始まりをいくつ数えた頃に

尾八原ジュージ

始まりをいくつ数えた頃に

 あれは大判のアルバムだった。ページ数はさて、二十もあっただろうか。

 祖母は節目に写真を撮るのが好きだった。近所に老舗の写真館があって、何かというとそこで記念写真を撮ってもらう。祖父と結婚してこの家に嫁いできてからの習慣だというから、中々の長きにわたっている。

 従ってアルバムの最初のページは、若い夫婦の白黒写真が占めている。白無垢に角隠しをかぶった祖母は若く愛らしい。紋付袴姿の祖父もなかなかの好青年だ。二人の結婚は戦後何年目のことだっただろうか。あの頃は何かと大変だった――と話を聞いた覚えがあるけれど、この家は一応当時から旧家ということになっている。ともかく結婚式はきちんとやったらしい。ともあれ、孫の私はこのアルバムを眺めて、素直に(いい写真だ)と思った。

 次のページでは、二人の間に赤ん坊が加わっている。長男である父の、お宮参りの写真だという。次男が産まれ、長女が産まれ、五歳の七五三、小学校の入学式――いくつもの写真が、アルバムには収められている。

 祖母いわく、お祝いごとはえてしてなにかしらの「始まり」だという。

「わくわくするわね。何かが始まるときというのは」

 そう言って懐かしそうにアルバムに目を落とす姿を、私は見るのが好きだった。

 私は初孫で内孫だったから、祖母にとっては愛着の深い孫だったろうと思う。私も祖母にはずいぶん可愛がってもらった自覚がある。

 私の結婚式の後も、夫とふたり、祖母を囲んで写真を撮った。黒留袖の祖母は終始にこにこしていたが、なぜか夫が感極まって泣いた。

「カメラを見てたら『今人生のすごい大事な瞬間なんだ』って気がして、そしたら急に涙腺が壊れた」

 のだという。

「想像力が豊かなのよ。優しい人ね」

 祖母はそう言って笑った。


 祖母はもう新しい写真を撮ることはない。去年の春、何があったというわけでもないのに突然お洒落をして、「写真を撮りにいくわ」と家を出た。すでに鬼籍に入った祖父が、昔祖母に贈ったという若草色の訪問着を着ていた。

 現像した写真を満足気にアルバムに貼っている祖母に、私は「今のは何のお祝いなの?」と尋ねた。

「門出よ。新しいことが始まるの」

 祖母は微笑んだ。

 その翌朝、起きてこない祖母の様子を見に行った母が、布団の中で亡くなっている祖母を見つけた。

 祖母にはなにか予感があったのだろうか。それを本人に確認することはできない。何にせよ祖母は「門出」だと言った。終わりではなく、始まりだと。


 アルバムは棺の中に入れたから、今はもう私たちの記憶の中にしかなくなってしまった。

 その代わり、新しい大判のアルバムがある。最初のページはまだ結婚したばかりの私と夫が、祖母を挟んで硬い笑顔を浮かべている。

 いい「始まり」の写真だ、と思う。

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始まりをいくつ数えた頃に 尾八原ジュージ @zi-yon

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