Ouija<ウィジャ>・夢の中の少女

鐘古こよみ

【三題噺 #11】「GW」「東」「井戸」


 ウィジャボードを持ってきて、とエミリに耳打ちされた時、正直言って、ゲッと思った。霊と会話ができる玩具おもちゃだ。屋根裏の古道具に混じって置いてあるのを、うちで遊んだ時に一緒に見つけたことがある。

 リビングに持ち出して試そうとしたら、ママが通りかかって悲鳴を上げた。ママはお化けとか幽霊とか、心霊系は一切駄目なんだって。


 持ち主はパパだった。子供の頃に買ってもらったらしい。降霊術ネクロマンシーって言うんだと、後からこっそり教えてくれた。アルファベットと数字が書かれたボードの上で、ハートに穴が開いた形のプランシェットという道具を乗せて、さらにその上に人差し指を乗せて使う。

 目的は、近くにいるはずの霊に質問すること。例えば好きな男の子が誰を好きかとか、誕生パーティーの日に何色のドレスを着たらいいかとか。


 霊が近くにいて、機嫌が良ければ、その答えを教えてくれる。誰も動かしていないはずのプランシェットが勝手に動いて、プラスチックのレンズが嵌った丸い穴の中に文字や数字を入れる。それ繋げて読むと、答えになっているというわけ。


 ママも子供の頃に、友達に誘われて、一度だけやってみたそうだ。そしたらその友達が白目を剥いて、泡を吹いて倒れちゃった。それ以来、怖くてやっていない。

 真面目にそんな話をされたら、誰だって嫌になるんじゃないかな。


「持っていきたくない」

 私は渋って、エミリに言った。スクールの帰りに迎えに来たママ同士、週末のお泊り会スリープオーバーについて相談している。その間にこそこそと。


「うちのママみたいに、怖い目に遭ったらどうするの?」

「大丈夫。そんなに悪い霊じゃないと思うから」


 私はぎょっとしてエミリを見た。中国系チャイニーズのエミリは、見た目は完全にアジア人で、髪も目も黒い。猫の尻尾みたいな細い三つ編みを顔の両側でピンとさせていて、中途半端な赤茶の癖毛を持つ私はちょっと羨ましい。ドレスを着るだけでディズニープリンセスのメリダになれるからいいじゃないって言われるけど、メリダはもっと綺麗な赤毛だし、どちらかといえばジャスミンの方が好きだし。

 そんなことより、霊の話だ。


「会いたい霊がいるの?」

「うーん、よくわかんないけど、たぶん」


 最近、夢に女の子が出てくるのだと、エミリは言った。

 自分と同じように黒髪の三つ編みで、何か言いたそうにしているのだと。


「三つ編みって、あなたみたいな?」

「ううん。もっと太くて長くて、ウェンズデーみたいな感じ」


 映画のアダムスファミリーは観たことがないけれど、ハロウィンで必ず誰かがウェンズデーという女の子のコスプレをするから、私もイメージできた。


「その子が何を言いたいのか、聞きたいのね?」

「そう。霊かどうかわかんないけど、ウィジャボードなら何かわかるんじゃないかって……お姉ちゃんが」


 エミリには歳の離れた大学生のお姉さんがいて、ホワイトハウスの近くの大学に通っている。何回か会ったことがあるけれど、明るくて綺麗で、とても陽気な人だ。


「お姉ちゃんも一緒にやってくれるって。だから、いいでしょ?」


 それを聞いて心が動いた。エレメンタリースクール五年生グレードの私たちにとって、大学生は完全に大人だ。一緒にやってくれるなら大丈夫かもしれない。私だってエミリの見る夢に興味がないわけではないし、友達の力になれるならなりたいし。


 問題はママだった。ウィジャボードを持っていきたいなんて言ったら、反対されるに決まっている。

 そんなわけで私は週末、ママたちの目を盗んで不要な荷物を持ち込む方法について、うんと頭を悩ませる羽目になった。


     *


「よく来てくれたわ、アビゲイル。今夜はもちろんピザを取るからね」

 笑顔で迎えてくれたエミリのママは、私が寝袋の他に大きな布バッグを肩から提げているのを見て、不思議そうな顔をした。バッグからはボードゲームの箱が顔を覗かせている。

「あら、スクラブル? 確かうちにもあるわよ。ママに持ち帰ってもらう?」

「いえ、あの、パーツが足りないかもって聞いて、だから一応……」

「アビー、こっちよ、早く!」

 エミリがママを押しのけて私の手を引き、玄関の中へと引っ張り込んだ。そのまま階段を駆け上がって子供部屋へ向かう。

 バタンと扉を閉めると、二人で顔を見合わせて思わず笑った。


「私たち、夜中にスクラブルをやるってわけね。本当の中身はどうしたの?」

「もちろん、クローゼットの中に押し込んできた」

 ひとしきりクスクス笑いをした後、エミリが驚くことを言い出した。


「昨日も女の子が夢に出たの。それで、びっくりする物を持っていたの!」

 聞けば、最初のうちぼんやりしていた女の子の姿が、だんだんとはっきり見えるようになってきたらしい。だから、その手に握りしめている物の存在に、昨晩初めて気が付いたのだとか。


「これよ」

 エミリが手渡して見せてくれたのは、何かの動物を模した小さな置物だった。

 よく見ると甲羅の模様があって、亀だとわかる。ツルツルしているからプラスチックかと思ったけれど、素材はバイソンの角だと教えられた。

 色は黒っぽくて、大きさは掌より少し小さいくらい。


「なんなの、これ?」

「子供用のお守りなんだって。つい最近、叔母さんがくれたの」

「どうして子供用なの?」

「わからないけど、旦那さんの実家で、そう伝えられてたんだって。昔、家の建て替えをした時に、床を剝がしたら井戸が出てきて、その中に落ちていたって」


 叔母さん夫婦には子供がいなくて、今後生まれる予定もない。だから何かの用事でワシントンD.C.へ来たついでに、他のお土産と一緒に置いて行ったのだ……と、エミリは説明してくれた。親戚の子供の中で、今のところ自分が一番年下だから。


 ふーんと思って私は、手の中の亀をしげしげと眺めた。

 二重に丸く彫られた目の形といい、少し笑ったような口元といい、よく見ると結構、可愛い顔つきをしている。


「これが夢に出てきたの?」

「そう。それでね、気付いたわけ。夢にあの女の子が出てくるようになったのは、この亀をもらった日からなのよ!」


 私は息を呑んだ。それは結構、重要なことじゃないだろうか。


「このこと、ママやパパには言った?」

「まさか。あの二人は現実的だから、こんなこと言っても信じてくれないわ」

「お姉さんには?」

「言いたかったけど、朝は忙しそうで。でも、今日はアビーが来てウィジャボードをやるって知ってるから、早めに帰ってきてくれるはずよ」


 結論から言うと、そうはならなかった。

 夕方になってお姉さんから、電話が入ったのだ。


「どうしてもって誘われて、ちょっとクラブに寄ってから帰るって」

 呆れたような口調で言いながら、エミリのママは私たちを見て眉をひそめた。

「どうしたの? 二人して、お化けでも見たような顔しちゃって」


 夕食のピザを平らげて歯磨きも済ませ、子供部屋に上がった私たちは、青い顔を寄せ合った。


「どうする? お姉さんの帰りを待つ?」

「ううん、絶対に無理。お姉ちゃん、クラブに行ったらまず朝まで帰ってこない」


 優しい彼氏がいて、いつも付き添ってくれているから、危険はないのだそうだ。

 問題は私たちだった。二人でウィジャボードをやってしまうか、どうするか。


「来週から夏休みでしょ。アビー、予定は?」

「ママの従妹の結婚式。すぐにメキシコシティに行って、しばらく泊まるわ」

「じゃあやっぱり、今日しかないじゃない」

「ウィジャボード貸しておけば、お姉さんとできる?」

「でも、見つかったら?」


 それが問題だ。結婚式から戻った後、私とエミリは二週間のサマーキャンプに参加することになっている。その間にママたちは掃除などで子供部屋に入るだろうし、そうなったらウィジャボードはきっと見つかってしまう。

 アメリカじゃ十歳の子供だけで外出することは禁止されているから、こっそり会ってやり取りする、なんてことも難しい。

 何か理由をつけて大人に付き添いを頼んだとしても、怪しい荷物のやり取りなんかしていたら、やっぱりすぐにバレてしまうだろう。


 ウィジャボードは玩具おもちゃとして売られているものだから、本当は見つかったって、大したことはないのかもしれない。だけど、今回こうして嘘をついて持ち込んでしまった以上、見つかればママたちは大ごとにするだろうという予感があった。こういう秘密から不良への道が始まるのよ、とかなんとか。


「やるしかない」

 私は腹を括った。エミリも悲壮な顔つきで頷いた。

「お姉ちゃんを頼りにしていたのに、ごめんね」

「仕方ないわ。悪い霊じゃなさそうなんでしょう? そうだ、最初にこれで見てみようか。ここから覗くと、霊の姿が見えるらしいの」


 私はスクラブルの箱を開けて、ハート型のプランシェットを取り出した。尖った先の方に穴が開いていて、プラスチックのレンズが嵌っている。ここから覗くと霊の姿が見えるという噂があることを、パパが教えてくれたのだ。


 エミリは目を丸く見開いて、ぶんぶんと頭を横に振った。

「いやよ! 他にも何か見えちゃったら、困るじゃない!」

 それを聞いて私もぞっとした。部屋の温度がいくらか下がった気がした。

「わかった。それなら、見るのはやめる。普通に質問をするだけね」

「OK、質問だけ」


 互いの気持ちを確認し、頷き合って、私は唾を呑み込んだ。

 ボードの上にプランシェットを置いた。


「自分が死ぬ日や、神について質問するのは駄目よ。終わったら必ず『Good Bye』に戻すこと。あと、一人でやるのも駄目」

「うん、わかった。絶対に守る」


 いつもよりくっつき合って座り、二本の人差し指をハートの上に置いた。

 三、二、一で声を揃えて、召喚の言葉を唱える。


「エミリの夢に出てくる霊がいるなら、ここへおいでください」


 風で窓がカタカタ鳴った。エミリが身を寄せてくる。

 早く終わらせたい一心で、私は急いで質問をした。


「教えてください。夢でエミリに、何を伝えたいの?」


 しばらく待ったけれど、何も起こらない。

 プランシェットが少しずつ曲がっていくのは、たぶんエミリが力を入れ過ぎているせいだろう。


「エミリ、力を入れずにそっと置くんだよ」

「……入れてないよ」

「でも、曲がって……」


 私はハッとして口を噤んだ。動きがさっきよりも少し、早くなった。

 瞬きもせず、ハートの動きを目で追う。


 ボードの下方には『Good Bye』と書かれたスペースがあって、プランシェットは最初、そこからスタートする。真ん中に数字、上の方にはアルファベットの大文字が、虹のような弧を描いて二列で並んでいる。

 そのアルファベットの上を、二つの指がハートに運ばれていった。

 息もできずに凍り付いていると、やがて動きが止まった。レンズを通して、少し歪んだアルファベットの大文字が見える。上段のちょうど中央、「G」だ。

 すぐにまた、ハートが動き始めた。

 今度は少し右下に行って止まる。レンズに現れた文字は「W」。

 それからプランシェットは、自分から『Good Bye』に戻ってしまった。


「……ど、どうしたらいいの」

 しばらくしてからエミリが、泣きそうな震え声で言った。

「これ、指、離していいの? ねえ、アビー」


 私にもわからなかったけれど、『Good Bye』に戻ったのだから、たぶん大丈夫じゃないかと思った。三からカウントダウンして同時に指を離し、長い息をついた。

 本当は亀のこととか、もっと聞きたいこともあったけれど、もう一度指を乗せようという気には、どうしてもならない。

 ウィジャボードを大急ぎで箱にしまい、私は持参した寝袋を床に広げた。お風呂は自宅で入ってきているから、後は寝るだけだ。

 自分のベッドに潜り込んだエミリと、「GW」について少し話した。


「思いつくのは、お姉ちゃんの大学」

「ジョージ・ワシントン大学?」

「そう。ロゴがGW。門のとこにもあるし、ペナントにもプリントされてる」

「でも、三つ編みの女の子が亀持って、大学に何の用?」

「わかんない。それしか思いつかないってだけ」


 私もさっぱりだった。アメリカの首都ワシントンD.C.に住んでいる身として、ジョージ・ワシントンなんて聞いたら、もうそれ以外のGWは思いつかない。

 朝になってお姉さんが帰ってきたら、相談してみよう。

 そう決めて私たちは、お泊り会スリープオーバーにしては早い時間に、眠りにつくことにした。


 その晩、夢を見た。


     *


 どこまでも続く森林地帯を、私は駆けていた。

 同じように走る人たちが周囲にたくさんいる。赤ん坊を背負った女性と子供ばかりだ。私と同じように長い三つ編みを肩や背中で跳ねさせている子もいる。みんな歯を食いしばって、必死の形相で逃げている。


 東! 東! と、誰かが声を張り上げた。

 GWが来る、西から来た、だから東へ!

 

 それがジョージ・ワシントンの略称だということを、その場の誰もが知っていた。


 ものすごい地響きが後ろから追ってくる。馬のいななき、赤ん坊の泣き叫ぶ声、女性の甲高い悲鳴。耳をつんざく破裂音が聞こえて、周囲の樹木がパッと樹皮を散らせた。悲鳴を上げて倒れ込む私の腕を、誰かが引っ張り上げて背中を押し出す。


 逃げるのよ! 振り向かないで!


 子供を背負った女の人が、突然頭から血を噴き出して倒れた。

 私は大声で喚く。強張った手に何か硬いものを握りしめて、両手両足をバラバラに振り回して、木々の間をめちゃくちゃに縫って、足の肉を抉って走り続ける。

 

 父さん、兄さん、部族の戦士たち。みんな死んでしまった。

 GWの軍隊が男たちの頭皮を剥ぎ、尻の皮で靴をこしらえた。


 バイソンの角で作られた亀のお守りを私に握らせて、母さんは集落に残った。

 GWは皆殺しにせよと命じたのだ。女を差し出しても無意味だ。

 女長がそう言って、全員逃げるように言ったけれど、母さんは聞かなかった。


 イロコイの大地にはたくさんの部族がいて、みんなで話し合って、全てを分け合って、自然と精霊に感謝を捧げて、男も女も役割を果たして、幸せに暮らしていた。

 白人がやって来て、全てが変わってしまった。


 GWが全てのインディアンを殺せと命じた。もう降伏しても無駄だ。

 私たちは奪われ、嬲られ、犯され、殺され、遺体すら獣のように皮を剥ぎ取られ、冒涜され続け、永遠の恨みで魂を穢しながら、大地に鋤き込まれるしかない。


 森林が切れ、目の前に平原が広がった。

 黒焦げのロングハウス、棒に突き刺されて干からびた屍。絶滅した別の集落を見ても、何も感情が浮かばない。周囲から音が消えた。苦しかった。楽になりたい。


 背中に強い衝撃を受け、私は前につんのめった。

 手からお守りが放り出され、乾いた大地を跳ね転がっていく。


 待って。


 指先から抜け出るように、私は追いかけた。

 かつん、かつん。小さな硬質の音を立て、母さんのお守りは、地面に直掘りの井戸の中へと吸い込まれる。私もそれを追って、亀の中へと吸い込まれる。


 暗い、冷たい水に沈んで、私はようやく人心地ついた。

 恨みと憎しみで魂が穢れる前に、大地を支える亀が、私を受け止めてくれたのだと思った。


 祖先が皆そうしてきたように、私も守る側になった。

 遠い昔、母さんの背で聞いた子守唄が、私のどこかで静かに流れていた。


     *


「アビー、アビゲイル!」


 肩を揺すられ、耳元で呼びかけられて、私はハッと目を開けた。

 胸が苦しい。喉がヒューヒュー鳴っている。目から涙の塊が零れて、耳元に熱い水たまりを作る。飛び起きて、急いで周囲を見回した。


 ぼやける視界に、泣き出しそうなエミリの顔。

「寝ながら叫び始めたのよ。ねえ、大丈夫? 何か夢を見たの?」

 朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


 パステルカラーの壁紙に、白く塗られたクローゼットの扉。壁にはディズニープリンセスのジグソーパズルと、今までの誕生パーティーで撮ったエミリの写真。

 本棚には流行りのファンタジー小説が並べられ、小さなテディベアや、カラフルなキャンディーの詰まったガラス瓶がデスクに置かれている。


 血や銃声や黒焦げの死体を鮮明に覚えている私は、あまりの違いに身震いした。

 涙でべたべたになった頬を、熱い雫がまたひとつ伝った。


「エミリ、三つ編みの女の子は、インディアンだった……」

「え?」

「殺されたの。ジョージ・ワシントンに」


 喉が詰まって、うまく声が出ない。

 エミリは不安そうに私を見ている。

 何が起こったのか、私はもう、理解していた。


 亀のお守りには、集落に残ったお母さんの、子供を守ってほしいという願いが込められていた。あの子はお母さんの子守唄だけを胸に抱きながら、死んでいった。

 あの子の一部は亀に残って、子供を守る精霊になった。


「あなたを守ろうとしたんだと思う。ここにいちゃいけないって」


 ワシントンD.C.――アメリカの首都。

 建国の父ジョージ・ワシントンの名を与えられたこの都市で、GWの影響を感じないなんて無理だ。ホワイトハウスの隣にはジョージ・ワシントン大学があり、ワシントン記念塔があり、銅像だって建っている。


 あの子はびっくりしただろう。井戸の中から拾われて、その上に建っていた家で、子供のお守りとして長い年月を過ごした。その後に突然、ここへ連れて来られた。

 新たな持ち主として現れたのは、自分と同じ黒髪で三つ編みの女の子。


 「G」「W」そして『Good Bye』。「GW Good ByeGWから逃げて」。

 ウィジャボードに現れた結果は、そのままの意味だったのだ。


 突然、部屋の扉がリズミカルにノックされて、勢いよく開いた。飛び込んできたのは、長い黒髪をぼさぼさに乱れさせたエミリのお姉さんだ。

 部屋に入るなり大きな明るい声で、ミュージカル女優みたいに謝罪を口にする。


「ごめんなさーいベイビーちゃんたち! 本当はすぐ帰るつもりだったのに……」

 鮮やかなピーコック・ブルーのタイトなワンピースを身に着けたお姉さんは、涙目の私と目が合うなり、その表情を真剣なものに変えた。

「何があったの、アビー」

 

 私は、しゃっくりをひとつ。

 自分がアメリカ人で名はアビゲイルということを、ようやくはっきり思い出した。


     *


「まずは経緯のおさらいからね。事の発端は、亀の置物をもらったこと」


 昨晩から今朝までに起こった出来事をひと通り聞いたお姉さんは、自分たちでウィジャボードに挑戦した私たちの勇気を褒め称え、いろいろ調べてみるから、まずは顔を洗って朝食を食べなさいと、優しく落ち着かせてくれた。


 パンケーキを山ほどお腹に詰め込み終えると、お化粧を落として黒縁メガネをかけたお姉さんが、ダボッとした部屋着に身を包んでやって来た。小脇には自分のラップトップを抱えていた。


「この亀の置物は、叔母さんの結婚相手の家に伝わる品で、元は床下の井戸の中から発見されたものだった。彼らの家は、バーモント州にあるの」


 エミリと私はベッドに並んで腰かけ、ラップトップの画面を一緒に覗き込む。表示されているのは、州ごとに色分けされたアメリカ合衆国の地図だ。


「バーモント州は右上の端、ここね。すぐ北側はカナダよ。この辺りはニューイングランド地方と呼ばれていて、昔はイロコイ連邦という、インディアンたちの連邦国家があった。いろんな部族同士が協力しあって、今の合衆国みたいに、ひとつのまとまりを作っていたそうよ」


 イロコイと聞いて私は、夢であの子が考えていたことを思い出した。

 白人が来るまで、幸せに暮らしていたと言っていた。


「コロンブスは知っているわね? あの人が活躍した十六世紀辺りから、ヨーロッパ人たちが次々とアメリカ大陸に移り住み始めて、先住民のインディアンたちを追い出していったの。いろいろな方法を使ったけれど、ほとんどは残虐で暴力的なもの。

 その最後の仕上げを行ったのが、ジョージ・ワシントンだった」


 ひどい、とエミリが呟いた。


「アビーが夢で見たことは、本当なの? 小さな女の子も殺された?」

「そうね。当時の白人たちは、インディアンを人間と思っていなかったから。

 ワシントンはアメリカ独立戦争の時、ニューイングランド地方を手に入れるために、イロコイ連邦の町や村をひとつ残らず破壊し、インディアンたちを根絶やしにするよう、自分の軍隊に命じたの」


 エミリも私も黙り込んだ。

 アメリカ合衆国建国の父であるワシントンは、立派な人だと教えられてきた。


「インディアンは髪に霊力が宿ると考えていたから、男も女も髪を長く伸ばして、三つ編みにしていることが多かったみたい。亀は、彼らの神話に出てくる動物で、大地を支えていると考えられていた。北米大陸を彼らは、『亀の島』と呼んだそうよ」


 大地を支える亀が、私を受け止めてくれた。

 夢の中で女の子が、そう考えていたことも思い出した。


「さっき叔母さんに電話して、聞いてみたの。亀のことで何か、不思議な話はないかって。そしたらね……その家で育った旦那さんの親兄弟は、みんな子供の頃に一度は、黒髪で三つ編みの女の子を見たことがあるんだって。ひとりで寂しい時に子守唄を歌ってくれたり、何か危険がある時に知らせてくれたり」


 その現象は、井戸の中から亀を拾い出した後から始まった。

 家の人たちは子供の守り手と考え、代々その亀を大切に伝えることにした。

 

「後は、アビー。あなたが夢で見て、考えた通りだと思う。

 夢の中の女の子は、ジョージ・ワシントンの気配に満ちた都市にやってきて、自分と同じ黒髪で三つ編みの女の子が暮らしていることに、驚いたのよ。

 彼女が生きていた時代、そういう非白人の子は、インディアンだけだったから。

 中国系アメリカ人チャイニーズアメリカンなんて、想像もつかないでしょうね。だから夢に現れて、警告をしてくれたんだと思う」

「でも、夕べは現れなかったの。アビーの夢の方に行っていたのかな?」


 エミリの言葉を聞いて、私も不思議に思っていたことを口にした。


「エミリの夢には静かに現れるだけだったのに、どうして私には、あんな風だったんだろう? まるで本人になって、本当に殺されたみたいで、すごく怖かった」

「そうね。これは私の予想だけど……ルーツの話になってしまうけど、アビー、あなたには、メスティーソの血が流れているんじゃない?」

「メスティーソ?」

「白人とインディオの混血のことよ。あなたのママは確か、メキシコ出身だったわね。これ、メキシコ人の民族構成の割合なんだけど……」


 示されたラップトップの画面には難しそうな文章と、何かのグラフが出ていた。

 メスティーソ60%、先住民30%……そこだけなんとか理解できる。

 お姉さんの言う通り、ママは元メキシコ人だ。親兄弟も親戚も、ママの関係の人たちはほとんどがメキシコシティにいる。だから、今度の結婚式もそこへ行く。


「南米と北米じゃ先住民の部族もいろいろ違うだろうけど、少なくとも、白人やアジア系ほど離れていない。私たちよりあなたの方が、夢の中の女の子に近い血筋だったから、エミリよりもっと彼女に近い夢を見たのではないかしら」


 ふうん、と私は頷いた。

 髪の毛はエミリにそっくりだったのに、なんだか不思議だ。

 この国には今、いろんなルーツのアメリカ人がいるのだと知ったら、あの子はどう思うだろう。

 いろいろ問題はあるけれど、なんとか進んできたんだということを、今みたいにベッドに並んで座って、教えてあげたかった。


「もう大丈夫なのよって教えるには、どうしたらいいんだろう」

 エミリが言った。亀のお守りを掌に乗せて、頭を撫でていた。

「私のこと、心配しなくていいんだよって」


「そうね……正直、その辺はさっぱりだわ。バーモント州にいた時はそんな話なかったみたいだから、とにかく、ここが駄目なのね。私たちは平気でも、彼女は怖がってしまう。無理もないと思うし、このまま置いておくのは可哀想だし……」


 本当だったらバーモント州に帰してあげたらいいのかもしれない。でも、エミリの叔母さん夫婦に子供はいないから、それはそれで寂しいかもしれない。

 子供がたくさんいて、安心できるところに連れて行ってあげられたら。


「……あ」

 ほとんど同時に、私とエミリは声を上げた。

 そして顔を見合わせて、同じことを考えていると知り、思わず笑った。


     *


 夏休みに入ってすぐ、私たち家族は慌ただしく荷造りをして、ダレス国際空港へ向かった。私の座る飛行機の座席は、ママに頼んで窓側にしてもらった。


 私はポケットからおもむろに、亀のお守りを取り出す。

 窓ガラスに鼻先をこつんとつけて、外を見せてあげた。

 ――これから空を、飛ぶからね。

 心の中で話しかける。

 

「あら、なあにそれ。そんなの持ってたかしら? キュートね」

 不思議そうに尋ねるママには、エミリから預かったのだと話した。

 結婚するママの従妹への贈り物に。

 子供を守ってくれる精霊が宿っているからと。

 いつか、私かエミリが結婚して、ワシントンD.C.と別の場所で子供を産んだら、きっと贈り返してほしい。そう話すつもりだ。


 飛行機が離陸し、北アメリカの大地が、あっという間に遠くなる。

 私は、昔のアメリカ大陸を想像した。

 夢の中で聞いた子守唄を、そっと口ずさんだ。



<了>

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Ouija<ウィジャ>・夢の中の少女 鐘古こよみ @kanekoyomi

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