第29話 実力不足
ゆっくりと息を吸い込む。
肺が大きく膨らみ、新鮮な空気が体中を巡っていくような感覚。
ヒタと目を閉じ、静かに息を吐き出しながら精神を集中させる。
深く
さらに深く
自分という存在すらわからなくなるほどに深く、自分の心の中を覗き込む。
肉体という鈍重な入れ物を捨てて、ラモーの精神は周囲の空気と一体になる。
少し肌寒い北風が、彼女の肉体を通り抜けた時、ラモーはカッと目を見開いた。
完全なる脱力から一気にトップギアに肉体を加速させる。
左右の腰に下げた片手斧を抜刀、練習用の樹木に向かって視認することも難しいスピードで斬りつける。
二撃、三撃。
左右それぞれの手が別の意思を持って動いているかのように、変則的かつ絶え間ない連撃を打ち込んでいく。
やがて斧の連撃に耐えきれなくなった樹木は、鈍い音を立ててゆっくりと倒れた。
荒い息を吐きながら、ラモーは静かに顔をしかめる。
(……だめだ。この程度ではゴートンの助けにはなれない)
ラモーの実力はかなりのもので、強者が集まる冒険者ギルドでも、方を並べるものは少ないだろう。
だが、足りない……。
脳裏によぎるは、二度の敗北。
”王”と呼ばれる個体と戦うには、今のラモーは明らかに実力不足……。
ラモーは行き詰まっていた。
日々の修行の積み重ねは、しかし成熟したラモーの実力を更に次の次元に持っていくには足りない。
なにか、強力な”きっかけ”が必要だった。
背後からパチパチと拍手の音が聞こえる。
振り返ると、そこには犬の頭部に人間の胴体をした小柄な獣人……タローが立っていた。
「お見事ですラモー様!オイラが見たことのあるヒューマンの中で、一番強いお方かもしれません」
「ありがとう……”ヒューマンの中で”……ね」
タローに悪気がないのはわかっている。しかし、彼が何気なく発した”ヒューマンの中で”という言葉が、ラモーの心に引っかかる。
タローは小さな体で精一杯胸を張って、ピンとした立ち姿でラモーに告げた。
「お食事の用意ができましたので、お知らせにまいりました!冷めないうちに食べましょう!」
「ああ、そうだね。軽く水浴びをして汗を流してからすぐいくよ」
「はい!お待ちしております」
しっぽをピコピコと動かしながら小走りで退散していくタローの後ろ姿を見送った後、ラモーは小さくため息をついた。
「ゴートン……アタシの愛しい人……今はアンタという存在がやけに遠く感じるんだ」
寂しい。
そんな感情を抱いたのは、えらく久しぶりのことだった。
ラモーはモヤモヤとする感情を持て余しながら水場に向かう。
道中、誰にも聞こえない小さな声でポツリと呟く。
「”ヒューマンの中で”……ね」
◇
山羊頭の治癒術士 武田コウ @ruku13
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