第7話

 天高くあった月が沈み、太陽が地平線の彼方からいつものような威光を出し始めていた。

 眠りこけている兵士も多い。魔物はそれでも彼らを食おうとはしなかった。

 それまでうとうととしていた魔女が真剣な声で騎士に聞く。

「どうして言わなかったの?」

「何をですか」

 薄々、彼女の言いたいことが彼にはわかっていた。

「騎士のこと、私の魔法のこと、貴方のこと」

 やはり、と彼は思った。彼女は自分が騎士達にかけた魔法がどのような呪いになっているか知らなかったのだ。彼女はせいぜいかけた相手を強くする、程度にしか思っていなかったのだろう。

「だから、貴女は血を与えることを拒んでいたのですね」

 あるときを境に、騎士が作られなくなっていた。最初は適性の問題かと思われていたが、それにしても補充が遅い。彼女が何かと理由をつけて血の呪いを与えることを拒否していたのだ。

「言ってほしかったな」

「言ったところで変わらないでしょう。それに私は後悔していません。この体になったことを光栄に思っています」

 彼の返事は半分は本当で、半分は嘘だった。

 死を奪われた痛みは大きい。

 それでも、彼女に出会えたのも、騎士故だった。

 呪いがなければ、彼女に会うこともなかっただろう。

「本当に本当?」

「ええ、まあ」

「良かった」

 彼女が胸をなで下ろしている。

「これからどうするんです」

「うーん、どうしよっかな」

 指先を口元に当てた。

「竜と騎士団を連れて、第三勢力にでもなるつもりですか」

「あ、そういう手もあったか。敵の敵は仲間って言葉もあるし」

「まったく、考えなしなんですか」

「いやー、やっちゃったね、飛び出したまでは良かったんだけどね」

 ばつが悪そうな年相応の顔で彼女が言う。

「勝手にいなくなってゴメンね、怒ってる?」

「いいえ、そんなことはありませんよ」

「怒ってよー」

 それは駄々をこねる子どもそのものだ。

「こっちも作戦も練らないと」

 彼女が杯を傾け、中にあるものを一気に飲み干す。

「私ね、嬉しかったよ」

 彼女の独白だ。

「私がいた世界は、私なんて関係なしに回っているし、いなくなったって誰も困らないだろうし、こんな世界なんてなくなっちゃえ、とか思っていたし。だから、こっちに喚ばれて、役割を与えられて、しかもそれが私にしかできないことで、みんな期待してくれてるし、頑張らなくちゃなーって思って、張り切ってたんだ。結構気張って、格好良く話していたでしょう?」

 あの厳かな話し方は演技だった。彼と会話をするようになってから、少し砕けた口調になっていたのは地だった。

「でも貴方達のことを知って、私が何をしていたのかも知って、飛び出しちゃったんだ。最初はすぐに戻ろうとしたんだけど、なんだか戻れなくて、気が付いたらこっちの森に来ちゃってたんだよね」

「なんという無謀な」

「まあ、いざとなれば、逃げるくらいはできるかなって。そしたら、たまたま貴方達が魔物と呼ぶ獣にも出会って、話をしてみれば、私、どうやら魔法で彼らと話しができるみたいなの、それでね、聞いてみれば、魔物側では人間のこと勝手に森を荒らして侵略してくる生き物で、迷惑しているから、自衛をしているだけだって言うじゃないの。いい加減にしてほしいって」

 向こうにしてみれば、そういう感覚もあるかもしれない。

「で、思ったんだ。本当に私しかできないことは貴方達に魔法をかけて彼らを滅ぼすことじゃなくて、お互いの主張を聞いて取り成すことじゃないかって」

 彼女は空になった杯を沈みかける月に合わせる。

「すごく難しいことだっていうのは、わかってる、つもりだよ。一筋縄じゃいかないことも。そっちの事情もわからないわけじゃないしね」

 彼が彼女に言ったように、森の資源がなければ人間側はもう立ちいかないところまで来ている。来るなと言われて、すんなり了解できるわけもない。

「そのためには無理も通すし、埒も明けなきゃ」

 騎士は何も言わず聞いていた。

 彼女の悩みのほとんどは、彼には理解できない。

「伝えることはしましょう。結果は見えていますが」

「ありがとう。ついでに、お願いがあるんだけど」

 彼女が両手を合わせる。その意味を騎士は知らないが、先に続けようとする言葉はわかっていた。

「私は行きません」

「そっか」

 彼女の申し出を騎士が断る。

「貴方に騎士団をまとめてもらえれば楽だったんだけどなあ」

「私は誉れある騎士団です。貴女の騎士団を許すこともできません。貴女が無意味に思おうとも、私には民を守る役割があります」

「そう言うだろうと思ってた」

「はい」

「うん、それじゃ、もう行こうかな」

 彼女は立ち上がり、腰の土埃を払って背伸びをした。

「そうですか」

「いい? ちゃんと城に戻ったら伝えてね」

「わかりました、言うだけですが」

「わかってる。まずは最初の一歩」

「はい」

「そんなわけで、行ってきます」

「お元気で」

「覚えていてね、次は敵かもしれないけど、貴方は私の唯一の生きた騎士なんだから。決して勝手に死なないように。あと、こっちの陣営に来たかったらいつでも言ってね、歓迎しちゃうから」

「覚えておきます。貴女も私の魔女ですから、無茶はしないようにしてください」

 二度と会えないかもしれない相手に、会ったとしても剣を向けなければいけないかもしれない相手に、彼は自然と緩んだ表情を見せていた。

「良き世界になりますように」

「良き世界になりますように」

 彼女の言葉に、彼も合わせる。

 目指すものは違えども、口にする言葉は同じだ。

「皆さん、朝が来ました!」

 彼女が広場の方へ声をかける。

 眠っている兵士達が薄目を開けて起き始める。

「人と獣よ、幸あらんことを! 以上、本日は解散!」

 張り上げた彼女の声に反応して、魔物が森の中へ駆けていった。ぞろぞろと列をなして骸の騎士団も森へと消えていく。

 兵士達がその様子を見ていた。彼らが街へ戻ったとき、これをどう表現して回るのかわからないが、彼らが今までと同じ気持ちで弓を引くことはできないかもしれない。彼女はそれも見越しているのだろう。

 竜が翼を震わせ、空へと上がっていく。

「次は戦場の火の下で会いましょう。不死の騎士よ」

 魔女が笑った。

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血気の魔女と不死の騎士 吉野茉莉 @stalemate

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