第5話   心真守


皆様、こんにちは。『香司こうし』の美結みゆと、申します。


先日は長い話にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。


わたくしめの悪いところ……。

思いの先走るあまり、お客様のデリケートな御心おこころを見落としてしまう。

大変、勉強になり、また反省したお話でございました。


SAYAKA様は「誠実なところが素敵」と、褒めて下さいましたが、何よりもSAYAKA様ご自身が誠実で真っ直ぐな方でございました。


しかしながら……。当店に御来店なさる方、全てがSAYAKA様のような良いお方とは限りません。


お客様ではございませんが、一度、悪意を持って来店された方がおりました。







「すみませぇん」


「ようこそお越し下さいました」


その方は大きなケースを引いていらっしゃいました。

物腰柔らかく、当店の胡散うさんくさたたずまいに負けず劣らずの胡散うさんくささを漂わせて、取って付けた様な笑顔を浮かべた、うだつの上がらない雰囲気で如何いかにも取り柄が無さそうな……


……コホン。

いやですわ。私ったら、何て口の悪い……。


失礼致しました。

要はパッとしない中年男性だったのでございます。


「お香をお買い求めでしょうか?」


「いえ……。私、香木販売を仲介しております、板垣と申します。本日は挨拶に伺わせて頂きました。」


その方は名刺をお出しになりました。


「……まぁ。香木の……」


「いやね、既に仕入れ先のお得意様がいらっしゃるかなぁとは思うのですが、どうでしょう?一つ見て頂けないかなぁと」


「まぁ!是非とも見てみたいですわ!申し遅れました。わたくし、当店の店主、薫森しげもりと申します」


「いやいや、ありがとうございます。お仕事中、お忙しい中すみません。失礼致します」


奥の部屋でお茶を用意していると、香織が隣で「なんか胡散うさんくさっ……」と小さく呟きました。


……ちょっと同意にございます。



男性はテーブルに着くと差し出したお茶にお礼を述べられて、大きなケースの中から二つの香木をお出しになりました。


「これは……、『白檀びゃくだん』にございますね?」


流石さすがですね。そうです!サンダルウッドの心材しんざい!しかも驚かないで下さい!超貴重なインドの『老山ろうざん白檀びゃくだん』なんですよ!」


「まぁ!……老山ろうざん白檀びゃくだん。よく手に入りましたこと……」


「いえいえ。まぁ運が良かったんですがね?どうです?心材しんざい、千百グラム!こんな質の良い物は中々ございませんよ?」


サンダルウッドとは白檀びゃくだんの英名。

老山ろうざん白檀びゃくだんとは、インドのマイソールで採取される最上級品の白檀びゃくだんのことを申します。


香木は人口繁殖が難しく、成熟に何十年もかかるもの……。


近年の乱獲により、香木こうぼくじゅはワシントン条約にて絶滅ぜつめつ危惧種きぐしゅに指定されており、インド政府も輸出規制をかけている大変貴重なものでございました。


「でも、お高いんでしょう?」


老山ろうざん白檀びゃくだん心材しんざいですからね!難しいところなんですが。今回はあなた様と初めての商談になりますし、今後も良しなにと、挨拶の意味も兼ねて二十万!ギリギリ二十万まで勉強させて頂きます」


「まぁ!お勉強して下さるのですね?……ところで、こちらの香木は何なのでしょう?」


「ああ……。こちらのは大したこと無いですよ。同じインドの白檀びゃくだんなんですがね?不良品でタダ同然です。比べて頂いて老山ろうざん白檀びゃくだんの引き立て役に……ってとこですかね。ハハハ……いやぁ、すみません。私も商売人ですから、つい良く見せたくなるんですよ」


「ま!正直な方ですこと……」


私は口元を押さえ、男性と揃って笑い声を上げました。


「そこまで熱心にお話下さるのなら、私も丁重ていちょうにお迎えしなくてはいけません。どうでしょう?返事の前に一つ、お香をかせて頂けませんか?」


「いやぁ。そんなそんな……。ありがたいお話ですよ、それは」


「それでは一度、香木をお片付け下さって、少々お待ち下さいませ」



私は奥の部屋にひっそりと仕舞しまってあるお香を取りに参りました。


香織が小声で「お姉ちゃん、怪しいって」と申しておりました。


……無視にございます。


しかしお香を取り出している最中も、香織は心配して何度も呼び掛けて参りました。


「ねぇ、お姉ちゃんってば。ダメだって。ねぇ!」


私はお香の準備を続けたまま、振り向かずに静かに申しました。


「香織……」


「は、はい!」


「商談や香木のお勉強よ?……今後のためにも、あなたも一緒にいらっしゃいな」


「は……、はい!」


いつもの声と笑顔で申したつもりでしたが、香織は怖がるように背筋を正しました。

流石さすがは我が妹。気付いたようにございます。

そう……、私は燃え盛る怒りを必死に隠していたのです。



私は香織を連れて席に戻ると、小皿に一つの印香いんこうを乗せて火を灯しました。

どこまでも澄み渡る、透き通るような酸味のある香りが拡がって参ります。


私は目を閉じてしばらく香りを堪能してから、ゆっくりと目を開けて男性を見つめました。


「いやぁ、落ち着く香りですなぁ」


「良い香りでございましょう?ところで、板垣様……」


「いえ、田中です。……え?いや、板垣です」


「田中様」


「あ、はい。何でしょう?……あれ?」


私はニコリと微笑みました。

香織は後ろで驚いておりました。


先程さきほど白檀びゃくだん、インドの老山ろうざん白檀びゃくだんと申されましたかしら?」


「違います。ん?……いやいやいや、そうです!老山ろうざん白檀びゃくだんです!ホントは偽物だけど……あれ?」


「いやですわ?老山ろうざん白檀びゃくだんだなんて……。どうやら勉強がお足りでないようですわ?……あれは香気の無いハワイ産のサンダルウッド。偽物ですものね?」


男性は次第に震えを大きくなさり、やがて泣き叫ぶと机にしてお答えになりました。


「うぅぅっ!そうなんですぅ!偽物なんですぅ!ごめんなさいぃ!僕だってこんなことしたくないんですぅ!でもこうしなきゃ生活出来なくてぇ!上司も怖くてぇ!ぐふふぅ!」


「事情はさておき、香気の無い白檀びゃくだんにオーウェン・ジェイゼの白檀びゃくだん香水の原料をかけて人をだますなんて……。香への侮辱ぶじょくもあんまりではございませんこと?」


「すごいぃぃ!中身までお見通しだなんてぇ!そこまでわかるんですかぁ!?何者ですぅ!?参りましたぁ!申し訳ございませんんん!」


わたくしは立ち上がると、鋭い眼光をもって男性を見下ろしました。


わたくしは……、香に敬意を払えない方が、この世で一番大嫌いにございますの……」


「は……!はいぃ!」


「よろしいこと?二度と当店の敷居をまたがないで下さいまし。それと……、もう一つの樹木はタダも同然でございますものね?ならば置いていって下さいませんかしら?」


「はいぃ!差し上げますぅ!すみませんでしたぁ。二度と来ませんんん!うぅぅ、失礼致しましたぁ!」


男性は香木を一つテーブルに置いて、何度も礼をして慌ただしく店を後になさいました。


私は置いていかれた樹木を両手に取り、でるようにでながら怒りを静かに収めていきました。







「ほわぁぁ……。お、お姉ちゃん……。どうなってんの?」


香織は呆気あっけに取られて立ちすくんでおりました。


「これは『心真守こころのまもり』。人の心を正し、守るもの。……つまり、噓がつけない。心にやましいことがある人は正直に喋っちゃうようになるお香なの」


私は大きく深呼吸をして気持ちを浄化させました。


「も、ものすごいお香ね。チートじゃん」


「あら?何もすごく無いわ?毎日正しく生きてさえいれば、必要の無いお香なのよ?」


「ふぁぁぁ……。そう言い切れるのはお姉ちゃんだけだよ。すごいなぁ……。お姉ちゃん大好き」


「あら!……まぁ」


「え?……え?……いや、え?」


私は微笑みながら口元を押さえ、香織はあたふたと手を振りながら狼狽うろたえ始めました。


「もう、照れちゃうわ?そんなにお姉ちゃんが好きなの?」


「ち、違うもん!お姉ちゃんなんか、普段おしとやかなくせに根はゲスくてお香ばかりに没頭して、私のこと全然相手にしてくれない、もっと構って欲しい……って違ぁぁう!……でも一つのことを極めるのってカッコいいなぁ、素敵。私も自慢のお姉ちゃんみたいになりたくて……。ちょっと……うわぁ!」


香織は涙目で慌てふためき、やがて号泣しました。


「もう、香織ったら……。ちなみにお姉ちゃんみたいになりたくてどうしたの?」


「お姉ちゃんみだいになりだぐて、その……、お姉ちゃんの大事なシャンプーとリンス勝手に使ってまひたぁ!」


私は腰に両手をあてて、ため息をつきました。


「やっぱり……。減るのが早いと思ってたの……」


「ごめんなざぁぁい!あとお姉ちゃんが冷蔵庫の奥に大事に取っといたプリン、さっきこっそり食べまひたぁ!お姉ちゃんの大事な調味料も勝手に使ってまひたぁ!この前お出かけの時に服も内緒で借りまじだぁ!」


「香織……」


「ごめんなざぁぁぁい!」


皆様?……人間、正直が一番にございませんこと?



その日はお客様の御来店も無く、半休を頂きました。

その後、香織がどうなったのかは、皆様のご想像にお任せ致します。うふふ……。



本日のお話はここまで……。

皆様、私どもの話にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

またのお話をご所望でしたら、それはまた次の機会に……。





             『香司』 美結



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