第6話   子安森


皆様、こんにちは。『香司こうし』の美結みゆと、申します。


またお越し頂き、誠に光栄にございますわ。

前回より香織かおりも心を入れ替えまして、より一層お仕事に励んでおります。

少しビクビクする時があるような気も致しますが、まぁ、気のせいでございましょう。


どうか今後も、香屋かおりや美香びこう』をよろしくお願い申し上げます。


そういえば申しそびれていたことがございます。

前回、わたくしどもをだまそうとした男性が置いていった樹木の心材しんざいについてです。


後日、丁度ちょうど良いタイミングで、必要とされるお客様が御来店なされたのです。

それは大きなお腹をかかえられた妊婦様でございました。







その日、私と香織はいとしい香木こうぼく達のチェックと香炉こうろのお手入れをしておりました。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん。そういえば、この前あいつが置いてった香木こうぼく、何か意味あるの?」


「あの心材しんざい?……いいえ、あれは香木では無いわ?あれは本当に香気も何も無い樹木よ?」


「えええ?……じゃあ、なんで貰ったのよぉ?」


「うふふ……。あれはね……?」


その時、大きなお腹をかかえながら、少し沈んだお顔をなさる妊婦様が御来店なされたのです。


「あら……。ようこそお越し下さいました」


「あ……あの……、おこう屋さんですか?」


「そうでございます。当店……、視覚、聴覚、嗅覚をもって、お客様に心の癒しを提供致します。店内提供も可能にございます」


「あの……、良ければ店内で……。話とかも……」


「まぁ!勿論もちろんでございますわ!さぁ、お疲れでしょう?どうぞお掛け下さいまし」


その妊婦様はオドオドしながら上目遣いで店内を眺めておいでで、ゆっくりと椅子に腰を下ろされました。


奥の部屋から香織が慌てて小さくささやきました。


「ちょっと、お姉ちゃん!妊婦さんに変なお香いちゃ駄目だよ!」


……はい。無視にございます。




私は温かいお茶をお出しして席に腰掛けました。


「失礼致します。私、店主の薫森しげもり美結みゆと申します。本日は御来店、誠にありがとうございます」


「あ……、立花と申します。あの……、実は……」


聞けば妊婦様は、出産を控えてひどくナーバスになっておられるようでした。


「私……、元々もともと心臓が強くないんです。先天性のものだから遺伝しないか心配で……。妊娠七ヶ月のエコー検査があるんですけど、受けるのが怖くて……」


「まぁ……。それは当然にございます。さぞ、御不安にございましょう。でも立花様は一人ではありませんわ。身重の体にかかえすぎないで下さいまし」


「でも私……、話せる友達もいなくて……。旦那は楽天的な人で……。余裕が無くて誰かに聞いて欲しかったんです。お香で少しでも気がまぎれるかなって……。いきなりこんな話してごめんなさい」


立花様は少し涙ぐんでおられました。


「とんでもございません。わたくしども、いたく光栄にございます。そうですわ!丁度ちょうど良い物がございますの。少々お待ち下さいませ」



私は抹香まっこうの準備を始めました。

先日に手に入った樹木と、香木『白檀びゃくだん』を削り、細かく粉末状にして混ぜてゆきます。

香気の無い純粋な樹木の香りと白檀びゃくだんの甘い香りが、互いに手を取り合って私達を森の奥深くの静寂へといざないます。

この瞬間が狂おしいほど愛おしいのです。



香織に目配せをすると部屋の中にバッハの『主よ人の望みの喜びよ』を流してくれました。

今日の香織はいつにも増して良い選曲をしております。

音量も控えめでグッジョブ!で……

やだ……、私ったら。つい気持ちがたかぶってしまいました。



今日の香炉こうろは、つばめが描かれた白と青の丸い陶器が良うございましょう。


キィィィン……。


ふたを取る際にふちの触れる音色の、何と優しい余韻よいんでしょう。


真っ白な香炉こうろばいを銅のはいおさえで踏んで参ります。

まるで新雪を踏みしめるようなザクザクとした感触は、雪室かまくらに香織を閉じ込めた幼い頃を思い出しますわ。


真ん中に『安』の字をイメージした抹香型を置き、溝に抹香を敷き詰めてからトントンと型を叩いて、ゆっくりと型を持ち上げます。

美しく流れる抹香の川が出来上がりました。


火筋こじで香のはしともすと、ゆるやかな一本の煙と共に安らぎの香りが胸を満たして参りました。


「わぁ……。優しい香り……」


「これはオーソドックスな白檀びゃくだん香木こうぼくの香りですが、『子安森こやすのもり』という樹木を少し混ぜております」


「こやすの……もり?」


「左様にございます。香木では無いのですが、古くから安産の祈願として人々に重宝ちょうほうされた樹木にございます」


わたくしは立花様の手を握り、そっと微笑みを向けました。


「立花様……。七ヶ月を過ぎたお腹の子は親の声も聞こえるようになると、聞いたことがあります。ご不安はお子様にも伝わります。どうか一人で怖がらないで下さい。私どもは一介のお香屋ですが、一助になれるなら何時いつでもいらして下さいまし。お代はお気になさらず。あなた様は一人ではないのですよ?」


立花様はポロポロと涙を流されて鼻をすすられました。


美結みゆさん、どうして?そこまで……」


「命の手助けに理由などあるものですか」


わたくしがそう言うと強く強く手を握り返されて、何度も頭を下げられました。


「ありがとう……。本当にありがとうございます」


それからわたくしたちは不思議な声を聞いたのです。

とても可愛らしい声で、柔らかく反響するように確かに聞こえたものでありました。


───ママ……。ありがとう。大好きだよ……。


「え……?」


立花様は小さく息を吐くように驚かれました。

それは香織にも聞こえたようで、後ろで大変驚いた顔をしておりました。

わたくしも……、驚いてしまいました。


それから立花様はすっかり笑顔になられ、たくさんのお礼と共に店を後になさいました。







「ふぇぇ。赤ちゃんの声を届けるだなんてロマンチックゥ……。お姉ちゃん、香りは無くても、そんなにすごい樹木だったんだね!だからあのオッサンに置いてってもらったんだ。……妊婦さんが元気になって良かったぁ」


わたくしは立花様をお見送りした後、香織に声を掛けられてもしばらく呆然ぼうぜんとして動けませんでした。


「いいえ。そんなもの無いわ?『子安森こやすのもり』は本当に安産祈願に使われていただけの、ただの樹木よ?」


香織は今日一番の驚いた顔を見せました。


「え?え?え?……じゃあ、さっきの声は!?」


私はとても優しい気持ちに包まれて、満足げな笑顔を香織へ振り向かせました。


「私達は幸せ者ね?……神様から奇跡のおすそけを頂いちゃったわ?」


「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇっ!」




今日もまた、わたくしどもを必要となさるお客様がいらっしゃいます。

そしてまた、素晴らしい香りと共に新たな顔で店を後になさるのです。



今日のお話はここまで……。

皆様、わたくしどもの話にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

またのお話をご所望でしたら、それはまた次の機会に……。




              『香司』 美結






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