第52話 日の光

 頼人は先程、火の柱に向けて投げつけた短刀を拾う。黒の漆で塗られた柄と、抜き身になった刃。柄にしまうと、彼は千景と悠幸のもとへ歩み寄った。


「すまない。結局、お前は背負わなくてよいものを、たくさん背負わせてしまった」

「いえ、主上の方が傍目には重症かと……」


 千景は首を振る。頼人こそ、満身創痍なのだ。浄化の力を使い果たし、血を流して霊力まで込めて最後の一押しをしてくれた。和孝が応急処置で巻いた布から、赤い血が滲んでおり痛々しい。

 頼人は尋ねた。


「千景、どうして浄化をさせるではなく封じる方を選んだんだ。千景なら鬼になって浄化の力で滅することも出来たはずだ」


 今、彼らの魂は千景の身の内に封じている状態だ。


「私は黎仁様と入れ替わる時、一瞬でしたが彼の過去を垣間見て、話をしました。そこで彼の負の感情も見て……報われてほしいと思ったのです。

 彼の魂は、誰かに浄化されるのではなく、私の中で時間をかけて自身の心を癒してほしいと思ったのです」


 彼は大きな理不尽と犠牲の上に、焔と共に生きていた。それが正しい道ではなかったかもしれないし、それが正しくないと千景が断定できるわけでもない。


 ただ、彼は自身が生きてきた道に悔いはなかった。だからこそ、誰かにではなく、自身の力で清算するのが彼の生き方も否定のすることない方法だと思ったのだ。


「焔は黎仁様の感情に、焔は否定をしませんでした。その一言に、あの方は救われたのではないかと思います。そして黎仁様を通して、焔の中にある魂も、浄化されてほしいと思いました。この黄泉の世の犠牲になった魂たちなので」


「千景……」

 千景の想いに悠幸は呟く。

「そして皆さまに犠牲を払ったと思われないよう、私自身が幸せに生きようと思います。それが私の、鬼の器となった責任の取り方です」


「お前は偉いな」

 頼人は感嘆と切なさが入り混じった眼差しを浮かべた。

「私は父も焔のことも赦せないし、王位を奪った責や咎もある。だからこればかりは……千景に頼むとするよ」


 頼人の言葉に、千景は頷いた。

 そして頼人は、続いて悠幸の方に向いた。


「悠幸。相談なのだが、私の力が戻るまでのしばらくの間、王の代わりを務めてくれないか?」


 突然の申し入れに悠幸は目を丸くした。

「私が、ですか⁉」


「ああ。指示は私が出そう。黄泉の世の修復に、魂の浄化という通常業務。やることがありすぎるのに、私は今回力を使いすぎた。戻るのにどれだけ時間がかかるのか、わからないんだ」


「で、出来るでしょうか」

 さすがの悠幸も、おっかなびっくりの様子だった。


「悠幸様ならきっと大丈夫です」

 千景は安心させるように伝えた。

「私もお力になれること、精一杯勤めますので」


 誇らしい気持ちと同時に、重い役割を背負うことになる悠幸のために、その助けになるのなら千景は何でもやる覚悟であった。


「お、言ったな」

 頼人は頼もしいものを見るように笑った。


「悠幸が王の任を引き受けてくれるのなら、臨時の悠幸専用の近衛が必要だと思っていたんだ。重責だから身近に支える者がいてくれると、やはり精神的に心強い。だから……千景、私はお前を推薦したい。引き受けてくれるか?」


 身に余る光栄に、千景は息を呑む。自分には大役すぎるのではないだろうか、などという思いが一瞬渦巻いたが、悠幸の弾けるような笑顔でその感情は瞬時に消え去る。

 千景は頼人の御前に跪いた。


「はい、謹んで近衛の任を、拝受したいと思います」


 千景の堂々とした様子に、悠幸は嬉しそうに微笑んだ。

 信人は安堵したように瞑目する。


 ふと天から日差しが差し込み、千景は驚いてまた空を見上げた。黄泉の空間が歪み、現世との境も曖昧になってしまっているようだった。


「これが太陽の光で、空……?」

 悠幸は呟いた。


「ああ、そうだ。美しいだろう」

 頼人は懐かしそうに言う。


 透き通るような光は柔らかく、美しい蒼穹が合間から見えた。

 普段暗闇で過ごす黄泉の民は、現世に向かう時は光に目が慣れないために少しずつ慣らしていくように言われている。だが、この柔らかい光は目にも負担がかからなかった。

 山の緑が濡れた葉に反射して、鮮やかさを増していた。


 頼人は、ふと兄の姿が薄くなっていることに気が付いた。

 何か言おうとしたところを、信人は人差し指を立てて声をあげないよう促す。


「想像していたよりも、ずっと綺麗だ」

 悠幸は光に当たる千景を見た。

「千景」

 悠幸は声をかける。


「いつか一緒に見に行こう。現世の世界を。きっともっと綺麗な景色のはずだ!」

 その言葉に、千景は微笑んだ。


「喜んでお供します」

 これからいつか二人で見られる広い世界が、千景は楽しみだった。


 ふと、二人を包み込むような風が吹いた。きらきらとした光の粒が一瞬舞って、舞台の向こう側へと消えていく。

 柱の方を見ると、先程までいたはずの信人の姿はどこにも見当たらなかった。


「行ってしまわれたのですね……」

 千景は目を細めて呟いた。


 すると、清望殿を小走りで誰かがやって来る足音が聞こえた。


「千景さん、悠幸様! お二人とも、御無事ですか……!」


 見ると、足音の正体は楓であった。

「楓様!」


 二人の姿を確認すると、楓は目を潤ませた。

 千景が元の姿に戻ったことに心の底から安堵をしているようであった。


「匂い袋、ありがとうございました」


 千景は礼を言う。

 楓はゆっくりと頷いた。そして千景と悠幸の手をとって微笑んだ。


「一緒に宮に、戻りましょう」

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