真剣に話したって意味は無いのだと。連中はそんなこと考えたくないんだから。自分自身のことすらまともに考えないんだから。自分が本当は何を欲しがっているのかすらわかっていないんだから。

 ママーウは知っていた。そんな彼らの欲しがっているものを見抜いて、それをうまく言葉にしてやる方法を知っていた。そうすると彼らは大いによろこんで、尊敬してくれることを知っていた。彼らは自分自身が大好きなのだ。だから自分に関係ある気持ちがいい話しか聞きたくないのだ。

 ママーウは知っていた。自分はただ相手がよろこぶように話しているだけだということを。意思も信念も自分にはちっとも無いことを知っていた。自分が空っぽだということをよく知っていた。

 ママーウはゼンマンとくだらない対談をしているあいだ、ずっとそんなことを考えていた。その姿を撮影されていることがたまらなくおかしくて、笑い出しそうだった。おれはたしかに空っぽだ。意味のない言葉のつまった革袋だ。空っぽには違いないが、自分が空っぽだと知っているだけ、すこしだけ、マシだ。そう思って自分をなぐさめるのだった。


 対談が終わったあと、ゼンマンと二人で話をした。ママーウが肉料理やチョコレートを出してやると、ゼンマンはよろこんで食べた。

 「あんた、ご先祖様の偉大な霊なんかちっとも信じていないんでしょう?」

 肉をほおばるゼンマンは、そう言って笑った。

 「あんたはよくものがわかってる。あいつらとは違う」

 そういって彼は、親指で窓を指さした。その仕草は僧侶というよりも農夫が牛を指さすのに似ていた。窓の外ではへんなジーンズを着たヒッピーみたいな連中が何かやっていた。

 「あいつらはね、形がないことはないと思ってるんですよ。ゼンのことだって何も分かっちゃいませんよ。しょうもない仏像やマンダラを部屋に飾ってありがたがってはいても、それが象徴で、本物は心の中にあるということはまったくわからんのです。だから私みたいなくだらない坊主をありがたがるんです。あんな畜生外道どもから金を巻き上げても、何にもわるいことはないのですよ」

 ゼンの師匠はそういって、太鼓腹をかかえてゲラゲラ笑うのだった。ママーウが酒と煙草を勧めると、彼はうまそうに葉巻を吹かして金色のテキーラを飲んで、それからヒッピーのバカ女を何人かどうにかしたいのだがと言った。

 ママーウは部族のシャーマン長を呼び寄せ、媚薬になる幻覚剤を調合させた。それはふつう特殊な夫婦間の問題を解決するときにしか使わない薬で、ヒッピーどもにもけして教えない種類のものだった。それをゼンの師匠にやって、部族の隠し駐車場にこっそりキャンピングカーが止めてあるから使っていいと言うと、ゼンの師匠は手を叩いて喜び、あんたは族長にふさわしいもののわかった男だとママーウをほめた。ママーウも自分をそうだと思った。






 こうして作られたばからしいドキュメンタリー映画だったが、いくつかの賞を取って、このタイプの映画としてはそこそこの成功をおさめてしまった。結果として、若者の観光客が中心だったマウマウ族の居住地には、知識人やセレブリティがたくさん訪れるようになった。

 ママーウはよくもののわかった男だったので、彼らが望んでいるものをちゃんと用意した。自然の風景や部族の伝統的な住居はそのままにしておいて、いっぽうで家畜の糞や毒虫や触るとかぶれる草のたぐいはとりのぞかせた。ラジオやテレビやビートルズのTシャツは彼らの目から隠しておいて、いっぽうで便所はちゃんと水洗にしたし、シャワーも冷蔵庫も用意しておいた。蝶々は飛んでいてもよかったが、芋虫は殺した。みやげ物屋はいかにも部族の伝統的な市場を装っていたが、クレジットカードはちゃんと使えるのだった。

 セレブたちは彼らの居住区を訪れ、その伝統のすばらしさに感動して帰っていくのだった。彼らは貧乏な若者と違って金払いがよかった。まるでお金に足が生えてこっちに歩いてくるみたいだな、とママーウは思っていた。


 そんなある日、日本の商社の一団がママーウのもとを訪れた。彼らの目的は観光じゃなく取引だった。マウマウ族のみやげ物を日本で売りたいという話を持ちかけてきたのだ。

 日本人のひとりが、翻訳されたママーウの本をよんで感動したといった。ママーウは自分のデタラメ話が日本語になってる事なんてちっとも知らなかった。適当にやっているうちに、エージェントの男が勝手に仕事を進めているらしい。

 彼らはおみやげとして、日本の工芸品をいろいろとママーウにくれた。それらはどれも見事なものだった。金粉がまぶした絵の描かれた扇子、とても細かい彫刻がほどこされた漆塗りの櫛、螺鈿細工の入った小物入れ、色々な木で模様を埋め込んだからくり箱などなど、どれをとっても一級の工芸品だった。ママーウは不思議だった。こんないいものがある国が、なんでここのくだらないみやげ物を買いたがるんだろう。それらの工芸品を見ていると、ママーウはなんだか悲しくなった。

 自分でも理由はよくわからなかったが、ママーウは日本人たちにちょっとウソをついた。一般客向けの宿はもう予約でいっぱいいっぱいだが、村はずれにちょっと古いバンガローがあるからそこを貸してやる。ただでもいいよ。

 日本人はサンキューサンキューと何度も言って、なんども頭を下げて地面を見る動作をした。みんなで頭突きのマネをするなんてずいぶん無礼な奴だなとママーウは思った。

 その夜、ママーウは日本人の置いていった工芸品をずっとためすがめす見ていた。彼の気分はどんどん悲しくなっていった。とくに悲しく見えたのは貝細工の鏡だった。丸い鏡の裏面に、綺麗な彫刻の入った光る貝が埋め込まれていて、金粉をつけた黒い塗料で縁取られている。まるで夜の湖に映る月のようにきれいだった。

 どういう人間がこれを作ったんだろう。とママーウは思った。自分が子供のころ、くだらないみやげ物を作って観光客に売りつけていたことを思い出した。あのときは楽しかった。きれいな貝殻を拾い集めたり、石をみがいて光らせたり。観光客はママーウが族長の息子だなんて知らないから、気に入らないと買ってはくれなかった。ひとつ売れるたび、もらった小銭を握りしめてうちに帰って宝箱に隠した。そのお金は誰にも触らせなかったものだ。

 ママーウは日本人がみやげに持ってきた菓子と茶を取り出した。ヨウカンとかいうその菓子は、黒いブロック状の不気味なものだったので、ママーウ意外は気味悪がって食べなかった。

 ママーウはヨウカンをもくもくと食べて。緑色の茶を飲んだ。なかなかうまかったが、眠れなくなってしまった。眠れなくなった頭で、ママーウは工芸品を見てため息を吐き続けた。

 ああ、おれはずっとこんなウソだらけの村にしばりつけられて、くだらないウソの話を吐きながら死ぬまで待たなきゃならないんだろうか。もう子供のころみたいなことはできないんだろうか。なんで自分はこのみごとな工芸品を作ったものたちのようになれなかったんだろう。そうなっていてよかったはずなのに。もし自分がこの村の族長なんかじゃなく、一介の細工職人だったなら、ずっと貝を削り続けていつか見事なものを作れたろうに。そう思うとママーウは胸が押しつぶされそうだった。

 まるで夜が自分をおびやかしに来るように感じられてたまらなかった。窓から外を見ると、黒い森のシルエットが風にさざめいていて、たまらなく怖かった。ママーウは黒いフクロウの話を思い出した。黒いフクロウは、ママーウが話したウソのマウマウ神話に出てくる森の精霊だ。ほんとうはそんなものいやしない。ママーウが作ったウソの話なんだから。ウソの話なのに、ママーウは黒いフクロウが怖くてたまらない。自分の作ったウソの世界からそいつが飛んでくる気がしてたまらない。

 黒いフクロウは黒い森からやってくる。黒い森は別の世界にある精霊と死霊たちの住みかだ。ふだんは二つの世界は切り離されているけれど、とくべつな夜が来て、森の奥にだれもいない本当の暗闇ができると、黒い森がこの世とつながる。黒い森から黒いフクロウがやってきて、人間の影にとりつく。

 黒いフクロウは人間の影をつついて、可能性をほじくり出す。可能性だ。人間の影には、その人間の壊されてしまった可能性が無数につまっているのだ。たとえば、強い戦士になった男の影には、大工になったはずの男の影や戦死した男の影が詰まっている。やさしい人間の影には、邪悪な人間が入っている。犯罪者の影には、善良なものが入っている。人間は何かを選び取るたび、選ばなかった可能性を影につめこんでいく。

 大人が子供より大変なのは、影が大きくなるからだ。失敗した人間が成功した人間よりつらいのは、影が重たくなるからだ。自分らしく生きられないものが苦しむのは、影の中から本当の自分が呼ぶからだ。黒いフクロウは人の影にわりこんで、悪さをする。


 翌日の夜のことだった。

 月のない、風のない、空気を墨で染めたような、それはそれは静かな夜だった。たくさんの火が、夜にうかびあがる。小さな炎が円く、村はずれのバンガローをとりかこんでいた。

 マウマウ族は松明の光にてらされ、みなじっとママーウを見ていた。炎に照らされた彼らの足もとから、ヘビのように長い影が何本も伸びて、炎が揺れるのにあわせてちらちらとうごいていた。

 戦士たちはみな戦化粧をして、武装していた。観光客にみせるための衣装ではない、本当の戦化粧だ。彼らはみな本当の武器を持っていた。弓のつるははりかえてあったし、矢には毒が塗ってあった。吹き矢には毒針がこめてあった。白人のナイフをくくりつけたヤリが炎に光っていた。

 バンガローの中から日本人がでてきて、手を振った。歓迎の祭りだと思っているようだった。ママーウも手を振った。サメの歯の棍棒が炎に照らされている。宝石鳥の冠と貨幣のかたびらは、きらきら光って綺麗だった。

 ママーウは大きく口をあけて息を吸い込み、フクロウの声で歌った。幼いころにマーウに習ったとくべつな声の出し方で、これをやっていいのは族長だけなのだった。

 ママーウの歌は村中に響きわたったが、何も知らないものの耳には、フクロウがさかんに鳴いているようにしか聞こえないのだった。ママーウは歌った。歌いつづけた。夜をふるわせる声だった。

 日本人たちは拍手をした。

 黒く塗った矢が何本も空を切る。吹き矢が小さな音をたてる。日本人ののど笛に穴が開く。戦士が走る。棍棒がうなる。日本人の頭が踏みつぶした空き缶のようにへこむ。弱々しい叫び声はママーウの歌にかき消される。ママーウは歌いつづける。フクロウの声で歌いつづける。なぜ歌うのか自分でもよくわからなかったけど、声は自然にのどから出てくる。

 それが森の精霊に目汚しを謝る歌であり、夜襲と殺しの合図であることなんて、もちろん日本人たちの知るところではなかったし、マウマウ族も、ママーウ本人も、すっかり忘れていたのに。


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