お科学さま

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科学的神頼み

 新生活が落ちつき五月の連休もみえてきたころ、野乃々木のののぎ大学工学部の二年生、正木まさき康介こうすけの部屋を、ひとりの女性が訪ねてきた。


「あの、はじめまして……」


 おっとりとした雰囲気の美しい女性で、四、五歳の子どもが二人もいるとはとても思えない若々しさを備えていた。


「正木さん……ですよね? あの、ご相談したいことがありまして」

「……たしかに僕は正木ですけどね……相談? どちらさまです?」


 正木は胡乱げな目で女のつま先から頭のてっぺんまで――特に豊かな胸と細い腰のあたりを重点的に観察した。知り合いでないのもあって遠慮もない。

 女は特に気にするふうでもなく、ハンカチくらいしか入らなそうなバッグからスマートフォンをだし、画面を正木に見せながらいった。


「あの、私は西京さいきょう陽子ようこいます。えっと、この――チャット? なんとかさん? に相談したら、あなたに相談しろってわれたんです」

「チャット……?」正木は画面に目を凝らしていった。「ああ、AIエーアイですか」

「アイ? このかた、アイさんってうんですか? チャットはどうう字を書くんですか?」

「……はい?」

「え? ですから、チャット・アイさんですよね? このかた。どうう字を書くのかなって思いまして。アイは愛してるのアイだと思いますけど、チャットって漢字が――」

 

 正木はあんぐりと口を開いたまま陽子の話を聞き流し、かたく目をつむり、左のこめかみちかくを掻きながらいった。


「アイではなくAIです。エイアイ」

「エイアイ? どうう漢字を書くんですか?」


 正木は眉間にシワを寄せ、面倒くさそうに答えた。


「英知の英に愛でエイアイですよ」

「エッチのエイ? エッチにエイがあるんですか?」

「は? ――ああ、いや、エッチじゃなくて英知……ええと、英語のエイにアイでエイアイです」

「ああ! 英語の英に愛で英愛! ありがとうございます」

 

 ぺこりと頭を下げる陽子を――特にボリューミイに形を変えた胸と大きく開いた襟ぐりを中心に――注視しつつ、正木は尋ねた。


「いえ、それはいいんですけど。いえあまりよくないですけど、ともかく、AIが僕に相談するように答えたんですか?」

「あ、はい。そうなんです」


 言って、陽子はスマホのロックを解いて正木に渡した。画面に陽子とAIの対話ログが表示されている。


『陽子:急に子どもが来ました。ふたりです。どうしたらいいですか?

 AI :急に子どもがふたり来たとき、以下のような対応が考えられます。

    ①おもてなしする。

    ②警察に通報する。

    ③今日、学校であったことを聞く。

 陽子:私に子どもいません。けど子どもがふたり来たんです。

 AI :失礼しました。陽子さんに子どもはいないんですね。しかし……』


「えげつねぇな」


 正木が思わず呟くと、陽子が不思議そうにきいた。


「なにがないんですか? えげつ? えげつってなんですか?」

「ああいえ、こちらの話です」


 言って、正木はログを辿っていった。

 すべてを見ようと思えば人差し指が削れて無くなってしまいそうなほど長大なログを要約すると、こうだ。

 西京陽子は両親から管理を任された祖父母の家にひとりで暮らしていた。とうぜん旦那などいるはずもなく、子どももいなかった。まだ二十四歳である。つまり最初に正木が抱いた人妻感はただの雰囲気だったということだ。

 陽子が人妻の気配を纏うようになったのは、ある日とつぜん子どもがふたり家に降ってきてからである。降ってきたというのは文字通りの意味で、当時、陽子は家の庭に投げ込まれる小石の類に悩んでおり、その量が尋常ならざる領域に片足をツッコミかけたころ、男の子がふたり降ってきたのだという。話す言葉からして上の子は愛媛の出身であり、下の子は舌足らずでとしか発音できないため、佐賀県なのか滋賀県なのかわからない。

 困り果てた陽子が友だちのハルちゃんさんに相談すると、チャット? なんとかさんに相談するように言われ、彼女はそのようにした。要領のえないというよりはっきり要領の悪いやりとりを何千と繰り返すうち、AIは回答した。

 どこそこにすむ正木康介は女性経験に乏しいため、頭は弱いが包容力のありそうな子持ちの人妻が相談にきたとなれば、下心ゆえに親身になって答えてくれるはずだ。


「恐ろしく失礼な話だ。だが、当たっている」


 正木が思わず呟くと、陽子が不思議そうに振り向き小首をかしげた。


「はい?」


 陽子はいつの間にやら部屋にあがりこんでおり、家主の正木に代わりキッチンでコーヒーを入れてくれようとしていたのだ。

 正木はキッチンの戸棚を指で示しつつ答えた。


「あ、いえ、こっちの話です。それで、相談というのが――」

「はい。ソーレイについてです」

「ソーレイじゃなくて騒霊そうれいです。昔懐かしい……いわゆるポルターガイスト現象ですね。ソーレイだとソーラレイみたいになっちゃいますよ。ガンダムかっていう――」


 饒舌に語ろうした正木だが、陽子がまったく聞いていないことに気づいて口をつぐんだ。女性といるときの沈黙が恐ろしく、つい言葉数が多くなっているのだった。

 正木は陽子に差しだされたコーヒーカップを受け取り、ちゃぶ台を挟んだ対面に座るよう促した。座布団はない。クッションも。そもそも女性が立ち入ることを前提においていない部屋だった。


「それで、私、どうしたらいいんでしょう?」

「どうしたらと言われても、子どもは警察に通報するとして――」

「でもかわいい子たちなんです」

「いや誘拐あつかいにされたら困るでしょうよ」

「それに最近、家で音がしていて」

「家鳴りですか。――というか、順番にいきましょう」

「え? あ、はじめまして。私、西京陽子っていいます」


 と、イチからやり直そうとする陽子に、正木は目眩を覚えた。相談なぞさっさと切り上げて警察に引き渡すのが最善に思える。しかし、陽子の如何ともし難い人妻オーラと未経験者でもちょっと頑張ればイケそうな気配をみすみす手放すというのは、正木には考えられなかった。

 

「まったくAIの予想通りの展開……科学の勝利ですね」

「はい? どなたかが勝ったんですか? おめでとうございます」


 ぱちぱちと拍手する陽子。

 正木は微笑みを送りながらいった。


「僕は工学部といっても材料工学科なのでおちからになれるかわかりませんが、いちど陽子さんのお宅を拝見させてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。もちろんです。よろしくおねがいします」


 言って、陽子はずずりと後退り三指をついて頭をさげた。自然、正木は前のめりに背筋を伸ばし胸元を覗こうと注力した。

 陽子の家――より正確には、かつて陽子の祖父母が暮らしていた家は、東京近郊の高台の上にあった。年代を考えると珍しい二階建ての鉄筋コンクリート造で、枇杷びわの木の生えた狭い庭に、うずたかく灰色の小石が積み上げられていた。

 正木は材料工学科の学生然と振る舞うべく小石をひとつまんだ。石はまるで専門外である。わかるのはそれが俗に軽石と呼ばれる、火山岩の一種であることくらい。

 しかし、それで充分でもあった。


「ポルターガイストの正体見たり、ですね。おそらくどこかの火山が噴火して、噴石がここまで飛んできたんでしょう」

「……こんなにたくさん飛んでくるものなんですか?」


 枇杷の木よりも高く積み上げられた軽石。総量はゆうに一トンを超えるだろう。

 正木はもっともらしく顎をさすりながらいった。


「科学的に考えてありえないことじゃないんですよ。気流の関係とかね」

「でも、他のお宅はこんなことになってなくて――」

「信じられないようなことがおきるんですよ、自然界ではね」


 正木は小石を足元に捨てて手を払った。量が量だけに産業廃棄物を庭に持ち込まれた可能性もある。そうなれば警察の出番で正木にできることはない。


「それで、お子さんというのは」

「いまは二階でお昼寝してると思います」

「なるほど、それじゃ後にしましょうか。先に家鳴りのほうをみてみましょう。家鳴りはどこで?」

「私の寝室なんですけど――」

「それは大変だすぐに行きましょうどちらですか?さぁはやく」

 

 正木は食い気味に答えて陽子の背中を撫でるように押した。

 家の間取りは祖父母が寝室にしていたという和室を除いてすべて洋風のつくりだった。陽子の寝室は南向きの窓を横手に淡い青色のベッドが置かれ、足元側に四十インチのモニターが据えつけられている。

 正木はフゥムと唸りながら部屋の隅々まで目を凝らし、ベッドのスプリングをたしかめるように手押した。


「それで、どのような音がするんですか?」

「なんてうか、ラップ音ってうんでしたっけ? そんなのです」

「なんだ。それなら原因は明白ですよ」

「え? メイハクっていうのがゲンイン? なんですか?」

「……あー、ほら、子どもは上の部屋にいれたんでしょう? それです」


 ラップ音――あるいはラップ現象というのは、けっきょくのところ、どこかに音の発生源がある。それが地面や建物の躯体くたいを通じて、反響という形で現れているにすぎない。今回の場合でいえば、どこかから降ってきた子どもがはしゃぎまわりその音が響いてくるのだろう――。

 そう説明を加えながら、正木はクローゼットを開いた。


「えと、あの、何を?」

 

 困惑する陽子に、正木はいった。


「家鳴りの発生源というか、どこを通じて音がするのが探してるんです」

「あのでも――」

「意外と変なものが影響するんです。タンスの中身とか」


 いいつつ、正木はタンスの抽斗ひきだしを順番に開いていく。陽子は着用物の順序にあわせてタンスをつかうタイプらしかった。一番下にボトムス、中段にアウター、インナー、上段に下着類と靴下という具合のようだった。

 フゥムと唸りつつ、正木は上段を念入りに調べた。特に変わった様子はないが、なにがあるともわからない。


「あの」


 と陽子に呼びかけられても、


「いえ調べてるだけですよ何の感情もありませんのでご心配なく――」

「そうじゃなくて」

「陽子さんが調べてほしいといってきたんですよ僕は言われた通りの仕事をこなそうと頑張っているだけ――」

「ですから!」


 ぐいと腕を引かれ、正木は生唾を飲み込んだ。もうそんな感じになるのだろうかとドギマギしているようだが、もちろん違った。

 陽子はマジメな顔をしていった。


「あの子たちはラップなんかしないと思います」

「――ラップ?」


 正木は内心ガッカリしながら陽子の言葉に頭をめぐらし、答えに行き着く。


「ああ、ラップ現象のラップっていうのはラップじゃなくて――」

「でもほら」


 陽子はスマホで撮影したという動画を流した。

 ベッドの上、おそらく陽子であろう肉感的な生足の奥でモニターが揺れている。地震か手ブレかは不明だ。正木は映像に意識をもっていかれつつ音量をあげた。まるで音飛びしたレコードのように低く鳴り響く物音に混じり、声が聞こえる。


『……チェケ……ェィ…………チェケ……ゥン……チェケチェケ……ェィ……ェィョゥ』


 正木はこれでもかと眉を寄せた。

 陽子はその顔にうなづいてみせる。


「こんな初参加のサイファーで一発カマそうと前に出たけど頭が真っ白になっちゃった中学生みたいなこと、あの子たちはしないと思うんです」

「辛辣……じゃなく、サイファー?」

「ラップをやる人たちの集まりです。よくいるんです、こういう、仕込んできたネタが飛んじゃって何も言えなくなっちゃう感じの子が」

「だから辛辣」

「ごめんなさい。でも、正木さんが変なトコロばっかり見てるから――」


 正木は瞬時に顔を真っ赤にして否定した。


「いえこれは調査です音は柔らかい布に吸収されるのは科学的に証明されていることでしてタンスも木材ですから音を吸収しますしラップ音というのはどこからか響いてくるのが普通だから――そうだ!」


 正木は慌てた様子で陽子の両肩を掴んだ。


「お子さんじゃないんならどこかでラップをしてる連中がいるんですよそうにちがいないどこか知りませんか!?」

「えと、ラップをしてる子たちが、ですか?」

「そうです!」


 正木は声を大きくし、よくあるラップ現象を誘発する施設を並べていく。


「たとえば高速道路とか、地下室とか……あとはそう……あ、井戸は? 失礼ですがこの家は年代物ですし、もう使っていない井戸があったりしません?」

「井戸……われてみると、私が子供のころはあったかもしれないです」

「それだ。間違いありませんよ。井戸の底ともなると音がよく響きますし、きっとそこでサイファー? を開いてる悪ガキどもがいるんです」

「そんな……!」


 陽子は顔を青くし、口元を手で覆い隠した。


「たしか井戸は庭にあって、どうしましょう……! 私が中学校にあがるころには埋めちゃったはずなんです!」

「やっぱり! もうまちがいありませんよ! さっき庭をみたとき井戸を埋め立てたあと――息抜き穴は見当たらなかった! 供養やおはらいをしなかったのじゃありませんか!?」


 自らの行動をごまかそうというのか、正木は勢い陽子の話に乗っかっていく。

 

「非科学的に思われるかもしれませんが井戸には井戸神がいるとされていて、お祓いを忘れると祟があるとされているんです。でも、古い迷信と思われていることにもかならず科学的な根拠があります。井戸の下にはとうぜん水脈がありますし、ガスが溜まってしまったり、埋め立てた土が流れて空洞ができ、地面や配管を通して音が響いてくるなんてことも考えられるでしょう?」

「じゃ、じゃあ……」


 陽子は正木が握りしめていた下着をそっと取りかえし、震える声でいった。


「おばあちゃんが退魔師エクソシストを呼ばずに井戸を埋め立てたから、なかにいた井戸ヘッズが成仏できずにいまもラップをしているってことですか……!? 私、どうしたらいいんです!?」

「落ち着いてください、陽子さん。科学的に解決する方法があります」

「科学的に……」

「ええ。ラップ音がこの部屋まで響いてくるということはここで流した音も井戸まで響くということです。この部屋でお祓いをすれば、声が届かないはずがない」

「……あの、わかるようにいっていただけますか?」


 正木は深呼吸をしていった。


「この部屋で読経をあげればいいんですよ」

「ドキョウって……ドキョウってなんですか……?」

「……お経ですよ。般若心経とか……」

「ハンニャシンキョー?」

「だから、なんだ、クリスチャンでいうところの――」

「はい! うちクリスチャンです!」

「え。あ、そうなんですか。えーと」

「クリスチャンのハンニャシンキョーをどうすればいいんですか?」

「えっと……大音量で、ああ、大きな音で流せば……いい……」

「わかりました!」


 陽子はパンツを投げ捨てスマホに指を滑らせた。


「あの、どうしましょう? クリスチャンのハンニャシンキョー? 検索しても出てこないんですけど」

「ああ、えと、大丈夫です。クリスチャンのも仏教のも科学的には同じですから」

「え……っと?」

 

 陽子の瞳が不安げに揺れた。

 正木は自然を装いながら陽子の肩を抱くようにしてスマホを覗いた。


「これです。この、般若心経っていうのを流せば大丈夫です」

「わかりました! やってみます! ――えい!」


 陽子はまるでリモコンでも扱うかのようにモニターとアンプにスマホを向け、画面をタップした。モニターに読経をあげる坊主が映り、木魚のビートに乗せて般若心経が流れはじめる。

 ――すると。


 ドダダダダダン! 

 

 と、天井裏から足音に似た激しい打音が鳴り響いた。陽子が悲鳴をあげて正木に抱きつく。正木は必要以上に強く抱きかえしながらいった。


「おおおおおおおおちついてください! ぼくがついてますから!!」

「怖い! 怖いです! なにが起きてるんですか!? ドキョーのせいですか!?」

「た、たぶん違います! 科学的に考えてあれです! うえの部屋ですよ!」

「うえ!?」


 ぶわり、と陽子が化け物じみた力で正木を振り飛ばした。


「愛媛の子が! 大丈夫!? 愛媛の子! いまママが行くからね!?」


 叫び、陽子が寝室を駆けでていった。正木も慌ててつづく。愛媛の子――空から降ってきたというふたりの子どものうちのひとりだ。噴火や竜巻に巻き込まれた子が無事なままこの家に降ってくるなど科学的に考えてありえない。そして、読経を流しはじめた途端にもだえだしたということは――。


「愛媛の子! 大丈夫!? ママがきたよ!」


 階段を駆けあがり、部屋に飛び込む陽子。


「陽子さん! ダメだ! その子は――」


 正木はとっさに引き留めようとしたが、半歩おそかった。

 それは笑い声だったのだろうか。それとも悲鳴だったのだろうか。もし音で表すとするならば、


 えひぇひぇひぇめみぇみぇひぇへへ!!


 それが限界。

 それは音だったのか、声だったのか――。

 陽子は部屋のなかで白いなにかを抱きしめていた。子どもである。人間の子どもかはわからないが、子どもには違いない。

 真っ白い塊に人の四肢に似た突起が六つあり、そのうちひとつの、黒髪と思しき毛束が生えた突起に開いた三つの穴から、その音は鳴り響いていた。


「大丈夫、大丈夫だよ。ママがきたよ」


 陽子が白いなにかの背中らしき部位を撫でさすっていた。

 正木は恐る恐るちかづき、声をかける。


「あ、あの……それは……?」


 はっ、と陽子が振り向いた。


「あ、正木さん。この子が愛媛の子です。色白でしょう?」

「……たしかに……肌が、白い……ですね……。まるで屍蝋しろうだ」

「シロウ? この子シロウっていうんですか?」

「え、いや」

「あなた、シロウっていうの?」


 陽子が話しかけると、白いなにかが音を発した。


 えひぇひぇひぇいぇめめひぇへへ! えひぇひぇ……!


 耳穴から飛び込み脳を掻き出そうというその音はひとしきり鳴り響き、急に止んだかと思うと、白い何かも消えていた。

 陽子は空っぽになった腕のなかと正木との間で視線を揺らす。


「あ、あれ……? あの、あれ……? 愛媛の子は……」

「あー……あれでは? 科学的に考えて成仏したのでは?」

「あ! それじゃあ、佐賀か滋賀の子は!?」


 陽子が再び駆けだす。正木はくたびれた顔でついていく。部屋はすぐ隣だった。かつて物置であっただろうガランとした部屋に背の低いプラスチックの柵を置き、急ごしらえで子ども用に仕立ててあった。

 しかし、いま、そこには誰もいない。


「……そんな……佐賀だか滋賀だかの子は……?」

「それは……だから……」

「帰っちゃったんですかね?」

「え。あ。ですね。帰ったんでしょう」


 正木が慌てて同意すると、陽子は急に真顔になっていった。


「どこにですか?」

「え」

「どこに帰ったんですかね?」


 答えを間違えれば良くないことが起きるのではないか。

 そんな予感をおぼえ、正木は慎重に言葉を選んだ。


「……愛媛の子と、佐賀だか滋賀だかの子なんですから、愛媛と佐賀だか滋賀では?」

「あ、そっかぁ」


 ほっと息をつく陽子。正木も内心で胸を撫でおろす。

 なんにせよ、幽霊だの怪異だのといった非科学的事象は科学の力により消え去ったのである。

 正木は陽子にいった。


「――さて、それでは……もう大丈夫だとは思いますが、いちおう……そうだな、浴室とかチェックしておきましょうか」

「え? お風呂ですか?」

「ええいえもちろんやましい理由ではなく井戸は水場ですし子どもの霊は水子ともいいますから科学的に考えて見ておいたほうがいいと思うんです」

「えっと、よくわからないんですけど、わかりました」

「あそれから音の吸着率とか反響率に影響があるかもなんでしたにあった下着をいくつかサンプルとしてお借りできますか僕のほうで念入りに調べてみようと思うんですそれからもしまだ不安があるなら僕が一晩お守りしますし何なら同じベッドで――」


 そこまで捲したてたところで、正木はハッと口をつぐんだ。

 仮に提案が成功し報酬代わりにベッドインできたとて初体験が坊主の映像と読経のさなかというのは最悪にすぎるのではないか。

 正木はなにかを口にしようとする陽子を手のひらで制止し、いった。


「また日をあらためてうかがいますので、今日はサンプルだけいただいて帰りますね」

「……サンプルって、なんでしたっけ?」

「……あ、いえ。いいんです。いったん帰るので、なにかありましたら、また」

「あ、はい。ありがとうございました」


 深々と頭をさげる陽子。自然と背筋と鼻のしたを伸ばす正木。

 そして。

 一週間が経ち、正木は陽子の家を訪ねた。


「あれから、どうです? ラップ音はまだしますか?」

「いえ! おかげさまで、もう大丈夫になったみたいです」

「それはよかった」

「でも、私あの部屋で寝るじゃないですか。ずっとクリスチャンのハンニャシンキョーを流してられないですよね? ――あ、どうぞ、上がってください」

「ああ、まぁ、そうですね」


 だから僕が一緒に寝ましょうか? というより早く、陽子が続けた。


「だから、祭壇をつくっておはらいすることにしたんです」

「え? そんな、非科学的な……」

「いえ、正木さんも言ってたじゃないですか」


 陽子は寝室の扉を開いた。ベッドの足元、モニタとアンプのすぐ脇に、クリスチャンらしく十字架を立てた真っ白い祭壇があった。


「あー……寝室に仏壇はどうかと……」


 言いつつ、正木は祭壇に並べられたイコンに目を凝らす。違和感。これはイコンではなく肖像画と白黒の写真だ。それも――、

 陽子が声を殺すようにして笑った。


「嫌ですね正木さん。それは祭壇です」

「……これ、こっちはニュートン……? こっちは……アインシュタイン?」

「はい。お科学さまを奉る祭壇なんです」


 正木は小さく喉を鳴らし、振り向いた。


「お、お科学さま……?」

「はい。お科学さまです。私はお科学さまのエッチと愛のお導きで正木さんと出会えたんですから」

 

 陽子はスマホを取り出し、祭壇の十字架の足元に置いた。十字架が緑色に淡く光った。充電を始めたのだ。

 その液晶は、AIとの対話画面で固定されていた。

 

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お科学さま λμ @ramdomyu

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