番外編①  香屋の休日


皆様、こんにちは。『香司こうし』の美結みゆにございます。


本日はかおり美香びこう』の定休日。

お休みと申しましても、すべき事はたくさんございます。

この日、わたくしと香織は正座をして向かい合っておりました。







「香織?準備はよろしいかしら?」


「はい!」


「全てが勉強よ?……心して掛かるように」


「は、はい!」


香織は真剣な眼差まなざしでわたくしめを見つめました。

しかし始まるや否や、瞳をうるませて泣きそうな顔をいたします。


「だ……だめ……。やっぱり緊張しちゃう……」


「大丈夫。怖くないわ?……最初は丁寧に……」


「あ……あん!」


わたくしが後ろから優しく手解てほどきをいたしますと、香織はピクリと身体をらせました。


「ちゃんと良く見なきゃ駄目。ほら……綺麗な色をしてるわ?」


「お……お姉ちゃん。怖い。……私、怖いよ」


「最初が肝心なの……ほら、良く見て?」


「フワフワしちゃう。すごい……混ざってる」


荒ぶる動悸どうきを落ち着かせて、わたくしは香織と共に次の段階へと進みました。


「ここは一定のリズムを崩さないでね?……そう。上手よ?」


「うぅぅ……変な感じ。泣いちゃいそうだよぉ……」


「もう……可愛いんだから。こっちは少し大きめに……」


「んん!……大きいよぉ。少し休ませてぇ……」


まだまだこれからでございます。私は香織を休ませるつもりはございません。


「最後まで集中しなきゃ駄目……ここからが本番よ?」


「熱い……熱いよ、お姉ちゃん!……あぁ……入ってる……」


「トロトロになってるわ?……ゆっくり掻き混ぜてあげる……ほら、ちゃんと奥まで……」


「すごい……すごいよ、お姉ちゃん。私、何だか眩暈めまいがしちゃう……だめ……もうだめ!」


「香織!?」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁん……」


香織は失神してその場にへたり込んでしまいました。

私は、荒く息をする彼女をかかえると、そっと布団に連れていきました。


「頑張ったわね……。あとはゆっくり、寝かせてあげないとね……」







「いっただっきまぁす!」


その日の夕食時、私は意識を取り戻した香織と共に食卓を囲んでおりました。

彼女はスプーンを口に運ぶと、輝く瞳で感嘆の声を漏らしました。


「はぁぁぁ……。美味しぃぃぃ……。やっぱりお姉ちゃんのカレー食べたら、他所よそのどんなに評判のカレーでも相手にならないよぉ」


「うん……上手に出来てるわね。香織、頑張ったものね?」


香織は頬に手をあててカレーの風味に恍惚こうこつの表情を浮かべつつ、照れくさそうにしておりました。


「でもスパイスの種類は多くて間違えないか緊張しちゃうし、タマネギは目にみるし、お肉は大きいし、お料理一つでこんなに大変なんて……」


「美味しいものを食べて、また一週間頑張らないとね。自身が充実しなければお客様に満足して頂けるお仕事は出来ないわ?」


「でもお姉ちゃんは凄い嗅覚持ってるのに大好物がカレーだなんて、何か今でも意外だなぁ。私なんかスパイスの香気が凄すぎて立ってらんないよぉ。あそこまでしないとこの味は出せないの?」


実はわたくし、カレーに目が無いのでございます。

お香とカレーがあれば他には何もいらないと言っても過言ではありません。

わたくしは、スプーンを置くと目を閉じながら息を吸いました。


「そもそも私達が今日作ったのはカレーではないの……。これは……そう……宇宙。……私達は今日、宇宙を創造したのよ?」


「は……はい?」


香織は言葉を失いました。

構いません。私はとろける瞳で愛を語ります。


「ガラムマサラ、ターメリック、クミン、コリアンダー、サフラン、クローブ、ハッカク……。宇宙を構成する元素を挙げれば枚挙に暇がないわ?ペッパーだけでもチリ、ホワイト、ブラック、カイエン……とても数え切れない。どれだけ宇宙の真理を追い求めても、私達は未だにその黄金比の一端にすら辿り着けないでいるの……」


「あ、あぁ……はい」


香織は口元をひきつらせておりました。


……無視にございます。


「いつか本当の黄金比に辿り着いた時、私達はお鍋の中に本物のビッグバンをの当たりにするでしょう。それはきっと天にも昇る香りと味に違いないわ!その日まで私達は飽くなき探求と挑戦を続けなくてはいけない……その先には……」


おや……?……コ、コホンコホン……。

大変失礼致しました。私ったらもう……。

カレーのことになると、ついわれを見失ってしまいますの。


香織にはまだ難しいお話だったのでしょう。

愛想笑いを浮かべながら食事を続けておりました。


「で、でも私もたくさんお姉ちゃんの味付け学びたいなぁ……。美味しいのは本当に間違いないんだもん」


優しい子にございます。

そう言って美味しそうに食べてくれる彼女の笑顔に、私も温もりを貰い、とても嬉しくなるのです。


「うふふ……ありがとう、香織」


「今度はさ、カツカレーなんかにしてもいいよねぇ……」


しかし団欒だんらんも束の間。

私はその一言に髪が逆立さかだってしまいました。


「カツ……ですって?」


「へ?」


香織はわたくしめの様子に当惑しておりました。


「香織?……今、何と?……カツ?……カツですって?カレーの上に何かを乗せるなど言語道断!よろしいこと香織?……カレーの結婚相手はお米と決まっているの!百歩譲って親戚になれるのは福神漬だけなの!カレーの上に何かを乗せるだなんて結婚詐欺と同義だわ!宇宙の中のブラックホールでしかない!……わたくしが甘かったわ。まだまだスパイスが足りないようね?」


「い、いや……そんなつもりじゃ……」


「いいえ許しません。香織……今日は覚悟なさい。わたくしがたっぷりと宇宙のことわりを教えて差し上げます」


「ふぇ!……い、いやぁぁぁぁぁん!」




こうして、今日もかおりの休日は過ぎてゆくのでございました。


皆様、わたくしどもの話にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

また来週も、皆様とお会い出来ることを楽しみにしております。




              『香司』 美結





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『香司』 美結 キボウノコトリ @kibounokotori

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