完全なる検査

湾多珠巳

Perfect Inspection


更砂さらさ技研 検査部長日誌 355

ドドメ社の「コスミックヒーター『暖絶だんぜつ』」製品検査の最終段階、耐久性能試験。

ここまでの検査にさしたる問題はなし。キャッチコピーの「どんな寒さにも負けないで使える暖かさ」に違うことなく、マイナス100℃の条件下でも起動し、八畳間の空間を一時間で標準室温にまで温めることに成功した。

最後に残った項目として、本日は、いくつかの特別な悪条件が重なった環境下での運転を試すことにする――。




 検査結果のリポートをドドメ社の担当に送りつけてきっかり十五分後、史也ふみやの耳元で呼び出し音が鳴った。社内では常時着用が義務付けられている通信リセプターからの発信音、このコールは最上位からの緊急信だ。

「……検査部長の更砂です」

『あんた何やったの!? 何ちゅー報告送ってくれたの!? アホか!? アホだろ!? やっぱり底なしのアホだべ!? よりにもよって社命がかかってるお得意先に! 会社潰す気、あんたっ!?』

 レシーバー越しに若い女のキャンキャン声が鼓膜を打つ。更砂水琴みこと、当技研のCEOであり、当たり前ながら史也の上司であり、同時に姉でもある。

 この上なく取り乱した水琴の様子はいささか異常な反応と呼ぶべきだったが、しかし予測の範囲内だ、と史也は冷静な判断を下した。

「社長。質問は一度に一つで願います。あと、返答に困難をきたすような、漠然とした問い方は、くれぐれもお控えくだ」

『しらばっくれてんじゃないのよっっ。あんたがついさっき貴俊たかとしに送りつけた報告書! あれがどういうシロモノか、まるで想像できなかったとでもっ!?』

「ただのリポートではないですか。第一、ドドメ社担当ご本人からは、まだ何の反応も頂いておりませんが」

『担当ご本人が見るまでもなく、ナンセンス極まりないってクレームくっつけて戻ってきてんの! 誠意ある説明を求むってね!』

「それは一体どなたが確認して」

『マサコよ! 決まってるでしょっ。あのいけ好かない貴俊の秘書AI!』

 あー、あれか、とでも言うように、史也は一人頷いた。

『とにかく! そう言う事情だから! 大至急こっち来なさいっ。大至急よ!』

「もう来てます」

 そう言って社長室の扉を開ける。更砂技研の事務棟は、端から端まで走っても十秒そこそこである。一瞬唖然とした顔で水琴が史也を振り返るが、すぐにまなじりを吊り上げた顔に戻って、いきなり一言。

「あんた、クビっ」

「……社長、過度に感情的な判断は、稚拙以外の何ものでもないと、かねてよ」

「あんたにはそもそもそーゆー助言なんて求めてないっての! クビよクビっ。とりあえず今すぐ辞職願じしょくねがい書きなさい! その後は……まあ……雇い直しでもなんでも考えたげるからっ。あたしの部屋の掃除夫とか、あたしのデスクの掃除夫とか、あたしのロッカーの掃除」

「ありがたい温情ではありますが、その前に『誠意ある説明』を行う機会などいただけますことを、改めてお願い申し上げます。叶いますれば、ドドメ社の担当氏にもぜひ同席いただきたく」

「そーゆー段階はとっくに過ぎてるってことがっ……あれ? あんた、何、そのケガ」

 水琴が首を傾げて、史也の右耳の下辺りを覗き込もうと、二、三歩近づいた。史也のそこには、親指サイズの絆創膏が貼ってあって、まだ治りきれていない傷口が少しだけはみ出してのぞいている。

 つい反射的に右手で隠そうとすると、その手の甲にも大きめの正方形の絆創膏が貼ってあった。水琴はちょっと呆れたように、鼻を鳴らす。

「またバカなことして、つまんないケガでもしたんでしょ?」

「いや、これは……」

「作業中は安全確認しっかりやんなさいよっていつも言ってるでしょ? 破壊試験とか、危険と隣り合わせなんだからね?」

「ですから、そういうことでは」

「もうアンタは。ちょっと一週間ほど顔見てないと思ったら。ほんとに、検査の仕事なんて任せるんじゃなかっ」

 不意に通信コールの呼び出し音が鳴り響いて、会話が中断した。発信元を確認した水琴が、心持ち憂鬱そうに回線を開く。デスクの上のディスプレイに現れたのは、ビジネススーツ姿のはつらつとした印象の男だった。年の頃は史也や水琴と同様、三十になったかならないかというところ。

「あ〜、貴俊、ごめんねー。うちのバカがわけのわかんないもん送っちゃってー」

 等身大の像が現れるやいなや、水琴が早口に語りかけた。ドドメ社代表取締役兼商品開発部主任技術士、土方ひじかた貴俊たかとし。水琴の夫である。史也とは高校の先輩後輩の関係。

「ちゃんと善処するから。こっちのボケた担当には詰め腹切らせます。んで、送ったあれの最後の一ページカットして、報告書作り直しますんで、何とぞ取引関係の見直しだけは」

『ああ、まあ、その件はそう深刻なことにまではなってないんだけど』

 画面の向こうから史也へ視線を移して、

『少しいいかな? 「暖絶」の検査担当をクビにする前に、一応報告の内容確認だけでもと』

「え? そんな、いいよ。悔しいけど、マサコの言う通りだって。あのリポートは、こちらとしてもまず弁護のしようが」

『ほお、うちの秘書AIの判断処理を認めてくれると』

 貴俊の顔に、何となくからかうような色が滲んだ。水琴は微妙に嫌そうな目つきで、

「……マサコ程度の判断でさえ、こっちの落ち度は明らかだってこと。人間のジャッジならなおさらでしょ?」

『どっちが上とか下の問題じゃないだろ、今や。こういう場合、我々としては、人間・AIを問わず、より多くの視点で物事を捉えるべきだと思うが?』

 そう言いながら、黙ったままの史也にも思わせぶりな視線を投げる。水琴ははっきり眉根を寄せた顔を作って、不服そうに言った。

「あー、そういうこと言うの?」

『そう言うことってどういうことさ?』

「知らないっ」

『水琴よ。お前、自分の会社の安定第一で思い切りよく即断するのはいいけどよ。目の前のことに、何か深い意味があるかも知れないって熟考しておくのは、それとまた別だぜ』

「そうかも知れないけど」

、そろそろそういう振る舞い方意識してもいいんじゃね?』

 そこだけは妙に真面目な口調で貴俊が言った。何秒か置いてから、水琴は髪の毛をかきむしって、

「あーもう、分かったってば。じゃ、あたしはもう何も言わないから。うちの検査部長と好きなだけ話しなさいよっ」

 そう乱暴にわめきながらも、妙に甘ったれた手つきで史也の肘の生地をつまんで、ディスプレイの前に引っ張ってくると、貴俊と向かい合わせた。


 改めて史也を前にすると、貴俊は何となくやりにくそうに身じろぎした。

『えーと、では更砂君』

「どうぞ、昔通り『ネコ』とお呼びください」

『うわ、なんだそれ!? 昔のお前は絶対自分からそんなこと言わなかったぞっ』

「それはまあ、昔といろいろ相違点ぐらい出来ておりますとも。お互いに」

 生真面目な顔で大真面目に返事する史也。貴俊は今や仏頂面を隠そうともしないで、鼻にしわを寄せた。

『じゃあ、ネコ』

「はい」

 ちなみにそのニックネームは、もちろん「史也」が「ふみゃあ」に訛って「ネコ」に転じたものだ。

『そちらからの報告書、最後のテスト、あれは何だ? 想定できる特殊な状況ってことにしても、限度ってものがある』

「きわめて生起する可能性の高いアクシデントだと思いますが」

『どこのバカが絶対零度の固体水素をわざわざヒーターに放り込むっていうんだ!』

 控えめな言葉のやり取りにしびれを切らしたのだろう、貴俊が声をいっぺんに荒らげた。画面の向こう側で、「暖絶」の仕様書を見せつけるように広げてみせて、構造模式図の載った写真ページをぱんぱんと叩く。

『いいか!? 「暖絶」はなっ、実用家電では史上初と言ってもいい、家庭サイズの核融合ファンヒーターなんだ。ヒーターとしての性能は石油のなんかと桁違いだ!』

「存じております」

 表情一つ変えずに返す史也。

『凝縮系核反応、こいつはひと昔前に「常温核融合」なんて呼ばれてた技術だ。インパクトは凄まじいが、何しろ世間にはなんだかヤバそうなしろものだと誤解したままのお客が多い』

「そうでしょうね」

『だから、我が社は製品化に当たって、過剰なまでに高い安全係数を設定した。発熱ユニットは、外殻のネジ一つ緩んだだけで、一切の作動が停まるようになっている!』

「それも存じております」

『だったら!』

 ドンッと自分の手元の卓を叩いて、貴俊が史也に指を突きつけた。

『その安全停止機構をわざわざキャンセルさせて! 発熱ユニットに手の込んだ改造まで施して! 超電磁チャンバーに固体水素の塊を放り入れるっていうのは、一体何の冗談だ! いくら極低温下での動作試験と言っても、器械の内側を直接凍らせるってのは反則だろう!? ましてマイナス二百何十度なんて数字で! そりゃヒーターユニットがおしゃかにもなるわ! こんなんでキャッチに偽りありったって納得できるもんじゃねえぞ!』

 どうやら、本音ではこの件で、水琴以上に猛烈な憤りを抱えていたらしい。貴俊は感情むき出しで怒鳴るだけ怒鳴ると、はあっと大きく息を吐いて、腕組みをして史也を睨みつけた。釈明できるもんならしてみろ、とその瞳が語っている。

 だが、対する史也はいっそ雄弁だった。

「まず申し上げておきたいのですが、『暖絶』本体に固体水素の投入口を作ったことは、報告書にも書いてある通り、より安全なシミュレーションのために必要だったからです。何しろ、予測できる危険条件をすべて満たしてしまうと、どんな結果が出てくるやら判断がつきかねたので」

 依然としてポーカーフェイスの史也に、水琴も貴俊も、なんだか気持ち悪いものを見るような目を向けている。

「単刀直入に言いましょうか。たとえばですけれど、この『暖絶』の核反応ブロックに、どこかのバカがレーザー光線を撃ち込んだとします」

 ぎょっとした顔で、二人が目をむいた。

「そして、そのレーザーの性能が奇跡的なまでに最悪なスペックで、最悪なタイミングかつ最悪な時間数、照射されたとします」

 貴俊の顔はなおも混乱の塊だったが、水琴は何かに気づきかけているのか、落ち着かなげに視線を宙へさまよわせていた。

「この『暖絶』のヒーター部分には、古典的なヒーター同様、後部に反射鏡がついてますね? それも、超高熱にも耐えられる仕様の?」

「ある……が」

 呻くように貴俊が答える。史也は頷いて、

「撃ち込まれたレーザー光線は当然反射し、同一軌道を辿るとすると、干渉して定常波を作ります。定常波は光格子を形成します」

 未だ説明の中身に理解が届かない段階なのに、二人とも少しずつ顔色がはっきりとこわばりかけていた。水琴などは、知らず知らずのうちに後ずさりまで始めている。

「お二人とも、理系肌ですから、レーザー冷却というものはよくご存知ですね?」

 ひゅっと貴俊の喉から小さな声が漏れた。初めて説明の論旨が見渡せたような表情で、しかししどろもどろになりながら、

『い、いや、待て。あれは……俺も量子力学はあんまり詳しくないんだが、あれは、確か、に特殊な条件でレーザーを当てたら、絶対零度近くにっていう、そういう規模の――』

「使用しているレーザーがパルスレーザーで、一照射ごとに新規の光格子が形成されるとお考えください。レーザー光の直径が充分なサイズであれば、作られる格子の数は無数と呼べるぐらいの数になります。高い確率で各原子は格子の中に落ち込み、エネルギーレベルも下がって、極低温に冷やされます。そんなことがマイクロ秒単位で連続すれば、ものの数秒で結構な質量の固体水素が作られることも、理論的にはあり得るのでは? ヒーター機構を作動不全にするに足るほどの」

『理論って! そんなの、どんだけの確率だよ! いや、やっぱりおかしいだろ、そんな奇跡の奇跡を想定して、性能試験不合格ってのは』

「実は私も、そう思います」

 史也が大きく頷いた。相変わらず淡々とした、感情のこもらない顔つきだったが、微かに困惑と言うか、苛立ちのような色がその目元に浮かんでいた。

「そう思いたいんですが……ちょっと、こちらの映像を見てもらえますか?」

 史也が自分の携帯デバイスを取り出した。何かのデータを見せたいらしく、ケーブルを引っ張って通信ディスプレイにもつないで、出力を共有できるよう手早くセットする。すぐさま、とある記録動画が再生され始めた。貴俊は分割画面の中で、水琴は史也のデバイス越しに、それぞれ不安そうに成り行きを見つめている。

 それは、更砂技研社内にある環境試験ブースの、どうやらセキュリティ映像のようだった。無人の構内に、どこかの会社からの預かりものだろう、大型バスにすっぽり収まりそうな大きな器械が横たわっていた。一応稼働中らしく、中心部に放電管らしい光が見える。

 と、声がして、にわかに画面が慌ただしくなった。

『ダメです、社長! そっちは今……』

 何人かのバタバタした足音がして、数人の社員が一人の女を追いかけ回してる場面になる。女はどうやら酔っ払っているようだ。

『え〜、い〜じゃん、ちょっとだけだってばぁ』

 だいぶんぐでんぐでんになっているが、それは明らかに更砂水琴CEO、その人であった。あんまりな映像に、水琴本人も貴俊も棒立ちになって全身を凍りつかせる。

『社長っ、ああ、それはっ! いけません、そんなものを!』

『ん〜〜? なあに、あの光ぃ? しょぼおい。んー、もっと派手に光んないのかな〜』

 画面の中の水琴が、何やら大きな筒を肩に担ぎ上げた。破壊試験用の大出力レーザービーム発生器である。どうやらブース内の他の試験で使っていたものが置いてあったらしい。

『いや、ですから社長!?』

『よおし、でっかい花火を作ってみるぞ〜』

『ちょ、それっ、あ、危なっ、と、止めろ、誰か社長を止めてくれ〜〜〜』

『電源カットだ、急げ!』

『落とせません! ロックがかかってます!』

『なぜだぁぁぁぁーっ!?』

『んふふふふ〜、ずどおおおおーんっ』

 水琴がトリガーを引き絞った。瞬間、ビーム光が放電管と直交し、一、二秒で硬化ガラスのカプセルが真っ白に変わり――砕け散った。

 細かい破片が派手な音と共に飛散して、大小の悲鳴がブース内に響き渡った。取り乱した社員たちが、怒号を上げつつ画面の中をパニック気味に走り回る。放電管のすぐ前にいた水琴は、しかし何事もなく、床の上で半身を起こしてぼーっとしていた。ガラスが砕け散る直前に、その身をかばって横から飛びついた社員がいたからだ。

 史也だった。

 比較的落ち着いている年かさの社員が、史也の首元を見て声を上げた。

『検査部長、そのおケガは!?』

『大丈夫、かすり傷です。急いで状況を確認して。それから、このブースは直ちに閉鎖。人の出入りを一切止めてください』

『わかりました。でも、出血が……今すぐ医務室へ行かれた方が』

『救急箱で充分です。あ、君、社長を頼みます。このまま寝てしまうと思うんで、そこの作業台の上にでも――』

 突然、横合いから若い女性社員が史也に合図して、放電管を指さした。

『部長、至急こちらを! これを見てください!』

『む……こ、この現象は』

   ……

「ということが、一週間前の創立記念パーティーの夜にあったばかりなんですが」

 記録映像を一時停止状態にして、史也が平静な声で後を継いだ。水琴も貴俊も、半口を開けたままで、息すら忘れてフリーズし続けている。

「映像の中の器械は、石呉いしくれインダストリーのMHD発電ユニットに使う、プラズマ流安定化システムの試作品でした。ご存知とは思いますが、あの装置はこのファンヒーターなどよりはるかに複雑な粒子の動きがガラス管の中で起きていた――」

「いやああああっ、ミャアくうぅぅぅぅん!」

 先に凍結が解けたのは水琴だった。のみならず、悲鳴のような声を上げて史也の胸にすがりつき、大粒の涙を流し始める。

「あああん、ごめん、ごめんねえええっ! ミャア君のその傷、あたしのせいだったのおおお? 痛かった? ねえ、痛かったあああ?」

「いえ、特には」

 そっちの話か、という表情をちらりと見せつつ、そっけない口調で、それでも律儀に答える史也。それをどう捉えたのか、水琴はますます号泣して、

「ええええん、ミャア君が怒ってるうううっ! 怒ってたんでしょおおおおおっ!? 大ケガしても平気なぐらい、あたしにブチ切れてたんだああああっ」

 顔半分ほど低い姉の頭をぽんぽんと軽く叩いて、史也は言った。

「怒るわけないでしょう。私はむしろ嬉しかったんです」

「ううう、な、何があ?」

「姉さんが傷一つなくて。それだけでもう、ケガの痛みなんて感じませんでしたよ」

 ぐす、ぐす、と洟をすすっていた水琴が、不意にまたうわあああああんっと大声を上げた。

「ああああん、ミャア君、あたし、あたしいいいいいいっ」

 パン、と史也が水琴のほっぺたを両方から張った。両手で挟み込んだままの姉の顔に目を寄せて、有無を言わせない口調で、言い含めるように語りかける。

「で、この時に起きた現象の説明に戻りますが」

「は、はいぃぃ」

 ディスプレイの中の貴俊は、なぜだか激しく気疲れした表情で二人のやり取りを見ている。その貴俊と水琴を一度見回して、史也は一時停止したままだった画面の中央を指差す。

「この日に発生したのは、まさに私が先ほど説明した、奇跡のようなレーザー冷却現象でした。実際に温度が低下していたのです。この部分、放電管の残骸の周辺に、氷が付着しているのがお分かりになると思いますが」

 金属が急冷したために煙のような水蒸気が立ちこめている破損器械の周辺を見て、貴俊が唸り声を上げた。

『これは……確かに氷のようにも見えるが……だからといってレーザー冷却などという話には……まして絶対零度になんて』

「ちなみにこちらがその直後に撮影しました、赤外線解析画像です。装置中央部がマイナス二百度近辺であることがお分かりになるかと」

『ううううう』

 その証拠写真は決定的だった。貴俊は苦悶の相を見せつつ、水琴は何もかも諦めたような顔で、静かに史也の解釈を受け入れつつあるようだった。

「つまり明らかに、社長が水素ガスに向けてレーザー光を放ったことにより、絶対零度近辺までの冷却が起きたということです。確率学的には無に近い現象ですが、事実は事実かと」

『それは……だが……そんな奇跡はもう二度と……』

「言い切れますか? 一度あることは二度あると私は思いますが」

『う、うむ』

「何しろ姉さんですから」

『いや……だったら、これは水琴だけの特殊条件なんだから、その、単に本人と「暖絶」の商品本体を離しておけばいいというだけの……あ、うちに置かなきゃいいんだ! あと、そこの社長室にも冬用ヒーターは他の製品を』

「そんなことができますか? 内外からの大きな注目を浴びている、話題の製品ですよ? 社長と義兄さんとの暮らしぶりはマスコミにもしばしば取り上げられますし……御社とつながりが深い我が社に、その社長の自宅に、『暖絶』を置かないで済むとは、とても考えられません」

『そ、それは……!』

「そして、置いた以上はいつの日か、酔っ払った社長がレーザーを打ち込み、機械を内部から極低温状態にして、不名誉なトラブルを引き起こすのは必至かと思わ」

『いや、だからそこでなんでレーザーが出てくるんだよっ!』

「そこはわかりませんが……義兄さん、私は思うのです。これだけの予測不可なことが起きたのですから、もしこのまま『暖絶』の構造に手を加えないまま放置すれば――」

『放置すれば、何だ?』

「そう遠くない将来、未知の物理現象によって、この地球は消滅するのではないかと。更砂技研CEO宅の暖房機から発生すると想定される、大量の反物質粒子によって」

『え、縁起でもないことを言うな! ああもう、分かった! こちらからのクレームは取り下げる! 「暖絶」の構造に今少し改良の余地ありと認めよう! それでいいな、水琴?』

「うん、分かった」

 死んだような目で言葉少なに応える水琴だった。

「検査部長の辞職勧告は取り消します……ごめん、ちょっと席外すね」

 少しふらふらした感じで、水琴が社長室から退出した。色々とダメージを負ったメンタルを、どこかで立て直そうとしている行動に見えた。それぐらい、落ち込んだ人間が自然に見せる動きそのまんまに見える。

 見送った史也と貴俊が、ディスプレイ越しに顔を見合わせ、どちらからともなくため息をついた。それまでと微妙に異なった空気が、二人の間にはあった。ぽつりと貴俊が言った。

『大したもんだよ。御社の人格再現AIモジュールは』

 口の端をにっと引き上げて、史也が応じた。

「ドドメ社の高精度ヒューマノイドボディには及びませんとも」

 少しだけ間が空いて、述懐するように貴俊が目を閉じた。

『今さらだが、そっくりだな。もうこの頃は、水琴本人と昔通りに暮らしているとしか思えなくなってきてる』

「それはよかった」

『しかし酔っ払った行動まであんなに正確にシミュレートさせるなんて』

 貴俊の目つきは、やや咎めるようなそれになっている。

『石呉インダストリーと何か揉めてるって聞いたから、何だと思えば。ああいう時ぐらい、非常停止できるようにしておけよ』

「義兄さんが開発責任なら、そうしましたか?」

 まっすぐ目を覗き込む史也に、貴俊は少し黙り込み、それから言った。

『……いいや。それはもう、水琴ではない』

「私もそう思います」

 また少し間が空いて、うつろな笑いが二人の口から漏れた。

「いつかそのうち」

『……なんだ?』

「本当に反物質でもできそうな気がしますよ。あれだけ無造作にレーザー撃って、あんな粒子操作実現するほどなんですから」

『御社のAI技術は、複製元の持って生まれた豪運とか異様なツキまでトレースできるんかね?』

「さて、そこはしょせんブラックボックスなんで、何とも」

『ふん、まあそれも、水琴らしいと言えば言えるか』

 遠くを見る目だった貴俊が、ふと気づいて史也に問いかける。

『で、ネコよ。結局あのファンヒーター、どうしたらいいんだ?』

「核融合ブロックをわざわざユーザーに見せつける構造にしてるのが問題だと思います。熱伝導率の高いユニットケースを用意すればいいだけでは」

『それは製品コンセプトに関わる改変だ。実際に核反応が起きている部分をユーザーに見てもらい、怖がるようなことは何も起きていない、と認識してもらうのが、本製品の狙いでもあるんだ』

「しかしそれでは」

『いやだから』





更砂技研 検査部長日誌 364

「暖絶」は改良なしモデルのままでの出荷が確定。

上記の件に関連し、個人的な覚え書きとして、土方貴俊氏が、先日とある場所でもらしたセリフを、そのまま書き記しておく。

「よし、覚悟した。地球が消滅するとしたら、その時だ」

氏の名誉のために、その場に同席していた私、更紗検査部長が、そのセリフへ次のように応じていたことも、書き添えておく。

「どうせ消滅する時は、一瞬ですよ」

当日誌を読んでいる者に告ぐ。くれぐれも上記のやり取りを仔細に詮索することのなきよう。

  

疑似人格AI「mikoto」は、明日をもって連続稼働一年目を迎える。病没した前CEOとの法的人格統合が認められるのも、間近である。現状、メンテナンスの必要は一切なく、過去一年間において、CEO業務に差し支えるようなトラブルの報告もなし。本日も健全に動作している。

姉の御霊に安らぎのあらんことを。そして、引き続き我が社が、社会と世界に貢献し続ける存在たり得ることを、心から祈りたい。


                検査部長更砂史也 記す



  <了>

 

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