死と私

入間しゅか

死と私

自室に死を飼っている。死は炬燵でぬくぬくとテレビを観ている。死は獰猛で時々噛み付いてくる。今小指の爪を噛まれた。せっかくのネイルがかけてしまった。


死との付き合いはかれこれ十数年。中二の夏。家に帰ると部屋のベッドで死が眠っていた。私はその頃、毎晩寝る前に死に会いたいと願っていたから嬉しかった。死は私に気がつくとゆっくりと起き上がり何も言わずにほほ笑んだ。死を抱きしめたくて近づくと、死は私のみぞおちを思いきり蹴った。私は息がうまく出来なくなって、蹲り泣いた。死は優しくほほ笑んでいた。私は死に会えたのに、死と永遠に分かり合えないことを悟った。悲しみに包まれた。

悲しみは長続きしなかった。慣れは見事に悲しみを忘れさせてくれた。死と分かり合えないと分かってしまえば、どうってこともない。いるもいないも同じだった。私には友達がいなかった。別にいじめられていた訳ではない。ただ友達がいなかった。話しかける理由がないから、話しかけられることもなかっただけだ。強いていえば死だけが私のそばにいた。高校三年の冬。皆が受験勉強に追い込まれていくのを他所に私は夏休み前に推薦で近所の私立に合格していたので、時間を持て余していた。死と二人きりの時間が増えた。死は会いたいと思えばすぐに会いに来てくれた。分かり合えないのに、どうして会いたいのかわからなかった。私は独りが好きだったから、お昼ご飯はいつも人気のない裏庭のベンチで食べていた。死は私のそばで忙しなく雑草を抜いたり、越冬のために木のウロに集まった虫を潰したりしていた。死は汚れた指を私のスカートで拭いた。私は何言わなかった。死はいつもほほ笑んでいた。死は喋らない。そばにいるだけだ。

その日はとても寒い日だった。私が裏庭でお弁当を食べていた時、担任の後藤という男の先生がやってきた。後藤はこんなとこで食べてて寒くないのか?と訊いてきた。私は首を横に振った。一人にして欲しいのに後藤は隣に座った。何か悩みでもあるのか?だとか、いじめられているのか?だとか、どうしていつも一人なんだ?だとか、いろいろとうるさかった。私は質問の度に首を横に振った。その時、死はどこからか持ってきた果物ナイフで木に傷をつけていた。私はもしナイフを奪って自分の太ももに刺したら、後藤はどうするだろうかと考えた。でも、後藤がどうしようと私には関係がない気がした。血が流れる。痛みが走る。涙があふれる。それだけ。それだけのことだから、後藤には関係がないし、私にも関係がない。樹液でベトベトになった手を死はまじまじと眺めていた。すると、三人の男子生徒が現れた。後藤を探していたらしい。三人組は後藤をからかった。先生が生徒に手を出したらダメだと囃し立てた。後藤はバカ!そんなんじゃない!と豪快に笑って取り繕っていた。その時、死が私の肩に触れて、ねっとりとした樹液の温みが肩に伝わった。私が死の方に顔向けると、死は優しくほほ笑んでいた。

その日から私は後藤と付き合っいるという噂がたった。やたらと話しかけられるようになった。独りになれなくなった。お昼ご飯も数人の女子生徒と一緒に食べることになった。女子生徒たちは各々恋愛をしているらしかった。私は人を好きになることがどんな感情かわからなかった。だから、死について話した。死と一緒にいると安心する。死のことは何も分からないけど、死はいつでも待っていてくれると。すごいねと言われた。女子生徒たちには私と死はとても羨ましい関係らしい。みんな死のような恋人がほしいと口々に言った。私はすこし嬉しかった。

高校を卒業すると、私はまた独りになることができた。大学は高校と違って人と関わらなくて済む場面が多いし、広いキャンパスには人が来ない場所がたくさんあった。私は死と二人きり。この先もずっと二人きりなんだと思うようになっていた。

けれど、独りにはなれなかった。六月。酷く蒸し暑い日。昼休み。私がいつもお昼ご飯を食べる図書館裏のベンチにはすでに男が一人いた。私が別の場所を探そうと思った時、声をかけられた。男は私に一緒に食べようと誘ってきた。なんでも、男は私がいつもこの場所で食べているのを図書館の二階の窓から見ていたらしい。厄介なことになったと思ったけれど、断る理由を探すのもめんどくさいから誘いに乗った。男の名は米山。ひとつ上の先輩だった。彼は文芸部の部員で、よかったら入らないかと言ってきた。私は文芸部という部活があることすら知らなかった。それに文章を書くことに関心がなかった。けれど、断りきれずに入部してしまった。死はその時何をしていたのだろうか。私のそばにいなかった。

私はさっぱり文学がわからなかったけれど、死についての短い文章を書いた。書いてみると楽しかった。でも、死について書いている時、いつも死はそばにいなかった。死は家に引きこもるようになった。

七月。米山に告白をされた。人生ではじめて愛してますと言われた。私には死がいるから先輩と一緒にいなくても大丈夫だと伝えると、死って誰なの?と問われた。私は答えられなかった。家に帰ると、死はベッドに座って優しくほほ笑んでいた。会いたかったのに、どうして来てくれなかったの?死は答えなかった。答えの代わりに私の腕を引っ掻いた。血が出た。とても痛くて、涙が出た。でも、これは悲しみの涙なんだと思った。

死は凶暴になっていった。帰る度に傷つけられた。噛まれたり、蹴られたり散々だった。その時に感じた痛みや悲しみを文章に書くようになった。文章を書いている時だけは悲しみを忘れることが出来た。文章を読んだ米山に死との関係を終わらせてあげたいと言われた。俺が死の代わりになると米山は何度も言った。私は無理だと思った。先輩は死になれないですと言うと、米山はそんなに俺はダメか?と語気を荒げた。

それからどうなったんだっけ?今となっては忘れてしまった。米山とは結局付き合うことはなかった。というより、誰ともいまだに付き合ったことがなければ、好きになったことがない。死といる限り誰も好きにならない気がしている。


大学卒業後は、仕事の都合で親元を離れた。引越しの時はいなかったくせに、引越しが済むと死はいつの間にか家にいた。私は特に驚くことはなかったが、死ぬまでこいつとは一緒にいるんだなと諦めに似た感情がわいた。

私と死についてはこれ以上語ることはないし、この物語ももうすぐ終わらせようと思っている。かけたネイル。気に入ってたのにな。自室に死を飼っている。死は中二の夏に初めてあった時から何も変わらない。成長しない。相変わらず、時々激しく暴れて私を傷つける。傷跡をコンシーラーで隠すことにもすっかり慣れた。近頃、死に会いたいと願っていた頃のことを思い出すようになった。死に会う前の私は何を感じて生きていたのだろうか。もう死を通してしか事物を見れなくなった私は何故生きているのだろうか。と思ったほんの一瞬のことだった。死の鋭い爪が私を抉りとったのは。

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