第53話 これからの日々
空を見上げると、流れる魂が時折夜空に光る。
あれから黄泉の宮は現世や常世との境の道に、術者を派遣して修復させ、つつがなく魂の輪廻を守り続けている。主上の采配のもと、以前と大きく変わりはない。
后妃である藤子も無事に回復に向かっているという。
その日、午前の任を終えた悠幸は、時間が空いた頃合いを見て紅桜院跡地に赴いた。
かつての火事があった土地に、小さな祠が立てられた。祠は元々神道の流れを汲むものだが、神仏習合の影響が長くあり、現在は黄泉でも仏が共に祀られているのだ。
今すぐに寺の建築は難しいが、いつかは土地が浄化されたら、和を尊んだ泰平王らしい寺を建立する予定だ。
頼人も、もとより土地の浄化を終えたらそうしたいと考えていたらしい。
楓に寺の建立のことを話したら、嬉しそうに微笑み、自分の出来得る限り尽力すると言ってくれた。
悠幸は手を合わせた。どうか、両親を始め、火事の犠牲になった人々の御魂が心安らかに眠れますように。
視界の端に、一瞬白い羽根が見えた気がした。
白鵠の魂が御仏として、今日も見守ってくれているのだと悠幸は思った。
「遅くなって申し訳ございません。稽古をつけて頂いておりまして」
千景が早足でやって来た。袴姿に、いつもより、髪を上の方で一つに結っている。
客観的な現状を鑑み、さすがに今のままでは近衛の任は務まらないかもしれない、と千景は一人で危機感を抱いた。そこで近衛の和孝から直々に剣術や基礎体力の稽古をつけてもらうことにしたのだ。
稽古の後に熱を出すことがなくなったので、練習量が随分増えたのは千景にとって大きな成果であった。
「かまわない。私も今来たばかりだ」
千景は悠幸の横に並ぶと、両の手を合わせた。
梟がさえずり、虫の音が鈴のように聞こえた。
空は無数の魂の光が散りばめられている。
ふと周囲に、取り巻くようなふわりと柔らかい風が舞い、千景と悠幸は顔を上げた。
「良い祠を立てましたなあ」
羽織を翻しながら、翁が飄々と笑いながら現れた。
翁が姿を見せるのは、あの日以来であった。妖力をごっそり削がれたらしく、なかなか松ノ宮に訪れなかったのだ。
「翁様、父上は……」
すると翁は慈しむような微笑みを口元に浮かべると、胸に手を当てた。
「彼はまた眠りにつきました。いつ目覚めるかもわからない、深い眠りに……」
輪廻の中に巡ることも。見守ることも出来ない。死なのか、死よりも曖昧な生であるのか。翁が消滅するまで、彼の魂は意識の奥に深く閉ざされる。彼が選んだのは、そういう道であるということだ。
「そうですか……」
僅かな寂しさを滲ませながら、悠幸は呟いた。
「千景殿、体調はどうですか」
翁は千景に尋ねた。
「はい、あれから特に悪くなることはありません」
「それは重畳。上手く封印が体に馴染んでいるようですね」
「はい。ちょっと不思議なぐらいに……」
身の内に封印するとなると、それなりの代償や苦しみも覚悟していたのだが、鬼の器が人間と違うのか。それともトキジクノカクの力の源である母の魂が守ってくれているのか。まだ影響が出ていないだけかもしれないが、今のところは困ったことはなく日常を送ることが出来ている。
翁は祠に手を合わせた。妖の彼にとってそれは人間の真似事にあたるのかもしれない。それでも敬意をもって行ってくれたことで、気持ちは充分伝わった。
「わざわざお参り下さり、ありがとうございます」
千景はお礼を言う。悠幸も頷いた。
「またいつでも、顔を出して下さいね」
「無論ですとも。彼も眠っていても、お二人の声はきっと届きますからな」
はっはっは、と翁は笑って手を振って、風と共にふらりとまた去って行く。
ぼんやりと浮かぶ明かりに、紅葉がはらはらと散っていった。
悠幸は手を振って、その姿を見送った。
「悠幸様は本日のお勤めはいかがでしたか」
千景は尋ねる。
「主上……叔父上に教えてもらって何とか。毎日続けるって大変なのだなと思う」
現在、悠幸が主に担うのは魂鎮めの儀と、浄化の間の管理だ。
神剣は千景の持っていた時と同じ形をしていた。千景が最後に持った時に、悠幸の力も吸収したらしく、二人で一つの剣の形になったようであった。
「でも、改めて思ったんだ。私は浄化だけではなく、多くの人の心を救える存在になりたいと。人々の心を癒せる王になりたいって」
悠幸はそう口にした。
「人口や輪廻をめぐる魂が増える中、どれだけのことが出来るのかわからない。それでも、この想いは忘れずにいたいんだ」
「悠幸が大きな力を宿して生まれた理由は、そういった人々が増えるから、ということなのかもしれませんね。この先の世の均衡を見越して、大きな浄化の力を与えたのだと、勝手ながら思います」
千景は黎仁に言われたことを思い出す。
世を救うのは祈る心よりも確固たる力だ、と。
だが、その両方なのではないかと千景は思う。
悠幸が心になるのなら、自分は確固たる力になろう。
どちらかだけでは均衡が崩れてしまうのなら、両方で支える必要があるのだ。
黄泉の世を護るために。
「だから千景……私の傍にいて、力を貸してほしいんだ」
そうして、悠幸は夜の闇を照らすように笑った。
まるでその存在はこの黄泉の世界の宮のようだと千景は思った。
千景はそんな彼を支えとなることを願っていた。もちろん千景は悠幸が王族だから仕えていたわけではない。だが、輪廻は悠幸と臣下としての千景をめぐり合わせたのだ。
もし千景が養子に出されずに、悠幸の兄として育っていたら。
千景は悠幸の強さや明るさに劣等感を抱いていたかもしれない。
そうしたら、純粋に彼のことを愛せていたのか、わからない。
人々の魂を、想いを司る黄泉の世。多くの人が護ってきたものがそこにはある。
千景は、万感の思いで悠幸の正面に跪いた。
「どんなことがあろうとも、私は悠幸様のお傍で力になろうと思います」
王であっても、実の弟であっても、守るべきものは変わらない。
命が終わるその時まで、千景は彼と共にあろうと誓ったのであった。
了
黄泉ノ宮の主従譚 @murasaki-yoka
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